10月8日(金)武満徹80歳バースデー・コンサート
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1.ウェーベルン/管弦楽のための6つの小品 op.6(1928年版)
2.ナッセン/ヤンダー城への道 op.21a
3.武満 徹/リヴァラン*
4.武満 徹/アステリズム*
5.ドビュッシー/聖セバスティアンの殉教 ─ 交響的断章
【演 奏】
Pf:ピーター・ゼルキン*
オリヴァー・ナッセン指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
武満徹がこの世を去ってしまってからもう14年が経つが、その生誕80年を記念するコンサートを「バースデーコンサート」と呼ぶところに、オペラシティのこの大作曲家への変わらぬ敬意と愛情が感じられる。そしてこの演奏会そのものも、武満への敬意と愛情が結晶した素晴らしいものとなった。
最初に置かれたウェーベルンは、まだ12音技法によらない無調の、ストイックさと叙情がどちらも感じられる音楽。適度な湿気を伴い、精巧な美しさと、感情の昂りを伝える演奏も良かったし、次のナッセンの曲の、ファンタジックな導入に、パーカッションの響きが絡まって行くのにも心引かれたが(やがて律儀に音楽がリズムを刻み始めると最初の印象は褪せてしまったが…)、なんと言っても、プログラムの真ん中に置かれた武満のビアノを伴った2つの作品が今夜の白眉。
実験的な要素も盛り込まれ、エネルギーが外へ勢いよく放出される「アステリズム」と、内面性を湛え、調性への憧憬も感じられる「リヴァラン」、2つの作品は、書かれた年代が違うこともあり、それぞれが大きく異なる特徴を持っているが、究極のところでは同じスピリッツが宿っているように感じた。それは、「アステリズム」についてはいささか逆説的に聞こえるかも知れないが、「かぎりなき静寂」というスピリッツ。
どちらの音楽も自然の中に、更には宇宙の中に吸い込まれて行くような究極の静寂感を備えている。そして、どちらもこの上ないほど精緻な姿で、凛として佇んでいる。この静寂感と気高さが、ピーター・ゼルキンのビアノで最大に引き出される。
ゼルキンのピアノはそれだけでなく、深淵さの中からいつも何かとても大切なメッセージを語りかけてくる。まるで武満の魂と交感し合って、それを伝えてきているようだ。そうしたメッセージを指揮のナッセンが明確につかみ、オーケストラに伝える。東フィルはもちろんいいオーケストラだが、武満の音楽をここまで美しく、しかも生命力を湛えて演奏してくれるとは思わなかった。アンサンブルとしても、ソロパートも、ゼルキン→ナッセンと伝えられたメッセージを見事に音にして聴かせてくれた。
2つの武満の音楽と向き合っている時間はとてもプライベートで、掛け替えのない幸福感に満たされた、宝物のような時間だった。
最後のドビッシーでもナッセンはオケから雅やかさえ感じられるいい響きを引き出していたが、集中力はやや落ちたかも。それにしても2曲目が輝かしい光と共に閉じたとき、BGMのようにホールに鳴り響いていたあの電子音のメロディーはいったい何?音を出した犯人を見つけたら縛り上げてやりたい!
武満徹が65才で世を去ってしまったのは本当に残念だったが、生前と比べるとやはり武満の音楽を聴ける機会が少なくなってしまったのも悲しい。そんな中でこのような意味のある素晴らしい演奏会を折りに触れて企画してくれる東京オペラシティの存在は大きい。願わくば、もっと頻繁に武満シリーズをやってくれると嬉しいな…
ピーター・ゼルキン ピアノリサイタル(2006.9.15)
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東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1.ウェーベルン/管弦楽のための6つの小品 op.6(1928年版)
2.ナッセン/ヤンダー城への道 op.21a
3.武満 徹/リヴァラン*
4.武満 徹/アステリズム*
5.ドビュッシー/聖セバスティアンの殉教 ─ 交響的断章
【演 奏】
Pf:ピーター・ゼルキン*
オリヴァー・ナッセン指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
武満徹がこの世を去ってしまってからもう14年が経つが、その生誕80年を記念するコンサートを「バースデーコンサート」と呼ぶところに、オペラシティのこの大作曲家への変わらぬ敬意と愛情が感じられる。そしてこの演奏会そのものも、武満への敬意と愛情が結晶した素晴らしいものとなった。
最初に置かれたウェーベルンは、まだ12音技法によらない無調の、ストイックさと叙情がどちらも感じられる音楽。適度な湿気を伴い、精巧な美しさと、感情の昂りを伝える演奏も良かったし、次のナッセンの曲の、ファンタジックな導入に、パーカッションの響きが絡まって行くのにも心引かれたが(やがて律儀に音楽がリズムを刻み始めると最初の印象は褪せてしまったが…)、なんと言っても、プログラムの真ん中に置かれた武満のビアノを伴った2つの作品が今夜の白眉。
実験的な要素も盛り込まれ、エネルギーが外へ勢いよく放出される「アステリズム」と、内面性を湛え、調性への憧憬も感じられる「リヴァラン」、2つの作品は、書かれた年代が違うこともあり、それぞれが大きく異なる特徴を持っているが、究極のところでは同じスピリッツが宿っているように感じた。それは、「アステリズム」についてはいささか逆説的に聞こえるかも知れないが、「かぎりなき静寂」というスピリッツ。
どちらの音楽も自然の中に、更には宇宙の中に吸い込まれて行くような究極の静寂感を備えている。そして、どちらもこの上ないほど精緻な姿で、凛として佇んでいる。この静寂感と気高さが、ピーター・ゼルキンのビアノで最大に引き出される。
ゼルキンのピアノはそれだけでなく、深淵さの中からいつも何かとても大切なメッセージを語りかけてくる。まるで武満の魂と交感し合って、それを伝えてきているようだ。そうしたメッセージを指揮のナッセンが明確につかみ、オーケストラに伝える。東フィルはもちろんいいオーケストラだが、武満の音楽をここまで美しく、しかも生命力を湛えて演奏してくれるとは思わなかった。アンサンブルとしても、ソロパートも、ゼルキン→ナッセンと伝えられたメッセージを見事に音にして聴かせてくれた。
2つの武満の音楽と向き合っている時間はとてもプライベートで、掛け替えのない幸福感に満たされた、宝物のような時間だった。
最後のドビッシーでもナッセンはオケから雅やかさえ感じられるいい響きを引き出していたが、集中力はやや落ちたかも。それにしても2曲目が輝かしい光と共に閉じたとき、BGMのようにホールに鳴り響いていたあの電子音のメロディーはいったい何?音を出した犯人を見つけたら縛り上げてやりたい!
武満徹が65才で世を去ってしまったのは本当に残念だったが、生前と比べるとやはり武満の音楽を聴ける機会が少なくなってしまったのも悲しい。そんな中でこのような意味のある素晴らしい演奏会を折りに触れて企画してくれる東京オペラシティの存在は大きい。願わくば、もっと頻繁に武満シリーズをやってくれると嬉しいな…
ピーター・ゼルキン ピアノリサイタル(2006.9.15)
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ナッセンさんの来日が遅れたことで、練習日数が当初の予定より減ったそうですが、オーケストラの皆様がタケミツメモリアルコンサートホールでの記念コンサートを、強い集中力と喜びを持って演奏なさった結果なのだろうと思いました。
それにしてもあの場での電子音はとても残念でしたね
武満のオーケストラ曲は、演奏にとりわけ精巧さが求められ、これがうまくいって初めて素晴らしい演奏が生まれるのだと思います。それほどデリケートな音楽ということなのでしょうね。
ドビュッシーの演奏ももちろん繊細さが必要ですが、あの電子音が武満の時でなかったのが、まだ救いでした。あの電子音、ラフマニノフのピアノコンチェルトだったそうです。よく聴いている人がいるものだと感心しました