立花隆といえば、日本を代表する評論家と言えるだろう。政治から科学まで幅広く発言するので、時にいい加減な事を言ってしまったり(谷田和一郎『立花隆先生、かなりヘンですよ』参照のこと)、脳死の問題からカルト風味の発言をしてしまったりもするが。まあ、環境ホルモン問題を世に知らしめた『奪われし未来』を日本に紹介するなど、まともな活動もしていると思う(笑)。
さて、そんな立花隆先生の若かりし日の、ちょっと興味深いエピソードを紹介したい(なお、記述は主に塩田潮『田中角栄失脚』を元にしている)。
・・・・・
立花隆はフリーライターとして執筆活動のかたわら、新宿のゴールデン街で「ガルガンチュア」という名のバーを経営していた。立花、31歳の時のことである。
バーの常連は出版関係者達。そんなある日、なじみのジャーナリスト、講談社の川鍋孝文氏(現在の日刊ゲンダイ社長)から、突然、外国行きの誘いを受けたのである。
川鍋曰く「イスラエル政府が毎年、日本のジャーナリストを数人、招待していて、その一人に選ばれたんだけど、実は突然、『週刊現代』の編集長に決まって行けなくなった。断るか、代わりを立てるかしなければならない。行かないか?」。
出発まで1週間足らずという急な話であったが、興味を持った立花は、イスラエル行きを決意した。
招待期間は2週間であったが、オープンチケットだったので、自費で滞在を延長し、中東を見てまわったのである。訪問先は、ギリシャ、オーストリア、トルコ、イラン、イラクなどであった。丁度その時、日本赤軍によるテルアビブ事件が起き、現地でジャーナリスト活動を再開したのであった...
・・・・・
私が興味を惹かれたポイントは、次の3点である。
(1)イスラエル政府が毎年、日本のジャーナリストを数人招待している。
ちなみに、旅費、滞在費は先方持ちのようである。
(2)その候補に、現在の日刊ゲンダイの社長が選ばれていた。
(3)(2)の候補者の都合が悪くなり、代わりに立花隆が行くことになった。
どの国の政府でも、自分の国の事を良く知ってもらいたいと思うのは当然である。そのために、外国のジャーナリストを招待し、自国の現状を見てもらいたいと考えるのも、自然である。むしろ、日本政府も見習って同じ事をやってみたらどうか、と言いたい位である。
ただし、招待されるジャーナリストの立場から見るとどうだろう? 外国の政府から「アゴ・アシ」付きで招待されて、その後、パレスチナ問題などを報道する際に公平な報道ができるのだろうか。学生ならともかく、当時現役の講談社の記者なのにである。ちょっと軽率すぎる気がするのだが。
さて、次に、立花隆の公表されているプロフィールを見てみよう。ウェブ上で一番詳しく経歴が紹介されていると思われる次のページから、該当する年次を抜粋したのが、下記である。
http://www.ttbooks.com/tachibana/nenpu/nenpu.htm
・・・・
1971年(昭和46年)31歳:新宿・ゴールデン街でバー「ガルガンチュア」を約半年間経営する。『思考の技術』(日経新書 5月)刊行。
1972年(昭和47年)32歳:「ガルガンチュア」の経営権を売却、イスラエルへ旅立つ。ヨーロッパ、中近東と放浪し、テルアビブ事件に遭遇。「週刊文春」に記事を発表し、言論活動を再開する。
1973年(昭和48年)33歳:菊入龍介の名で『日本経済 自壊の構造』(日本実業出版社 11月)を刊行
1974年(昭和49年)34歳:この年の前半、中近東を放浪。
・・・・
始めに紹介したエピソードは、1972年の項に書かれているが、「イスラエルへ旅立つ。ヨーロッパ、中近東と放浪し」たとしか書かれていない。これでは、自費で自分探しの放浪の旅にでも出たかのようではないか(笑。 ジャーナリストなのだから、もっと事実を正確に記述した方が良いと思えるのだが。
また、1974年にも「中東を放浪」しているようである。この時にはスポンサーはいなかったのだろうか?ちなみに、1974年とは立花隆の名を世に轟かせた「田中角栄研究」を執筆した年でもあるのだ。
田中角栄が失脚した説明としては、田原総一郎が主張している石油メジャーの「虎の尾を踏んだ」説が有名である。石油ショックを受けて、資源外交を展開したために米国財界の怒りを買った、という説である。
しかし、田中角栄は同時期に、国際政治的に非常に重要な方針表明を行っているのである。それは、アラブ支持を明確に打ち出した新中東政策である。そこでは、次のような方針を表明している(抜粋。田原総一郎『日本の政治』を参照)。
(1)(イスラエル)の武力による領土の獲得及び占領に反対する。
(2)第3次中東戦争の全占領地からイスラエルの全兵力を撤退させる。
日本としては、石油確保の必要があり、明確にアラブよりの姿勢を打ち出したわけである。これが1973年のこと。イスラエル政府が激怒したであろうことは想像に難くない。そして、立花隆の「田中角栄研究」が公表されたのは、このわずか1年後のことである...
さて、これは偶然なのだろうか?
さて、そんな立花隆先生の若かりし日の、ちょっと興味深いエピソードを紹介したい(なお、記述は主に塩田潮『田中角栄失脚』を元にしている)。
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立花隆はフリーライターとして執筆活動のかたわら、新宿のゴールデン街で「ガルガンチュア」という名のバーを経営していた。立花、31歳の時のことである。
バーの常連は出版関係者達。そんなある日、なじみのジャーナリスト、講談社の川鍋孝文氏(現在の日刊ゲンダイ社長)から、突然、外国行きの誘いを受けたのである。
川鍋曰く「イスラエル政府が毎年、日本のジャーナリストを数人、招待していて、その一人に選ばれたんだけど、実は突然、『週刊現代』の編集長に決まって行けなくなった。断るか、代わりを立てるかしなければならない。行かないか?」。
出発まで1週間足らずという急な話であったが、興味を持った立花は、イスラエル行きを決意した。
招待期間は2週間であったが、オープンチケットだったので、自費で滞在を延長し、中東を見てまわったのである。訪問先は、ギリシャ、オーストリア、トルコ、イラン、イラクなどであった。丁度その時、日本赤軍によるテルアビブ事件が起き、現地でジャーナリスト活動を再開したのであった...
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私が興味を惹かれたポイントは、次の3点である。
(1)イスラエル政府が毎年、日本のジャーナリストを数人招待している。
ちなみに、旅費、滞在費は先方持ちのようである。
(2)その候補に、現在の日刊ゲンダイの社長が選ばれていた。
(3)(2)の候補者の都合が悪くなり、代わりに立花隆が行くことになった。
どの国の政府でも、自分の国の事を良く知ってもらいたいと思うのは当然である。そのために、外国のジャーナリストを招待し、自国の現状を見てもらいたいと考えるのも、自然である。むしろ、日本政府も見習って同じ事をやってみたらどうか、と言いたい位である。
ただし、招待されるジャーナリストの立場から見るとどうだろう? 外国の政府から「アゴ・アシ」付きで招待されて、その後、パレスチナ問題などを報道する際に公平な報道ができるのだろうか。学生ならともかく、当時現役の講談社の記者なのにである。ちょっと軽率すぎる気がするのだが。
さて、次に、立花隆の公表されているプロフィールを見てみよう。ウェブ上で一番詳しく経歴が紹介されていると思われる次のページから、該当する年次を抜粋したのが、下記である。
http://www.ttbooks.com/tachibana/nenpu/nenpu.htm
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1971年(昭和46年)31歳:新宿・ゴールデン街でバー「ガルガンチュア」を約半年間経営する。『思考の技術』(日経新書 5月)刊行。
1972年(昭和47年)32歳:「ガルガンチュア」の経営権を売却、イスラエルへ旅立つ。ヨーロッパ、中近東と放浪し、テルアビブ事件に遭遇。「週刊文春」に記事を発表し、言論活動を再開する。
1973年(昭和48年)33歳:菊入龍介の名で『日本経済 自壊の構造』(日本実業出版社 11月)を刊行
1974年(昭和49年)34歳:この年の前半、中近東を放浪。
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始めに紹介したエピソードは、1972年の項に書かれているが、「イスラエルへ旅立つ。ヨーロッパ、中近東と放浪し」たとしか書かれていない。これでは、自費で自分探しの放浪の旅にでも出たかのようではないか(笑。 ジャーナリストなのだから、もっと事実を正確に記述した方が良いと思えるのだが。
また、1974年にも「中東を放浪」しているようである。この時にはスポンサーはいなかったのだろうか?ちなみに、1974年とは立花隆の名を世に轟かせた「田中角栄研究」を執筆した年でもあるのだ。
田中角栄が失脚した説明としては、田原総一郎が主張している石油メジャーの「虎の尾を踏んだ」説が有名である。石油ショックを受けて、資源外交を展開したために米国財界の怒りを買った、という説である。
しかし、田中角栄は同時期に、国際政治的に非常に重要な方針表明を行っているのである。それは、アラブ支持を明確に打ち出した新中東政策である。そこでは、次のような方針を表明している(抜粋。田原総一郎『日本の政治』を参照)。
(1)(イスラエル)の武力による領土の獲得及び占領に反対する。
(2)第3次中東戦争の全占領地からイスラエルの全兵力を撤退させる。
日本としては、石油確保の必要があり、明確にアラブよりの姿勢を打ち出したわけである。これが1973年のこと。イスラエル政府が激怒したであろうことは想像に難くない。そして、立花隆の「田中角栄研究」が公表されたのは、このわずか1年後のことである...
さて、これは偶然なのだろうか?