昨日、湯布院から戻ると京都は大雨だった。実は京都の雨は台風とは微妙に離れてて、とにかく関東東北でと聞き。ウチに保養に来てくれた方に連絡してみたら、福一への台風影響をひたすら怯えてた。Webで届く福島民報はJヴィレッジ再開をうたい、河北民報は311仮設住宅無償の終わりを告げた
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 21:06
湯布院の震災影響は大っぴらじゃ殆どなく。公民館の駐車場裏に石塔が倒れたままだったり。ひどかった地域の某レストランの猫が震災後爪を切られることを拒否し続けてたり。そんな話をポツポツ聞いた。熊本は。。。今も爪痕激しいと行定勲監督はシンポで訴えた。「被災は平等ではない」と何度も仰った
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 21:11
被災復興は平等ではない。。。だっけか。。。いずれにせよ、そーゆーことだと思う。当事者でないと分からぬ話ってのは、どこの、どんな災害でも絶対ある。災害じゃなくたって。ある。SNSで話してイイコトも、控えざるをえない話も、当然ある。誰もが現地に行けるわけじゃないけど
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 21:16
「音楽に政治をもちこむな」炎上に本質的批判! lite-ra.com/2016/08/post-2… 湯布院から帰って映画祭感想とかFBで書いてたら、こゆものと遭遇する。くそめんどくさい時代になったものだと思う。ただ、その端緒が元SEALsだったのね。あー、めんどくさい
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 21:29
表現と政治がどこかで不可分でもあるってことは40年近く前に教わった。とある大学の映研だった。叩き込まれて今に至る。思想が表現になり、表現が思想を体現する。怒りを持たないピカソの「ゲルニカ」などあり得ない。かつてRCサクセションは「音楽に政治を持ち込んで」音源発禁となった。
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 21:44
音楽もかもしれんけど、映画や芝居で「政治」を引きずる奴らは執念深いよ。貯めこんで溜め込んで自分の中で熟成させて、時来たれば吐き出す。吐き出したそれは、確固たる思想としてある。政治を持ち出すな。とか、思いついて批判されても困る。インスタントなもんじゃないんだよ
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 21:59
報ステ。「カツオ船の人たちも、明日はまた出港するみたいなんですよね(中略)頑張ります」
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 22:07
がんばるのかー。。。。。。困ったなァ
湯布院帰りの新幹線の中で見たニュースじゃ9月から「常磐もの」ヒラメも解禁とか。ホントに、どーすりゃいいんだろう。刹那すぎるよ
湯布院で観た杉野希妃の「マンガ肉と僕」。三浦貴大が言った「帰省するより京都に残ることを親は望んでる」といった台詞の意味を、どれだけの人間が理解したか。それ以前に、どれだけの人間がその台詞に心とどめたか。あの台詞であたしは「穏やかな日常」の彼女の変わらぬ想いを信じたのだけど
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 22:12
@damian16002000 うぉ。久しぶり(^^)九州はいいよー(ナゾ)
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 22:19
@damian16002000 生きてこそ
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 22:22
築地移転。
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 22:27
進むも地獄退くも地獄。。。と、人の言う。
この問題に対して、どーこー言うナニモノカをも、資格をも、あたしは持たない。でも、いずれも地獄なら。とどまる地獄を見てから決める手もないのだろうか。。。祈りの中で
いずれにせよ。すべての日本国にあるものは、進むも退くもできぬ地獄にとどめ置かれているのだ。とてつもなく柔らかな真綿に締めつけられ続けているのだ。逃げることを意識して、また、逃げる場所を探しあぐねている。約束の地は。見つからない
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 22:31
ごめんなさい。またtwから今週いっぱい、退きます。来週戻ります
— おたべ 日本の行末もう少し見届けます (@otabe) 2016年8月30日 - 22:34