藝祭2018 3日目 9月9日(日)
最終日の藝祭は1人で出かけた。お昼から夕方にかけて合唱の練習で中抜けするため、抽選はゼレンカのミサ単独で臨み、見事当選した。最後はMANTO VIVOのライブで火照りまくった!
Ensemble d’étoiles
~第2ホール~
♪ サン=サーンス/デンマークとロシア民謡によるカプリス
♪ ゴーベール/マドリガル
♪ サン=サーンス/クラリネット・ソナタ 変ホ長調Op.167~第1楽章
♪ サン=サーンス/オーボエ・ソナタソナタ ニ長調Op. 166~第2、3楽章
♪ ダマーズ/ピアノと管楽器のための四重奏曲~第1、3、2楽章
今年の藝祭をきっかけに結成されたという3人の木管プレイヤーとピアニストによるコンサート。4人によるアンサンブルを楽しめたのに加え、それぞれの管楽器奏者のソロも聴け、楽器固有の魅力を味わうこともできた。
サン=サーンスの曲が3つ入っていて、最初の「カプリス」は、ピアノが華やかに活躍し、全体に装飾が施されたきらびやかな音楽であるのに比べ、クラリネットソナタとオーボエソナタは、落ち着いた音楽的な深みが感じられた。クラリネットの山村さんの話によると、2つのソナタはサン=サーンスの最晩年に書かれた3つのソナタの2つということで(もう一つはバソンソナタ)、作曲が年齢と共に深化する好例を見た気がした。演奏も丁寧に聴かせどころを押さえて、曲の良さを引き立てていた。後でバソン・ソナタも聴いてみたが、これも名曲。
最後のダマーズのカルテットも、生き生きと伸びやかに演奏する4人の瑞々しい感性が伝わってきて、楽しく聴くことができた。
Missa Votiva
~第6ホール~
♪ ゼレンカ/奉納ミサ(Missa Votiva)ZWV 18
作曲家ゼレンカの名前は聞いたことがあるが、曲は一つも頭に浮かんでこない僕にとって、この藝祭公演はゼレンカとの素晴らしい出会いの機会となった。奉納ミサは作品の長さといい、規模といい、音楽的な内容といい、どれをとっても大規模な作品だ。終演予定時刻を30分近くもオーバーして、1時間15分を要したこの作品は、日本では殆ど演奏される機会がないと云う。
オケも合唱もソロパートも大変緻密に書かれ、そこには様々なドラマがあった。最初のキリエの冒頭で聴かせた活力と推進力のある、厳しくも颯爽とした音楽をベースにしながら、半音階を多用したミステリアスな場面や、ラッススのようなルネサンスの清澄さを感じるところや、モンテヴェルディのような高らかに聖歌を歌い上げるところ、ロマン派の音楽のように親密に歌いかけたりするところもある。ミサ典礼文の歌詞が伝える情景や感情を、繊細な表現からドラマチックな表現まで幅広く使いこなして、敬虔に神を畏怖し、雄弁に讃えるのだ。この作曲家はバッハとほぼ同時代を生きたそうだが、ルネサンスからロマン派の手法まで網羅しているようにも聴こえる多彩な魅力を感じた。
ゼレンカの音楽にこれ程の驚きと感銘を覚えたのには、今日の演奏が大いに関係している。バッハカンタータクラブのメンバーを多く擁し、なかにはバッハコレギウムジャパンのメンバーも加わっていたことから、ハイレベルな演奏は期待したが、学生中心で他にも掛け持ちの多い藝祭で、ここまで素晴らしい演奏をするとは。きっと時間を捻出して相当な準備を重ねたに違いない。何をどう表現するかという明確なビジョンのもと、的確にターゲットに照準を合わせ、オケと合唱が一丸となって、明快に、エネルギッシュに攻めてくる。静かな場面や深刻な場面でも、エネルギーは常に内包されて熱いハートを届けてきた。
素晴らしいオケと合唱に花を添えたのはソリスト達。一番出番の多かったソプラノの大田茉里さんの歌にはとにかくホレボレした。清らかで美しい声、表現は清楚かつ繊細で、それだけではなく、ゼレンカがこんなにも珠玉の美しいメロディーを書いたことを認識できたのは、大田さんの歌があったからに違いない。アルトの輿石まりあさんの歌も素晴らしかった。大田さんとは少しタイプが異なり、神様の啓示に襟をただして耳を傾ける改まった雰囲気があり、格調高く、イエス誕生の場面などの歌詞をくっきりと伝えた。バスの小池優介さん、テノールの金沢青児さんも、出番は少なかったが、この厳粛でかつエキサイティングな音楽に相応しい歌を聴かせてくれた。
最後の「ドナ・ノービス・パーチェム」で、冒頭の音楽が戻ってきたとき、長大な音楽にすっかりのめり込んでいた自分に気付き、これで完結するのだと思うと、改めて大きな感動が沸いてきた。企画、演奏内容共に、これまで立ち会った藝祭公演の中でも記念すべき公演だったと思う。このメンバーでの再演や、レクイエムなど他のゼレンカの作品の演奏を期待したい。
MANTO VIVO BIG BAND
管打楽専攻生によるビッグバンドライブ
~ピロティ~
ゼレンカのミサを聴いたあとは、わき目も振らずに合唱の練習のために世田谷まで急いだため、藝祭最終日を堪能するヒマは全くなかった。やっぱり藝祭を最後まで見届けたくて、練習の後は再び上野に戻り、MANTO VIVOのライブに駆けつけた。
ビールを飲みながらジャズをのんびり楽しもうと思っていたが、開演30分前でも席は全く空いてなくて立ち見もギッシリ。バッグを持つ手にビールと焼き鳥も持って、身動きも取れないほどの混雑のなか、スタンディングで1時間のライブとなった。ステージでやってくれればもっと余裕で聴けそうだが、ライブハウスの雰囲気がある狭いピロティだからこそこれほど盛り上がるのだろう。
MANTO VIVOのライブはいつだって熱くてエキサイティング。スピード感あるパフォーマンスやアクロバティックなソロも気分を高める。聴衆のノリと歓声のヴォルテージは、ライブの音量以上に耳鳴りするほどの盛り上がりで、「テキーラ」では、疲れも忘れて「テキーラ!」と叫び、テンションはますますアップ。3日間の藝祭を楽しみ尽くし、燃え尽きた。
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♪ブログ管理人の作曲♪
「森の詩」~ヴォカリーズ、チェロ、ピアノのためのトリオ~(YouTube)
CD さびしいみすゞ、かなしいみすゞ ~金子みすゞの詩による歌曲集~ (MS:小泉詠子/Pf:田中梢)
拡散希望記事!やめよう!エスカレーターの片側空け
最終日の藝祭は1人で出かけた。お昼から夕方にかけて合唱の練習で中抜けするため、抽選はゼレンカのミサ単独で臨み、見事当選した。最後はMANTO VIVOのライブで火照りまくった!
Ensemble d’étoiles
~第2ホール~
♪ サン=サーンス/デンマークとロシア民謡によるカプリス
♪ ゴーベール/マドリガル
♪ サン=サーンス/クラリネット・ソナタ 変ホ長調Op.167~第1楽章
♪ サン=サーンス/オーボエ・ソナタソナタ ニ長調Op. 166~第2、3楽章
♪ ダマーズ/ピアノと管楽器のための四重奏曲~第1、3、2楽章
今年の藝祭をきっかけに結成されたという3人の木管プレイヤーとピアニストによるコンサート。4人によるアンサンブルを楽しめたのに加え、それぞれの管楽器奏者のソロも聴け、楽器固有の魅力を味わうこともできた。
サン=サーンスの曲が3つ入っていて、最初の「カプリス」は、ピアノが華やかに活躍し、全体に装飾が施されたきらびやかな音楽であるのに比べ、クラリネットソナタとオーボエソナタは、落ち着いた音楽的な深みが感じられた。クラリネットの山村さんの話によると、2つのソナタはサン=サーンスの最晩年に書かれた3つのソナタの2つということで(もう一つはバソンソナタ)、作曲が年齢と共に深化する好例を見た気がした。演奏も丁寧に聴かせどころを押さえて、曲の良さを引き立てていた。後でバソン・ソナタも聴いてみたが、これも名曲。
最後のダマーズのカルテットも、生き生きと伸びやかに演奏する4人の瑞々しい感性が伝わってきて、楽しく聴くことができた。
Missa Votiva
~第6ホール~
♪ ゼレンカ/奉納ミサ(Missa Votiva)ZWV 18
作曲家ゼレンカの名前は聞いたことがあるが、曲は一つも頭に浮かんでこない僕にとって、この藝祭公演はゼレンカとの素晴らしい出会いの機会となった。奉納ミサは作品の長さといい、規模といい、音楽的な内容といい、どれをとっても大規模な作品だ。終演予定時刻を30分近くもオーバーして、1時間15分を要したこの作品は、日本では殆ど演奏される機会がないと云う。
オケも合唱もソロパートも大変緻密に書かれ、そこには様々なドラマがあった。最初のキリエの冒頭で聴かせた活力と推進力のある、厳しくも颯爽とした音楽をベースにしながら、半音階を多用したミステリアスな場面や、ラッススのようなルネサンスの清澄さを感じるところや、モンテヴェルディのような高らかに聖歌を歌い上げるところ、ロマン派の音楽のように親密に歌いかけたりするところもある。ミサ典礼文の歌詞が伝える情景や感情を、繊細な表現からドラマチックな表現まで幅広く使いこなして、敬虔に神を畏怖し、雄弁に讃えるのだ。この作曲家はバッハとほぼ同時代を生きたそうだが、ルネサンスからロマン派の手法まで網羅しているようにも聴こえる多彩な魅力を感じた。
ゼレンカの音楽にこれ程の驚きと感銘を覚えたのには、今日の演奏が大いに関係している。バッハカンタータクラブのメンバーを多く擁し、なかにはバッハコレギウムジャパンのメンバーも加わっていたことから、ハイレベルな演奏は期待したが、学生中心で他にも掛け持ちの多い藝祭で、ここまで素晴らしい演奏をするとは。きっと時間を捻出して相当な準備を重ねたに違いない。何をどう表現するかという明確なビジョンのもと、的確にターゲットに照準を合わせ、オケと合唱が一丸となって、明快に、エネルギッシュに攻めてくる。静かな場面や深刻な場面でも、エネルギーは常に内包されて熱いハートを届けてきた。
素晴らしいオケと合唱に花を添えたのはソリスト達。一番出番の多かったソプラノの大田茉里さんの歌にはとにかくホレボレした。清らかで美しい声、表現は清楚かつ繊細で、それだけではなく、ゼレンカがこんなにも珠玉の美しいメロディーを書いたことを認識できたのは、大田さんの歌があったからに違いない。アルトの輿石まりあさんの歌も素晴らしかった。大田さんとは少しタイプが異なり、神様の啓示に襟をただして耳を傾ける改まった雰囲気があり、格調高く、イエス誕生の場面などの歌詞をくっきりと伝えた。バスの小池優介さん、テノールの金沢青児さんも、出番は少なかったが、この厳粛でかつエキサイティングな音楽に相応しい歌を聴かせてくれた。
最後の「ドナ・ノービス・パーチェム」で、冒頭の音楽が戻ってきたとき、長大な音楽にすっかりのめり込んでいた自分に気付き、これで完結するのだと思うと、改めて大きな感動が沸いてきた。企画、演奏内容共に、これまで立ち会った藝祭公演の中でも記念すべき公演だったと思う。このメンバーでの再演や、レクイエムなど他のゼレンカの作品の演奏を期待したい。
MANTO VIVO BIG BAND
管打楽専攻生によるビッグバンドライブ
~ピロティ~
ゼレンカのミサを聴いたあとは、わき目も振らずに合唱の練習のために世田谷まで急いだため、藝祭最終日を堪能するヒマは全くなかった。やっぱり藝祭を最後まで見届けたくて、練習の後は再び上野に戻り、MANTO VIVOのライブに駆けつけた。
ビールを飲みながらジャズをのんびり楽しもうと思っていたが、開演30分前でも席は全く空いてなくて立ち見もギッシリ。バッグを持つ手にビールと焼き鳥も持って、身動きも取れないほどの混雑のなか、スタンディングで1時間のライブとなった。ステージでやってくれればもっと余裕で聴けそうだが、ライブハウスの雰囲気がある狭いピロティだからこそこれほど盛り上がるのだろう。
MANTO VIVOのライブはいつだって熱くてエキサイティング。スピード感あるパフォーマンスやアクロバティックなソロも気分を高める。聴衆のノリと歓声のヴォルテージは、ライブの音量以上に耳鳴りするほどの盛り上がりで、「テキーラ」では、疲れも忘れて「テキーラ!」と叫び、テンションはますますアップ。3日間の藝祭を楽しみ尽くし、燃え尽きた。
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CD さびしいみすゞ、かなしいみすゞ ~金子みすゞの詩による歌曲集~ (MS:小泉詠子/Pf:田中梢)
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