荒井晴彦。。。。。。
この名前を初めて知ったのは、いつだっただろう。
赫い髪の女は、大学時代に先輩から勧められたか、なんか。。。
青春の殺人者と、観たのはどっちが先だったろうか。いずれにせよ、その辺りから、今の道へとつながってったワケだが。
雨が降ったら、ヤッテばっかいる映画
なんと端的なご紹介だろうか。それに吊られて行く方も行く方だが。。。
かぐや姫の「赤ちょうちん」の歌みたいな映画だな、そりゃ。と、当の「赤ちょうちん」をモチーフとした映画は、フライドチキン食べてる秋吉久美子の映画だったけど。
赫い髪の女、初めて観た時は、なんつ~か、スッゲェ衝撃だった。で、多分、この映画と青春の殺人者から中上健二にのめりこんで、ますます、とんでもないことになってしまったんだった。で、現在に至る、と。
脚本家荒井晴彦全映画論集と表紙にある「争議あり」を読んで、忘れてたことや忘れようとしてたことや忘れかけてたことや忘れようにも忘れ得ぬことや、とにかくいろんなことが一斉に頭の中を駆け巡り、収拾つかなくなってしまった。
齋藤博さんが逝って、神代さんが逝って、多分、その前後。湯布院映画祭で見る荒井さんは、一時、急速に影が薄くなったみたいに見えた。あたしは、ずっと、荒井さんを眺めてたから、その頃、ホントになんかぐったり見えてた荒井さんを、ヤバクナイ?って思ってた。
ひょっとしたら、ヤバかったのかもなァとは、あとで思った。
でも、いつだって、いろんな意味で。。。ま、いいけど。。。
あたしは初めて湯布院映画祭で観た齋藤さんを今も覚えてる。
望月六郎さんを齋藤さんが呼び寄せちゃった現場を今も覚えてる。皆月かなんかで湯布院に来てた六郎さんは、なんか覚えてるんすけど、なんでだっけ、とにかく突然に来いって、なんだったんでしょうねェと。全く、アレはなんだったんだっけ。あのとき知り合った女優志望の二人の女の子は、今、どうしてんだろう。
神代さんが亡くなった年かなんかに湯布院映画祭に来てた鴨田さんの夜明けの号泣を、今も覚えている。
映芸編集者だった高橋君は、あたしの先天的にくっついてる右の一部の足指を初めてどうしたの?って素直に聞いた人だった。最後に、かもしれない、今ンとこ。生まれつきって言ったらゴメンって言って、それは何気ない会話だけど、なぜか高橋君を思い出すとき、そのことが一番に思い出される。
月はどっちに出ているを観た日、パーティが跳ねたあとの部屋で角川春樹逮捕の報がニュース速報で流れた。それを見てお~~!!って、市井さんと、あの時、高橋君もいたんだっけ。いなくなってたんだっけ。会う前だっけ。
シティロードの小出さんとオークションで絵を落としたご縁でお話させてもらって、翌年も覚えててくれて、いろいろと話した。映画の好み、似てません?って言われたんだか言ったんだか。
荒井さんとは湯布院でしか会わない。だから、その他の場所の彼は知らない。当然だけど。
でも、映画は観る。当然だけど。
争議ありの中に、まさかと思った知り合いや知ってる店の名前がいくつか出てきて、少し驚いて、少し嬉しくなって、ミーハーだと自分で自分を思う。
荒井さん、京都木屋町のゴールデン街、ろくでなしの横田さんの奥様が、去年、亡くなったそうです。横ちゃんは、今も相変わらず、あのまんまです。
また映画藝術を定期購読再開しようと。。。。。。決めた。
この名前を初めて知ったのは、いつだっただろう。
赫い髪の女は、大学時代に先輩から勧められたか、なんか。。。
青春の殺人者と、観たのはどっちが先だったろうか。いずれにせよ、その辺りから、今の道へとつながってったワケだが。
雨が降ったら、ヤッテばっかいる映画
なんと端的なご紹介だろうか。それに吊られて行く方も行く方だが。。。
かぐや姫の「赤ちょうちん」の歌みたいな映画だな、そりゃ。と、当の「赤ちょうちん」をモチーフとした映画は、フライドチキン食べてる秋吉久美子の映画だったけど。
赫い髪の女、初めて観た時は、なんつ~か、スッゲェ衝撃だった。で、多分、この映画と青春の殺人者から中上健二にのめりこんで、ますます、とんでもないことになってしまったんだった。で、現在に至る、と。
脚本家荒井晴彦全映画論集と表紙にある「争議あり」を読んで、忘れてたことや忘れようとしてたことや忘れかけてたことや忘れようにも忘れ得ぬことや、とにかくいろんなことが一斉に頭の中を駆け巡り、収拾つかなくなってしまった。
齋藤博さんが逝って、神代さんが逝って、多分、その前後。湯布院映画祭で見る荒井さんは、一時、急速に影が薄くなったみたいに見えた。あたしは、ずっと、荒井さんを眺めてたから、その頃、ホントになんかぐったり見えてた荒井さんを、ヤバクナイ?って思ってた。
ひょっとしたら、ヤバかったのかもなァとは、あとで思った。
でも、いつだって、いろんな意味で。。。ま、いいけど。。。
あたしは初めて湯布院映画祭で観た齋藤さんを今も覚えてる。
望月六郎さんを齋藤さんが呼び寄せちゃった現場を今も覚えてる。皆月かなんかで湯布院に来てた六郎さんは、なんか覚えてるんすけど、なんでだっけ、とにかく突然に来いって、なんだったんでしょうねェと。全く、アレはなんだったんだっけ。あのとき知り合った女優志望の二人の女の子は、今、どうしてんだろう。
神代さんが亡くなった年かなんかに湯布院映画祭に来てた鴨田さんの夜明けの号泣を、今も覚えている。
映芸編集者だった高橋君は、あたしの先天的にくっついてる右の一部の足指を初めてどうしたの?って素直に聞いた人だった。最後に、かもしれない、今ンとこ。生まれつきって言ったらゴメンって言って、それは何気ない会話だけど、なぜか高橋君を思い出すとき、そのことが一番に思い出される。
月はどっちに出ているを観た日、パーティが跳ねたあとの部屋で角川春樹逮捕の報がニュース速報で流れた。それを見てお~~!!って、市井さんと、あの時、高橋君もいたんだっけ。いなくなってたんだっけ。会う前だっけ。
シティロードの小出さんとオークションで絵を落としたご縁でお話させてもらって、翌年も覚えててくれて、いろいろと話した。映画の好み、似てません?って言われたんだか言ったんだか。
荒井さんとは湯布院でしか会わない。だから、その他の場所の彼は知らない。当然だけど。
でも、映画は観る。当然だけど。
争議ありの中に、まさかと思った知り合いや知ってる店の名前がいくつか出てきて、少し驚いて、少し嬉しくなって、ミーハーだと自分で自分を思う。
荒井さん、京都木屋町のゴールデン街、ろくでなしの横田さんの奥様が、去年、亡くなったそうです。横ちゃんは、今も相変わらず、あのまんまです。
また映画藝術を定期購読再開しようと。。。。。。決めた。
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