凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

立ちのみさまざま

2013年01月26日 | 酒についての話
 もちろん昔からある飲食店形態なのだけれども、こういうご時世だからか「立ちのみ屋」が増えてきた。たいていは座って呑むより廉価であり、気軽さも評価されているようで。

 僕は、そりゃ立って呑むより座って呑むほうがいいと思ってるよ。楽だもん。
 僕が酒場に向かおうという心理状態になるとき。それはもちろん美味い酒が呑みたい、旨い魚が食べたいと思って暖簾をくぐる場合もあるが、たいていは酔いたいからである。陶然とした気分に浸りたい。酔いたい理由はその時々によって違うけれども。
 そして酔っ払ってくると、身体から力が抜ける。したがって、立っているのがしんどくなってくる。座ろうよ。座らせてくれよ。そうなるのは目に見えている。
 立ちのみのいいところ(狙い)は、そこなのだろう。長時間立っていられないので客の大半は長居しない。したがって回転が良くなり、なかなか小さな酒場では成しえなかった薄利多売が可能になった。だから酒も肴も廉価で提供してくれる。そうなればもちろん客も嬉しい。
 しかし、酒場でグズグズしたい僕などには不向きということになってしまう。なので、かつては積極的に足を踏み入れなかった。

 もうひとつだけ理由があって、これを書いてしまえば身も蓋もないのだが、どうしても「立って飲み食いするのは行儀が悪いのではないか」という意識が僕の脳内に少しだけあった。
 話がそれるけれども、先日久々に故郷京都錦小路の市場を歩いて驚いた。あちこちの店舗前で食材を串に刺して一口サイズで売っている。出し巻きや鳥、魚等々。それを齧りながら歩いている観光客多数。なんとも下世話な雰囲気になっている。錦市場というのは、プロも買いに来る伝統ある「京の台所」。僕も幼い頃、母がハレの日或いは正月用の買出しのためにここへ来るのによく付いて来た。そういう場所だったはず。今は観光名所になっているのは承知しているが、缶ビール片手に串を食べ散らかしながら歩く人たちを見て、何とも違和感をおぼえた。試食ならいいよ。でもなぁ。例えば神戸南京町とは違うこの道幅の狭い小路でそれはないんじゃないのか。何より品がない。この世の中、京都伝統の錦市場もしんどいのか。こういうことを許すようになったとは。
 以上本当に余談で、区画された店内で立って飲み食いすることに文句があるわけではもちろんない。そういうルール内でなされていること、何の問題もない。そして今では立ちのみ屋さんを「行儀悪い」などと考えることなど全くないことは申し添えたい。あくまで過去の僕の意識内でのこと。

 そんなこんなのクドクドした理由で、立ちのみには過去それほど出入りしていなかったように思う。もちろん例外はあるが、僕が出入りする酒場において立ちのみの占める割合はそう高くなかった。
 だが、ここ何年か、そういう店によく誘われるようになった。若い人たちと呑むことが増えたからかもしれない。

 そんな一軒。先日、何とイタリアンの立ちのみ屋へ行った。絶対に自分の意思では足を踏み入れない場所だなぁ。バール風とでも言えばいいんだろうか。
 値段のことについてはよくわからない。最も安いグラスワインが350円くらいだったか。だいたいイタリアンレストランの相場がわからないから何とも比較しようがないか。総じて安いらしい。しかしトリッパのトマト煮込とか初めて食べたわ。
 行ってみて、案外楽しいのである。パーティーに来たみたいな。
 立ちのみというのは、僕の持っていたイメージでは、まずグループで来店するものではない。一人で「カウンターでもくもくと呑む」ものである。混むと「ダークスタイル」になる。ダークスタイルの説明は不要と思うが一応書くと、立ちのみの店は基本的にはそんなに広くなくてカウンターだけの店も多い。混んでくると、カウンターに対して正対していた客が斜め向きになって詰め、スペースを空けて新たな客を入れてあげる。個々に椅子のある店では不可能だが椅子のない立ちのみならこうして詰め込むことが可能。この片方の肩を前に出した姿勢ががコーラスグループ「ダークダックス」に似ているためにそう呼ばれるようになったと承知している。
 ところがこの店はスペースが広く、テーブルが店内にいくつも置かれた様相であるために、ダークスタイルなんてものは無い。余裕がある。多くはグループ客でありひとつのテーブルに集まるのだが、振り向けば背中合わせに隣のグループがいて、僕はその違うグループのおっさんと話し込んでしまった。カウンターであると両隣の人としか接触がないので、まず後ろのおっさんとしゃべるなんてことはない。
 店を出るとき若い人から「盛り上がってましたね。そういう赤の他人とでも楽しくやれるのが立ちのみの醍醐味ですよ」とご高説を賜った。うーむ。僕は初対面にやたら強いので別に立ちのみでなくてもいくらでもそういう機会はあるが、こういうスタイルが一種垣根をとっぱらう効果はあるのだろう。先ほど「行儀悪い」などと書いたが、その行儀悪いことをしているという意識もおそらくプラスに働くに違いない。
 僕が知る立ちのみというのは、放吟してはいけない場所だったように思うのだが。いや、してもいいのかもしれないけどそういう雰囲気にはならなかったはずだが。
 経験もさほどないのにこういうことを書くのも何なのだが「立ちのみも変わったのだな」とそのとき思った。安いから行くのではなく、楽しいから行くのか。そうか。

 こんな感じで、僕は今までよりも立ちのみに馴染むようになった。今さら感はあるのだが、まあよかろう。昔と比べて体力も落ち、そんなに長くは「立って呑んで」いられないが、それが逆に推進力となっている。どうせ短時間なのだ。ちょっとだけ寄ってもいいだろう。そんな感じでね。何より懐ろもさほど痛まないし。
 そうして様々な店にお邪魔し呑みながら、立ちのみという形式の酒場は、どのようにして始まったのだろうか、どこにルーツを求めればいいのだろうか、などということを酔眼で考えていた。立ちのみも、さまざまである。僕は分類と体系化みたいな作業が好きでブログでもしょっちゅうそんなことをしているが、また同じことをしている。
 そういうことをぼんやりと考えているうちに、こういう立ちのみの酒場というのは、四つくらいに分類できるのではと思い当たった。もちろん厳密ではなくその発展形態によってこれは交錯していくのだが、ルーツを辿れば、そのくらいに分けられる。
 
 ひとつは、通常の飲食店から椅子を無くした形態である。
 この形態は、もちろん古くからあり「オヤジたちのオアシス」として存在している。しかし新しい感覚の店も多く登場している。上記のような洋風立ちのみはその典型ではないだろうか。
 こういった店のかたちは、もちろん値を下げることを目的に、酒場の客回転を速くするために採り入れられたものだろう。それがデフレの世の中に適して増殖したと考えられる。そしてさらにその気軽さが受けた。
 かつては、立ちのみの酒場が供する酒や料理の種類はある程度決まっていた。バーなどを除けば居酒屋系が主で、焼鳥やおでんなどが出され酒はビール清酒焼酎。バラエティがあってもその範疇を出るものではなかった。
 今は、イタリアンやフレンチなどは普通に存在し、中華料理やエスニック系の店まで立ちのみに乗り出している。もしかしたらあらゆるジャンルの立ちのみ店舗が存在するのではないか。

 焼き肉屋に行ったことがあるぞ。扉を開けると煙が上がっている。コの字型のカウンターに立つと、七輪を置かれる。煙はそのせいだ。そしてスタンディングで肉をジュージュー焼いて食う。
 焼き肉の値段というのは高いか安いかという判断がつけにくい。肉の質によって千差万別であるから。僕は舌に自信がないので品質云々はわからないが、一人前の肉の量と値段だけでみれば、この店はそう飛びぬけて安いわけではない。普通の座って食べる焼き肉屋さんでもっと安い店もある。
 しかし、この店はそれなりの雰囲気を持たせている。店の外観、内装が既に洒落た空間。そこに無煙コンロではなく七輪というのも、味のみならず演出もあるのだろう。非日常的感覚か。女性客も居る。隣の客はワインを飲んでいる。それで空気感が伝わるのではないだろうか。僕はこういう雰囲気は苦手なので若い人たちに任せようと思うが(汗)、このように立ちのみに付加価値をつけるという手法もあるようだ。ただ薄利多売を目指しているだけではもうないのである。もしかしたら後年、立ちのみだからこそ多少高くても行く、なんて思考も登場してこないとは限らない。
 
 本当に、いろいろなジャンルの店がある。僕は他にも不思議な立ちのみに入ったことがある。
 ハイボールを売りにした酒場。もちろん居酒屋であることを看板にしていてアテの種類もそれなりにメニューにあるが、ほとんど食べている客はいない。みんな酒だけを呑んでいる。そのハイボールの値段は、無論安いものの、激安とまではゆかず座って呑む店とあまり変わらないかもしれない(安い店が回りに多い場所柄なのである)。
 しかしながら、カウンターの向うにいる店の人は、若いおねえさんが数名なのだ。
 それが目当てで人が集まる、と断言したら怒られるかもしれないが、話しているとおねえさんの勤務時間は曜日や時間ごとに変わり、それに合せて来る客もやっぱり多い由。おねえさんは客と気さくに談笑しつつ、グラスが空くと「お代りいかが? おつくりしましょうか」。行ったことないけどガールズバーってこんな感じ? それはわかんないがこの雰囲気、カラオケこそないがどうも「スナック」にかなり近いんじゃないの。
 しかしチャージ料はない(椅子もないが)。そしてハイボール3杯のめば結構いい気分にもなる。小一時間居て、それで1000円くらいだからこんなに安いスナックはない(楽しくてもそれ以上長い時間は僕には無理)。

 こういう通常は普通の飲食店として成立するはずの店が、思い切って椅子をなくし、客回転をよくして廉価での提供をを目指すとともに、「立ちのみ」という営業形態に個性を見出して、例えば非日常感覚、またお洒落な雰囲気、またフレンドリーな空気感といった付加価値を副次的に与えるという方式を採りだした。それは立ちのみというジャンルにおいては最も新しい形態であるようにも思う。
 もちろん、従来のオヤジの味方である大衆居酒屋的立ちのみも健在である。このオヤジ立ちのみの付加価値は今も昔も安さと気楽さ。これらを便宜的に「通常飲食店由来型」と呼ぶか。

 立ちのみには、そのルーツなどから考えて、他に3パターンの形態があると思っている。それは、次回

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2 コメント

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未知の世界 (アラレ)
2013-01-31 02:17:41
確かに立ち飲み店、増えましたね。
私が飲みに行くのはそんなに回数ない?(笑)から、まだ未知の世界です。やっぱりお酒は座ってのんびり楽しみたいと思っちゃう。
後は、もう一つ、重大な理由があります。
それは、テーブルの高さ。通常の男性にあわせてあると、お父さんに連れられた子供状態に…。駅の立ち食いソバのカウンターですら高い(笑)ので。ちっさいおばちゃんは、椅子が欲しいです。イスもスツール系の高いのは苦手。よいしょとよじ登り(笑)その後は足はブラブラ。しばらくは未知の世界のままかも。
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>アラレさん  (凛太郎)
2013-02-02 09:05:12
僕も座るのが好きで、立ちのみは比較的新参者です。ただ、こういう形式が増えたので一度書いてみようかと。
なるほど、テーブルの高さか。それは確かにそうかも。思いつかなかったなー。そういう意味においては、日本古来の「座敷」ってのは最強ですね(笑)。ねっころがったって呑める(そんな行儀の悪いことはしてはいけませんが)。
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