普段何気なく使っているが、よく考えると意味が分からなくなる言葉というものがある。
例えば、「ジェンダー」という言葉。生物学的な性に対する「社会的性」の意味だと言う。そう言われれば、そんなものかな、と思ってしまいそうになるが、「社会」と「生物」なんて対立概念でも何でもないのだから、概念的に切り分けられるハズがない。政治的主張のために仮構された言葉としか、言いようがないが、メディアの力は恐ろしいもので、一度流通しだすと、あたかもその言葉の指し示すものが存在するかのように、振る舞い出す。
言葉は普通、何らかの実体(シニフィエ)が先にあって、後からそれを言い表すために作られるものだが、政治的な言葉や広告の言葉は逆の順序をたどることが良くある。
政治の世界では、「抵抗勢力」「守旧派」なんて言葉が作り出され、実際の政治を動かす程のパワーを発揮したこともあった。しかし、この言葉にどんな意味があるというのだろうか。「抵抗勢力」は「レジスタンス」と言い換えても良いだろう。それならば、第二次大戦中にナチスに占領されながらもレジスタンス運動を続けたパリの市民は「抵抗勢力」と呼んでも良いハズだ。抵抗する相手が誰であろうと、皆ひとまとめにして悪者であるかのようにレッテルを貼ってしまうななんて。なんと空疎な言葉だろうか。
朝日新聞さんは、「それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。」だそうだが(http://www.asahi.com/information)、たしかに、言葉のチカラはもの凄い。簡単にレッテルを貼り、悪者にしてしまうことができるのだから(笑)。
だからこそ、マスメディアの言葉は信じないことにしようと思う。
例えば、「ジェンダー」という言葉。生物学的な性に対する「社会的性」の意味だと言う。そう言われれば、そんなものかな、と思ってしまいそうになるが、「社会」と「生物」なんて対立概念でも何でもないのだから、概念的に切り分けられるハズがない。政治的主張のために仮構された言葉としか、言いようがないが、メディアの力は恐ろしいもので、一度流通しだすと、あたかもその言葉の指し示すものが存在するかのように、振る舞い出す。
言葉は普通、何らかの実体(シニフィエ)が先にあって、後からそれを言い表すために作られるものだが、政治的な言葉や広告の言葉は逆の順序をたどることが良くある。
政治の世界では、「抵抗勢力」「守旧派」なんて言葉が作り出され、実際の政治を動かす程のパワーを発揮したこともあった。しかし、この言葉にどんな意味があるというのだろうか。「抵抗勢力」は「レジスタンス」と言い換えても良いだろう。それならば、第二次大戦中にナチスに占領されながらもレジスタンス運動を続けたパリの市民は「抵抗勢力」と呼んでも良いハズだ。抵抗する相手が誰であろうと、皆ひとまとめにして悪者であるかのようにレッテルを貼ってしまうななんて。なんと空疎な言葉だろうか。
朝日新聞さんは、「それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。」だそうだが(http://www.asahi.com/information)、たしかに、言葉のチカラはもの凄い。簡単にレッテルを貼り、悪者にしてしまうことができるのだから(笑)。
だからこそ、マスメディアの言葉は信じないことにしようと思う。