本日の未確認情報

政治・経済・市況・科学について、真偽不明な解説を書き綴るブログ

小泉首相の次男

2006-10-11 05:47:10 | 政治
10/20発売のフライデーに、コロンビア大のカーティス教授が、安部政権について講演した記事が載っている。

その記事の写真のキャプションに、小泉首相の次男が、CSISに在籍しているとの記述が。

小泉首相の子供が政治家を目指しているとするなら、10年後か20年後かわかりませんが、有力な首相候補ですね。

自然破壊で滅んだギリシャ文明

2006-04-03 23:45:50 | その他
 安田喜憲氏は、地質中の花粉の化石の分析を通じて、歴史上の植生を再現する手法を通じて、植生と文明との関係を分析して著名になった地理学者である。「森林の荒廃と文明の盛衰」などでの、歴史と文明とを結びつけた考察は、科学的裏付けもあって興味深い。もっと世界的に注目されても良い学者だと思う。

 同書で特に興味深いのは、ギリシャ文明の盛衰と、植生との関係を分析したところ。

 ギリシャ・エーゲ海というと、真っ青なきれいな海という印象がある。しかし、透明度の高い海というのは、裏返せば、生物が生息できない環境であるということ。それは、周辺の陸地に森林がないため、腐葉土などの栄養分が陸地から供給されないということである。

 ところが、植生を花粉の化石から分析すると、数千年前にはハンノキ、ナラなどの森林が拡がっていたという。そして、これらの森林は人間の焼畑や燃料としての伐採によって、失われたのである。

 森林の減少は、一時的に文明の隆盛を来す。なぜなら、砂漠化し、降水量が減少すれば、「大河のほとりへの人口の集中と、より強力な灌漑のコントロールの必要性を産み、中央集権的な国家の誕生をもたらした」(p174)からである。

 しかしながら、さらなる森林の減少は、人口の流出と文明の崩壊をもたらす。その結果が、現在のギリシャのはげ山と、すきとおったエーゲ海である。

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 ヨーロッパの精神の起源とも言えるギリシャ文明であるが、そのギリシャ文明はサステナビリティのない文明で、そのために滅んだと言えるだろう。

 そして、自然環境の「サステナビリティのなさ」は、現代の欧米の文化にも脈々と受け継がれていると感じられる。

 欧米文明は、ギリシャ→ローマ→フランス→ドイツ・イギリス→アメリカと、土地と森林を食いつぶしては次の地域に文明の中心を移動することで発展してきたと思う。しかし、いよいよ世界に残された土地は無くなりつつあるのである。

 ギリシャ・ローマ文明とその継承者から決別すべき時に近づきつつあるのではないだろうか。 

アフリカで政権転覆を企てたサッチャーの息子

2006-04-02 23:27:26 | 政治
 約1年前のことだが、イギリスのサッチャー元首相の息子・マーク・サッチャーが、アフリカでクーデターを企てて失敗し、当局に拘束されるという事件が起きた(フォーサイトの2005年1・4月号参照)。

 アフリカの小国・赤道ギニアで、ヌゲマ政権を転覆しようと傭兵雇った罪で逮捕されたのである。

 サッチャー以外の主な登場人物は次のとおり。

 サイモン・マン…イギリス特殊部隊SAS等の経歴あり。政権転覆の実行部隊のリーダー。69人の傭兵を連れて大統領宮殿の襲撃を計画。ジンバブエで武器を購入しようとした容疑で逮捕される。

 セベロ・モト…元・赤道ギニア進歩党党首で、スペインに亡命中。クーデター成功後、赤道ギニアに入国し、政権を担う事を予定していた。

 ちなみに、サッチャーには、セベロ・モトを赤道ギニアに移送するための飛行機を手配した容疑も掛けられているそうである。

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 赤道ギニアは石油が豊富なので、イギリス・スペイン両政府が、石油を狙って政権転覆を狙ったのではないか、というのが上記の記事の見方である。

 そして、クーデターの首謀者と見なされていたサッチャーに対する判決は、罰金と執行猶予付きの有罪判決という、極めて甘いものであった。サッチャーはすぐに自由の身となって今はイギリスで普通に生活しているそうである。

 欧米の民主主義と人権意識の底の浅さを感じさせる事件ではある。しかし、この手の謀略で、ここまで詳細が明らかになったのは珍しいのではないか。詳しく調べておけば、今後の日本外交にも参考になる事例だと思う。

スポーツクラブに行ってみた

2006-04-02 02:58:54 | Weblog
 ランニング等の運動はしているのだけれど、筋トレを家でやるのは限界があるので、スポーツクラブに入会してみた。

 体育会系の若者が多いかと思いきや、以外とひ弱な(失礼)中高年が多かった。中高生くらいの若者もいるが、明らかに自分よりも体力がなさそう。

 自分のことを体力がないとずっと思っていたが、意外とそうでもないらしい。

 行きなれないところに行ってみると、それなりの発見があるものだ。

無駄に生きないために。

2006-03-28 23:13:46 | その他
 どんな努力も、方向性が間違っていれば無駄になるものである。

 不必要な努力。

 若い時には、往々にして時間が無いという焦りが生じ、「何かしなければいけない」、「積極性が足りないのではないか」、「早く決断しなければ」といった強迫観念が生じがちである(病気した時なんかも)。

 決断も必要でないとは言わない。

 しかし、その前提として「正しい方向感覚」をはっきりと持つことが必要である。
 
 その場合の正しい方向感覚とは、何か。

 人権?平和?

 私に言わせれば伝統を守ること、先祖への敬意を持つこと、歴史を尊重すること、一言で言えば保守主義である。

 理由は、私が言うことはない。キルケゴールを引用しよう。

 「絶望が全然根こそぎにされた場合の自己の状態を叙述する定式はこうである、-自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力のなかに自覚的に自己自身を基礎づける。」(死に至る病)

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 そして、正しい方向性に気づいたら、自信を持ち、決断して進んでいくことだ。

ベルクソンの「傷み」

2006-03-26 12:17:27 | その他
 アンリ・ベルクソンはユダヤ系フランス人の哲学者で、自然科学の解釈を中心に、「創造的進化」「笑い」「物質と記憶」といった著書で有名である。アインシュタインとの相対性理論に関する論争(実際は、論争にもならなかったが)が有名で、立花隆を100倍くらい賢くしたような人である。

 ベルクソンの著書で良く出てくるモチーフがある。それは、「有機体は、独立して自律的に機能する部分(機関)から成る。」というものである。

 例えば、岩波文庫版「創造的進化」のp66には「有機体は、それぞれ自分のために生きている諸組織からなる。その組織を作っている細胞がまたある自主性を持つ」、p308には「(有機体)全体のあらわす見かけの個体性は潜勢的な個体性の不定数が潜勢的に連合されてできた複合物なのである」といった記述がある。

 つまり、人間という有機体は、一見、一つのまとまった個体として統一的な意識によるコントロールのもとにあるように見えるが、実は内実はバラバラであるというのである。

 その傍証として、「傷い」という現象が挙げられる。
 例えば、足が「痛い」と感じるというのは、足という体の一部が脳に対して、「どうにかしてくれ!」というSOS信号を送っていると考えられる。

 怪我をしたときに、「痛すぎて眠れない、休めない」という経験は誰しもあるのではないか。もし人間の意識が有機体全体を統合的にコントロールしているのであれば、「傷み」なんていう無駄な信号を送る必要はなくて、「痛い箇所を使わないようにする」といった結果としての意識が生じれば良いだろう。

 ここからは私の感想である。

 普通、人間の知覚(統覚)の範囲は、自分の体の範囲に限られると思われがちだが、実は非常に不安定なものである。怪我をしたときに、血が出てるのを見つけて急に痛みを感じたなんていう経験をした人も多いだろう。その場合、自分の体でさえも、大脳の完全なコントロール下にないと思える。

 そしてまた逆に、自分の身体的範囲を超えて、知覚することもできるとも思える。怪我をしている人を見ると「痛い」と感じることはないか。人間は、自分の痛みを知覚しないこともあるくせに、人の痛みを知覚することもできるのだと思う。

 体の各部位が、それぞれ独立に機能しながら、神経繊維を通じて大脳に信号を伝え、それが大脳で「痛み」や「喜び」といった感情を生じるのと同じように、人間同士も、五感を通じて信号を伝えあい、感覚を共有しているのだと思う。
 そして、そのような感覚の共有 -すなわち、共感- が、人同士の愛情であり、有機体としての社会を編成する根本原理であると思えるのである。

核燃料の国際管理構想で拡大する原子力発電

2006-03-23 23:46:29 | 経済
 核燃料の「国際管理構想」の実現性が急速に高まっているそうである(フォーサイト2月号参照)。

 核燃料の国際管理構想とは、ウランの濃縮や再処理によるプルトニウム抽出などの核燃料生産を特定の施設(国)にしか認めず、他の国ではその燃料を利用した発電のみが認められる、という構想である。

 最近のイランの核開発の問題でも明かなように、核の平和利用と軍事利用の境界は極めてあいまいである。それほど高度な技術が無くても、発電目的の燃料から、プルトニウムが抽出できることが、北朝鮮によって実証されてしまった。日本のような先進国が核兵器を開発できるであろうことは当然としても、インドネシア等の東南アジア諸国だって、北朝鮮よりは技術レベルは高いだろうから、原子力発電を導入すれば核兵器を作れることになってしまう。

 つまり、核不拡散のためには現在の核保有国以外への原子力発電自体の普及を抑止せざるを得ない状況に追い込まれているのである。

 そのような状況で出てきたのが、核燃料の国際管理構想である。

 構想には、二期目から原子力推進に政策転換したブッシュ政権が協力を表明しており、日本も経済産業省の総合資源エネルギー調査会が協力を打ち出したという(同記事)。

 構想が実現すれば、発展途上国にも原子力導入の可能性が広がり、原子力発電が急速に拡大するかもしれない。先進国においては温暖化対策で石油から原子力へとエネルギー転換が進んでいるが、温暖化対策が途上国にも義務づけられれば、途上国でも同じ動きになるだろう。

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 数年前まで、原子力には逆風が吹いていた。
 2003年1月には、高速増殖炉もんじゅに設置無効の判決が出され、同年の8月にはゼネラル・エレクトリック社の元社員による内部告発から原発のトラブル隠しが発覚し、原発の相次ぐ停止の事態へと進んだ。

 それからわずか数年しか経っていないが、状況は大きく変化している。原発の新規建設を停止していた米国が、新たな発電所建設を決定し、さらには核兵器燃料をプルサーマルも再開されるようだし、国内でも佐賀の玄海原発でのプルサーマル導入が地元議会で容認されるなど、状況変化が著しい。エネルギーを巡って大きな転換点に来ているように感じられる。

 エネルギー問題の今後を占ううえで、地球温暖化対策の動きと併せて、同構想についても注目しておきたい。

日韓友好が“演出”される理由

2006-03-22 22:30:20 | Weblog
 ズビグニュー・ブレジンスキーは、カーター政権の時の大統領補佐官で、80年代以降の米国の外交政策に大きな影響を与えた人である。また、彼はポーランドからの亡命者であったので、ソ連の全体主義への痛烈な批判者でもあった。現在は、CSIS(国際戦略問題研究所)に所属し、時々ブッシュ政権に批判的なコメントをしているのが報道されたりする。

 さて、そのブレジンスキーの著書「地政学で世界を読む」(原著は97年刊行)は、米国の外交戦略の入門書的な本である。911以降の対テロ戦争を経た後ではさすがに古すぎる感じがあるが、ポーランドやウクライナ等へのEUの拡大戦略を唱えるなど、基本的なコンセプトは今読んでも充分に通用する内容である。

 今日は同書から、日韓関係に関する下りを紹介する。昨今の作られた日韓友好ブームを読み解く上で、参考になるのではないかと思う。

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 ブレジンスキーの朝鮮半島情勢についての地政学的分析は、要旨、以下の通りである。

(1)朝鮮半島が分断されたまま、豊かな韓国と貧しい北朝鮮の格差が拡大すれば、朝鮮戦争の再発の可能性が残る。その間、米軍は韓国に駐留し続けなければならないだろう。

(2)朝鮮半島が統一した場合を考えてみよう。米軍が駐留し続けることは、中国が許さないだろう。その場合、中国は統一を阻止するか、韓国に対して軍事力を行使する事も考えられる。

(3)一方、朝鮮半島から米軍が撤退した場合には、統一国家は中国の勢力圏に入ってしまうだろう。その場合、日本が、東アジアにおける唯一の米軍基地を提供し続けるリスクを負うのも難しくなる可能性がある。

(4)そうなると、米軍の東アジアでのプレゼンスは大きく後退してしまう。


 以上のような考察を元に、ブレジンスキーは次のように述べている。


 「日本と韓国が本当の意味で和解すれば、最終的にどのような形で朝鮮半島が統一するにせよ、その背景となる地域環境を安定させる点で、大きな前進になる。」
 「この和解を進めるうえで、アメリカは決定的な役割を果たせる。ドイツとフランスの和解、そのあとドイツとポーランドの和解に使われた具体的な方法(大学の学術交流から軍隊編制の統合にいたる)をほぼそのまま適用すればいい。」
 「日本と韓国が包括的な協力関係を結び、アジアに安定がもたらされれば、朝鮮半島の統一後も、アメリカは東アジアでの力を保ちやすくなるだろう。」


 奥歯に物の詰まったような表現ではあるが、分かりやすく言うと、「日本と韓国が政治的・文化的・軍事的に統合が進めば、アメリカは、日本を通じて統一朝鮮半島国家に影響力を行使できるようになる。そうすれば、統一国家が中国の支配下に入るのを阻止することが出来る」という事なのだろう。

 これが、日韓友好が“演出”される理由の、国際政治の視点からの解釈である。

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 それにしても、アメリカというのは開けっぴろげな国である。「ドイツとフランスの和解、そのあとドイツとポーランドの和解に使われた具体的な方法をほぼそのまま適用すればいい。」などと、内政干渉の事実をあたかも自分たちの手柄のように言うのだから。

 我々日本人としては、「和解に使われた具体的な方法」とやらを良く研究し、日韓間に「具体的な手段」で内政干渉されないように、監視して行くことが必要だろう。

 私だって日韓でいがみ合う必要はないと思うが、だからと言って、何も他国のために、友好ムードを人工的に作り上げる必要などないではないか。

北朝鮮帰国事業、日本人妻、そして拉致問題を主導する人たち

2006-03-21 16:04:47 | 政治
 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の建国から現在に至るまで、日本の政治における対北朝鮮外交のあり方を規定して来たのは、タイトルに記した3つの問題~帰国事業、日本人妻の里帰り問題、拉致問題~であると言っても過言ではあるまい。

 それほどに、この3つの問題は、時を変えて常に日朝間の懸案であった。そして、この問題に関わってきた人達には、あるつながりがあるように感じられるのである。


(1)北朝鮮帰国事業を推進した井上益太郎氏と萩原遼氏

 敗戦後、日本に残された在日韓国人・朝鮮人の処遇は大きな問題となった。韓国は同じ資本主義国同士であるのでまだ良いが、北朝鮮とは平和条約も結ばれていない。そのような状況で、帰国希望者への「人道的配慮」で始められたのが、「帰国事業」である。

 1959年に開始されて以降、1984年まで続き、帰国者の総数は99,339人に達したとされている。

 当時、日本政府が自由に北朝鮮と交流できない状況で、帰国事業の実施に中心的な役割を果たしたのは赤十字社であった。

 毎日新聞の「国際赤十字が乗り出す/近く代表が現地を見る/在日朝鮮人の帰国問題」と題する記事(1956.2.16)から引用する。

 「日赤では今まで赤十字の立場から在日朝鮮人帰国に努力すべきであるという基本線に立って研究していたが、複雑な国際情勢下では具体的な方法が見いだせなかった...このため日赤としてはこの実情を赤十字国際委員会に訴え同委員会の出馬を要請して日、韓、北鮮三赤十字の会談によって在日朝鮮人をそれぞれの希望する国に帰す以外には方法はないと考え、昨年暮以来国際委にそのあっせん方を依頼していた」(原文ママ)

 そして国際赤十字のあっせんも功を奏して、3年後の帰国実現に繋がるのである。

 赤十字における、帰国事業の直接の担当者は、外事部長の井上益太郎氏であった。井上氏は、国際赤十字や北朝鮮赤十字との交渉などに精力的に当たって、帰国事業の実現に取り組んでいたようである。

 井上氏が外事部長に就任したのは、55年のことである。戦前は外交官として各国に駐在し、戦後は極東国際裁判の弁護人も勤めている。外事部長に就任する直前には、外務省アジア二課で、「中共及び共産党特殊事務統括」の肩書きの嘱託職員として中国共産党研究に当たっていたという。
 当時は日本で共産主義が猛威をふるっていた時期である。52年には「血のメーデー」事件が起きている。肩書きから推測するに、井上氏は、共産主義勢力への対抗のための外交政策研究を行っていたのではないだろうか。そして、その具現化したものが、北朝鮮への帰国事業なのではないだろうか。

 韓国への帰国を選ばずに、北朝鮮への帰国事業に応じたのは、共産主義にシンパシーを持った人達が多かったはずだ。従って、そのような人達を北朝鮮に「帰す」ことは、当時伸張著しい共産主義勢力の力を削ぐために必要な政策であったと考えられるのである。

 なお、もちろん、帰国事業対象者は何も共産主義者に限らず、出身地が北朝鮮である事から北朝鮮を選んだ人も少なくないだろうが、出身地を優先して政治体制の異なる国を選ぶ人が多いとは言えないと思う。

 1962年に公開され、大ヒットした映画 「キューポラのある街」 amazonで、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国が好意的に描いているなど、当時は北朝鮮の共産主義社会を地上の楽園と捉えるメディアも多かったので、これらのメディアに触発された左翼指向の人が、帰国事業に応じるケースが多かったのではないかと推測する。

 ・・・・

 そして、このようなメディアにおける「地上の楽園」の宣伝に一役かったのが、1972年から赤旗の北朝鮮への特派員を勤めた萩原遼氏である。
 72年9月4日から連載された「平壌このごろ」という連載記事に掲載された記事を引用する。

〈男女平等の時代 完備された保育所〉
 「朝鮮ではこどもは生後まもなくから託児所、4歳からの幼稚園、そして十年の義務教育から高校、大学からみんなただだ。奨学金や衣服まで国から支給されます。こども一人の保育料が、私立なら月1万5千円という日本の生活からみたら夢のよう」


 このような宣伝に乗せられて、多くの人達が帰国事業に応じる事となったのであろう。なお、萩原氏が在日の人に実際に帰国を勧めたことが、別の記事で紹介されている。

(なお、本項は、張明秀氏「謀略・日本赤十字 北朝鮮『帰国事業』の深層」を元に記述している。ただし、同書の論旨とは異なる。)


(2)日本人妻の里帰り運動

 北朝鮮は「地上の楽園」ではないことは、帰国者からの手紙などですぐに在日社会に広まり、帰国事業への応募者は急減し、84年には終了することとなる。
 それと同時にクローズアップされてきたのが、日本人妻の里帰り問題である。日本人妻については説明の必要はないだろうが、在日朝鮮人と結婚し、一緒に「帰国」した日本人の妻が、親兄弟と会えなくなってしまったことから、日本に一時帰国させよう、という運動である。

 この運動に中心的役割を果たしたのは、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会(守る会)」と、「日本人妻自由往来実現運動本部」である。

 「守る会」の主要メンバーは、以下の通りである(抜粋)。

  ・代表 山田文明 大阪経済大学助教授
  ・名誉代表 小川晴久 東京大学名誉教授
    〃 金民柱
    〃 萩原遼 ジャーナリスト。
  ・事務局長 三浦小太郎
  http://homepage1.nifty.com/northkorea/

 萩原遼氏はこの時点では帰国事業に批判的な立場に転じ、日本人妻の里帰り運動を主導するようになったのである。

 もう一つの団体、「日本人妻自由往来実現運動本部」の会長は、江利川安栄氏である。別名を池田文子と言い、統一協会の副会長を務めた人物である。統一協会の関連団体である、世界女性平和連合の会長も務めている。
 この団体は、日本人妻に関する映画、『鳥よ翼をかして』(1985年)を製作するなど、この問題に深く関わっている。
 なお、統一協会が反共をスローガンとして活動していることは、よく知られているとおりである。


(3)拉致問題と「守る会」

 小泉首相の訪朝以降、日本人の拉致問題がクローズアップされることとなり、日朝間で大変な政治問題になったのは周知の通りである。拉致の被害に遭われた方々には、本当にお気の毒としか言いようがない。家族を突然奪われた気持ちは、想像するに余りあるものがある。

 そして、その拉致問題に熱心に取り組んでいるのは「救う会」である。「救う会」についても、説明の必要はないであろう。

 さて、その「救う会」であるが、会の活動に「守る会」の関係者が「協力」しているのである。「救う会」の「全国協議会ニュース(2002.5.10)」によると、当時、問題となっていた瀋陽日本領事館事件に関連して、「守る会」の三浦事務局長のことが以下のように紹介されている。

 「救う会の活動に献身的に協力して下さっているRENK(救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)役員の三浦小太郎さんからのメールを御参考まで転送します。(以下略)」

 三浦小太郎氏は、守る会の事務局長であり、RENKの役員を務めつつ、「救う会」の活動にも「献身的に協力」しているのである。
 なお、RENKという団体については、同ニュースで引用されている三浦氏のメールで、次のように説明している。

 「(RENKは)日本の地において、北朝鮮民衆に人権の光をもたらすべく、北朝鮮の民主化支援を行なっている市民団体です。貴国(中国)領内に越境する北朝鮮難民の問題には、重大な関心を持っております。」

 さらに余談であるが、三浦氏は、「現代コリア」編集部にも所属しているようである。
http://www.eshirase.net/tibet.htm

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 以上が、北朝鮮帰国事業、日本人妻里帰り、そして拉致問題を主導する人たちの、あるつながりである。そして、これらの、一見バラバラな活動を一つに繋げるキーワードは、「反共」なのである。

 それにしても、帰国事業は、多くの人達を大変な目に遭わせる結果に終わったと言えるだろう。赤十字や外務省は、真に人道的立場に立つならば、その政策決定の過程についても調査し、なぜそのような政策をとったのかについても明らかにすることが必要だと思う。

アメリカが支援した統一協会

2006-03-19 19:20:57 | 政治
 ソ連の共産主義は第二次大戦後、東欧、中国、アフリカへと急速に拡大した。米国財界は、その勢いに恐れおののき、何とか共産勢力の力を削ごうと、反共活動を支援した。その第一は、フランク・ブックマン博士のMRA運動(道徳再武装運動)である。MRAについては別の機会に解説することとしたいが、もう一つの反共組織、統一協会について触れたい。

 言わずとしれた事であるが、統一協会は、文鮮明教祖が、1954年に韓国で設立した宗教団体である。その日本支部が設立されたのは、1959年のこととされている。最初に伝道のために日本に渡ってきたのは、在日韓国人の西川勝氏である。別冊宝島掲載の西川氏のインタビュー記事(「統一協会よなぜ変わってしまったのか」)によると、数名のキーマンが日本への布教に重要な役割を果たしたことが分かる。

 以下、同記事から統一協会の「支援者」のエピソードを紹介する。

(1)笹川良一氏

 当初、西川氏は密航で日本に入国し、海上保安部に逮捕されるも逃走し、様々な職を転々としながら伝道する日々を送っていた。これに助けの手を差し伸べたのが、日本船舶振興会の笹川良一氏であった。

 笹川氏は、「戸田のボート練習用合宿所や施設を無料で貸してくれたり、色々と世話をして」くれたそうだ。さらに、密入国の西川氏が警察に捕まったときも、警察に「手を回してくれた」。警察に出頭した際に警察署長から開口一番に「笹川良一さんがそちらに来ておられるんですか?」と聞かれて、「手を回した」ことが分かったそうだ。

 さらに、笹川氏は当時の法務大臣・賀屋興宣氏等に対して「一生懸命に働きかけ」て西川氏の処分に手心を加えてもらう事に成功し、西川氏がいったん帰国した後に再入国すれば日本への永住権を与えるという約束を勝ち取ったそうである。

 笹川氏は、一密入国者の処分に対して、国務大臣に圧力を掛けるほどの協力を惜しまなかったのである。いかに笹川氏が統一協会を支援していたかが分かるエピソードだろう。

 なお、西川氏の説明によると、笹川氏と面識が出来た経緯は、笹川氏が「伝道していた統一教会の婦人」と偶然に知り合いになり、「その婦人を介して笹川氏と会」ったということになっているが、偶然を装うことは難しくない。 


(2)岸信介氏

 統一協会の日本支部は、西川氏が勤めていた時計屋の間借りからスタートしたが、その後、渋谷の高級住宅地・南平台に本部を構えることとなった。

 この本部は、「岸元首相が首相私邸として借りていた」もので、統一協会研究者の荒井荒雄氏によると、「当時、僕が見に行ったときにも首相私邸警備用のポリス・ボックスがまだ残っていた」という。

 岸信介は、笹川良一の盟友であるので、笹川氏から岸首相を紹介されたと考えることもできるが、西川氏の片腕で、後に統一協会会長ともなる久保木修巳氏に岸首相とパイプがあり、その縁で岸首相の私邸を借りることができた、と西川氏は考えているようである。


(3)立正佼成会

 上記の久保木修巳は、元々、立正佼成会の幹部であり、教祖・庭野日敬氏の秘書室長だった。久保木が統一協会に移ったのは、同じく立正佼成会の青年部長であった小宮山嘉一から誘われたからだという。

 このほかにも、立正佼成会から約40名が統一協会に移り、この精鋭のエリート達が、統一協会の勢力拡大に大きな役割を果たしたのだった。


(4)「安保」で繋がる岸・庭野・久保木

 (3)で「久保木氏と岸首相のパイプ」に触れたが、これについて西川氏は次のように説明している。

 「久保木は立正佼成会時代、日米安保闘争の際の体制側の学生代表で、岸首相とはパイプがあった」

 岸信介は、1960年の日米安全保障条約の改定の時の首相だった。

 安保騒動については説明するまでもない。5月20日に強行採決した後に混乱は加速し、6月19日に予定されたアイゼンハワー訪日の先遣隊として来日した、報道秘書官ジェームズ・ハガティーがデモ隊に囲まれて身動きが取れなくなり、ヘリで脱出を余儀なくされる騒ぎが起きた(6月10日)。さらに、6月15日には全学連主流派が国会に突入し、死者も出る惨劇が起き、6月18日には33万人のデモ隊が国会を囲んだ。

 この間、岸首相は何とか騒動を納めようと、笹川氏などを通じて、右翼、暴力団や宗教団体等を動員してデモを鎮圧しようとしたと言われている。これが、「久保木は立正佼成会時代、日米安保闘争の際の体制側の学生代表」だったということの意味である。

 推測ではあるが、おそらく、岸首相が庭野教祖に反デモ要員の動員を依頼し、その担当者として任命されたのが、久保木氏だった、ということなのだろう。

 これでわかるように、統一協会の初期の支援者は、「安保」で繋がっているのである。

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 日本での激しい反対にもかかわらず、「安保」を強行成立させ、日本とアジアを共産主義の浸食から守ろうとしたのは、米国の政財界である。岸・笹川の両氏は、日本の政界における米国の協力者であった。 

 そして、米国財界が世に広めようとした反共主義は、そのまま統一協会の教義となったのであり、そのため、米国は岸・笹川等の協力者を通じて、日本での統一協会の活動を支援したと考えられるのである。