わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから抜けられない爺が日々の出来事や想いを書いてます
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少し考えてみた

2023-03-03 19:55:03 | ウチの子たち

今日は、パパがわたしとむくのことでまたあまり楽しくないことを書きました。暗い話、面倒くさい話はイヤと言う方はスルーした方がいいと思います。
でも、写真だけは見てもらえるとうれしいです。
いつまでもウジウジなパパですみません。
by Bois

ぼあちゃんが亡くなってもうすぐ1年。でも、未だに儂の気持ちは「曇り時々雨所により晴れ」みたいな感じ。もちろん、亡くなって間もない頃に比べれば晴れ間も増えて来てるけど、ゲリラ豪雨の時もある。
そして、元々の心配症がパワーアップしたのか、毎日心配と不安で胸がざわざわして落ち着かない。実は、今一番辛いのはこれかも。

これって、何なんだろうなって思って、少し考えてみた。


なぜ悲しいんだろう

儂、未だに文字通りの「愛別離苦」でなかなか浮上できないんだけど、なんで愛する命を亡くすと悲しいのかなということをずっと考えてる。
もちろん結論は出てない。でもやっぱり一番の理由は、同じ世界、同じ次元にいられない、つまり、会えない、姿が見えない、触れられない、声が聞けない(ぼあちゃんもむくちゃんも鳴かなかったけど)、同じ空気を吸えない、気配を感じられない等々なのかなと思う。同じようなことは確か前にも書いたかな。
また、ぼあちゃんを長生きさせてあげられなかったことについての後悔が山のようにある。特に自分勝手で独りよがりのお世話をしてしまったというのが最大の後悔。でも、それが悲しみに結びついてるかどうかは、実は自分でもちょっとわからない。
あと、亡くなった命そのものを哀れんで悲しいということもあるのかもしれない。つまり、ぼあちゃんが可愛そうということ。ただ、間違いなく生者必滅なのだから、命が無くなること自体は悲しむべきものではないと思っているし、少なくとも頭ではそう思えているので、儂にはこの感情はあまりないように思う。まあこれは亡くなったあの子の立場ではなく、あくまでも自分のことしか考えてないと言うことにもなるんだろう。儂らしいと言えば儂らしいのかもしれないな。


レオパ達のこと

儂、ぼあちゃんが我が家の家族になってから、あの子のことしか見えなくなっていた。そのために、むくちゃんを初めレオパ達のことが疎かになっていた。これは紛れもない事実。実際、ある方から「ブログにはぼあちゃんのことばかりでレオパのことは書いてないんですね」というコメントをいただいたことがある。この時は自分でもドキッとした。でも、その後も何も変わらなかった。
むくちゃんが亡くなったのはぼあちゃんが亡くなってから2ヵ月半ほど後だけど、ぼあちゃんが亡くなった頃には、むくちゃんはもう大分調子が悪かったんだと思う。でも、ぼあちゃんが調子を落とした頃から少なくとも亡くなるまでの間は、もうレオパ達のことどころじゃなかった。そしてぼあちゃんが亡くなったことで、儂はさらにあの子達のことを考えられなくなってた。むくちゃんが亡くなったのは、明らかにそれも原因。
もう少しレオパ達のことを気遣っていれば、もしかしたら病院に連れて行くとか、そういうこともできたんだろうと思う。だから、むくちゃんには申し訳ない気持ちでいっぱい。
もしかしたらむくちゃんは、「このままじゃダメよ~」って、身をもって儂に教えてくれたのかなとさえ思ってる。

とは言え、ぼあちゃんが最優先なのは、本心では今でもあまり変わっていのかもしれない。だって、先の「なぜ悲しいんだろう」でも「あの子」と書いていて「あの子達」とは書いてない。
それでも今はレオパ達のお世話に一生懸命。それは罪滅ぼしという気持ちもあるのかもしれない。そして、自分勝手や独りよがりのお世話にならないように気をつけてる。これはぼあちゃんから教えてもらった大切な教訓。うーん、やっぱりここでもぼあちゃんが出て来るんだよね。。。


寿命

先にも書いたように、「生者必滅」だから亡くなるのは仕方がない。でも、儂にとって問題は亡くなる年齢。やはり、どうしても一般的に寿命と言われている年齢までは生きてほしいと思ってしまう。
フトアゴやレオパはいくつ位が寿命なのか。まず、フトアゴの寿命はあまりはっきりしていなくて、いろいろなことが言われている。例えば、
フトアゴヒゲトカゲの寿命は6〜10年ほどだと言われることが多いですが、しっかりと飼育することができれば10年以上生きることがあります。

フトアゴヒゲトカゲの寿命は一般的には6〜8年程度ですが、飼育環境が良ければ10〜15年程度生きることもあります。
等々。
ぼあちゃんが亡くなる前に獣医さんに診てもらっていた時の先生と儂の会話。
先生「この子いくつ?」
儂「多分、5歳位です」
先生「4歳から6歳で亡くなる子は多いよ」
先生の言う通りであれば、5歳で亡くなったぼあちゃんはなんとか寿命を生きたと言えるのかもしれない。でも、10年近く生きる子もいるのであれば、せめてあと2、3年は生きてほしかった。自分がそういう環境を整えられなかったことを悔いる気持ちが、時間が経てば経つほど強くなっている。
また、レオパの寿命は15歳位と言われている。でも、むくちゃんは7歳半で亡くなった。寿命と言われている年齢の半分だよ、半分・・・。
ぼあちゃんばかりに気をとられていたために、むくちゃんをこの年齢で死なせてしまった。それなのにそれなのに、そのぼあちゃんも5歳までしか生きられなかった。。。
いくつで亡くなっても悲しいことに変わりはないし納得もできないだろう。でも、せめて自分が思う寿命くらいは生きないと、どうしても何かしらの悔いが残る。今はその悔いが抜けないトゲのように心に刺さってる感じ。


漠然とした恐怖

ぼあちゃんは儂の思う寿命まで生きられず、むくちゃんは寿命の半分しか生きられなかった。しかもほとんど続けて亡くなってしまった。もうああいう思いは二度としたくない。この気持ちはもの凄く強い。だから、きょろちゃん、しおちゃん、らぷちゃん、オリハちゃんにはどうしても寿命と言われる年齢まで生きてほしい。きょろちゃんはあと7年、しおちゃんはあと8年、らぷちゃんはあと9年、オリハちゃんは、一般に言われている寿命の幅が大きいのではっきりとはわからないけど、あと10年か。
ところが、ぼあちゃんとむくちゃんを亡くしたことがとても大きな傷になっていて、残ったこの子達が明日にでもいなくなるんじゃないかという思いが常に頭から離れない。それがもの凄く怖い。だから、どうしてもこの子達のことを必要以上に心配する。些細な事までとても気になる。この子達のお世話を一生懸命にすればするほど、細かく見れば見るほど怖さが増してくる感じがする。でも、もしそれをやめてまた早く亡くなったら、必ず後悔する。


きょろ(2033/1/27 20:33) しお(2023/1/2 7:43)
らぷ(2023/2/24 19:33) オリハ(2023/2/26 19:21)


まとめてみると

あの子達が亡くなって1年にもなろうとしているのに、儂の気持ちが未だに「曇り時々雨所により晴れ」なのは、
  • ぼあちゃんしか目に入らないくらいにあの子を溺愛してお世話をしていたのに、儂が思っていたほど生きられなかった。
  • ぼあちゃんに長く生きれる環境を提供できなかったことに大きな悔いが残ってる。
  • ぼあちゃんに夢中になり過ぎたせいでむくちゃん達のことが疎かにり、むくちゃんも寿命の半分ほどで亡くなってしまった。
  • その後悔や罪滅ぼしの気持ちあって、きょろちゃん、しおちゃん、らぷちゃん、オリハちゃんのお世話をしてる。でも、ぼあちゃんとむくちゃんを亡くした傷が大きくて、一生懸命になればなるほど、この子達もいなくなってしまったらという思いが強くなってしまう。
と、こういうことなのかな。すべては儂がぼあちゃんを溺愛したことから始まってる。で、ぼあちゃんがいなくなった今でも、未だにそれが変わってないというわけだ。でも、たとえ今ぼあちゃんのことを忘れることができたとしても、もうそれだけじゃ解決しないところまで来てるのかなあ。


そしてママがこんなことを言った

「人に飼われている環境で長生きするのが、この子達にとって本当に幸せなことなのかどうかはわからないよ。」

儂、これを聞いて、確かにそうかもしれないなと思い、またいろいろ考えた。もしママの言う通りであれば、寿命まで生きてほしい長生きしてほしいと言うのは、儂の身勝手な思いなのかな。もちろんあの子達とできるだけ長く一緒にいたい。でも、それに拘り過ぎる儂はやっぱり欲張り過ぎなのかもしれないな。
さらにこんなことも思った。
ぼあちゃんとは3年4ヵ月しか一緒に過ごせなかった。でもその年月は儂の人生の中でも1、2を争うくらいの幸せな時間だった。むくちゃんだって、あの子の寿命の半分しか一緒にいられなかった。でもやっぱりたくさんの楽しい時間をもらった。本当はこれで十分満足なんだ。十分幸せなんだ。
少欲知足、これは儂がいつも思ってること。そしてなにより、いつまでも「曇り時々雨所により晴れ」じゃあ、ぼあちゃんにもむくちゃんにも、そして今いる子達にも申し訳ないなと、あらためて思った。

怖いなんて言ってないで腹を据えなくちゃだめだし、それ以上に「生者必滅」ということをもう一度よく考えなくちゃだめだな。
すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか。
中村元 訳「ブッダ最後の旅」(P.146)岩波文庫

今日は雛祭り。雛祭りは、元々「子供の災厄を払い、健康・健全に育つことを願って行う行事 」だから、こういうことを書いてみるのもいいかなと思った。



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6 コメント

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こんばんは... (himesijimi)
2023-03-03 20:40:37
こんばんは...
以前、と言いましても私がまだ小学生の頃の話ですが...
冬季に木々の葉に止まり越冬するウラギンシジミのつがいを見付け歓び勇んで家に持ち帰った時、実母に...

「自然に生きるものは、自然のなかに居るのが一番幸せなの...」と言われ、屋外に放すよう勧められた...

そのことを思い出しました。
虫の飼育観察をするときはいつもその言葉を思い出すのですが...
それでも、傍に置き飼育したい...
その想いがどうしても...
ですね...
返信する
Unknown (ninomiki)
2023-03-03 21:02:02
こんばんは(^-^)
私も今 ニノさんのお腹が過去イチ酷くて
「もっと最初の頃からやりようがなかったのか」とかいろいろ考えてしまい 涙が出る思いです…
パパさんの話とはまた種類は違うとは思いますが いろんな考え、意見がある中で
やはり自分で考えて折り合いがつけられる思い?を探しつつ 進んだり下がったりして過ごしていくものかな、と、思います。
ちなみに私も超インドア派です。(^^;)
返信する
Unknown (mamesuama)
2023-03-04 02:36:18
人間だとわかりやすい気がしますが、全ての人が寿命を全うできるわけでもないはずです🤔寿命までいけたら運が良いイメージだけど、期待はしたい気持ちはわかります🥺複雑ですよねー。複雑なのにパパさんは全てを自分の責任と理由づけしようとしているように思います😢
それよりも、ぼあちゃんとの記憶を大事にしながら、今いる子たちに快適で楽しい生活のために向き合ってあげてください😃私もがんばります!
返信する
>himesijimiさん (Tristan)
2023-03-04 08:31:30
私もお母さまの言われる通りだと思います。
前にも書きましたが、やはり人間は他の動物の命に介入してはいけないんだと思います。
でも、今この世にいる動物の何割かは、人間に飼われることを目的として生を受けていますから、そういう命に対してはきちんと責任を負わなければいけないんだと思います。

去年の12月に家族になったオリハも、本当は野生なので最初は逃がそうかとも思いました。
でも、季節も季節で、どこからやってきたのかもわからなかったのでそのままになってしまいました。
多分、もう野生では生きていけないので、このまま責任を持って飼い続けようと思っていますが、それがあの子にとって幸せだったとは思えないんですよね。
返信する
>ninomikiさん (Tristan)
2023-03-04 08:42:47
ninomikiさんの今のお気持ち、めっちゃわかります。

仰る通りで、結局は自分で自分の気持ちに折り合いをつけていくしかないんですよね。
動物を飼ってる方って、実はいろんな飼い方(その動物との付き合い方と言った方がいいかもしれません)があるんだろうなと思います。
特に、哺乳類以外を飼ってる方は、いわゆる「趣味」で飼われてる方も多いんだなと、あの子が亡くなってから気づきました。
でも、私の場合、趣味じゃなかったんです。
多分、そこが事を面倒にしてる一つの要因なのかなと、最近思っています。

ニノさんが1日でも早く治りますように。
余計なお世話だと思いますが、一つだけ。
あくまでも一般論ですが、一つの抗生剤を使って効果が見られなければ、抗生剤の種類を変えた方がいいのかなと思います。
本当は、起炎菌がその抗生剤に感受性があるかどうかを調べるともっとハッキリするのですが、そこまではやらないんでしょうかね。
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>mamesuamaさん (Tristan)
2023-03-04 08:49:14
ありがとうございます。

mamesuamaさんの言われること、いちいちもっともだなと思ってしまいます。
いつもそうですけど(^^;
ただ、ぼあちゃんを亡くしたことが、私にとってはそれだけ衝撃だったんだなと、今更ながら思ってるんですよね。
やっぱり今の気持ちの大半がこのことから派生してるんだと思います。
ちょっと違う言い方をすると、なんとかしてこのことを納得したい、折り合いをつけたい、そのために湧いてきてる、言わば後付けの気持ちなのかもしれません。

とにかく、ぼあちゃん、むくちゃんのためにも、今のいる子達のためにも、頑張ります。
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