講座は年に3~4回くらい開催された。
前回の記事に、ついて一つ追伸:京都での茶室見学では、ある茶室では一度に7~8人入ると床が抜けるという古い茶室(名前を忘れました)があり、この茶室を受講生全員が拝見するだけで1時間以上も時間が掛かりました。
案内の教授は常に質問を受けるという立場を終始崩されなかったので質問の無い組は3~4分で終わりましたが、中には30分以上も掛かる組もありました。
受講生の中に設計課員も居たので質問も多かったのでしょう?
一組3~4人の4組に分散して拝見したと思います。
その茶室に入るには33坪の庭がありその静寂さから言い知れぬ感銘を受けた覚えがありました。
記憶の呆けた今は場所が定かでありません。
あの茶室にはもう一度行きたいと今も思っています。
然し一般では入室できません、学術的な目的があれば別ですが・・・。
既に四半世紀過ぎているので修復?か、建物全体が復元改修されているかも知れない?
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私の仕事は、その講座内容を決めるのと先生の手配、その他の準備で毎日がことのほか忙しかった。
講座が20くらい終わったところでなんと!私の上司であった設計技術担当重役のA氏が急逝された。
A氏は私が入社し設計課に配属された時の設計課長でもあった。
相談相手を失い、困ったところに課は異なるが建築技術者の人事が担当だった友人のK氏の助けを借りることが出来た。
彼は後に関連会社の社長として派遣される。
彼の助力のお陰でなんとか当初の計画通りの講座は終了を見た。
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次に与えられた仕事が「バリュウ・エンジニア」通称VEである。
これは困った。仕事とはいえ余り興味が湧かなかったのだ。
面白いもので、この興味の湧かない部門に来た、お陰でまたとない気の置けない
“奴“2人と知り合うことになる。
この二人のうちの一人は会社では悪いが窓際族であった。
然し、不思議に気が合い、何かと共に新宿で飲み食いする仲間となった。
この二人は共に身体にハンデを持っていた。
二人とも脳梗塞を患い半身がやや不自由だったのだ。
口は悪いが気安い仲間であったことは間違いない。
会社でも何かあると私の机の前に来て言いたい放題言って帰る。
今は、この悪がき仲間も既にお二人とも鬼籍に入られた。
そのような毎日でも私の身体の異常は変わらない。
相変わらず呼吸が苦しくなり動悸も激しくなる。
この症状は3~5分で静まるから困る。
じ~と静かにしていても10分くらい油汗を流すこともあったが通常は苦しむ時間は短い。
会社の友人の紹介で、ある心臓専門の病院に行くと遂に心臓のカテーテル検査を受けることとなった。
当時(今から約30年前)のカテーテル検査は全身麻酔で全く手術の中身は憶えていない。然し止血に術後、足の太ももに重い鉛の重石(オモシ)を丸一日置き食事もベットから起き上がることも出来なかった。これが辛かった。
その時には場合によってはバイパス手術も考えていた私であった。
検査の結果は冠状動脈が一箇所75~80%の閉塞と言うことで直ぐにバイパス手術の必要はない。暫く薬を飲み様子を見ましょう?だった。
そして、また、病院の渡り歩きが始まった・・・・。
この心の疲れの治療回復は次回にします。
もう余り身体に負担を掛けない様に自分自身で扱って過去の苦痛を取り戻して下さい。
詳しく思い出すことによって、その頃のトラウマが解放されるということを聞いたことがあります。
それにしても、↓のお医者さまはひどすぎる!!と思いました。
今、おくさまとの楽しい会話があるのも、別の病院で内視鏡検査を受てもらったというosamuさんの好判断のおかげですね。
二度と結構です。
好きな水泳では浮力がよく働きます。然しタンカーのようですね。
私の病気(呼吸困難)は精神的なものでした。このように成ることもあるのですね~。人間の身体は繊細に出来ています。
あとでお医者さんから説明の時に画像をデジカメに撮らせて貰いましたが、デジカメの操作を誤り失敗しました。(ワザワザ新しく買ったのが失敗の原因)