ぽんしゅう座

映画を観るくらいしか趣味のない男の、雑談です。

■ 運び屋 (2018)

2019年03月19日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
90歳の“痩せがまん”。アール(クリント・イーストウッド)の最後の選択は、歩んできた人生への反省や家族への罪滅ぼしなどでは決してない。だって性懲りもなく、まだ花に水やってるんだもの。これぞ、私たちが長年憧れてきたイーストウッドのダンディズム(自己満足)のススメたっだじゃないですか。

88歳のイーストウッド。老いて、新たに学び、謙虚になった風な映画を撮ってみたものの、その我がままな本性は隠しようもなく・・・。この天然正直ぶりこそ彼が、良し悪しや、好き嫌いを超越した、愛すべきヒーロー(信じ得る男)であるゆえんなのでしょう。

同じ爺さん監督でも、83歳で『まあだだよ』を撮った黒澤明の、もっと俺に“かまってちょうだい”とは対極にいるのです。

老いてこそ男の手本。こんな身勝手な“孤高”の爺さんに私はなりたい。

(3月16日/TOHOシネマズ南大沢)

★★★
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■ きばいやんせ!私 (2018)

2019年03月18日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
周防正行的うんちくや矢口史靖的解説の伏線は最小限に抑えて、クライマックスの「祭り」をドキュメンタリー的「情感」だけで、いささか強引に押し切ってしまう。これが脚本の足立紳と武正晴演出の戦略なら、もっと撮影(画面)には突出した力が欲しかった。

やっぱり、この手のチャレンジものには、それなりの「仕掛け」や「ケレン」がないと、ちょっと退屈です。

宇野祥平に導かれるような夏帆の、自転車二人乗り“町めぐり”ファンタジーが醸し出すノスタルジーは 陽性の『砂の器』みたいで好感でした。

(3月14日/有楽町スバル座)

★★★
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■ 天国でまた会おう (2017)

2019年03月17日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
状況は過酷かつ反逆的で、どのシーンもシビアかつパワフルに描かれるのだが、映画全体は飄々として実に軽やか。登場人物の心情や背景(原作未読だがきっと膨大に書き込まれているのだろう)が過不足なく伝わってくる脚本も的確なのでしょう。心情を多弁に語る“仮面”の造形も美しく楽しい。

(3月14日/TOHOシネマズシャンティ)

★★★★
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■ ビール・ストリートの恋人たち (2018)

2019年03月11日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
映画のなかで確実に進行するのは、あふれんばかりの恋心を瞳いっぱいにたたえた19歳の娘ティッシュ(キキ・レイン)の初々しい“過去”の恋愛物語だ。その思いを断ち切るようにおとずれた理不尽な“現在”は、誰がどう手を尽くそうが止まったまま一向に動かない。

ついに、ときめいていた“過去”は、こんなはずではなかった“現在”を追い抜いてしまう。そして「一家」は“未来”の安寧を願い、互いに手をとり祈り続ける。

事実無根の罪で投獄され刑期を終えた男はファニー(ステファン・ジェイムス)に言う。やっとキング牧師やマルコム・Xの言っていたことが分かったと。150余年前の奴隷解放宣言以来も、数限りなり差別と告発、偏見と抗議を繰り返し、あの60年前の公民権法を経てすら、今もなお、我々ブラックは祈らずにはいられない状況に置かれているのだ。そうバリー・ジェンキンズは、ティッシュとファニーの成就しない、本来はどこにでもあるはずの恋愛物語に託して静かに抗議しているのだ。

ファニーの母親は狂信的な倫理主義者として描かれる。彼女もまた身に降りかかる差別と偏見に耐えるため、必至に神にすがったために過剰な鎧(『ムーンライト』の成人したシャロン(トレヴァンテ・ローズ)もそうだった)をまとってしまったのかもしれない。そんなことを考えた。

(3月6日/TOHOシネマズ新宿)

★★★★
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■ 女王陛下のお気に入り (2018)

2019年03月10日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
3人の女優さん(特にオリヴィア・コールマン)と美術と衣装を褒めて、撮影のロビー・ライアンの仕事の広がりを期待し、さてここまで変わった(我慢した?)ヨルゴス・ランティモス監督、次はどうするのだろうか、とその身の振り方ばかりが気になっています。

ランティモス監督には、こんなん(失礼!)じゃなくて、いつものように誰にも撮れない映画を作り続けて欲しいと思うのです。

エンドロールでエルトン・ジョンの「スカイライン・ピジョン」が流れるんですが、私、この曲大好きなんです。歌詞の一節にこんなところがあるんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地平線をゆく鳩は飛び 夢の世界へ向かってゆく

君はもう はるか彼方まで離れてしまったのだ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうかランティモス監督、戻ってきてください。

(3月5日/TOHOシネマズ新宿)

★★★
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■ 岬の兄妹 (2018)

2019年03月09日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
この二人が選んだ意図せざる生活は、世間の見えざる「圧」が生み出す不本意な“引きこもり”のようにみえた。本人たちが不本意であるぶん、二人はなりふりかまわず本能を金銭に替えて世間と関わりを持つ。真里子は普通ならざる生活を通して普通を実感したのだろう。

高尚な思想や、鋭い告発がある分けではない。この映画にあるのは、何に遠慮することもなく、語りたい話を見せたいカタチで撮ってしまう飾り気や遠慮のなさだ。妥協や譲歩のない“やり方”は、ものごとの本質を突きつける。丸裸でむき出しの物語を観終わったあと、理想や建てまえではなく、本来私たちが語るべき“人権”とは何であったのだろうか、と考えてしまった。

こんなに迷いも、てらいもなく規制を越境する馬力のある映画は近年類がなく、その濃厚さや図太さは1960年代の今村昌平や若松孝二作品を思い出させた。

あと、あたかもきわどいドキュメンタリーのように、熱演する兄妹(松浦祐也/和田光沙)を、風景に溶け込ませた美術、衣装、撮影が「あの町で起きた出来事」を語るような説得力を生んでたことも忘れずに記しておきます。

(3月5日/新宿バルト9)

★★★★★
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■ グリーンブック (2018)

2019年03月04日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
対照的なキャラクタを達者な俳優が上手にこなし、散りばめられた伏線も“そうだよね”として綺麗に回収され、伝統や掟として見過ごされる差別や偏見の根深さもしっかり指摘されて、この人情ドラマは収まるべき結論に丸く収まる。なんて分かり易い「良い映画」だろう。

そう呟きながら、みんな安心して映画館を後にする。そして、何ごともなかったように“世間”のなかに潜り込む。分かり易いということは、確かにひとつの美徳ではありますが、決して“世間”は分かり易くなどありません。それは“世間”が無数の「私」によって成り立っているからです。

性善説を信じて“みんな”でそろって頑張るよりも、性悪説から逃げずに“一人ひとり”が自分を戒めないと、差別や偏見はなかなか減らないはずだと、ちょっと気を緩めると心の奥底に巣くった差別意識や偏見が、すぐに頭をもたげてしまう「私」を、私は戒めています。コトを丸く収めることに意義を見出す映画よりも、コトを荒立てるのが映画の意義だと私は思うのです。

そう書くと、ひたすら深刻な映画ならいいのかと誤解されそうですが、私は、同じ差別と偏見を描いても、過去の悲劇を現在の不幸に重ねて嘆いてみせる『デトロイト』(キャスリン・ビグロー)は好きではありません。現在の不幸は過去の悲劇を克服する過程だと戒める『ドリーム』(セオドア・メルフィ)の方が“現在”に対して建設的なぶん断然好きです。

この「グリーンブック」は、そのどちらでもなく、ただ安心したいだけのように見えます。「みんな」がこうあって欲しいという願望を描いて得た安心に実態などあるのでしょうか。みんなのことではなく「私」を主語にした感想が浮かばない限り、私のなかの差別心や偏見を減らす(無くすなんておこがましい)ことはできないと思うのです。

たぶんこの映画に力がないのは“現在”という視点が欠落しているからだと思います。

(3月3日/TOHOシネマズ南大沢)

★★★★
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■ バーニング 劇場版 (2018)

2019年03月02日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
北の国境の稜線を背景に、黄昏に溶ける太極旗の向こうには小さな三日月が浮かぶ。気だるいマイルスの旋律に裸体のシルエットが揺れて、女の手が絡み結ぶハトの影絵が空を舞う。存在したものと消滅するものの“あわいのミステリー”の可視化として傑出した美しさ。

すべてに行き詰まりながら人生に対する自分自身の甘さに逃げ込むジョンス(ユ・アイン)。薄い笑顔に貴族的(サド侯爵!)な不気味さが滲むベン(スティーブン・ユァン)。村上春樹のヒロインらしい奔放さと危うさを発散するヘミ(チョン・ジョンソ)。3人の若者の噛み合わない挙動のズレが不協和音となって不安感をかきたてる。

特にチョン・ジョンソが魅力的、まだ24歳だそうです。近年、大活躍のキム・ミニや『金子文子と朴烈』のチェ・ヒソと、また韓国の女優さんの動向から目が離せなくなりそうです。

(2月27日/TOHOシネマズシャンティ)

★★★★
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■ 盆唄 (2018)

2019年03月01日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
豊作や大漁への感謝の言葉が、小気味よい太鼓と笛の音に乗せて、伸びやかな声で唄い上げられる。その心地よいグルーヴに、いつしか心踊らせ没入している自分に気づく。故郷に戻れない人々の過去、現在、未来の断絶を埋めるための拠りどころが“郷愁”なのだろう。

おそらく2011年以前の日本に「帰還困難区域」などという単語は存在しなかったと思う。

一生涯、故郷に戻れない(かもしれない)双葉町の人々は歌い継がれた自分たちの「盆唄」の将来をハワイの日系移民に託す。託された彼らもまた、100年前に一旗揚げようと福島を離れ、故郷に戻らなかった(戻れなった)人々だ。その託された双葉の「盆唄」は200年以上前、天保飢饉で荒廃した故郷(富山)を捨てて福島に移り住んだ人々の歌がルーツだという。

リアルタイムで描かれる幼なじみで気心の知れた双葉町の楽師たち。エネルギッシュで人なつっこいハワイの日系人たちと、彼らのノスタルジックでありながらも苛烈な移民史。味わい深い池亜佐美のアニメーションで綴られる富山からの移住者の長い長い忍耐の歴史。アルバムをめくるようにたどる、双葉町の開墾から、戦前、戦中、戦後、原発誘致、繁栄、そして震災と汚染まで盛衰史。

双葉町、ハワイ、富山を貫く移住の民の連環。そこに学術的な実証やロジカルな根拠があるわけではなさそうだ。あるのは、新しい地(よそ者の地)で生きのびるために強いられる共通の心情だ。過去を捨て(思いを断念し)、現在を受け入れ(排他に耐え)、将来を信じて(不安の芽を摘み)ながら日々を繋いでいくということ。あの「盆唄」が生み出すグルーブの快感は理屈では説明できないが“郷愁”という万人が了解できる心情の連鎖なのだろう。

ハワイの盆踊りに江戸末期の「ええじゃないか」が受け継がれているのには驚いた。柳田國男の「蝸牛考」を思い出した。

(2月22日/テアトル新宿)

★★★★
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■ 金子文子と朴烈 (2017)

2019年02月26日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
日本や日本人にとってはアイデンティティの否定につながるような言説がありながら「反日」やら「嫌韓」といった粗雑な感情が起こらないのは、国家ではなく、まず個人ありきの姿勢が貫かれているからだろう。国民感情などという思考狭窄からさらりと身をかわし、万国共通の“抵抗者”の矜持を示す実にしなやかな映画。

強固な意志と、愛らしさを合わせ持った金子文子のキャラクターが魅力的だ。文子の“愛”は、惚れた男パクヨル(朴烈)と対等の関係を堅持することで成就し、空疎な権威で防御された矛盾や欺瞞を激しく糾弾するときには牙となる。この好悪(とは“愛”のことだ)の明確さこそが、文子が「国家」ではなく「個人」を生きる普遍的な“抵抗者”である証しなのだ。

個人の思い(それは被虐者ゆえの悲しみ)に根ざした好悪は、国や民族や立場の違いを超えて共感を生む。そんな文子の本能的な好悪をチェ・ヒソが、実にチャーミングに演じている。

(2月21日/イメージフォーラム)

★★★★
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