おげんきですか? れいです。
大掃除というのは家じゅうのホコリやらヨゴレやらを
きれいさっぱりなくすこと
その行事が終わって新しい年を迎え
お正月に神様からその年1年分の福を落としてもらうという
あの日以来頑張ろうと思っても結局掃除機をかけられない
来年 福は落としていただけるのかしら?
まずはホコリを落とせ、って叱られそうだな
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ウチとご縁がある子には役割があって
息子は家族として一纏まりになったのを見届けて虹の橋へ
娘は最後 まだ余力がある内に私たちの顔を15秒ずつ見つめて
「大好き、もっと一緒にいたかった、私がいなくなっても仲良く笑ってて」
と言い残した
りとは兄姉から私たちの様子を確認してくるように言われたんだと思う
虹の橋のたもとでりとと再会した兄姉は
「ボスとママは兄姉の言ってた通りずっとなかよしでした♪」
というりとの報告を聞いてどう思っただろう
知ってたけどほっとした?嬉しかった?
真相は迎えに行くまでわからない
1才くらいの頃のものですが
カメラを向けると起動音でこちらを向いてしまったり
どこかへ歩いて行っちゃうことが多くて
なかなか写真を撮る機会に恵まれなかったんですが
りとは兄姉を交互に見つめてお話しをしていることがよくありました
これは生後2カ月半で我が家に来てから今年まで、ずっと続きました
りとが兄姉のところに帰ってからも
「よく3人でここで話してたよな…」とボスも言うほど
あの子たちの”作戦会議”はよく見られました
私が朝お線香を手向けているとひょいと膝に乗ってきて
「りとも♪ りとも一緒になむなむってするです。」
ということもありました
11月21日 真夜中。
あのままりとが虹の橋へ向かってしまったら
その後ボスはまともに仕事できただろうか?行けただろうか?
ボスは23日は仕事の予定だったけれど
会社から連絡が入り何故か急に休みになった。
もう1日頑張ってくれれば、
おそらく看取れるし、
さらに1日一緒にいられる。
21日レインボーブリッジに「両足を」かけたところで
後ろから大きな声で何かをわめく私たちの声が聞こえて
もう少しだけ頑張らないといけないと思ったんじゃないか。
生還という言葉があるけれど
あの日のりとはまさに生還だった。
あの状態で戻ってきてくれることは、そうあることじゃない。
”経験上”覚悟もした瞬間だった。
でもりとは
姉がボスの仕事にミラクルをかけ
神様に
「あと1日でいいから!1日でいいから!!」
と必死にお願いをする中
忘れ物を取りに戻るように
全速力で
”いったん”帰ってきた。
翌22日虹の橋のたもとへ向かったけれど
りとはきっと
「お兄ちゃんとお姉ちゃんが言ってた通り、
ボスとママはいつも仲良しでした♪」 …と
私たちにポンとスタンプを押すように
11月22日に旅立ったのだろう。
兄姉は笑いながら「できすぎ(笑)」とりとを出迎えただろうか
息子は私たちの結婚記念日、11月29日に旅立った。
この日まで一緒にいられるんじゃないか、
りとがあっちに行くならお兄ちゃんと同じ日を選ぶんじゃないか。
2人とも”ゴール”をぼんやりこの日と勝手に定めていて
実際は1週間も早かった。
りとはボスが帰るのを頑張って待ったんだと思う。
最後の3~4時間くらいは朝食べた鶏むね肉をほんの少量ずつ
1時間おきに吐き、
最後も同じ状態でそのまま突然亡くなった。
-いい?りと
ママはね?
お兄ちゃんが亡くなったときにすっごく泣いてたの
お兄ちゃんをお膝に抱いて
ママはずっと声をかけてた
私は後ろからママの様子を見てて
ああ、向こうに帰るときはこんなにママを悲しくさせるんだって思ったの
だからせめて
私は顔見せないでおこうと思って、そうしたの
りともボスとママに
最後、顔見せちゃだめよ?
最後に見るのがあんなに悲しい顔って
私たちまで悲しくなるもんなのよ
かお、みせちゃだめ
がんばってね
娘とりとのそんな会話が聞こえてきそうだ、と
初七日まで何度も何度も思って泣いた
りとはゲージの中で私たちに顔を見せず、
座って向こうをむいたままの最後だった。
抱っこしててやりたかった
抱っこしててやりたかったよ、りとちゃん