語ってられる人らのいい分より、語る場にすら居合わせずに済ませた連中の狙い目の方にこそ思い馳せねば意味がない。
言えないほどの理由由来で、事態は起こされ実働させられてるのだから、悪辣さが濃い。
黙って流、であるならまだマシである。
故に説明を求めるとガンと言い張るにもそれなりには波動は送れる。
役者を殴れても戯曲家は痛くない。
責任というのは基本的にはとれない。
だから慎重であるべきであるのと、しでかさないという自重が肝心となる。
それらを損なわせ、強行されても原状回復は出来ないし、され損にあてがえる代替はない。
故に暴挙はおぞましく、卑怯で、横暴と忌み嫌われる。
妄想も個人の内側にあるうちはまだ見逃せよう。
一旦自分の外でそれをする時、巻き込まれる世界がある。人も巻き込む。
責任を負いかねるそれはもはや害である。
主張ではない、腕づく。
それが妄想由来というやりきれなさに周囲は愕然とする。