
↑ 庭石と草花(今朝デジカメが見つからなかった:14時アップ)
真夜中に眼が覚めた?

夜中に眼が覚めた。
別にトイレに行きたくなったわけでもない。
寒くて目が覚めたわけでもないようだ。
マブタをあけようとするもマブタが開かない。
目脂(メヤニ)? 嫌だな~ァ と思いながら指先でマブタを開く。
無理やり開けた眼に雨戸の隙間から見える外が少し明るい。
部屋の壁の時計を見るが裸眼ではボ~として夜光時計そのものがよく見えない。
暗い中で寝床に座り早速“真っ向法”を始める。
20分くらいやって、どうも何時もと少し身体の感じが違う?
起きてトイレに行く。
トイレにも時計が置いてあり、それを見るとなんと2時ちょっと過ぎだった。
コレでは身体がへんなのも頷ける。と言ってまた寝る気はしない。
そのまま洗面所で歯を磨き朝のルーチン・ワークを済ませて居間に入る。
居間の灯りをつける前に誰か?部屋に居る気配がした。
スイッチを入れる前にもう一度 居間の中を見渡す
(見渡すほど広くはないが・・・)。
先ほど感じた気配は消えた。
スイッチを入れると部屋は明るくなり、先ずは何時もの通りパソコンの電源を入れテーブルに座りコップ一杯の水で漢方薬を飲む。
我輩のきょうの始まりである。
背中がゾクッ!とした。
寒いのだ。
急いで暖房器のスイッチを入れて厚物のガウンを着た。
何故か?古い子供の頃のことが思い出される。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それは真夏のことである。
川で遊んでいる時に誰かが土手の上から我々に向かって
「(線路で)人が轢かれた!」と叫んでいるのが聞こえた。
川で遊んでいた子供たちは川から上がり我先に鉄道線路に走った。
遊んでいた川の場所から線路までおよそ150mくらいであった。
走って線路に上ると鉄橋から少し柳井よりに大人の人が2~3人既に立っていて、其処に近づくと線路のレールの中に素っ裸の女性が大の字で横たわっていた。
ほんとに布切れ一枚帯びていない。
頭は向こう側であり足は大きく開いて両手を広げて仰向けになっていた。
歳は子供だからよく分からないが30歳くらいの女の方に見えた。
既に息は絶えているようだった。
そばの大人の人が
「(列車に)飛び込んで着ているものは列車に剥ぎ取られたのだな・・・」と言っていた。
近づくと、その女性の方は不思議にどこも怪我らしきものはなかった。
勿論 其処には血の一滴も見えなかったのだ。
「子供はどいた!どいた!」と追っ払われる。
その時には、その周囲には沢山の人が集まっていた。
「何処の人だろう?」そんな声も聞こえた。
どうやら近くの村の方ではないようだった。
子供の私は怖くて顔は見なかった。或いは見ても記憶に留めなかったのかも?
人身事故があると機関車が事前に物凄い汽笛を連続的に蒸(フ)かすから、かなり離れていても“何かあった!“と周りの者は気が付く。
若しも列車が止まれば咄嗟に”誰か轢かれた“ と野良仕事をしている者や気が付いた人は線路に走るのだ。
こうして私が生まれて始めて葬式以外で見た、所謂“死体”の姿(轢死体)であった。
田舎に来て今でも忘れることのできない出来事だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自殺を覚悟で列車に飛び込み跳ね飛ばされて、身体が線路内に落ちて若しも頭が列車の進行方向になれば着ているものは足元から全て風に煽られて列車の突起物に引っかかり着ているものは一枚残らず全て剥ぎ取られてしまうのだ。
和服の場合は男女に関係なく剥ぎ取られるという。
跳ね飛ばされても線路の外に落ちれば、ことによると怪我だけで命は助かるかも?
家に帰りそのことを祖父母に言うと
「列車を止めたり、列車に傷をつければ物凄い(損害)お金を請求されるぞ!」
そして、その金額は
「家が一軒くらい建てられるくらいの金額だ」とも言われた。
「あのように飛び込んでもか?」と聞くと
「列車を止めた、ことに違いはない。停めれば請求される」
「あとの始末も大変だ。その始末の費用も請求される」と教えられた。
其処は今の山陽本線である。
岩国駅から1.5km くらい下った今津川鉄橋を渡った場所で私が子供の頃はよく飛び込み自殺のあった場所である。
以後 其処では数回見ることになるが最初に見た、このことが一番記憶に残っている。
されど詳細なことは明確でない。
きょうは朝から変な話になった。
次回は同じ飛込み自殺でも少々おかしな事実を・・・・。
ワードが変になった。ページ間隔がなくなったのだ。
ページの間の線にポインターが触れたらしい?
「余白スペースを表示する」と字が出た。
クリックすると元に戻った。
コレは最初に勉強したはずだが?もう忘れていた。
ちょっとビックリした。これも祟(タタ)り?
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youtube から拝借 蝋燭の火 ↓
コンパクトデジカメでマクロ撮影に挑戦 「ローソクの炎総集編」
— 三洋デジカメDMX-C4(04年製)で超マクロ撮影に挑戦シリーズの総集編です。デジカメのレンズに1980円のルーペを装着し撮影を行ないました。被写 体とレ ンズの間隔は約2cm。ロウソクの芯の直径約1mm。
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投稿者の説明です ↑
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
デジブックから配送された、今週のピカイチ ↓(9日13時追記:2~3日で消去)
http://www.digibook.net/d/1455c11bb01cb2d471058170e2830ab4/
真夜中に眼が覚めた?

夜中に眼が覚めた。
別にトイレに行きたくなったわけでもない。
寒くて目が覚めたわけでもないようだ。
マブタをあけようとするもマブタが開かない。
目脂(メヤニ)? 嫌だな~ァ と思いながら指先でマブタを開く。
無理やり開けた眼に雨戸の隙間から見える外が少し明るい。
部屋の壁の時計を見るが裸眼ではボ~として夜光時計そのものがよく見えない。
暗い中で寝床に座り早速“真っ向法”を始める。
20分くらいやって、どうも何時もと少し身体の感じが違う?
起きてトイレに行く。
トイレにも時計が置いてあり、それを見るとなんと2時ちょっと過ぎだった。
コレでは身体がへんなのも頷ける。と言ってまた寝る気はしない。
そのまま洗面所で歯を磨き朝のルーチン・ワークを済ませて居間に入る。
居間の灯りをつける前に誰か?部屋に居る気配がした。
スイッチを入れる前にもう一度 居間の中を見渡す
(見渡すほど広くはないが・・・)。
先ほど感じた気配は消えた。
スイッチを入れると部屋は明るくなり、先ずは何時もの通りパソコンの電源を入れテーブルに座りコップ一杯の水で漢方薬を飲む。
我輩のきょうの始まりである。
背中がゾクッ!とした。
寒いのだ。
急いで暖房器のスイッチを入れて厚物のガウンを着た。
何故か?古い子供の頃のことが思い出される。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それは真夏のことである。
川で遊んでいる時に誰かが土手の上から我々に向かって
「(線路で)人が轢かれた!」と叫んでいるのが聞こえた。
川で遊んでいた子供たちは川から上がり我先に鉄道線路に走った。
遊んでいた川の場所から線路までおよそ150mくらいであった。
走って線路に上ると鉄橋から少し柳井よりに大人の人が2~3人既に立っていて、其処に近づくと線路のレールの中に素っ裸の女性が大の字で横たわっていた。
ほんとに布切れ一枚帯びていない。
頭は向こう側であり足は大きく開いて両手を広げて仰向けになっていた。
歳は子供だからよく分からないが30歳くらいの女の方に見えた。
既に息は絶えているようだった。
そばの大人の人が
「(列車に)飛び込んで着ているものは列車に剥ぎ取られたのだな・・・」と言っていた。
近づくと、その女性の方は不思議にどこも怪我らしきものはなかった。
勿論 其処には血の一滴も見えなかったのだ。
「子供はどいた!どいた!」と追っ払われる。
その時には、その周囲には沢山の人が集まっていた。
「何処の人だろう?」そんな声も聞こえた。
どうやら近くの村の方ではないようだった。
子供の私は怖くて顔は見なかった。或いは見ても記憶に留めなかったのかも?
人身事故があると機関車が事前に物凄い汽笛を連続的に蒸(フ)かすから、かなり離れていても“何かあった!“と周りの者は気が付く。
若しも列車が止まれば咄嗟に”誰か轢かれた“ と野良仕事をしている者や気が付いた人は線路に走るのだ。
こうして私が生まれて始めて葬式以外で見た、所謂“死体”の姿(轢死体)であった。
田舎に来て今でも忘れることのできない出来事だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自殺を覚悟で列車に飛び込み跳ね飛ばされて、身体が線路内に落ちて若しも頭が列車の進行方向になれば着ているものは足元から全て風に煽られて列車の突起物に引っかかり着ているものは一枚残らず全て剥ぎ取られてしまうのだ。
和服の場合は男女に関係なく剥ぎ取られるという。
跳ね飛ばされても線路の外に落ちれば、ことによると怪我だけで命は助かるかも?
家に帰りそのことを祖父母に言うと
「列車を止めたり、列車に傷をつければ物凄い(損害)お金を請求されるぞ!」
そして、その金額は
「家が一軒くらい建てられるくらいの金額だ」とも言われた。
「あのように飛び込んでもか?」と聞くと
「列車を止めた、ことに違いはない。停めれば請求される」
「あとの始末も大変だ。その始末の費用も請求される」と教えられた。
其処は今の山陽本線である。
岩国駅から1.5km くらい下った今津川鉄橋を渡った場所で私が子供の頃はよく飛び込み自殺のあった場所である。
以後 其処では数回見ることになるが最初に見た、このことが一番記憶に残っている。
されど詳細なことは明確でない。
きょうは朝から変な話になった。
次回は同じ飛込み自殺でも少々おかしな事実を・・・・。
ワードが変になった。ページ間隔がなくなったのだ。
ページの間の線にポインターが触れたらしい?
「余白スペースを表示する」と字が出た。
クリックすると元に戻った。
コレは最初に勉強したはずだが?もう忘れていた。
ちょっとビックリした。これも祟(タタ)り?
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コンパクトデジカメでマクロ撮影に挑戦 「ローソクの炎総集編」
— 三洋デジカメDMX-C4(04年製)で超マクロ撮影に挑戦シリーズの総集編です。デジカメのレンズに1980円のルーペを装着し撮影を行ないました。被写 体とレ ンズの間隔は約2cm。ロウソクの芯の直径約1mm。
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デジブックから配送された、今週のピカイチ ↓(9日13時追記:2~3日で消去)
http://www.digibook.net/d/1455c11bb01cb2d471058170e2830ab4/
花の寺:極楽寺に閲覧・コメントを有難う御座いました。
本日は広島三次の藤棚観賞をアップしていますので遊びにお越し下さい!
何十年も前の事故の事を良く憶えていらっしゃいますね!
印象に残る強烈な出来事だったのでしょうね。
山陽本線の今津川に架かる鉄橋は台風で流される事も無く当時のままで現在も健在ですよ。
川下小学や中学の位置は当時のままで学校周辺は住宅街になっています。
あの場所は当時よく自殺者がでました。今はどうか知りませんが・・。
川下小学校も見たいですね。クスノキにも行ってみたいし・・・。当時は国民学校と言っていました。卒業すると広島の寄宿舎に入ったので以来 川下小学校には行っていません。今は祖父母の家も解体されてありません。想い出のみです。数年前に帰省した時にハチ・ケン道路と言っていた道路が綺麗な舗装道路になっていました。岩国駅前から航空隊に向かう道路です。
全て70年前の話です。
変わらぬものは土手でした。川の水も当時はとても澄み切っていました。満潮になっても水底の手長海老がよく見えて・・・ガンゾウーエビと言っていましたね。焼玉エンジンの音も懐かしいです。アレコレ・ランダムに思い出します。コメント及び豆通信 有難うございました。