パタヤは雨で洪水に見舞われる事が、よくありますが、タイのど田舎でも地域や地方の特色で洪水が雨季には、話題に上がる事があります、私の、居るど田舎は、日がさす日中はどう見ても汚いと思える場所が多々有るのですが、滅多に無いのですが、夜、雨が降って朝方に霧が出た日には、朝日を浴びて霧の中を托鉢に歩くお坊さんの、姿がそう言った場所では、とても皇霊に満ちたおももちの風景になり、一瞬目を奪われれ仕舞うのは、とても不思議な雰囲気に成ると言えます。。
よくタイ王国の、写真集等で現れる風景ですが、実際にどこにこんなたたずまいの、風景が存在するんだと、タイを訪れた方々が、お思いになるのですが、実際にはど田舎のあちらこちらに有りますが、そのたたずまいに、出くわす機会が少ないだけだと言えます。。
タイ王国では男性は一生に、一度仏門に入るならわしが有りますが、日本にはそう言った、ならわしが無いことを、知っているタイ人は同じ仏教徒が多い日本人に対しても、少し違った見方をする人が多く、仏教徒の日本人は其れが少し不満なのですが、ましてや私の、年代でタイ王国のど田舎に居ると強く感じる事となります。。
私の場合は、曽祖父や祖父等に、小さい頃は神社仏閣を、よく連れ回されたおかげで、そら覚えていた経文も日本の宗派を問わず多いので、ついつい仏像を前に、唱えて仕舞うのですが、仏様や日本の方が聴かれると、おっさんあんたどこの宗派だと言われそうなのですが、色んな意味で仏教徒なので、東南アジアでは、仏様に不便をすことが無いので、ほとけ前に拝む機会がどこに行ってでもきるのですが、仏を前に座布団も有ると、久し振りに正座してかしこまる行為がとても、気持ちよく子供頃覚えた経文が頭をよぎるので、きらびやか仏様を前についつい心を休める為、私としてはどこの宗派の経文かすら覚えていないのですが、本物の仏教の本堂なので、声が響き誰もいない事をいい事に心地よく時間を忘れて徐々に大きな声で唱えて仕舞い、次回訪れたおりには、上座に座らせられて気まずい思いをすることに成るのですが、、、日本の方にわかり易い説明を入れると、有名なクラッシク曲の有名なパートを、綴ったCDの、御経バージョン見たいな感じですが、日本の仏教宗派も多いので、私は気付かなかったのですが、周りのタイ人が言うには、結構な時間、経文を唱えている様で、それに加えて不謹慎なたとえですが、お風呂場で声が響き誰もいないと、普段は音痴で歌わない歌を大きな声で、歌う感じだと言えば良いかも知れません。。。
ビルマで竪琴を持って、古い僧衣をまとって手に高僧の銀の腕輪を、したみずしまに、お寺の僧が上座をゆずるみたいな。。
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