やぎのブログ(日記編)

宇宙の最新情報ヽ( ・◇・)人(・◇・ )ノ世界の愛と平和

大地震から1年~3月9日の記録

2012-03-06 19:45:29 | 日記
東北地方太平洋沖地震からもうすぐ1年になろうとしています。
ご無沙汰しています。管理人のやぎです。
「震災から1年」という表現を使わないのは、未だに原発事故が収束せず、放射線の風評被害がさらに被災者を追い詰めている現状では、震災は現在進行中だと思うからです。

幸いなことに、私は震災の前と変わらない生活を送ることができています。
そんな中、自分の中であの時の記憶を風化させないために、見たこと、体験したことを少しばかり記してみようかと思います。
今日から少しずつ思い出しながら取り留めもなく書いてみます。



今回は、話を3月9日から始めたいと思います。

2011年3月9日、私は仙台で仕事をしていたときでしたが、足元から地響きのような振動を感じました。
「地震?」と思い、隣にいた上司と何となく目が合った時、やや強い横揺れが起こりました。

その頃妻は、息子とまだ生まれたばかりの娘を連れて自宅まで歩いて帰る途中だったようですが、気づかなかったということです。
マンションに着いて、「結構大きな揺れでしたね」と管理人さんに話しかけられるまで知らなかったそうです。

私は仙台に約10年住んでいます。
「宮城県沖地震」…約30年周期で起こる大地震がいつ来てもおかしくないという意識はありました。
宮城県でなくとも、日本に住んでいればいつどこで大きな地震に襲われてもおかしくないのですが、殊の外宮城県は地震に対する意識は高かったと思います。
震災前も、宮城県の夕方のニュースでは、毎日24時間以内に起きた地震の震源の立体分布図が紹介されていました。
また、宮城県北部地震や岩手宮城内陸地震等、近年大きな地震を度々経験していました。
我が家でも、災害時の「避難持ち出し袋」やその他の防災用品を準備していました。
実際に避難の際、そしてその後の生活の中で非常に役に立ったし、逆にこういう準備もすべきだったという反省もありましたが、それについては後程…。

実はこの少し前、自宅マンションの同じ階で火災が発生したと警報が鳴ったことがありました。
結果的に誤報だったのですが、とてもよいシミュレーションになりました。
当時は高層階に住んでいたので、子供2人を連れて階段で降りたのですが、こうした状態で運び出せる荷物の量には限界がありました。
そして、子供とともに、自宅前の駐車場の車の中にとりあえず避難したのですが、東北の冬は寒い!!!
避難袋の中身をもう一度見直し、車の中にも防寒具や食料等を置いておくことにしました。

3月9日の地震の後、何度か弱い余震を感じました。
「宮城県沖地震が来るかもしれない」
大きな地震が来たら、ガス漏れや漏電等でマンション火災が起こる可能性もあります。
火災報知器誤作動の際の体験で、子供を連れて部屋を往復するのは困難だと痛感したので、もしも大きな地震が来たら避難所で様子を見ようと妻と話し合いました。
3月9日の地震は、来たる11日の大地震に備えるよい機会となりました。
まさか巨大地震の前震だったとは思いもよりませんでしたけど。