9月7日(水)大井剛史 指揮 東京交響楽団
脱「現代音楽」へ向かって~4人のまなざし
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1.南聡/《昼Ⅴ》op.53 (2006/09)
2.山内雅弘/主題の無いパッサカリア~オーケストラのための
3.森垣桂一/ヴァイオリン協奏曲 第2番(2016) Vn:大谷康子
4.木下牧子/《ルクス・エテルナ 永遠の光》~オーケストラのための
1979年の第1回公演以来、オーケストラ作品の創作と発表を続けている作曲家グループ「オーケストラ・プロジェクト」による演奏会を5年ぶりに聴いた。31回目となる今回のテーマは《脱「現代音楽」へ向かって~4人のまなざし》。「現代音楽」という呼び方で括られてきた狭いイメージから脱却し、より多様な世界へ向かおうとする意思が伺える。
最初の南聡氏の「昼V」は、以前作曲された「昼Ⅱ~Ⅳ」という一連の作品を連結し、ひとつの曲にしたもの。弦楽器による音の断片が何かの始まりを予感させ、それが土着的な荒々しい姿になったかと思うと、天上からキラキラと降り注ぐような清澄な世界を聴かせてくれたり、次はどうなるんだろうという期待が途切れない。プレトークで南氏は、「予想を裏切るような音楽」と紹介していたが、例えばトゥッティによるクレッシェンドの果てに炸裂する、といった現代音楽のいわば常套手段を用いず、柔軟で繊細で独創的な方向へと向かう。こうした音の行方を見守ることに引き込まれた。
山内雅弘氏の「主題のないパッサカリア」は、パッサカリアの定旋律を明瞭に聞き取ることが難しいことからこの名が与えられたという。恐らくそのパッサカリア主題を構成していると思われる、「♪いぬのおまわりさん」の「ワン・ワン・ワ・ワン」に相当する特徴的なリズムが終始聴かれ、それが様々に変容する。
サンドブロックによる囁くような開始部は、深い森の中に潜む生き物が、息を潜めて様子を窺っている緊張した息遣いに聴こえた。それが次第に生命を謳歌する饗宴のように盛り上がり、森じゅうに命が溢れる。そこへ突然UFOが現れ、驚いた生き物達はじっと息を殺して凝視する。そして最後には天から神が降臨する、という現実離れしたヴィジュアルなシーンが浮かんだ。展開が生き生きとしていて、音の様子が絵画的、時にコミカルさも感じる楽しい音楽にワクワクさせられた。隣に座っていたじいさんは、笑いがこらえられない様子でやかましかったが、笑いを買うような音楽というのは、後々大きな反響を勝ち得る可能性がある。今夜の演奏会で最もオリジナリティーを感じ、面白かった。
森垣桂一氏のヴァイオリン協奏曲は、3楽章構成という楽章構成だけでなく、テンションの移り変わり、拍節感、メロディーなどの音楽の基本的な要素が、伝統的なスタイルを大切にして書かれた正統派のイメージ。その中に浮遊感を漂わせたり、カデンツァ風のところなどでは独創性も聴かせ、格調の高い音楽に仕上がっていた。独奏ヴァイオリンは広い音域を駆け巡り、重音も効果的に用いられ、ダイナミックさと繊細さが共存して聴かせどころ満載。特殊奏法ではなく、いかにヴァイオリンが美しく歌い、雄弁に語るかということを大切に書かれていると感じた。
この作品を献呈された大谷さんは、艶やかな 美音と生き生きした息遣いと歌い回しで、雄弁にソロパートを紡いで行った。オケとヴァイオリンによる終盤での高揚感ある盛り上がりも聴き応え十分だった。
木下牧子氏の「ルクス・エテルナ 永遠の光」は、長く延ばした音を多用し、息の長いハーモニーと大規模なオーケストレーションで壮大な音空間を出現させた。木管と弦楽器が交感を重ねるなかに、ピアノが軌跡を描きながら優美に駆け抜けるファンタジックな世界を聴かせた第1楽章、非和声音を含んだ金管の響きの美しさを堪能した第2楽章、そして第3楽章では響きが塊となって押し寄せ、巨大なエネルギーを引き起こし、それが無限の空間に果てしなく広がって行った。
4つの作品たちは、それぞれ全く異なる個性を持ち、音楽の多様性を楽しませてくれ、今回のテーマに相応しい内容だった。これは作品そのものがもつ魅力と共に、大井剛史指揮東京交響楽団の、切れ味が良く、現代作品の演奏に欠かせない、精度の高い優れた演奏に依るところが大きい。「オーケストラ・プロジェクト」の演奏会を長年サポートしてきた東響の面目如実というところ。
脱「現代音楽」へ向かって~4人のまなざし
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1.南聡/《昼Ⅴ》op.53 (2006/09)
2.山内雅弘/主題の無いパッサカリア~オーケストラのための
3.森垣桂一/ヴァイオリン協奏曲 第2番(2016) Vn:大谷康子
4.木下牧子/《ルクス・エテルナ 永遠の光》~オーケストラのための
1979年の第1回公演以来、オーケストラ作品の創作と発表を続けている作曲家グループ「オーケストラ・プロジェクト」による演奏会を5年ぶりに聴いた。31回目となる今回のテーマは《脱「現代音楽」へ向かって~4人のまなざし》。「現代音楽」という呼び方で括られてきた狭いイメージから脱却し、より多様な世界へ向かおうとする意思が伺える。
最初の南聡氏の「昼V」は、以前作曲された「昼Ⅱ~Ⅳ」という一連の作品を連結し、ひとつの曲にしたもの。弦楽器による音の断片が何かの始まりを予感させ、それが土着的な荒々しい姿になったかと思うと、天上からキラキラと降り注ぐような清澄な世界を聴かせてくれたり、次はどうなるんだろうという期待が途切れない。プレトークで南氏は、「予想を裏切るような音楽」と紹介していたが、例えばトゥッティによるクレッシェンドの果てに炸裂する、といった現代音楽のいわば常套手段を用いず、柔軟で繊細で独創的な方向へと向かう。こうした音の行方を見守ることに引き込まれた。
山内雅弘氏の「主題のないパッサカリア」は、パッサカリアの定旋律を明瞭に聞き取ることが難しいことからこの名が与えられたという。恐らくそのパッサカリア主題を構成していると思われる、「♪いぬのおまわりさん」の「ワン・ワン・ワ・ワン」に相当する特徴的なリズムが終始聴かれ、それが様々に変容する。
サンドブロックによる囁くような開始部は、深い森の中に潜む生き物が、息を潜めて様子を窺っている緊張した息遣いに聴こえた。それが次第に生命を謳歌する饗宴のように盛り上がり、森じゅうに命が溢れる。そこへ突然UFOが現れ、驚いた生き物達はじっと息を殺して凝視する。そして最後には天から神が降臨する、という現実離れしたヴィジュアルなシーンが浮かんだ。展開が生き生きとしていて、音の様子が絵画的、時にコミカルさも感じる楽しい音楽にワクワクさせられた。隣に座っていたじいさんは、笑いがこらえられない様子でやかましかったが、笑いを買うような音楽というのは、後々大きな反響を勝ち得る可能性がある。今夜の演奏会で最もオリジナリティーを感じ、面白かった。
森垣桂一氏のヴァイオリン協奏曲は、3楽章構成という楽章構成だけでなく、テンションの移り変わり、拍節感、メロディーなどの音楽の基本的な要素が、伝統的なスタイルを大切にして書かれた正統派のイメージ。その中に浮遊感を漂わせたり、カデンツァ風のところなどでは独創性も聴かせ、格調の高い音楽に仕上がっていた。独奏ヴァイオリンは広い音域を駆け巡り、重音も効果的に用いられ、ダイナミックさと繊細さが共存して聴かせどころ満載。特殊奏法ではなく、いかにヴァイオリンが美しく歌い、雄弁に語るかということを大切に書かれていると感じた。
この作品を献呈された大谷さんは、艶やかな 美音と生き生きした息遣いと歌い回しで、雄弁にソロパートを紡いで行った。オケとヴァイオリンによる終盤での高揚感ある盛り上がりも聴き応え十分だった。
木下牧子氏の「ルクス・エテルナ 永遠の光」は、長く延ばした音を多用し、息の長いハーモニーと大規模なオーケストレーションで壮大な音空間を出現させた。木管と弦楽器が交感を重ねるなかに、ピアノが軌跡を描きながら優美に駆け抜けるファンタジックな世界を聴かせた第1楽章、非和声音を含んだ金管の響きの美しさを堪能した第2楽章、そして第3楽章では響きが塊となって押し寄せ、巨大なエネルギーを引き起こし、それが無限の空間に果てしなく広がって行った。
4つの作品たちは、それぞれ全く異なる個性を持ち、音楽の多様性を楽しませてくれ、今回のテーマに相応しい内容だった。これは作品そのものがもつ魅力と共に、大井剛史指揮東京交響楽団の、切れ味が良く、現代作品の演奏に欠かせない、精度の高い優れた演奏に依るところが大きい。「オーケストラ・プロジェクト」の演奏会を長年サポートしてきた東響の面目如実というところ。