杏歌の独白

主にゲーム音楽の耳コピー話中心の予定ですが、美味しかった物や日頃思いついた事もつらつらと。

耳コピーの弊害

2015-04-17 | DTM(ゲーム音楽)
絶対音感がある人間は、耳に入るあらゆる音の音階をつい採ってしまう…という話ではありません。

耳コピーしたり自分で演奏したりした曲は、
それ以降純粋に楽しむ事が難しい、という話。

最初にその曲を聴いた時の感動を覚えてはいても
無心にその曲に聞き入る事がなかなか出来ないんです。

耳コピーする際、私の場合 その曲の個別楽器パートに集中して繰り返し聞くので 多分仕上がる頃には全体的に聴く事が逆に出来にくくなる気がする。

もひとつ言えば鑑賞する際には、技巧的な点よりメロディーの流れやコードの移り変わりの意外性、絶妙さ、リズムパートのノリやかっこ良さとか をただただ味わっている感じ。

でも耳コピーに入るとそれを数値的、理論的に分析、解明する作業となるんですよね。

数学、理化学な事を考える時に活発化するのは左脳で、感性的な物に関して活発化するのが右脳、と聞いた事があります。

それでいけば、右脳で「わあこの曲いい!是非耳コピーしたい!」と思って、左脳でせっせと耳コピー。
そして右から左へ受け流したまま、左脳でしか聴けなくなっていると…

この現象は何年か前から気がついてまして、その曲の耳コピーが終わって何年かしたら その曲に関してはある程度戻るかも?と漠然と期待してました。

そして多少は戻った気もした(気のせいかもしれないけれど)。

しかし、耳コピーを一応終えた曲の原曲を聴くと「ああ、ここはもうちょいクレシェンドの差をつけるべきか」とか「音色、別のトラックで重ねれば良かった」とか ついつい脳内添削してしまう。
これは何年経とうが同じ。

そういう意味では耳コピーをする事で、好きなものを好きなように楽しむ機会を減らしているのかもしれないです。

でも好きな曲を耳コピーしたい欲求はどうしても押さえられないから仕方ない。
そしてそれはほとんどがやはり「ゲーム音楽」なんだよね。




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