リリコ雑記

徒然なるままに、思いつき日記。

茶々がいなくなって、二週間が経ちました。

2012年07月25日 18時01分41秒 | にゃんこ画像


茶々が死んだその日は、とてもよい天気でした。


真っ青な朝の空。


でも、私の部屋の隅で、茶々は短い人生を終わらせたのです。

それも、三日三晩苦しんで、最後は息が詰まったように、亡くなりました。

あと、一か月と一週間もすれば、誕生日。


茶々は桃と共に6歳を迎えるハズでしたが、それは叶わない夢になりました。


以前、私は茶々にそっくりな気性の“ちぃ”というにゃんこさんを死なせてしまいましたが、

(←事故死)彼女に続き、茶々までをも失い、どん底の気分です。


私はまた、間違ったのだと思いました。


でも、今は傍に桃がいてくれて、助かっています。

彼はマイペースで、大人しくて、でも我が強いにゃんこさんですが、

私の自慢のにゃんこでもあります。


茶々と桃は同じ日に生まれた兄弟で、ずっと一緒に生きてきました。

ご飯を食べる時もあったし、一緒に寝てることもあったし、喧嘩もしょっちゅうだったけど、

また隣で寝ていたりと、微妙な距離感を持ちながら、一緒に生活していました。

茶々と桃は同じ兄弟でありながら、まったく違う性格をしていて、

二匹並ぶと、とても高級感が漂ってて、私は本当に、幸せでした。


そんな茶々の面影だけを偲び、なんとか生活しています。

今、彼がここにいない現実を考えると、あまりに辛いからです。

あの小さな頭をなでてやることも、抱っこしてやることも、一緒の布団で寝ることも

もうないのだという喪失感は、私を押しつぶしてしまいそうになるからです。


それに、同じ兄弟の桃はまだ生きています。

父曰く、昼間の桃は寂しそうにしているらしいのですが、残された彼を放っておいて、

茶々の思い出に浸ってばかりじゃいられないから、敢えて、

思い出だけに抑えておこうと思っています。




茶々が死んだその瞬間、大声で彼の名を呼び、泣きました。

その瞬間が、あまりにもはっきりと分かってしまって、そして、

遂にその瞬間が来てしまった恐怖で、パニックになりそうでした。


私の鳴き声で、母が起きてきたので、「茶々が死んだよ」と伝えました。

三日三晩、苦しみぬいて死んだことを母も知っていたので、二人でしばらく泣きました。


少し、落ち着いたところで、二人で茶々の写真を携帯で撮りました。

茶々は死んでも縫いぐるみのようで、それが悲しくて、また泣きました。


いっぱい泣いて、少し、また気分が落ち着いたところで、茶々が失禁していたことに

気がつきました。

そういえば、病院から帰って、一度もトイレに行ってなかったっけ。

と思い出しましたが、瀕死の状態の茶々がトイレに行ける余裕なんてなかったから、

当然と言えば当然かもしれません。

息が詰まったその瞬間、今まで溜まっていたものが出たのでしょう。


改めて部屋の明りをつけてみたら、茶々が伏せっていた場所にも失禁の跡があり、

その部分の掃除と、茶々の体をきれいにすることにしました。

目やにも、あごの部分についた涎も、失禁で汚れた脚も、拭いてきれいにして、

生前よくそうして寝ていたように、しばらく、寝かせておくことにしました。


実は、午前中、父のところにお弁当を届けなければならず、その準備に入りました。

外出するから、顔を洗って、メイクもしよう。


振り返って、寝ている状態の茶々に声を掛け、廊下を出た途端、たまらなくなって、

また大声で泣きました。



今寝ている姿の茶々が、死んでいて、もう私の声に反応することもないのだと、

そう思ったら、泣けてきて、止まりませんでした。




時間も無くなってくるので、気持ちを切り替えて洗顔。

でも、泣きすぎて、真っ赤に腫れたような両目はなかなか酷いもので、

メガネをかけて誤魔化すことに。


母と二人で出掛け、父の元に、弁当を届けにいきました。


帰ってきてから、母は、茶々のためのお墓を作ってくれました。

うちは田舎で、ちょっとしたスペースがあるので、にゃんこのお墓を作る場所があり、

以前、ちぃもココミも、そこに埋めた経緯があります。

今度は茶々です。

外はとてもいい天気でしたが、一つ気になったのが、桃でした。

あの青い瞳で、茶々を埋める場面を見られたくないな、と思い、

周囲を見回しましたが、桃の姿はなく、安心して、作業に没頭しました。


茶々の埋めた場所からは家が見えるし、見晴らしもいいし、とてもいい場所です。

母はつぼみ状態の黄色い花を、一緒に供えていました。


埋葬が終わり、玄関に戻ってから、もう一度茶々のお墓を確認しようと振り返った、その時。

まっ白い桃の姿が見えて、ドキリとしました。

桃は、茶々のお墓のすぐ近く、木材が一時的に置かれていか影から、

するりと姿を現したのです。

思わず、「見られていたのか」と思いました。


思えば、茶々が亡くなる数日前から、桃は、私の部屋には近寄ろうとすらせず、

茶々が死んだその時も、まったくどこにいるのか分からない状態でした。

だから、桃がいない間にすべてを済まそうと思っていたんだけど、

そこは動物なんだな、と思います。

きっと、桃はすべてを見ていて、全部分かっていたんだと思います。


この手で埋葬しても、もしかしたら全部それは悪い夢で、本当は生きているんじゃないかと

そんな幻影を追いながら、でも、現実はそうじゃなくて。


その日の夕方は雨が降り、母は「涙雨」だと言っていました。


本当のお別れなんだと思うと、涙腺が壊れそうで、たまりませんでした。



その日の4時半頃。

動物病院に電話を掛けました。

院長先生が出たので、茶々が亡くなったことを告げました。

「そうだと思いました」

と院長先生に言われ、カルテやレントゲン写真を見たんだなー。

って思いました。

本当は文句を言いたかったし、恨みごとをぶつけてやりたかったけど、止めました。


院長先生は本当にいい人で、だから、言う気にはならなかったのと、

それを言っても、茶々は戻ってこないからです。

この病院に通って、一週間で、茶々は亡くなりました。


実は、不治の病に罹っていたとか、もう長くないから覚悟してくれとか、

一週間前に言われたのなら、それなりに覚悟はするだろうし、こんな気持ちにはならない。


でも、

ただの夏風邪で、すぐに治るって言われて、

それなのに一週間後に死ぬって、


どういうことなんですか?


点滴をしている間、本当にちゃんと見ていてくれていたのかも疑問ですが、

貧血だの、骨髄から血液が作られていないだの、しかも2~3日の間に

急激に起こっていて原因が分からない。

なんて、今考えてもおかしいとしか思えない。


やはり、その話を聞いた時点で、

「それは治る症状なのか」

「この病院で治療を続けえば、治るものなのか」

と、ちゃんと聞けばよかったと後悔しても、後の祭り。


やはり、茶々を殺したのは私なのかもしれないと、思いました。

私が、飼い主として、茶々を守ろうという気迫が無かったから。。。



でも、信じて欲しい。


私は、専門医じゃないから、どうしても茶々を助けたくて、

だから病院へ駆け込んだのだ。


医者の言われるままになってしまったのは、

必ず茶々は助かるものだと信じてしまったからだ。


だから、あんな風に死なせてしまったことを、酷く後悔してしまう。


元気で闊達で、甘えん坊の茶々を、あんなに苦しませて死なせてしまった事は、

後悔以外、何物でもない。



次の日の8月9日。

仕事が終わってから、動物病院へ行くことにしました。

実は、残りの支払いのためです。

土曜日はレントゲン検査?などが加わり、自分が持っていった金額よりも高かったので、

月曜日に払うという約束だったのです。

茶々は死んでしまったし、正直、払いたくないな、なんて思ったのですが、

取り敢えず、病院へ行こうと思いました。

夏風邪だと診断された土曜日と合わせ、7月2日の請求は検査代で16727円。

火曜日と合わせ、水曜日の7月4日の請求は11109円。

点滴だけの7月5日(木)は3675円。

(この日、点滴を終わった茶々はゼイゼイと苦しい呼吸なっていて、

症状も悪化していたんだっけ)

同じく点滴だけの7月6日(金)は4095円。

(この日の茶々はさらに悪化し、「茶々はこんなんじゃ、もう助からない」

と母に責められたんだっけ)



そして、土曜日の請求が12012円。

この日は、半分だけ払って、残りを月曜日に払う、ということだったんだけど、

茶々の死期は迫っていて、今夜乗り切れたら、って言われたけど、

言ったきつい感じの女先生は、今夜までもったらいい方だ、

というニュアンスだったので、茶々は早ければ今夜中に死ぬ、

と宣言されたようなもので。

私もそれを悟ったんだけど、もう、どうすることもできなかった自分が不甲斐なかった。


思えば、この一週間で47618円と5万円近くも払い続けたのにも関わらず、

茶々は死んでしまったという、空しい結果に終わったことになる。

ただの夏風邪に5万円で、死亡だなんて。


あり得なさすぎる。


でも、現実はこうなのだ。

受付の女性&、最初に茶々を診断した不器用過ぎる女医さんは、

泣きはらしたような私の顔を見て、「残念でしたね」と声を掛けましたが、

その言い方というか、なんかムカついたというかでさらに涙が込みあがり、

支払いをしている間、私はずっと泣いていました。

ロビーには他にも人がいたんだけど、全然構わなかった。



でも、本当は、怒鳴りつけてやりたかった。



どうして茶々が死ななければならなかったのか。

ただの風邪って言ったじゃないか。

なんで治療についての説明が一言もない。

説明するのが普通だろ。


どういう治療をしていたのか、何の薬を投与したのか、全部説明するのが

医者としての責任なんじゃないのか。


それから、一番言いたいのは、

点滴している間、茶々の呼吸の変化に何も気づかなかったなんて、

あり得ないんじゃないのか。


茶々の容体が悪化していたことにも気付かなかったなんて、

病院として、一体何をしていたんだ。



まさか、移動用の籠から出さないまま、点滴していたんじゃないだろうな。


これって、治療代じゃないよな。

検査費と、レントゲンの写真代と、注射代と、薬代と、点滴代であって、

命を救おうっていう代金じゃないよな。



茶々の命を返せ!!!!




言いたかった。

思い切り怒鳴りつけてやりたかった。


でも、しなかった。

あまりにも理不尽で、あまりにも悔しかったから、いっそ、黙ることにした。


泣きながら残りの代金を支払い、無言で病院を後にした。


私が帰ると、茶々と桃が出迎えてくれていた。

先を争うように、2階の私の部屋へと駆け込んでいって。。。

茶々は真っ先に私の部屋へと入り、お気に入りの、窓辺にどんと座って。



その光景が、つい、一週間前まではあった。


それを思い出し、たまらなくなって、号泣した。

桃はびっくりして逃げてしまったが、でも、抑えられなかった。


茶々が、もう、この世にいない。


その事実が、喪失感が、私を襲う。


どうして、茶々は死んでしまったのだろうか。


何度考えても、答えは出てこない。

医者に聞いたって、彼らも「分からない」と答えるだろう。

いや、原因は分かる。

「肺細胞に血液が入り込み、肺の機能を阻害し、窒息死したのだ」

と言うだろう。

そんなの、医者じゃない私にだって解る。


でも、私が言いたいのはそこじゃない。


何故、風邪だったのが、たった数日間で不治の病に変わってしまったのか、ということだ。


たぶんそれは、原因不明ということなのだろう。



甘えん坊で、我儘で、それでいて臆病だった茶々。

縫いぐるみみたいに可愛い仕草をして、いつも私の布団の上で転がっていた茶々。

思い出はつきないくらい、いっぱいある。


この5年間は、本当に楽しかった。

彼と共に過ごせて、本当に良かったと思っている。



でも、できうることなら、もう一度会いたい。



もう一度、茶々に合わせて欲しい。


神様、お願いします。



茶々を死なせてしまった私が言うことではないけれど、でも、

もう一度でいい。


茶々に会わせて欲しいのです。





どうか。




神様――――――――!!






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