80GGの遊戯三昧

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やり先の補修 溶接をしました

2013-09-23 08:30:42 | 日記
8月の東京マスターズ陸上大会で右肘を少々痛めました。
しかし、8月末には四国大会、9月には県大会と続くので、少々くらいと思って投げたときに槍が着地時にポーンと刎ねました。
いかんなと思いつつやり先を見たところ案の定半折れ状態でした。
肘の方も痛みを感じ、お医者さんにも暫く投げない方がよろしかろうと言われ、大会出場を諦め治療に専念することにしました。ゲッツーに会ったようなものです。
しかし、いたんだ槍先をこのまま放置しておくと錆るので修理することにしました。
幸い今日は天気もよく絶好の溶接日和です。

左の青色のやりです。


槍先が折れかけています。


溶接の道具 100Vで誰でも使えます。


目の防具です。


太陽を覗くとこういうように見えます。日食の時にはよろしい。


感電してはいけないので革手袋を着用


溶接後、表面をグラインダーで仕上げます。やりすぎると接着部分が薄くなるのでいい加減にします。


槍先が完全に折れた場合は、ボルトを差し込んで溶接します。


溶接は、槍先が度々いたむので始めましたが、それまでは素人には無理な作業かと思っていました。
しかし、馴れると案外易しく、いろいろなところで利用できます。
今日のように気温が高く湿気の少ない日が、火花もとんで絶好の溶接日和です。

お彼岸 お墓参りに行って来ました

2013-09-21 22:09:31 | 日記
9月21日(土)晴れ

9時40分黒島港発の渡海船に乗ります。
今日は、「おおしま7」です。


大島の船着き場へ間もなく着岸します。


墓地の入り口に六地蔵が迎えてくれます。


地蔵堂があります。ここは吉祥寺の飛び地境内であり、御本尊は地蔵菩薩座像とそれを囲む百体の地蔵菩薩像です。




水を頂いてお墓へ向かいます。もうすぐそこです。
墓地からは、先ほど着いた船着き場や遠く四国山地が見えます。


墓地の少し上に大島出身の江戸時代の力士「石槌島之助」のお墓があります。
身長6尺4寸(194cm)体重49貫(184kg)と「西条誌」に書かれています。
若い頃、重さ百貫(375kg)の碇に綱がついたものを一人で海底より軽々と引き上げたり、5百石船の帆柱を一人で易々と押し立てたなどの話が残り、力士となって後も「張り手」にて相手の肩腰胸腹などを打ち破り骨折させることも何度かあり禁じ手とされ、果ては浪花にて関取を投げ殺すに至るとあります。
  
石槌島之助こづまとりの図


帰りは、大島港発13時05分の渡海船に乗りました。

船検です   ボートです

2013-09-18 14:51:41 | 日記

今日は、KAI丸の船舶検査日。船は3年毎に検査があります。
船名のKAIは、大事にしていたワンちゃんの名前からつけました。
船舶といっても3m未満のアカシヨット社の2分割ボートで、エンジンはヤマハの3馬力と予備のヤマハ3.5馬力です。
この3.5馬力は空冷で製造後30年は経っている博物館行きが妥当なアンテイークエンジンですが、形が何ともいえぬ味わいがあります。うんともすんとも言わないのを分解掃除したり、チューブを代えたりしてなんとか動くようになりました。

これらを車に積み込み検査場の漁港に持って行きます。秋晴れの垣生漁港です。


車から降ろして、組み立てをします。これが面倒でなかなか大変です。
車輪を付けて、海辺まで引っ張って行き海に浮かべます。


今年になって一度も乗っていないので久しぶりに走ってみようとエンジンを始動したところ予定より10分早く検査員が来ました。検査は20分ばかりでスムーズに終了。

振り返ってみれば、釣り好きがこうじてのボートでした。
しかし、若いときは釣りには、全く興味がありませんでした。それが40歳過ぎから釣り初め、近場では物足らず南予地方に磯釣りに出かけておりました。しかし、月に1,2日しか休めないので強行日程で行かざるをえません。こんな事をしていると身体に堪えると考え近場でも魚が釣れるボートを選んだわけでした。

このKAI丸の前に乗っていたのが、4艘目のニッサンFS730「スカイブルー3号」です。


2000~2010年と長きに渡り乗っていましたが、寄る年波か、マスターズ陸上の方に力がかかってたのか乗船機会が減ってきたのを機に手放しました。しかし、これで船釣りはできないのかと思えば淋しく、未練たらしくボート乗り始めと同じく分割ボートを求めました。

3艘目のニッサンFB600 「スカイブルー2号」 1995頃~2000年


2艘目ヤマハF19 「スカイブルー1号」1990頃~1995年頃 今は船名も変わっていますね。


写真はありませんが、最初のアカシヨット3分割ボート【1985頃 ~ 1990年頃】は、車に積んで、須崎、津島、遊子、九島、由良須下、興居島、大三島、土居、庄内半島など四国各地によく行きました。
10月は、釣りには絶好の時期です。久しぶりにコチなど釣りたいものです。

村上水軍 謂われの舟かくし 山荘へ

2013-09-11 10:17:52 | 日記
9月10日(火)
記録的な猛暑のため、大島の山荘横に植えているミカンの木周辺の除草を2ヶ月近く怠っているので、少し気温の下がった本日、意を決して出向くことにしました。
大島に行くのには、先ず渡海船に乗ります。
おや、今日は新造船でなく予備の「くろしま丸」の登場です。新造船は、定期検査中でしょうか。



大島です。15分の航海です。


到着後、先ず父母のお墓参りを済ませて大島一周道路を通って島の裏側に出ます。
この辺りになりますと人里遠く離れます。道路脇の崖の上に山荘が在ります。
この下の海岸に村上水軍謂われの「舟かくし」があるので、「舟隠し山荘」と名付けました。村上水軍についてはまたの機会に述べさせていただきます。


このように草が生い茂っています。


オレンジ、甘平、ネーブル、ポンカン、サマーオレンジを各一本植えていますが、植えてから1年、長いのは5年になりますが未だ収穫になりません。しかし、オレンジには20個ばかり実を付けているので今年は少し期待できそうです。


除草作業2時間余り頑張った結果です。少し涼しいといっても大汗をかきました。


山荘も築後11年になりました。北は崖、周りは橡の木以外高いものはなく風当たりは強いので果樹栽培には不向きです。


小さい建物ながら薪ストーブ、ロフト、天窓を付けたいと考えました。
薪ストーブです。


ロフト中二階です。


畳もあればと。


天窓です。


北側のロフトの窓からの風景です。
江ノ島や円上島の向こうに岡山県の島が見えます。180度見渡せば西は、今治大島・大三島・いぐち島、東は庄内半島、琴平の象頭山が見えます。
この崖の北部辺りは四季を通していい釣り場でもあります。
ある時、海岸から100mほど離れた所で30数隻のボートが太刀魚を釣っているのでどんな状況だろうかと、望遠鏡で観察しておりましたら中に見覚えのあるボートがありました。
よく見ますとボート仲間でもあり、仕事の同僚でもあった友人が釣り糸を垂れていました。
望遠鏡で見ながら、携帯電話を取り出し「もう少し東側100mほど移動したらどうか」と電話したときの友人のびっくり顔は、今も笑い話になっています。


なんとか除草もできました。別に急いで帰る必要もありませんが夕方帰宅となりました。

川上拙以様 のぼる様

2013-09-10 18:51:37 | 日記
 今朝方、新聞の川上のぼる様ご逝去の記事を見て、不躾ながらお宝のことを思い出しました。


 川上のぼるさんは声帯模写で有名ですが、あのかん高い声での小林旭の「さすらい」なんぞは名人芸でした。高度成長期の白黒テレビ時代が絶頂期でした。
彼の御尊父が、日本画家の川上拙以さんというのは、あまり知られていません。
亡くなる話が続きますが、今年の7月に叔母が99歳の高齢で亡くなりました。長生きしました。
この叔母が嫁いだところが、川上拙以さんの出処でした。既に拙以さんは、京都で日本画家として活躍していたそうです。
戦後、食べるに困る物のない時代でしたが、叔母の嫁ぎ先は、鰯網漁の大きな網元として不自由ない生活をしていたせいでしょうか、拙以さんが京都、大阪辺りの芸能人をよく連れておいででした。
 そのような環境もあってのぼるさんも芸能人として育っていったと推察されます。
我が家のお宝は、先の藤本東一良画伯作品だけかと思っていたのですが、叔母からいただいた拙以さんの作品、お宝3点紹介します。

若かかりし頃の作品でしょう。昌薫は、本名です