Plentiful Fruits

Life is changing... always.

アフリカ大陸ついに上陸! Log 7~最終回

2015-01-12 21:25:40 | Daily Life

3月16日(土) Strollong in Capetown

 ケープタウンの朝が来た!

 実は、ケープタウンもまた私の憧れの地の一つだった。
 きっかけは、中学校の地理で習った気候分布図。
 熱帯やら砂漠やらばかりのアフリカ大陸において、なぜか南の端っこだけが温帯の地中海性気候で、一体ここは何なんだろうと強烈な印象を残したのだった。
 それがケープタウン。
 ヨーロッパの人の保養地になっていると聞いて、日本人にとってのアフリカとの距離感と、欧州の人にとっての距離感は全然違うんだな、ということも思った。
 それと同時に、「それならいつか自分も行こうと思えば行けるんじゃない?」とも。
 東北の片田舎に住む中学生の自分には想像を超えた遥か遠くの地だったけれど、今、ケータイのGPSで現在地を示すとまさに自分がケープタウンにいる、ということに身震いしそう。

 ・・・が、天気は曇り。
 霧が凄くて、あまり周りが見えないくらい。
 でもガイド曰く、朝はこういう天気の日が多いのだそうだ。昼には天候が良くなることを祈りながら出発した。

 朝一はドイカー島クルーズへ。
 オットセイが住む島という触れ込みなのだけれども、島まで行かずとも港に既にオットセイが寝てる。。
なんて平和な光景。

 それにしても寒い。朝早い時刻なうえ、霧だらけで天気が良くないせいだとは思うけれど、 船に乗るとますます風が冷たい。。


 

 

 ドイカー島というのは、岩場だけの島。
 そこに無数のオットセイがごろごろと寝転んでる。
 (これだけいると、かわいいとも思えない。。)

 霧で辺りが真っ白なのに加えて、波も荒くて、なんだかちょっとおどろおどろしい雰囲気のクルーズであった。

 



 

 この後はいよいよ私がケープタウンで最も行きたかった場所、喜望峰に向かった。
 途中、「MISTY CLIFFS」なる名前のとおり霧で真っ白になった海岸線を通ったり。
 ダチョウと戯れたり(?)。
 てなことをしながら走っているうちに、いつのまにかすっかり青空になっていた。

  

 さあ来た!ここが、Cape of Good Hope、喜望峰だ!!
 世界史の教科書で出てきた、バスコ・ダ・ガマとセットで習った、あの喜望峰だ!

  

 喜望峰はアフリカ大陸の最南端だとずっと思っていたのだけれど、実は違った。最南端はケープタウンですらなく、アガラス岬という全く別の場所にあるそうだ。改めて地図を見て納得。

 さらに、喜望峰はケープタウンから40kmほど南下したケープ半島にあるのだけれど、実は先端ではない。
 喜望峰よりさらに先にCape Pointという場所があって、こちらの方が地理的には先端になる。

 高台の上の灯台までは急な坂道になっているので、登りはケーブルカーで、下りは歩いて。

    

 大西洋とインド洋を分かつ岬の先に、絶景が広がっていた。
 仕事柄、船を見つけると興奮するタチなのだけれど、案外視界の中には船は見えてこなかった。
 喜望峰周りってもっとバンバン船が往来してるもんだと思ったけれど、もう少し陸から離れたところを通ってるんだろうか。

  

  

 標識によると、シンガポールから実に9,667km。随分遠くまで来ちゃったな。
 日本までの距離はもっとか。 

  

 ちょうどお昼になったので、海辺のレストランでランチ。
 思えば、昨日までずっと肉ばっかり食べてたけど、ここにきて初めてシーフードにありついた。
 それで初めて、アフリカに来てから初の海だということに改めて気付いた。 

  

 さて、Cape Pointを離れると、ケープ半島を再び北上して、途中にあるボルダーズビーチに立ち寄った。
 ここはペンギン天国!
 野生のケープ・ペンギンが生息している保護区なのだ。
 それにしても、アフリカでペンギンって全くイメージがないな。

 まだ小さくてもこもこした毛が生えている子ペンギンが歩いてる姿とか、かわいくてかわいくてずっと見ていても飽きない

  

 次はケープタウンまで戻って、テーブル・マウンテンへ。
 海抜1000m以上あるこの山は、何かでスパッと切られたような平坦な形をした(しかも頂上部分がやたら広い)不思議な山。
 その成り立ちが不明なこともあって、「新・世界七不思議・自然版」ってやつの1つにも選ばれているらしい。
 結構巨大なので、全景のイメージを見てもらうことが難しい・・・けれど、少し離れたところから撮った写真も合わせてどうぞ。わかりにくいかなー。

   

 頂上へはケーブルカーで登るのだけれど、海抜1000m以上あるので眺望は抜群。
 片側からはケープタウンの街が見下ろせて、反対側からは南大西洋を一望できる。 

  

   

 雰囲気はビデオがわかりやすいと思うので、動画もどうぞ。

 

 これで予定されていたガイドがつく観光はおしまい。
 しかし、時刻はまだ16時。十分明るい。
 ホテルのフロントの人に相談して、安全性を確認したうえで、ちょっと一人歩きをしてみることにした。
 でも念のため、貴重品類は全部部屋に置いて、これまで撮ったデジカメのデータも保全するためにSDカードを差し替えて。

 昨日から泊まっているHarbour Bridge Hotelという名のついたホテルは、その名のとおり、海沿いの運河の真横に建っている明るくてモダンな雰囲気のホテル。
 朝出掛けるときには霧がすごすぎて周りがまったく見えなかったけれど、よく見たらホテルの前からテーブルマウンテンが見えるじゃない!

 

 ホテルから歩いて15分ほどの場所にあるウォーターフロントというエリアに行ってみることにした。
 レストランやショップが集まっている再開発地域で、警備もしっかりしているから観光客でも安心、らしい。
 クルーザーが停泊していたり、レトロな建物が並んでいたりでお洒落な雰囲気。
 よく考えたら、ここから撮った写真が一番テーブルマウンテンの全体像がわかりやすい写真かも。 

  

  

 いい感じのレストランもあったから、この辺で夕飯を食べたいなとも思ったのだけれど、ホテルへの帰り道が一部裏道っぽいところを通らなければならないので、さすがに暗くなってからホテルに戻るのはやめるべきだろうと判断して、断念。
 ジンバブエで夜、ホテルの従業員と遊びにいくという暴挙に出たときとは慎重度がさすがに違う。如何せん、ここは路上強盗の多い南アフリカ共和国だからね。。

 結局、ディナーはホテルのレストランで。
 でも、ホテルのレストランの雰囲気も十分良くて、音楽もいい感じ。
 シーフードも美味しく楽しめた。


 これでアフリカ旅行もおしまい。
 翌朝の便でシンガポールに帰る。
 しかもヨハネスブルグを経由して(ヨハネス経由は3度目、もはやトラウマ笑)。

 「アフリカ」ってだけでとんでもなくすごいところに行くようなイメージもあったけれど、よく考えたら、地理的に欧米からは比較的行きやすい場所で、場所によっては観光客だってたくさん来ているわけで。
 何を求めて行くかにもよるけれど、無茶なことをせず、安全確保のためにかけるお金をケチったりしなければ普通の旅行先としてちゃんと楽しめるんだなってことがわかった。
 (ウソです。一部、無茶しました。反省してます!)

 これで私がシンガポールの旅行代理店に払ったお金は総額SGD8,654。
 このとき、シンドルはいくらだったかな。いずれにしても60万円は下らないな。
 1人で旅行して、しかもガイドをマンツーマンでつける形になるとこれくらいの金額にはなってしまうのだけれど、やっぱり行ってよかったと心から思う。
 この後、1年間旅行は自粛。ミャンマー、ネパール、アフリカと4ヶ月の間に立て続けに行っちゃったから、もう仕方ないよね。
 でも人生1回の中で海外勤務のメリットを生かせるチャンスはそうそうないし、それだけの価値はあった!と自信をもって言いたい。


アフリカ大陸ついに上陸! Log 6

2015-01-11 10:19:09 | Travel & Outing

3月15日(金) Namibia to Capetown

 ナミビアの旅はまだ終わらない。


 朝6時半にホテルのエントランス集合で、日の出を見に出掛けた。
 メンバーは、私とガイドのPatrickとホテルスタッフのドイツ人男性の3人。
 ホテルのジープに乗せてもらって、ガタガタの道を走りながら高台を目指した。 

 ホテルの周りには野生のオリックスがたくさん。そういえば、昨日の夜屋外でディナーを食べてるときにも、明かりの下に2~3頭ぼんやりと見えたな。

 

 

 見晴らしのいい高台にジープを止めて、コーヒーを飲みながら朝日を待つ。

 砂漠の砂が朝日を浴びてどんどん赤く染まっていく。
 私の泊まってたロッジにはたくさんの観光客がいたのに、今朝は365度見渡しても周りには他の誰もいない。
 砂地には何かの動物の足跡が残っている。
 私の足跡もあるけれど、一晩経ったらまたきれいに消えて、波を打つようなこの美しい模様の砂に戻るんだろう。
 一見生命なんてないように見えるけど、生きてる。
 そんな風に感じた。

  

 さて、場所を変えて、切り立った崖のてっぺんへ。
 ホテルの奥に見えていた崖の上にまさか登れるとは思わなかった。 

 ジャンプ写真が好きらしいガイドにまた「Jump!」と言われて、3回くらい跳ばせられたわけですが、これはその中でも出来が良かった奇跡の1枚。

 

 

 

 

 朝ごはんを食べて、名残惜しみながらもロッジを出発。
 ウィントフックまでまた同じ道のりを5時間のドライブだ。
 興奮に満ちた往路と違って、帰り道はやっぱり長い。。
 Patrickと出会ったのは昨日なのに、「もういいよ」っていうくらいおしゃべりを続けて、彼の家族構成やら奥さんとの馴れ初めやら知り尽くしてしまってもう話すことも少なくなり、寝るしかないくらい笑。

 この日のランチは、ロッジから持ってきたランチボックス。
 思えば、あまり余裕のない行程なので、昼ごはんはやたらとランチボックス(毎回サンドイッチとフルーツとジュース)ばかり食べてる気がする。
 途中で車を止めて、木陰のベンチ的な木材に座ってのランチタイム。まるでピクニックだ。

 ここでロードバイクを止めて休憩中だったドイツ人のおじさんと知り合った。彼は、自転車でナミビアを旅しているそうだ。
 車で5時間の旅でさえ疲労困憊なのに、この舗装のないガタガタの道を自転車で走り抜けるとは!
 体力のない私はひたすら感心しきり。

 ロングドライブの末、ようやくウィントフックの空港に着いた。
 ここからヨハネスブルグを経由して最後の目的地、ケープタウンへ向かう。
 ・・・ってまたヨハネスブルグか!
 ヨハネスでの乗り換えといえばあの悪夢がよみがえる。
 もうあんなことにはなるまいと、かなりの警戒心をもって臨んだ。
 ウィントフックを発ったのは夕方17時ごろだったのに、乗換えを経てケープタウンに着いたのは23時。
 地図を見ると、どう見てもウィントフック→ケープタウンだと南下するだけだから近そうなのに!
 直行便はなかったんですかね・・・と文句を言いたい気持ちを抑えながら、南アフリカ共和国へ二度目の入国を果たした。


ブログ開設10周年

2015-01-01 09:21:37 | Daily Life

本日、ブログ開設から10周年を迎えました。

この10年の間にSNSが生まれてこのブログも更新頻度やターゲットを変えたりしながら、マイペースで続けさせてもらいました。

まだしばらくは旅ブログの形を続けたいと思います。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします!


アフリカ大陸ついに上陸! Log 5

2014-08-23 22:23:32 | Travel & Outing

3月14日(木)Windhoek to Namib desert 

 アフリカでどの国に行ったか、という話をするときに「ナミビア」という国名を出すと、一体何がナミビアにあるんだかまったくイメージできない、という人が多い。
 自分も直前までその1人だった。
 でもこの旅でどうしても欠かせなかったのがナミビア。
 スケジュールを決めるときにかなり悩んだのだけれど(帰任直前にあまり長いこと会社を休みたくなかったので)、ここにどうしても行きたいがために、予定を2泊追加したのだ。
 
 そんなナミビアの最大の目的地はナミブ砂漠。
 日本では、2012年の紅白歌合戦でMISIAが中継で歌った場所として最近知られるようになったらしい。
 世界最古の砂漠とか、300mもの砂丘は世界最大、とかいろいろ言われるけれど、初めてここの写真を見てあまりの美しさに引き込まれて以来、どうしても南部アフリカを旅するのにここを外すわけにはいかなかった。
 
 と言っても、彼の地に着くのは簡単ではない。
 首都ヴィントフックから、砂漠への基点セスリムまで約5時間のドライブ。さらにそこから砂漠の中心地ソススフレイまでさらに1時間。
 ということで、舗装もされていない、見るべき景色もない道のりを延々車で行くという結構な苦行を経ないと、絶景には辿り着けないのだ。
 覚悟を決めて、ガイドの運転する車に乗り込んだ。
 
   
 
  この旅全般を通して各地で5人のガイドと行動を共にしたのだけれど、ナミビアのガイドPatrickとはものすごくしゃべり倒したな。そりゃそうか、砂漠への往復だけでも12時間の間2人でドライブだったんだから。
 
 あまりにも景色が変わらないので、「音楽聞こうよ」と提案して、手持ちのiPodを車のダッシュボード上にしばらく置いていたら、砂利道を走る振動でiPodケースがボロボロに傷ついてしまった。
 道理で乗り心地が悪いわけだ。 
 
 行けども行けども同じ景色のループの果てに、ようやく着いたのが休憩地点のSolitaire。
 パソコンのカードゲームか!笑
 
 道中でランチボックスを食べたり休憩を挟んだりで6時間近くかけてのドライブの果てに、ようやく景色が変わってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 ここが今夜泊まるロッジ、「NAMIB DESERT LODGE」(ってそのまんまの名前笑)。
 まるで砂漠の中のオアシスみたい。

  


 荷物を置いてすぐにソススフレイに出発。
 午前中の気温は40度を超えていたらしい。今日の気温はまだいい方、午後から夕方にかけてはマシになるよ、38度くらいかな、というガイドの言葉に、喜んでいいんだかなんだかわからない。
 ロッジから1時間半ほどかけて、ソススフレイの入り口に着いた。
 入り口は舗装された道路があるし、まだそんなに砂漠って感じでもない。

  

 そこからさらに内部に入っていくと、荒涼とした大地にダチョウの群れがいたりして、なんか気分が盛り上がってきた!

 そしてついに・・・見えてきたー!
 Duneがまさに山の峰みたいに連なっている。
 一番高いDuneで300mを超えるという。
 赤い砂の色と真っ青な空のコントラストが美しすぎる(写真はクリックして拡大してどうぞ)。

  

 でも遠目に見るだけじゃつまらない。
 ここからが砂漠の旅の本番だ。
 車をいったん止めて、砂漠の砂の上を爆走できるジープの荷台に乗り込んで、さらなる砂漠の深部に連れて行ってもらった。

  

 出発直後。ガイドに「飛べ!」と言われて張り切って飛ぶ私。
 この時点ではそんな余裕がまだあったのだが。

 ジープを降りた先はガイドと2人で砂の上をひたすら歩く。ただひたすら。
 ただの砂の平地を歩くのがこんなにつらいことだと思わなかった。
 ましてや上り坂になっているところのつらさときたら。
 足が砂にとられてうまく前に進めない。まるで足枷を両足に括り付けたままドロドロの沼地を歩いているような気分。
 立ち止まって休憩しようものなら、陽の光を浴びて熱を帯びた砂の上にじっとしていることが耐えられず、そうそう長くも立ち止まれない。
 なんとかひと山越えた先に下り坂があって、その先がまた上り坂になっているのを見ると、思わず「なんで下るの!また上らなきゃならないじゃない!」と文句の一つも言ってしまう。

 目的地に向かう途中、ちょうど10数名の団体が戻ってくるのとすれ違った。
 私があまりにも息を切らして休憩しているのを見て、笑いながら「Don't give up!」と声をかけてきた彼らに、切れ切れの声で一言応えるのが精一杯だった。

 そんな苦労の果てに辿り着いたのが、ここDeadvlei。
 赤い砂漠の中に唐突に浮かぶ白い空間。
 ここにはかつて川が流れていたのだけれど、数百年前に干上がってしまい、そのとき枯れた木がこうやってまるで沼地から生える木のように名残を残しているのだそうだ。
 なんて不思議な光景。

  

  

 こんな灼熱の砂地にこんな小さな虫が生きてるというんだから、自然ってすごい。













 ようやくジープのピックアップポイントまで戻って、しばし一息つきながらも車窓の風景に目を奪われた。

 それにしてもなんて美しい流線型をしてるんだろう。
 よく見ると、風が吹いて山稜の曲線が刻一刻と変化しているのがわかる。
 自然が作った芸術ということか。
 一つのDuneが視界を通り過ぎたかと思うと、すぐに次のDuneが眼前に広がる。
 こんな光景が次々に流れては消えていく。
 砂地の悪路をスピードを上げて進むジープの荷台はかなりbumpyで、決して座り心地のよいものじゃなかったけれど、眼前の光景に目を奪われて、そんなことを気にしてる場合じゃない。

  

  

 ジープを降りた私に、ガイドが心配そうに尋ねた。
 これからDune45に行くけれど、登れそうか、と。
 平地+ちょっとした丘を上り下りするだけで相当息切れしていた私を見て心配になったのだろう。
 Dune45は、ナミブ砂漠の中でも最も有名な、最も美しい砂丘。
 まさかよもや、ここまで来て行かないわけにはいかない。

 これがDune45!!
 ついに来た!来てもうた!!
 Dune45の高さは約100mちょい。
 さっきの苦労を思い出すと、これに登るという挑戦が自分にとって無謀なことなんじゃないかとさえ思えてくる。
 でも後悔したくないの一念だけで最初の一歩を踏み出した。

  

 ・・・が、ほんの3m歩いただけで、「Wait...これちょっとマジきつい」と立ち止まってしまった。
 (日頃運動不足の自分には)想像を絶するきつさ。
 それは、強風に煽られることでさらにハードルが上がっていた。
 徐々に本当に歩けなくなる。1m上っては立ち止まり。
 時折座って休もうとすると、強風で舞い上がる砂が顔を直撃して目を開けることもできない。
 そのうち3歩歩いて休んで、水を飲んで、3歩歩いて立ち止まって、というペースが限界になってきた。
 だんだん英語さえしゃべれなくなってきて、ガイドに対してなぜか日本語で話しかけてしまう始末。
 何度も「もう下りる?」と聞かれたのだけれど、「もうちょっと」と言って聞かない私に業を煮やしたのか、ガイドが肩を貸してくれた。
 もう病人か怪我人か、ってくらいのフラフラ感で、ガイドの肩に支えられながらようやくここまで上がってきた!

  

 もうね、こんな感じの傾斜のてっぺんを歩いてるのよ。しかも風に煽られながら。
 そりゃもう怖いでしょうよ。
 写真を撮るために座ったはいいけれど、目は開けられないし、笑おうとすると口の中に砂が入ってくるし、髪はぐしゃぐしゃだし、帽子はどっかに飛んでいくし(ガイドが砂丘を半分くらい駆け下りて取ってきてくれた・・・なんて強靭な脚力なんだ)。

 もう最低。
 でもでもでも最高の気分。
 ナミビアなんて、地理でもろくに学んだ記憶のないアフリカの南西の国に来て、一人で(正確にはガイドと2人で)この絶景を独り占めしてる。
  来てよかった。本当に。


 行きはあんなに苦労したのに、帰りは一瞬。
 なんとこの斜面(正面から撮った写真を見ると、左側の影になっている方)を駆け下りるのだ。
 駆け下りるなんて言っても、足がズボズボ砂にはまるし、ブーツの中も砂でいっぱいだし、実際にはかなりゆっくりなのだけれど、行きの苦労を思えば帰りはなんとも爽快!

 無事に下まで降りてくると、日はもう沈みかけていた。
 夕日に照らされるDune45を撮影しようと三脚を立ててスタンバイしている人たちがちらほら。
 名残惜しみつつ、私たちはDune45を後にした。

  

 また1時間半かけてロッジへと戻る道すがら、夕日が砂漠の彼方に落ちていった。

  

 ロッジに戻ってシャワーを浴び、つま先から耳の穴まで砂まみれになった体を洗って、ようやく夕食の時間。
 その日のロッジのお客さんは私以外全員ドイツ人らしい。元々ドイツの植民地だったので、今もドイツからの観光客が多いのだそう。
 唯一のアジア人女性が1人で現地ガイドと一緒にディナーを食べている姿って、どう見られてるのかな、とどうでもいいことを考えていたら、疲れのせいで酔いが回ってきて早々に撤退することにした。

 最高の1日を記憶に刻みながら、あっという間に眠りについた。

アフリカ大陸ついに上陸! Log 4

2014-08-12 21:16:02 | Travel & Outing
3月13日(水)Victoria Falls to Windhoek
 
 昨日調子に乗って飲みすぎた赤ワイン+うっかり夜遊びがたたって、朝起きるのがあまりにもしんどかった。
 
 でも今日は早朝からゲームドライブ。
 まだ真っ暗い中、なんとか起き出して出発した。
 ジープでガタガタの道を進むので、二日酔いの身には少々キツイ。
 そして結構寒い。
 屋根も窓もないジープなので、ストールをすっぽりかぶっても寒く感じる。
 
 二日酔いと寒さに耐え忍びながらも、東の空に昇った朝日が美しくて、やっぱり起きて良かった!!と思えた。
  
 
 さて、このゲームドライブ。
 動物園じゃないので、どこに動物がいるかなんてわからない。
 運が良ければBIG5が見れるかもね、なんてレベルのものだ。
 最初はほんとに行けども行けども何にも見つからなくて、終いにはジープを止めて道端のフンコロガシの写真を撮るくらいの勢いだった。
 (望遠つきの一眼レフを構えた参加者の皆さんが、必死で地面にカメラを向けて数センチの昆虫を撮っている姿といったら、なんとも空しいというか滑稽というか・・・)
 
   
 
 
 何も見れないけど、景色もいいし天気もいいしまぁいっか、と思いながら、湖のほとりでガイドがサーブしてくれたコーヒーを飲んでいたとき。
 ガイドが遠くを指差して「Giraffe!」と叫んだ。
 確かにいるいる。
 他の参加者の皆さんと違って立派な望遠レンズを持っていない私にはこのくらいが限界だけど、ちゃんと見えた見えた。
 1頭かと思ったら、2頭、3頭・・・とどんどん増える。
 結構大きな群れだったみたい。 
 
 気がつくとキリンの群れが森を抜け出してずいずいとこちらに近寄ってきた。
 ふと見えなくなったなと思ったら、いつの間にか真後ろに!
 
 帰り道にはインパラの群れも見ることができて、なんとかゲームドライブらしい形になった。
 
  
 
  
 
 私は10時半には空港に行かなければならなかったので、ツアーの最後に朝食を食べる皆さんに別れを告げて、別の車でお先に失礼。
 昨日申し込みをしたときには、10時半に空港に着くように戻れると言われていたのだけれど、なんと今日のガイドにまではそれが伝わっていなかったらしい。
 途中でタイムスケジュールが怪しいことに気づいた私がガイドに聞いて、初めて認識してもらえた模様(聞いてよかった・・・!)。
 途中で仲間の車を呼んでもらって、猛スピードでホテルに戻るというかなり綱渡りな行程になってしまった。
 ヨハネスブルグでの失敗があるだけに、「また飛行機に乗り遅れたりして」とかって笑えない。。
 
 幸い乗り遅れることもなく、無事にVictoria Fallsを発つことができた。
 このAir Namibia、航空券が全部手書きという笑。
 Seat Numberが読み取れなかったので、この数字なんて読むの?と聞いたら、笑って「Free Sheet」と言われた。
 あ、FSってそゆこと・・・。
 
  
 
 次なる目的地はWindhoek、ナミビア共和国!

 Victoria Fallからナミビアの玄関Windhoekまでは約2時間弱のフライト。
 小型機だからなのか、わりと低いところを飛んでいて、下がよく見える。。といっても、雲の影以外、ほとんど何もないんだが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 Windhoekはドイツの植民地時代の面影が残る美しい街で、およそ頭の中にあるアフリカのイメージとはだいぶ離れた街並みだった。
 この教会も、議事堂の庭の眺めも、なんていうかいわゆる「アフリカっぽくない」。
 
   
 
 この街に関しては日中の治安は良いらしく、日が暮れる前までなら一人歩きも大丈夫とのことなので、ここに来て初めてガイドなしで街を歩いてみることにした。
 
 まったくあてもなく通りをぶらぶら。
 いくつか雑貨屋さんを見つけたので入ってみたけれど、野生動物をモチーフにしたおしゃれで洗練されたデザインの雑貨が多い。
 スーツケースで旅行してたら、買いまくっちゃってたかも。
 
 黒人の女の人って脚が長くてキレイだなー。そして原色の服がよく映える。
 
  
 
  
 
 スーパーでWindhoek beerを買ってみた。お値段8ナミビアドルなり(約80円)。
 
 ちなみにワインはローカルもので大体30ナミビアドルくらい(約300円)。さすがの安さ。
 もちろん、ヨーロッパからの輸入物は高かった。
 
 今日は体力を温存して、明日のハードな旅に備えなければ。

アフリカ大陸ついに上陸! Log 3

2014-08-10 19:15:28 | Travel & Outing

3月12日(火)Finally Johannesburg to Victoria Falls

 
 南アランドといえば、高金利の投資通貨として有名ですが、実物はこんなんです。
 どうぶつ王国だあ!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今日こそは南アを出国するぞ、ということで気合を入れて空港に再びやってきた。
 因縁のゲートで待っていると、昨日一緒に乗り損なったお姉ちゃんやおじいちゃんたちもいるいる。
 そして、我々のチケットはビジネスクラスへと勝手にアップグレードされ、シャンパンを楽しみながらのジンバブエ行きのフライトとなった。Yoohoo!
 
 
 ジンバブエには何しに来たかと言うと、もうこれしかない。
 街の名前そのまんま、Victoria Falls。ビクトリアの滝。言わずと知れた世界三大瀑布の一つ!!
 
 ここは私の憧れの地のひとつ。
 昔見たNHKの番組でここを訪れていて、行きたいなぁ行けるかなぁこんなアフリカのよくわかんない国なんて、と現実感の湧かない憧れを抱いたものだ。
 現実感がなさすぎて、いつかリアルに行けるかもしれないなんて思いもしなかった。
 そんな場所が今、現実として目の前まで迫っている。
 
 着陸直前に窓の外を眺めていると、遠くに白い煙のようなものが一線に並んでいるのが見えて、もしやあれが滝じゃないかと、興奮が高まってきた。
 
  
 
 空港はこんな感じで、小さくてシンプルな作り。
 
 ところで、例のトラブルのおかげでちょうど丸1日ジンバブエに来るのが遅れてしまったため、スケジュールを何か削らなければいけないことになっていた。
 昨日のうちに代理店から電話をもらっていて、ジンバブエの翌日に入国するはずだったボツワナを丸々カットするということを言われていた。
 仕方がない。一国まるまる削るのは断腸の思いだけれど、優先順位はビクトリアの滝の方が上だ。
 ボツワナで体験するはずだったサファリは、そのうちケニアにでも行けばいい。
 
 と例のpositive thinkingを発揮してみせたのだけれど、どうも諦めの悪い性分で。
 代理店を通さず、現地ガイドに直接「明日Victoria Fallsを発つフライトが12時半なんだけど、早朝からこの近くでサファリとかゲームドライブとかできるところないかな」と相談してみた。
 そしたらあったよ、あった!絶対あると思ったー!
 早朝ピックアップで、10時半に空港に着というスケジュールにも間に合うというので、USD97とかなりの高額だったけれど(1人参加だからいつもこういうのは高い)申し込むことにした。
 
 明日の予定も決めたところで、いざVictoria Fallsへ。
 カメラをカバーするWater proofのケースとレインコートはシンガポールで調達済み!(レインコートを売っている場所が見つからなくて、歩き回った挙句、ようやく見つけたのは日本が誇る2 dollar shop "DAISO"だった。。というのはまた別の話)
 バッチリ重装備で入り口から中に入り、10分ほど歩いていくと、徐々に轟音が聞こえてくる。
 この先にあの瀑布が待っているかと思うと、胸が高まって、思わず走り出しそうになる。
 
 木を掻き分けた先に、見えてきたーー!!
 
 ビクトリアの滝というのは、一つの滝の名称ではなくて、ザンベジ川の中に1kmくらいにわたっていくつもの滝があり、それぞれに名前もついている。
 3月は雨季の終わりに該当するので、ピーク時ほどではないけれどかなりの水量がある。
 ピーク時だと、流れ落ちる水の飛沫で滝そのものが全く見えないことまであるそうだ。
 たしかに、風向きによって全く何も見えなくなる瞬間もあった。
 空は真っ青で雨なんか降っていないのに、豪雨みたいなシャワーが降ってきて、レインコートを着ていてもずぶ濡れ。
 これはWater proofのケースがないと、間違いなくカメラ壊れるわ!
 
 
 
 
   
 
  
 
 日本で見たことがある「滝」と呼ばれるものとは比較にならない大迫力のスケールに始終興奮しっぱなしで、現地ガイドのお姉さんに「Yoo look so happy!」と何度も言われた。
 いやもう、だってほんとに幸せだったもん。
 
 この橋を渡ると、橋の向こう側はザンビア。リビングストンという別の街が広がっている。
 本当はここからザンビアに入国したいなぁと思って事前にいろいろ調べたのだけれど、ザンビアへの入国履歴があると、あとから南アに入国するときにイエローカード(黄熱病の予防接種履歴)を求められるらしい。
 海外赴任時にいろいろワクチンを打たされたけれど、さすがに黄熱病は含まれてなかった(そりゃそうだ)ので、ザンビア入国は断念。
 ちなみここは、バンジージャンプのメッカ。ラフティングもできるらしい!
 バンジーはさすがにできないけど、ラフティングはやってみたいなー。最高にスリリングだろうな。
 
 
 
 
 ホテル「A'ZAMBEZI RIVER LODGE」にチェックイン。本当は昨日泊まるはずだったホテルだ笑。
 ザンベジ川沿いのコテージ風のホテルで、なかなか感じがいい。
 庭も広くて快適なので、もっと時間があればゆっくり過ごしたいなーと思えるリゾート感がある。

  

 さて、夕方はザンベジ川のサンセットクルーズへ。
 
 
 走り始めて早々、川のど真ん中で船を止めて、「残念なお知らせです。ボートのエンジンの調子が悪く、皆さんに泳いで渡ってもらわなければなりません。向こう岸の方が近いですが、あちらはザンビアなので、ビザ代10ドルご用意ください」という軽妙なジョークから始まったクルーズ。
 ほんとにこれ川なの、湖じゃなくて?っていう広大なスケールのザンベジ川は、雨季と乾季とで水面の高さが10mも変わるそうだ。
 ザンベジビールを飲みながら日の入りを待った。   
 
 あ、Hippo発見!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 ザンベジ川に沈む美しい夕日に息を呑む。
 「人生って最高に楽しい」と心の底から呟いた。

  

  

 あまりに楽しい1日だったので、ホテルに戻ってからの夕食でちょっと赤ワインを飲みすぎた。

 ディナーショーをやっていたダンサーズのパフォーマンスがとてもよかったのでCDを買ったら、なんか知らないけどこの後ナイトクラブに行かないかと声をかけられて、面白そうだからついていくことにしちゃったりして、少々ビビりながらも従業員送迎用のバスに混ざって町に向かい、ナイトクラブっていうよりは倉庫みたいな場所で、特大スクリーンでサッカー観戦をしつつビールを飲んじゃったり、彼らとFacebook友達になっちゃったり、ホテルへの帰り道にまた乗った従業員送迎用バスの運転手さんともFacebook友達になっちゃったりしたのもまた楽しい旅の思い出。
 (1人で何やってんの、というお叱りは既にさんざん受けました笑)

 そのときふと空を見上げると、とんでもなく綺麗な星空で、田舎者の自分でさえ見たこともないような数の星が瞬いていた。
 やっぱり私、すごいとこに来ちゃったかもしれない。

アフリカ大陸ついに上陸! Log 2

2014-08-09 07:50:13 | Travel & Outing

 飛行機に乗りそこなった私+ナンパ(?)した明日帰国の大学生4人+ガイドのローレンスでのSOWETOへいよいよ出発!

 SOWETOというのは、アパルトヘイトの時代に政府によって人種ごとに区分けされた居住区で、黒人居住区のことを指す。
 今ではもちろんその制度自体はなくなって、白人でもSOWETOに住んでいる人はいるし、立派な家の立ち並ぶエリアもある。政府が「SOWETO=危険」というイメージを払拭するための施策を行って、今ではだいぶ整備されているらしい。
 それでも、経済レベルによって厳然とした住み分けがされていた。
 一戸建ての立派な家が立ち並ぶ地域もあれば・・・

 

 

 

 

 

 


 いわゆる長屋が並んだエリア。 
 一つの長屋に5家族が住んでいるそうだ。
 水道も共同なので、こんな風に水汲みする光景が見られる。
 長屋エリアの向こうに一軒家エリアが見えて、くっきりブロックが分けられている整然さに厳然たる区別を感じる。

 

 

 

 そしてバラック小屋の最貧地区。
 トタン屋根は固定されていないのか、石や 錆びた自転車なんかを屋根の上に乗せて押さえているようだ。

 これが今なお貧困や失業問題に悩まされる南アの現実か、と思う。

 このSOWETOには今300万人の人が住んでいるそうだ。

 

 

 

 さすがサッカーの国南アらしく、道路脇のあちこちにサッカーを思わせるモニュメントがたくさん。
 カラフルなブブゼラが道なりに続いたり、(写真じゃちょっと見難いけど)街灯にサッカーボール がデザインされていたり。
 そしてあのW杯開会式の会場となったスタジアムがここ!!

  

 SOWETOでまず立ち寄る場所といえば、ネルソン・マンデラの生家、マンデラハウス。
 大学生くんに「ネルソン・マンデラって生きてるんでしたっけ・・・?」と小声でこっそり聞かれて、亡くなったって話は聞いたことないなぁ・・・となんとも曖昧な返事しかできなかったけれど、2013年現在、闘病中でしたね。
 一度現地に行くと、そういうニュースを聞いて心にちゃんと残るんだけどね(言い訳)。

  

  

 ここはマンデラハウスとは関係ない路上だけれど、マンデラ大統領の反アパルトヘイト活動家時代から、投獄され、解放され、大統領になって・・・という半生が描かれた壁画がある。

 

 

 

 

 

 


 最後に訪れたのは、ヘクター・ピーターソン博物館。
 1976年にSOWETOで大規模な反アパルトヘイト暴動が起こったときに亡くなった少年ヘクター・ピーターソンの名前を冠した博物館で、当時の映像や写真が生々しく展示されている。

 このとき暴動を最初に起こしたのは10代の子供たち。
 と最初に聞いて私が最初に連想したのは、高校生や大学生くらいの(60年代安保闘争のイメージ)子たちが起こした暴動かと思ったら、なんとこれがローティーンズだったらしい。
 アフリカーンス語で学習することを強制されていた子供たちがこれに反発して、「英語で勉強させろ」と訴えたことが始まりだったそうだ。

 その説明を聞いてちょっと混乱した。
 「アフリカーンス語」っていう響きが、いかにもアフリカ的な言語のように思えたから、敢えて「英語で勉強したい」というのは、反植民地運動とは逆行してるんじゃないかと。
 よく聞くと、アフリカーンス語というのはヨーロッパ系言語をミックスしてできた言葉で、植民地時代にアフリカで普及した言語。人種差別の象徴と看做されることがあるものなのだという。 

 このとき最初に亡くなった少年が13歳のヘクター・ピーターソン(3人の子供が写った写真で、抱きかかえられている子がヘクター)。
 亡くなった子供たちのために共同の石碑を建てたい遺族とそれに反対する国との間で折衝の末、採られた折衷案が「最初に亡くなった子供の名前をつけた博物館を建てる」というものになったとか。
 博物館の中庭の石畳には、亡くなったその他の大勢の子供たちの名前が彫られているのが見えた(立ち入り禁止なので、小さな窓からちらっと見えるだけ)。

 世界史の教科書ではほんの数行しか語られないアパルトヘイトの史実を目の当たりにした気がした。

 

 

 鶏を持って歩いている女性がいたので、もしやと思ったら、やっぱりit's gonna be slaughteredであった・・・。たくましい。

 学校帰りの制服を着た学生たち。

 危ない危ないとばかり言われるヨハネスだけれど、そこには当然市井の人の暮らしがある。
 ほんの半日前まで、立ち寄るなんて全く想像もしなかったヨハネスブルグの姿を垣間見ることができて、こんな千載一遇のチャンスを得られたことに感謝した。


アフリカ大陸ついに上陸! Log 1

2013-06-07 23:33:20 | Travel & Outing
 3月末をもって日本に帰国することがついに決まった。
 短期駐在だったので、人よりハイペースで旅行の予定を入れてきたけれど、いつも2泊3日でアジア圏内のショートトリップばかりだった。
 最後の最後はもうがっつり行ってやる!

 ということで、1週間の南部アフリカ旅行を決めた。
 費用はもう、思い出したくもない。。向こう2年分の旅行予算を使い果たしたわ笑!
 さすがに治安面を考えると、今回ばかりはツアーを使わないわけにはいかず。こちとら(年はともかく、一応)女一人だし。何かあってニュースになど出たくないし。
 でも、どうせ行くなら後悔のないように行こう、と思って、(高いけど)行きたいところ全部に行けるコースを選んでみた。
 (ツアーとはいっても、シンガポールの旅行会社に手配依頼して組んでもらうツアーで、だいたいいつも自分1人+現地ガイドなので、いわゆる団体ツアーっぽくはない)
 
 トラブルに見舞われたりしつつも、最高の思い出を作ってきたアフリカの旅。
 6泊8日の旅ログにどうぞお付き合いください。


3月11日(月)Singapore to Zimbabwe... erh?
 
 夜中の2時半。Changi空港から眠い目をこすりながら出発。
 何度となく行き来したこの空港も、旅行で使うのは最後かと思うと早くも寂しい気持ちになる。
 
 シンガポールからの直行便の玄関口は南アのヨハネスブルグ。あの悪名高い「世界で一番危険な街」だ。
 とはいえ、さすがにそんなところに行く気は全くなく、3時間のトランジット待ちの後、すぐにジンバブエに飛ぶ予定。
 およそ11時間弱のフライトなので、まぁ日本からヨーロッパの手前の方くらいの感覚かな。
 ちなみに、日本から南アへの直行便はない(はず)。
 香港・シンガポールを経由したり、ヨーロッパを経由したりして行かなければならないらしい。
 これが、今回私がシンガポール在住のうちに南アに行きたかった理由の1つ。
 
 朝7時過ぎにヨハネスブルグ国際空港に到着。
 SQ(Singapore Airline)はほぼ満席の勢いで人が乗っていたのに、International Transitの方に進む人はほとんどいない。
 しかもこのTransitの通路が薄暗くて、人気がなくて、なんだかこの都市の評判と相俟って必要以上に怖く感じる。
 そうは言っても空港の中なので、そんな怖がることもないのだけれど。
 
 ラウンジで時間をつぶしたりして(この間に日本時間では14時46分を迎えたので、ささやかながら黙祷)、乗り継ぎのSouth African Airlineの搭乗口へ向かった。
 航空券に書かれたナンバーの搭乗口でしばらく待っていたのだけれど、空港のモニターのフライト一覧には一向にゲートナンバーが表示されない。
 おかしいな、と思っていたら、しばらくしてゲート変更の表示が出たので、変更後のゲートに向かった。
 そこには10くらいのゲートが横並びになっていて、他のゲートには行き先表示とともに「Boarding」「Departed」とかステータスが表示されていた。
 で、私の乗る便のゲートには行き先表示だけでステータスは表示なし。誰も並んでいないし。
 急にゲートが変更になったので、遅れているんだろうと思って、正面でしばらく待つことにした。
 
 しばらくすると、数名の客がゲートの周りでなにやら騒ぎ始めた。
 胸騒ぎがして、近づいて様子を見に行ってみた・・・ら、なんと「もう搭乗は締め切った」「ふざけんな乗せろ」という騒ぎになっている。
 マジか!!!
 まったく気づいていなかったのだけれど、私が来たときには既にほとんどの搭乗客が通り過ぎた後だったらしい。
 「じゃあなんでモニターに何も表示されてないんだ」「モニターの不具合で」
 「連絡して(滑走路に向かう)バスを呼び戻せ」「自分の権限ではなんとも」
 と乗客数名でさんざん主張したのだけれど、結局「it's too late」と言われ、飛行機に置いていかれたことを認めざるをえなくなった。
 
 取り残された乗客は5名(もっといたかも)。
 カウンターに連れて行かれた私たちには、「次のフライトは明日の同時刻。今日は他社便も含めてVictoria Falls行きの便はない。バスなどの別の手段じゃ時間がかかりすぎる」という宣告がされた。
 一番文句を言っていたのはアメリカ人の女性2人組。
 可愛そうだったのは、アメリカ人のおじいちゃん。なんと奥さんだけが乗って先に行ってしまったらしい。
 
 フライトがないという現実を突きつけられて、「文句を言ってる暇はない」と頭を切り替えることにした。
 どうにもしようがないんだったら、ここで何時間もうだうだする気はない。
 いっそのこと、まるっきり考えてなかったヨハネスブルグ観光でもしてやろうじゃないの。
 こんなことでもなかったら、絶対に一生来ることなどなかったであろうヨハネスブルグに入れるチャンスじゃない?
 ちょっとちょっと面白くなってきたーーー!
 
 と持ち前のpositive thinkingが発揮されて一気に気分が楽しくなってきたので、Airlineの提示してきた条件を一番最初に受け入れて、翌日のチケットと今夜のホテルのバウチャーを手にしてその場を去ることにした。
 思うに、私がこのときすぐに楽天的になれたのは、全部の荷物を手荷物として自分で持っていたからだと思う。
 正直、アフリカの空港を信用していなかったし、何度もAirで移動しなければならなかったので、荷物を預けなくて済むように機内持ち込みできる最小限の荷物で飛んできたのだ。
仮に1泊だとしても、荷物が手元になかったら、もっと心細かったはずだ。
 
 シンガの代理店から緊急連絡先として聞いていた南アの現地代理店に電話をして、事の次第を説明した。
 今日はジンバブエに飛べなくなったので現地のホテルをキャンセルしてほしいこと、明日以降のスケジューリングをし直してほしいこと、何かを削らなければならないと思うけれどもし選べるとしたら優先的に訪れたい場所、それから今日半日空いてしまったので「なんかできませんかねー」という相談。
 すると、「ちょうど午後1時に他のお客さんを迎えに行くガイドがいて、そのお客さんをホテルに送ったらフリーになるから、その後でよければ観光できる」と、なんともナイスな提案があった。
 観光できる場所の候補としては、
1.ライオンパーク(子供のライオンを抱っこできたりするらしい)
2.ショッピング
3.SOWETO(黒人居住区)の見学
の3つ。興味があるのは3しかなかったのだけれど、やっぱり治安がどうしても気になる。
 その辺どうなのよ?と聞いてみると、「ガイドはSOWETOの出身だし、観光客もよく訪れる場所だし、そんなに怖がらなくても大丈夫」という説明だったので、もうこの際行ってやれ!という気持ちになって、SOWETOを選択することにした。
 
 ヨハネスがどれくらい危険かというと、
・駅を一歩出たところで銃を突きつけられて強盗された
・首絞め強盗多発
・車に乗っているときに赤信号になっても停まってはいけない。停まったら、前後の車から人が襲ってくる。
という、都市伝説レベルの実話が山のようにあるらしい。
 W杯のときの事件の数々も記憶に新しい。
 1人なのにとんでもないことになっちゃったなーという思いと、こんなチャンスない!大興奮!という思いが交錯して、ガイドと待ち合わせするまでの間、ずっと落ち着かない気持ちだった。
 
 でも、旅ってトラブルから何が起こるかわからないのが醍醐味。
 ガイドが迎えに出ることになっていた「他のお客さん」というのは日本人の卒業旅行中の大学生男子4人組で、南部アフリカを10日ほど旅して最終日、明日の香港便に乗るために今夜はヨハネスに泊まるのだという。
 「せっかく来たから観光したい気持ちはあるんだけど、やっぱり治安が心配だし、まだ予定が決まってないんですよねー」という彼ら。
 「じゃあ私これからSOWETOに行くんだけど、joinする?」「えっ?」
 
 早速ガイドのローレンスに価格交渉。
 私1人だと700ランド(だいたいx10で日本円)だったのだけれど、4人追加で1人400ランドにディスカウントしてもらえた。
 大学生くんたちに伝えると、そのくらいの値段なら全然行ける、むしろ行きたいお願いします、と言ってもらえたので、一緒にSOWETOに行くことになった。
 旅は道連れ!ディスカウントも有難いけど、若者男子が一緒ってものすごく心強い。
 私にとってはもちろんだけど、彼らにとってもラッキーな出会いだった、と思ってもらえてるといいな。
 
 ここまで旅ログというより、トラブルログみたいな話になっちゃったけど、いよいよここから旅本番!

週末ネパール旅行してみた Day 3

2013-03-10 08:53:14 | Travel & Outing

 ネパール3日目。最終日。
 昨日と同様、朝6時にピックアップ。
 ガイド曰く、昨日山頂で雪が降ったため、視界は良くなっているのではないか、と。
 空を見ると、東の空の方が少し雲が切れ始めている気がする。
 なんとかなるんじゃないか・・・と期待が高まった。

 昨日あれだけ降っていた雨はもう止んでいる。
 ただ、路上の水はすごい。
 聞くと、普段から道端にゴミが山積みになっているため、雨が降るとゴミが排水溝に詰まって、道路に水が溢れ出してしまうのだそうだ。
 そんな悪循環になるなら、ゴミなんか捨てるなよ!と思ってしまうのは、先進国民の発想なんだろうか。

 昨日と同じ手順を踏んで、国内線の待合所でしばらく待機した。
 周りを見渡すと、圧倒的に昨日より人が少ない。昨日あんなに見かけた日本人の姿も減っている気がする。
 一方、空はどんどん青い部分が広がってきている。しかも、ヒマラヤが広がる北東の空。
 第1便の搭乗客が呼ばれ、しばらくして他の便の搭乗客も呼ばれて、バスの中で待機するところまで昨日と同じ流れ。
 違っていたのは、今日はアジア系の顔が私一人だったことくらい。
 空はどんどん青くなっていくのに、10分おきくらいに顔を出すスタッフは「まだ第1便からのレポートが届かない」「山が見えたという報告はまだない」を繰り返すだけ。
 まさか・・・と思っていたら、また暗い顔をしたスタッフが現れて、「Mountains are not visible. So... pls get off from the bus.」と残酷な通達をした。
 最後のチャンスなので、私も「どの山も全然見えないの?エベレストだけじゃなくて」と食い下がってみたのだけれど、何にも見えないのだと言う。
 ここから見る空はこんなに晴れているのに。。
 やっぱり高度8000mの世界はまったくの別世界なのか。
 The top of the worldは一筋縄では届かない世界だということを思い知らされてしまった。

 がっかりはしたけれど、頭の中は「じゃあ午前中どこに行こう!」とすぐに切り替え。ガイドが気を使ったのか、「ホテルでゆっくりしますか」と言ってきたのだけれど、いやいやまさか、そんな無駄なことはしないよ。
 カトマンズ市内で何度か通り過ぎつつもまだ行っていなかったあの場所に行くことにした。
 パシュパティナート。ヒンズー教寺院であり、川沿いの火葬場である。
 寺院自体はヒンズー教徒しか立ち入れないので、どちらかというと火葬場がメインと言えるかもしれない。
 川沿いにはいくつも火葬台が並んでいて、私が訪れたときもいくつか燃え盛っている台があった。
 詳しくは書かないけれど、燃えている体のパーツも見えた。








 川沿いでは、小さな台の上に座ったお坊さんと遺族の人が向かい合って座って法事をする姿も見受けられた。
 法事をしているその真上でカメラを構えている観光客の姿がとても異質なものに見えた。自分も大差ないけれど。

 火葬の後、灰はこの川に流される。墓は作らない。
 2ヶ月前に訪れたミャンマーでは、灰はその辺に捨て置かれて墓は作らない、と聞いたこととイメージが重なる。
 今はこの川で沐浴をする人はあまりいないらしく、川沿いにある水場で沐浴をすることが多いようだ。
 以前は、夫が亡くなった際に妻がこの川に入水して後を追うという風習(半ば強制的に)があったという。
 今ではもうそんな風習はないようだけれど、まだそういう地域は残っていて、最近でも問題になったことがあるらしい。
 独特の死生観を目の当たりにして、心にずっしりとした重さが圧し掛かってくるような感覚を覚えた。

 最後に、自分の足で町を歩きたいから、と言って、途中でバイクを降ろしてもらってホテルまで歩くことにした。
 ネパールでは土曜が休日で、日曜は平日扱い。
 なので、制服姿の中高生くらいの子達をたくさん見かけた。制服は日本のものと似ているけれど、パンツ姿の女生徒が多数を占めてる感じがしたな。スカートの子もいたけれど。








 すし詰めになるまで人を詰め込むミニバス。
 雨が降ると排水溝にゴミが詰まって水が道路に溢れ出るということが日常茶飯事なほど、ゴミだらけの道路。
 立ち込める排気ガスと埃。

 日本やらシンガポールやら、清潔で快適な都会に慣れた自分には決して居心地の良いと言える場所ではないかもしれない。
 産業が急速に発展しているエネルギーを感じる途上国・・・の空気ともちょっと違う。
 時間がどこか過去のある時点で止まってしまっているような、このまま永遠に変わらないんじゃないかと思ってしまうような、奇妙な感覚を覚えた。

 The top of the worldに到達できなかった悔しさは、一生のうちにいつか必ず晴らすことにする。
 そのとき、このネパールがどんな国になっているか、今から楽しみでならない。


週末ネパール旅行してみた Day 2

2013-03-03 15:57:37 | Travel & Outing

 ネパール2日目。
 朝6時にピックアップで、空港へ向かう。
 この旅のメインとも、目的とも言える、マウンテンフライトでヒマラヤ山脈を見に行くのだ。
 ・・・が、どうにも天気が良くない。厚い雲に覆われていて、どうにも見える気がしない。
 不安を抱えながらもとにかく空港に向かって、搭乗手続きをした。
 
 待合室でPassenger callを待っていると、「Yeti Airline to mountain, 302」と最初の便の搭乗客が呼ばれて外に出て行った。
 どうやら、最初の1機がまずは飛んで状況を確認するらしい。
 如何せん、高度8000mの世界のこと。下界がどんな天候状況にあろうと、飛んでみないことには山が見れるかどうかはわからないのだそうだ。
 しばらく待つと、私が乗る便を含め、数機分の搭乗客が呼ばれ、それぞれバスに乗って待機するように言われた。
 ちなみに、私以外は全員日本人の団体ツアー客。どうやら今日がツアーの最終日のようだ。
 「今、1機目が飛んでいて、そのレポートを待っている。もう10分待ってください」と説明されるも、日本語ガイド不在の団体客の大多数は説明がわからないらしく、何々、とざわついてた(ガイドさんは空港内に入れないため)。
 うーん、しゃしゃり出るべきかどうするか、と迷っていたら、1人だけ英語ができるおじさんがいたらしく、おじさんがきちんと解説してくれていた。
 そのまま待つこと20分ほど。
 明らかに暗い顔をしたスタッフがやってきて、「Very sorry, the weather is not good. so... this flight is canceled.」と言った途端、おじさんおばさんたちもこれは理解したようで、一様に「あぁ~~」とため息が漏れた。
 がっかり。でも、今日の天気を見ていれば期待はできないなと思っていたので、早々に心を切り替えることにした。

 幸いにも、天候不良で中止の場合は翌日に振り替え可能。
 実は、明日の朝は別の早朝ツアーを手配していたのだけれど、やっぱりマウンテンフライトが一番ヒマラヤ山脈を見られる可能性が高いということなので、フライトの方を優先することにした。
 キャンセル料負担を覚悟で、早朝ツアーの方の催行会社に電話をしたところ、ラッキーなことに、翌朝から当日夕方に時間を変更してもらうことができたので、金銭的なロスも避けられた。

 さて、今日1日は完全フリー。行きたい場所は大体頭にあったので、そこをタクシーかバスで回るつもりだった。
 ・・・が、ガイドさんのご好意により、急遽ガイドさんの運転するバイクの後ろに乗せてもらうことになった。タダで。いいんすかね、これ(笑)?
 (もちろん、最終日にまとめて渡すチップには多少色をつけたつもり)
 ラッキー、と思う一方で、これが実にスリリングというかなんというか。
 車線も存在しない道路で、容赦なく前に突っ込んでいく車とバイク。
 ここまで鳴らさなくても、と思うくらい、責め立てるように鳴らされるクラクション。
 車の中から見ていたときは、「うわーすごい、まさに途上国っぽい」と第三者的に見ていたのだけれど、このときの自分はまさにその中の1人になっていた。
 真っ黒な排気ガスをもろに浴びて、埃っぽい空気に目も開けていられない。
 舗装はガタガタなので、ときどきバイクがバウンドしてお尻が浮き上がる。
 そしてそして、こちとらノーヘルじゃーー!パラリラパラリラーー!(法的には、運転手のみに義務があるので、これは違法ではないらしい・・・)
 正直、生きた心地がしなかった。。
 が、人間慣れるもので、途中から妙なテンションで盛り上がってきてしまって、最後にはカメラを片手に走りながらビデオ撮影ができるくらいまで慣れてしまった。

 ちなみに。運転手はヘルメットをかぶる義務があるのだけれど、私のガイドは白いニットキャップをかぶっているだけで、ヘルメットはしていない。
 いいんだろうか?と思って聞いてみたら、こういう説明をされた。
 少し前に親族の方が亡くなってしまい、それから約1年近くは宗教上の慣習で白っぽい服しか着ないのだそうだ。確かに、白いフリースジャケット、白いパンツ、白いニットキャップと、なんでこんなに白系の服で全身固めているんだろうとは思っていた。
 で、その期間中は別の色のものを身につけることはあまり良くないとされているため、ヘルメットをかぶっていなかったとしても、警察に咎められることはない、のだそうだ。確かに、何度も交通整理している警官の横を通ったよ、ノーヘルで。。

 最初に行ったのは、ボダナート。ネパール最大の仏塔らしい。
 昨日見たのと同じ、夢にでも出てきそうな独特の目が四方に目を光らせている感じがする。
 形や色にも意味があって、空、風、火、水、地という5つのエネルギーを示しているのだそうだ。











 五体倒地と呼ばれる、体全体を地面に伏した礼拝をしている人たちも何人か見た。
 108回伏しては起き上がってを繰り返すらしい。
 ヨガでもやっているのかと思うくらい、実にストイックな礼拝方法だ。。










 街中にいると至るところで見かける乗り合いバス。
 車掌さん的な役割の人が道端で行き先を連呼して客寄せをして、ぎゅうぎゅう詰めになるまで人を詰め込んで走り去っていった。
 もし、ガイドさんの提案がなかったら、これに乗ってたんだな。かなりチャレンジング。
 でも、それはそれで面白かったかも(笑)。








 途中、ところどころのお寺に寄り道したりしつつ、次に向かったのはパタン。市街地からバイクで20分ほどの場所。
 古い王宮跡がある古都で、ダルバール広場の敷地一帯に広がる寺院の数々がなんとも趣のある雰囲気。
 こんな感じで座っておしゃべりをしているおじさんたちもいい雰囲気出してる。

  
 本当は、ここでバイクを下ろしてもらって後は自分で帰ってこようと思っていたのだけれど、「ついでだからバクタプルまで行っちゃう?」というお言葉に甘えることにした。
 バクタプルはバイクでさらに30-40分ほど東に行ったところにある古都。こちらもかつての王宮がある町だけれど、パタンよりも規模が大きい。
 けど、この町で一番印象に残っているのは、バクタプルのメイン観光地のダルバール広場ではなくて、その裏手に広がる地元住民の生活感溢れる住宅地域を歩いたこと。
 道端でおしゃべりしながら編み物に励む女性たち。
 洗濯する女の子と野菜を洗う女性。
 人懐っこくHelloと手を振ってくれた子供たち。
 まるで迷路みたいな入り組んだ細い道の先には、100年以上経つ建物とともに暮らす人々のリアルな生活があった。
 撮った写真をデジカメのディスプレイで見せると、子供たちは本当に嬉しそうな顔をしてくれた。



  

  

 ついでに、牛と犬の仲の良い一コマ。

 そういえば、道中で日本人と思しきドクターの名前を掲げたクリニックを見つけた。
 日本人医師が医療事情の決して良くないこの地で開業しているのだそうだ。
 ネパールでは、平均寿命が短く、男性で60歳に満たない程度。女性はもっと短いそうだ。驚いた。勝手な思い込みで、どこでも女性の方が長生きなんだと思っていた。理由は、出産リスクがあるためらしい。
 命をかけて出産して、結果として早く亡くなってしまい、再婚するときに捨てられてしまう子供も後を絶たないとか。
 そういう子たちが、物乞いとして声をかけてくるのかと思うと心が締め付けられる。
 勿論様々なファクターがあるのだろうけれど、医療事情が改善するという一つのファクターが事態を改善する端緒となることを願わずにはいられない。

 同じ道をまた30-40分かけて、カトマンズに戻る道すがら雨が降り出した。
 雨で冷たいし、寒いし、もうバイクから降りたいけど、今さら降りたところでどうにもしようがないし、ストールを頭からかぶって雨をよけつつ、苦難の時間を過ごし、ようやく3時になってお昼ごはん!
 ローカルのそんなに高くないネパール料理のお店に行きたいな~、とガイドさんにお願いして連れて行ってもらったレストランで、チャタモリ(ネパール風ピザ)、モモ(ネパール風餃子)、ウォー(ネパール風お好み焼き)とたっぷりおなかいっぱい食べて、さらに地酒のラクシをお土産用につけてもらって、なんと2人で500円程度のお会計!!やっす!
 でも、これでも「高くもない、安くもない」レベルのお店なんだそうだ。素晴らしすぎる。

 東京の自宅の近くにネパール料理のお店があって、実はちょっと親近感を覚えていた。
 かなりお腹がいっぱいになったけれど、いろいろ試せてよかった!
  



 雨がまだ降り続いていたので、もうバイクでの移動は諦めて、そこからタクシーを拾っていったんホテルに戻った。
 夕方から、別の現地ツアー会社経由で申し込んでいたナガルコットの丘ツアーに参加することにしていたのだ。
 ナガルコットの丘とは、標高2100mの場所にある丘で、ヒマラヤ山脈を眺めることができるスポットとして有名な場所。
 2100mって簡単に書いているけれど、富士山の標高は3776mだ。その5合目まで車で行けるとして、それよりも当然さらに高い。

 本当は翌朝の日の出ツアーに申し込んでいたのだけれど、今朝のマウンテンフライトが明朝に延期されたため、ツアー会社に頼んで夕日ツアーに変えてもらったのだ・・・が、これだけ雨が降っていて、何かが見られるはずがない。
 何も見られないのは解っていたけれど、何もしないのも悔しいので、とりあえず送迎の車に乗り込んだ。
 現地まで約1時間半の道のりを、運転手のお兄ちゃんとひたすらおしゃべりして過ごし、現地では霧で真っ白になった光景を眺めつつ、2人でコーヒーを飲んで、帰り道もおしゃべりしながら帰ってきた・・・という、結果的に何ともゆる~いツアーとなった。。
 ちなみに、ここは屈指のデートスポットらしいよまぁ、眺めさえよければ、No wonderだよね。

 3時に食べたお昼ごはんがかなりヘビーだったため、夕飯はパスして就寝。
 明日こそは、天気が回復しますように・・・。