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ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■私は中川梨絵のファンである・・・突然の訃報にとまどいつつ・・・

2016年06月17日 | ■銀幕酔談・雑感篇「映画の近所にて」
2016年6月15日。女優の中川梨絵さんが逝去されました。享年67。肺がんだったそうです。



1967年に東宝から成瀬巳喜男作品(中川さかゆ名)でデビュー。その後、日活に移籍してブレイク。70年代前半のロマンポルノを代表する女優のひとりとなります。74年からフリーとなり黒木和雄、実相寺昭雄、相米慎二、池田敏春、森崎東ら個性的な作家の作品で存在感ある脇役として活躍されました。

   

なかでも『竜馬暗殺』(74)のモノクローム画面のなかの憂いを湛えた瞳が印象的な遊女や、『歌麿・夢と知りせば』(77)の艶やかな花魁道中姿は忘れることができません。また、このころ唯一のレコード曲「踊りましょうよ」を発表。そのデカダンスな香り漂う甘い歌声に魅了されました。当時、深夜ラジオからラジカセで録音し、擦り切れるまで聴いたカセットテープは私の宝でした。

その後、縁あって2000年以降、私は悪友らと梨絵さんが新宿・四谷で営んでおられた居酒屋に客として伺うようになりました。酔いにまかせた我々の勝手な映画酔談に合わせて、名監督たちのとの想い出や、新作(―こまめにご覧になっていました―)への忌憚ない感想で、その場を楽しく盛り上げてくださいました。にもかかわらず、お店の移転にともない伺う機会を失してしまい、近年は不義理を募らせておりました。

そして、昨日の早すぎる訃報。あちらの世界にも映画界があるのなら、先に逝った方々が梨絵さんの来訪を待ちきれなかったのでしょう。そうでも思わなければやりきれません。
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■映画サービスデーと「ある限界」

2013年06月04日 | ■銀幕酔談・雑感篇「映画の近所にて」
6月1日。「三姉妹~雲南の子」を観に行った。
小さな映画館だが超満員だった。

108席が完全に埋まり、
後方の壁沿いにパイプ椅子を並べで臨時席を作り、
さらに劇場から支給された座布団を敷いて何人かは通路に座っている。

通路まで人が溢れる光景を見るのは久しぶりだ。
70年代の名画座ではたまにあったが、
完全入れ替え制が普及して以来はじめてのような気がする。

大入りは結構なことだが嫌な予感もした。
客層がいつもと違うのだ。

案の定、始まって30分ほどで寝息が聞こえ、
1時間ほどでひそひそと会話が始まる。
そして終わりの時間を確認しているのだろう、
暗闇に液晶画面の光がちらつく。

夜は地元のシネコンで「リアル~完全なる首長竜の日」を観た。
こちらは500席近い大スクリーンに客は20名ほど。
照明が消えると周りの客はいっさい目に入らなくなり、
巨大空間でスクリーンと1対1で対峙して気分はもう貸し切りだ。

やはり70年代に新宿歌舞伎町あたりの巨大ロードショー館で
同じような状況に遭遇したものだ。


90年代に1億2~3千万人まで減った年間の映画館入場者数は、
2000年代に入って1億6~7千万人まで戻した後、そこで伸び悩んでいる。

1億6~7千万人という数は、
入場者数が2億人を割って一気に下がり始めた
70年代後半の数字とほぼ同じだ。

このあたりが日本人の映画リテラシーと
マーケットの限界なのだろうか。
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■映画チラシ、6点

2012年03月26日 | ■銀幕酔談・雑感篇「映画の近所にて」
引き出しの奥から映画のチラシが大量に出てきた。
この10年くらいのもので目分量で500~600枚くらいありそうだ。

チラシ収集の趣味はないのだが、
とりあえず鑑賞した映画の分はとってある。

別に捨ててしまってもよいのだが、
たまにハッとする魅力的なデザインのものがある。

暇にまかせて、というよりは酔いにまかせて、
グラフィックに惹かれたチラシを選んでみた。

6点あった。


























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■DVD襲来

2011年08月30日 | ■銀幕酔談・雑感篇「映画の近所にて」
7月の半ばだったと思う。
友人のT.Oから連絡があった。

奴は今、上海で暮らしているのだが、
事情があって実家の家と土地を処分することになったという。

いらない物は捨てて残りの荷物は
とりあえずトランクルームに預けるつもりだという。

ついては映画のDVDが1000本分ほどあるのだが、
それはお前に預けるから観たいものがあれば勝手に観ろと、
唐突かつ一方的な提案をしてきた。

DVD、1000枚の量が想像できない。
尋ねると大ぶりの段ボール箱で10個くらいだという。

それはいくらなんでも困る。
家族の大ひんしゅくを浴びつつ、
狭い家のなかで確実に俺居場所がなくなる。

とりあえず作品リストを送ってくれと頼むと、
そんな洒落たものはないのでこれから作ってみるという。

7月の末、リストが届いた。
外国語映画は1921年の「キッド」から2008年の「ダーク・ナイト」まで550本。
日本映画は小津の「生まれてはみたけれど」から「クライマーズ・ハイ」まで510本。
確かに1000本以上あった。

見逃したのやら
再見したいが映画館でかかりそうにないもの、
レンタルしてまで見ようと思わないが暇つぶしになりそうなもの、などなど。
リストアップしたら約300本になった。

8月中旬。
段ボール箱が2個と、
何故かクーラーボックス1個が届いた。
中味はDVDとVHS(テープはいらないって言ったのに!)、総数235本。

1週間に1本づつ観たとしても、全部観るのに5年近くかかる。

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■「人魚伝説」伝説

2011年02月03日 | ■銀幕酔談・雑感篇「映画の近所にて」
渋谷で池田敏春監督の「人魚伝説」(84)を観てきた。公開時から27年ぶりの劇場鑑賞。2日間だけの上映とはいえ140席あまりの劇場はほぼ満員。その盛況ぶりに驚く。そして、もうひとつの驚きは、上映に先立つ1月29日の夕刊紙上で報じられた監督の死だ。奇妙な死の顛末だった。

昨年12月24日、訪問先の三重県志摩市の知人宅を出たのを最後に、池田監督と連絡が取れなくなっていたという。そして一ヵ月、ようやく1月29日になって、年末に志摩沖で発見された身元不明の遺体が池田監督だと判明したのだそうだ。怪我の状態からみて崖から海に転落した可能性が高く「自殺か?」と報じる新聞もあった。

映画「人魚伝説」は、伊勢志摩あたりが舞台と思われる海辺の街で、土地開発のトラブルに巻き込まれて漁師の夫を殺された海女による壮絶な復讐物語だ。白都真理演じる海女の純白の装束は、紺碧の海を映しきらめき揺らぎながらプルシアンブルーに輝き、果てしなき欲望のごとく噴出する大量の血しぶきを浴びながら人の貪欲さを呪う。「人魚伝説」は、純白の海女が生と死の女神として神々しく、畏怖され、輝く映画なのだ。

映画では「海への落下」シーンも複数描かれる。物語の内容からしてこの符合は当然だとしても、若干30歳の新鋭監督として自身が多感に挑んだモチーフのなかで池田敏春が逝ってしまったという事実に心が痛む。近年はもっぱらVシネマを撮っていたそうだ。根岸吉太郎や井筒和幸といった、かつての同志であるディレクターズカンパニーの同世代たちが気を吐くなか、スクリーンでもう一度輝いて欲しい監督だった。
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