11月8日(土)ペーター・レーゼル(Pf)
ドイツ・ロマン派 ピアノ音楽の諸相 2014 ~涙の微笑み~
紀尾井ホール
【曲目】
1.ブラームス/3つの間奏曲 Op.117
2.シューマン/フモレスケ変ロ長調 Op.20
3.シューベルト/ピアノ・ソナタ第20番イ長調 D959
【アンコール】
1.シューベルト/即興曲変ト長調 Op.90-3
2.ブラームス/ワルツ 変イ長調 Op.39-15
3.シューマン/トロイメライ
2010年から11年にかけてベートーヴェンのソナタ連続演奏会シリーズの最後の3回を聴いて魅せられて以来、僕のなかですっかり特別なピアニストとなったペーター・レーゼル。去年聴いたシューマンのコンチェルトがちょっと期待外れだったことなど意に介さず、今回のシューマンを含むロマン派作品によるリサイタルに出かけた。レーゼルはブラームス、シューマン、シューベルトのロマンチックで詩情溢れる作品を、気高さを持って演奏し、聴き手を崇高な世界へ導いた。
ブラームスの晩年のピアノ作品には、霧もやがかったファンタジックなヴェールで覆われたイメージがあり、そんなもやのなかでたゆたう演奏に魅力を見い出しがちだが、レーゼルはこれら3つの曲を心の目で真っ直ぐに見つめ、曲そのものが放つ本来の光を捉え、それを聴衆に明瞭に示した。そこには揺るぎない自信があり、霧もやを払い除けて初めてたち現れる神々しい光を宿していることを感じさせた。これはベートーヴェン晩年の作品に通じる世界。
続くシューマンでもセンチメンタリズムや曖昧なものは排除し、じっくりと丁寧に磨かれて初めて生まれる真の輝きを見せてくれた。多層的に行き交う声部同士が美しく調和し、幸せな調べを奏でた。去年コンチェルトを聴いて「シューマンには病的な匂いが欲しい」なんて思ったが、そういうものを超えたところにある澄みきった境地をレーゼルは示してくれているのだと今更ながらに気がついた。
大切なもの、価値のあるものに照準を定め、まっすぐにそこに光を当てて照らし出すレーゼルのアプローチは、後半のシューベルトのソナタで益々その真価を発揮した。遥かな遠い世界をしっかりと見据え、憧憬を抱きつつそこへ向かって行こうとする第1楽章、メランコリックな楽想でありながら、更に深いところにある美の極みを表現した第2楽章、束の間の戯れにも優美な微笑みを忘れない第3楽章、そして、聴き手一人一人にまっすぐ向き合い、親密な歌を紡ぎだす第4楽章でのレーゼルの眼差しには、瞳の奥まで一点の曇りもない。ここでは、それまでの楽章を経て至った理想郷に出会う思いがした。
このリサイタルには「涙の微笑み」というサブタイトルが付けられているが、これはレーゼル自身の命名だろうか。それは、センチメンタルな涙ではなく、苦しんでいる人に寄り添い、涙を浮かべつつも優しく見つめて、「もう大丈夫だよ」と語りかけるシューベルトの魂の声が聴こえてくるようだった。幸せな時間!
レーゼルが弾くシューマンのピアノ協奏曲 2013.11.16 紀尾井ホール
ペーター・レーゼル ベートーヴェンのソナタ連続演奏会(最終回) 2011.10.12 紀尾井ホール
ドイツ・ロマン派 ピアノ音楽の諸相 2014 ~涙の微笑み~
紀尾井ホール
【曲目】
1.ブラームス/3つの間奏曲 Op.117
2.シューマン/フモレスケ変ロ長調 Op.20
3.シューベルト/ピアノ・ソナタ第20番イ長調 D959
【アンコール】
1.シューベルト/即興曲変ト長調 Op.90-3
2.ブラームス/ワルツ 変イ長調 Op.39-15
3.シューマン/トロイメライ
2010年から11年にかけてベートーヴェンのソナタ連続演奏会シリーズの最後の3回を聴いて魅せられて以来、僕のなかですっかり特別なピアニストとなったペーター・レーゼル。去年聴いたシューマンのコンチェルトがちょっと期待外れだったことなど意に介さず、今回のシューマンを含むロマン派作品によるリサイタルに出かけた。レーゼルはブラームス、シューマン、シューベルトのロマンチックで詩情溢れる作品を、気高さを持って演奏し、聴き手を崇高な世界へ導いた。
ブラームスの晩年のピアノ作品には、霧もやがかったファンタジックなヴェールで覆われたイメージがあり、そんなもやのなかでたゆたう演奏に魅力を見い出しがちだが、レーゼルはこれら3つの曲を心の目で真っ直ぐに見つめ、曲そのものが放つ本来の光を捉え、それを聴衆に明瞭に示した。そこには揺るぎない自信があり、霧もやを払い除けて初めてたち現れる神々しい光を宿していることを感じさせた。これはベートーヴェン晩年の作品に通じる世界。
続くシューマンでもセンチメンタリズムや曖昧なものは排除し、じっくりと丁寧に磨かれて初めて生まれる真の輝きを見せてくれた。多層的に行き交う声部同士が美しく調和し、幸せな調べを奏でた。去年コンチェルトを聴いて「シューマンには病的な匂いが欲しい」なんて思ったが、そういうものを超えたところにある澄みきった境地をレーゼルは示してくれているのだと今更ながらに気がついた。
大切なもの、価値のあるものに照準を定め、まっすぐにそこに光を当てて照らし出すレーゼルのアプローチは、後半のシューベルトのソナタで益々その真価を発揮した。遥かな遠い世界をしっかりと見据え、憧憬を抱きつつそこへ向かって行こうとする第1楽章、メランコリックな楽想でありながら、更に深いところにある美の極みを表現した第2楽章、束の間の戯れにも優美な微笑みを忘れない第3楽章、そして、聴き手一人一人にまっすぐ向き合い、親密な歌を紡ぎだす第4楽章でのレーゼルの眼差しには、瞳の奥まで一点の曇りもない。ここでは、それまでの楽章を経て至った理想郷に出会う思いがした。
このリサイタルには「涙の微笑み」というサブタイトルが付けられているが、これはレーゼル自身の命名だろうか。それは、センチメンタルな涙ではなく、苦しんでいる人に寄り添い、涙を浮かべつつも優しく見つめて、「もう大丈夫だよ」と語りかけるシューベルトの魂の声が聴こえてくるようだった。幸せな時間!
レーゼルが弾くシューマンのピアノ協奏曲 2013.11.16 紀尾井ホール
ペーター・レーゼル ベートーヴェンのソナタ連続演奏会(最終回) 2011.10.12 紀尾井ホール
レーゼルの魅力は、深い深い透明感だと感じています。
シューマンからもそんな境地が感じられました。
これからも度々の来日を期待したいですね。
『「シューマンには病的な匂いが欲しい」なんて思ったが、そういうものを超えたところにある澄みきった境地』
同感です。シューマン素晴らしかった!