言いたい放題

コメント大歓迎…チューチューマウスと仲間たち

堀(濠)の社会的役割

2012-04-24 04:47:27 | 旅・鉄道・グルメ…

 

堀(濠)の社会的役割

  冒頭の写真は・・横十間川親水公園)

 「堀(濠)」とは、「ほる」という動詞の連用形から出たものと広辞苑にある。
 だとすると人工的に掘ったものを言うのだろう。「古い東京」/「江戸の街」には多くの濠があり、東西南北を縦横に走ってその社会的な役割を果たしていたという。いや今でも江東地区や墨田地区には多くの掘り割りが残っているが、その姿形や社会的な意味・役割は随分変容してしまったようだ。

 これら濠は、江戸時代は勿論、明治以降も治水や水運による物資の運搬・交通手段などに使われていた。しかし近年になってからは他の手段に取って代わられて、治水という点を除いてはその存在感を喪失しているようにみえる。
 
 平岩弓枝の「御宿かわせみ16」の『花御堂の決闘』という作品に、交通手段としての濠の利用を描写したこんな場面が出てくる。
 《本所深川を縦横に流れる水路は、今夜のような場合、まことに便利であった。小さな屋根舟だが雨をしのぐには充分だし、ぬかるみの夜道を行くより遙かに楽である。仙台堀へ出て、東に下り、横川へまがって扇橋のところから小名木川へ入る。・・中略・・舟は小名木川から横十間川へ入った。竪川を突き抜けると右手は亀戸町、商家の灯がかすかに川面に映っている。・・中略・・舟は天神橋の近くに竿をさした。》(亀戸天神のこと。これら固有名詞の示す「堀・川」「地名」は全て現存する。)

 以下、小生が実際に現地を歩行・踏査した結果に基づいてご報告したい。
 嘗ての濠は現在はかなりの部分が暗渠になっているものの、それでも顔を出している部分が圧倒的に多い。暗渠化された主のものは、大横川の首都高速7号線以北、首都高速7号の真下を東西に流れる竪川のほとんど、小説や芝居に良く出てくる「仙台堀川」(十間川)も然り、いずれも昔の雄姿は留めていない。横十間川は両岸が公園化され、暗渠にはなっていない。小名木川や北十間川はほとんど暗渠化されていない。
 そしてこれら濠に沿って、暗渠・非暗渠に拘わらず公園が作られている。この親水公園の延長が実に長い。
 一例を示すと、業平橋(浅草通り)から南へ直線で約4.5kmの位置にある木場(永代通り・地下鉄木場駅)までを、一般道路を殆ど使わずに公園ばかりを通って歩けるのをご存知だろうか。
 業平橋から「大横川」を暗渠にした大横川親水公園が真っ直ぐ南下する。総武線と京葉道路を越えて首都高速道路小松川線の手前で高速道路に沿う形で道がある。この一般道を東へ約400mほど歩くと、直ぐに「御旅所橋(おたびしょばし)」があり、この橋の東詰を下に降りると、そこからは横十間川親水公園になっている。それを南下して行くと、東から帯状に伸びてくる仙台堀川公園とクロスする。右折して仙台堀川公園を西進すれば都立・木場公園というドデカイ公園に入る。その南端が東西線の木場駅である。
 
 往事は水運に利用された「堀・濠・川」もかなりの部分が今は暗渠となり、公園として利用されている場合が少なくないことを簡単に見てきた。暗渠の所々で切れ切れに顔を覗かす元の水流も、せせらぎとなって流れている程度に過ぎない。元の本流は更にその地下を流れているのだろうか。
 ただ「堀・濠」も治水の役目は依然として果たしていることを申し添えておきたい。でも、昔の人びとが今のこの風景を見たら、一体なんて言うだろうか。彼らの原風景はもうそこにはない。
        

 

 

[8]ヤーヤー3.jpg 
面白ブログが盛りだくさん「BLOG! TOWON」

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。