由布院に吹く風

2007年01月21日 19時01分05秒 | 読んだ本
中谷と書いて、ナカヤ。と、読む。
大分は由布院の、誰もが憧れる老舗の名物旅館の主にして
町おこしの仕掛け人にして
映画界に身を置いていた。。。。。。ナカヤサン。
で、だから、湯布院映画祭で毎年お見かけする。お見かけはするんだけど、よく考えたら、あまりお話させていただいた記憶がない。何故だ??
う~~~~~~ん。。。。
多分、あたしがビビッてんだと思うんだが。あたしだってビビルときはあんだよ。

カンワキュウダイ

大分県由布院は、大分県由布院市になった。
いわゆる「町村合併」とゆうヤツだ。
その話が持ち上がって、ゆふいんが上を下への大騒ぎになってたらしいことは聞いてた。
ナカヤサンは、その「風」の中で闘って、そして、この本はその「闘い」の中で書かれた。
60年安保を東京で闘った気骨の人は、ふるさとゆふいんを突然の大風から守るため、21世紀に九州の盆地で闘った。
守るべきものの明確さと、戦いの中で得たものと失ったものと、再び取り戻したものの明確さ。

ふるさととか連帯とか。。。っていうのは、こういうものなのか。。。

ふるさとらしきふるさとを持たぬあたしが湯布院に惹かれ続けるのは、ひょっとしたら、その町の人々のエネルギーを感じ取ってるからだろうか。
あ。いや。ごめんなさい。映画祭おんりー女です。。。実際、ゆふいんの百分の一も知ってやしませんが。。。

ナカヤサンはカッコイイ。カッコイイおやぢのカッコイイオーラに、多分あたしはビビッてたんだけど
今年は、お話させていただけるかしら。。。闘いについて、お聞きしてもいいかしら。。。「帰属意識」ってことについて、ナカヤサンなら明確に教えてくださるかしら。。


「同じ町に住み、同じ国に生きて、お互い何を望み、何を共有したいと願っているのか、そのことを全力で明らかにするのでなければ、『連帯』など生まれはしない。」(同著より)