ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ グリード (1924)

2019年09月03日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
鉱山夫、医師、労働者と境遇が流転しても夫(ギブソン・ゴーランド)の巨大な鼻は顔の真ん中で我を主張し続ける。虚ろだった妻(ザス・ピッツ)の目は、やがて充積した貪欲に目玉が飛び出すほど見開かれる。坊ちゃん顔の友人(ジーン・ハーシュルト)の広く四角い額と頬は、いつしか乱れ髪と無粋な髭におおわれる。

状況や心理を強調するための表情の誇張はサイレント映画の常套手段だ。ところが、この繊細な“心の物語”は、そんな「ありきたり」を周到に回避している。状況の示唆は丁寧に整理されたカットの光りと影とアングルの積み重ねに託され、心理は表情の誇張ではなく顔つきの変遷に委ねられる。

前半の不穏と暗澹から、ついに状況がオーバーヒートする終盤の灼熱へと、執拗、かつじっくりと写し撮られる「顔」が“心”のありようを語り続ける、まさに「顔」のアクション映画だ。そこが、他のサイレント映画と一線を画し本作が“心”を揺さぶるゆえんだろう。

(8月31日/シネマヴェーラ渋谷)

★★★★

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