「同和」中毒都市

2007年08月18日 17時38分13秒 | 読んだ本
いわゆる、「差別の構造」というのは西と東じゃ明らかに違うと思う。
そして、それは例えば映画を観る時・本を読む時に、具体的に表れる。
ということを、映画藝術夏号の寺脇研+荒井晴彦対談の、パッチギ2への言及で
また思った。
西。。。特に関西では、あからさまに「差別」は、ある。
でも、東京辺りじゃ、差別というのはないことにしてるのか、あっても見えてないか、どっちかだと、常々思ってる。

そして、差別と区別があからさまな町に生まれて、基本的に西で育って、
差別というものは、どこかであたしのテーマとなった。

ところで、この本は、差別を描いた本ではない。
「差別があからさまにある町」で、その差別をなくすための行政的取り組みの結果
いかなる現実が生まれてしまい、いかなる状況が繰り広げられているかという本だ。

去年だったか、関西各府県での、同和行政の歪みが一気に表出して
奈良では悪質極まりない市職員が逮捕されるまでに至った。
彼は解放同盟の幹部であったらしいが、同盟側は、否定していたような記憶がある。間違ってたら、ごめんなさい。

解放同盟。。。これが、問題の根本だ。

別に、解放同盟の歴史を説き起こした本でもないし、
ここでを持ってきたところで、ますますチンプンカンプンだろうが、
ただ。。。
差別の根源をめぐる戦いが、気がつけば完全な利権になっていることだけは
多分、どうしようもなく明らかだ。
そして、この解放同盟の存在そのものが、逆に新たな形の差別を生む結果を招きかねないことも

被差別の存在は確かにあった。
差別は確かにあった。
そして、それが、もし今も連綿と続いているというならば。。。
それは解放同盟と行政の慣れ合い、もしくは同盟による行政への圧力の結果であり、
そのために多分、正当な形での差別緩和・差別撤廃は、遂に今もなされていないのではないかという気がする。
なされぬままに、歪みだけが大きくなり、そして、昨年、あらゆるところで爆発した。。。

同和行政のゆがみを知る上で、この本はあくまで入り口だろうとは思うが
読んでおいて、悪いことはない。


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