架空の銅像
「従軍慰安婦」の存在は否定されていますが、どのような理由で否定されているのかを知りたくてあれこれ資料を探しました。
そもそも「従軍慰安婦」なる言葉は個人(吉田清治)が著書に使用したもので、それまではなかった言葉でしたがこの著作内容を朝日新聞が大きく取り上げ、「従軍慰安婦」なる言葉が独り歩きを始めたのです。
そのことは戦争中のことなので戦後ほとんどの人は検証するすべを知らず、既成事実となってしまったのです。
宮沢、河野、村山氏らは存在の有無を確認しないまま、とりあえず事なかれ主義で、謝っておこうという趣旨のもとに韓国に頭を下げ続けたものと推察されます。
韓国にしてみれば、日本を代表する者たちから謝罪されたので、その存在が不動のものとなり、それを錦の御旗にして今日に至ったわけです。
しかし世の中よくしたもので、国を思う多くの方がこの存在に疑問を持ち、その存在を否定するためにいろいろ調査をされたのです。
秦郁彦氏が調査された結果
結論として、存在を示す証拠は確認されませんでした。
吉田氏はその後、秦氏との電話会見にも応じ、
「人権屋に利用された私が悪かった」と、
反省の弁をほのめかしていたとのことです。
(*「諸君!」1998年11月号秦郁彦
たった一人の軽率な売名行為がもたらせた被害は計算できるものではありません。
著者および宣伝したメディアはどのように日本国民に謝罪するつもりでしょうか。
強い憤りを感じます。
詳しい調査の方法は下記をご覧ください。
http://www.tamanegiya.com/yosidaseiji.html
著作者
吉田清治(よしだせいじ、1913年(大正2年)10月15日 - )
福岡県(山口県とも)出身の元日本陸軍軍人であり作家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。
戦後30年を経て慰安婦問題の嚆矢となる『私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行』を上梓したが後に創作であることが判明、本人も認めた。
戦後、下関市の市会議員に共産党から立候補している。
著作物の内容を精査し矛盾点を列挙して、著作物はフィクションであるということを認めさせた学者
秦郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )
日本の歴史学者。元日本大学法学部教授。法学博士(東京大学、1974年)。山口県出身。日本の近現代史に関する研究や著作などで知られる。
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