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世界遺産 日光大紀行

織内将男のブログ; 世界遺産の日光寺社を中心に、大地域の日光を巡ります

112、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮入口の遠近法の不思議」

2014-09-21 16:20:50 | 日光東照宮




112、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮入口の遠近法の不思議」






http://ts1.mm.bing.net/th?id=HN.608012419862564778&pid=1.7



http://nikkotoshogu.com/html/tosyogu/file/torii2.gif






東照宮の不思議、入口部の遠近法

東照宮へ至る表参道は、石鳥居までの真っ直ぐな道なのだが、これにはちょっと仕掛があった。 手前(南側)と奥(石鳥居側)とで、道幅が8mも違っているのである・・?。  
つまり、奥に行くほど広がっていて、細長~い台形になっているのである。

このことは、参道下から見た石鳥居は近くに感じるのだが、着いてみてふと振り返ると歩いてきた参道がやけに長く見えるのである。

これは遠近法と言われる手法の一つで、人の目や感覚を上手に利用したもので、視覚表現の分野で広く使用されているものでもある。



現地に到着して振り返ると、「あぁ、思ったよりも遠くへ来たもんだ」と感じて、大いに有難味が増すというもんである。 

見事な演出で、実は鎌倉八幡宮の参道で段葛といわれる大路がある。 この参道は、遠近法によって、道は宮に近づくほどせまくなっている。 
つまり、東照宮とは逆の方式になっているが、このことは、鶴岡八幡宮に向かって、近つくほどに狭くなるように見える視覚遠近法を利用したもので、軍事上において、長い道と錯覚させる為とも云われる。


次に、大鳥居前の石段から、奥へと登るにつれて先細りとなる。
こちらは、大鳥居までが実際よりも遠くに見える「遠近法」というのが用いられているといい、表参道の様子とは逆の形になっている。

この遠く感じさせることは、お宮本殿に近づくに従って、心を整理し、心を清めておきなさい、という暗示でもあるのだろう。

この遠近法は、他の場所でも確認する事が出来て、東照宮本殿の奥に進むに従い、柱の間隔は規則的に短くなり奥行きが感じれれるようになっているという。




次回、 「東照宮石鳥居の下の天気予報ができる敷石」







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111、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の絵柄、色彩の不思議」

2014-09-19 17:33:50 | 日光東照宮




  111、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の絵柄、色彩の不思議」  





http://uda1.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_da0/uda1/m_IMG_4913.jpg?c=a1



http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/e7/07/kassy1946/folder/1796569/img_1796569_66703783_10?1341718775



http://jp-isan.com/another-area/nikkotoshogu/nemurineco.jpg





東照宮の不思議、絵柄・色彩

江戸時代初期の建築・美術・工芸の粋を集めた建造物と称される「日光東照宮」。
その豪壮華麗な姿を維持するため、およそ50年に1度の割合で大規模な修復作業が行われており、2007年からは「平成の大修理」と称される修復作業を財団法人・日光社寺文化財保存会が一手に行っている。

修復作業は「漆塗」と「彩色」の二つの部門に分かれ、それぞれを専門の職人が請け負う。
日光東照宮らしい煌びやかな彩色は、天然の“岩絵の具”と“金”で描かれている。

“岩絵の具”は大変貴重なうえ、風雨に弱いため、本来は屋外の装飾には適していない。しかし、400年前と同じ手法を継承するために、あえて現在でも“岩絵の具”を用い、当時と変わらない独特の極彩色を忠実に再現している。この難しい彩色を施して剥落した色を修復し、絵を再現するのが「彩色職人」の仕事である。

「彩色」の工程は、彩色作業の設計図である“見取り図”の作成から始まる。彩色職人は修復作業に入る前に必ず、修復する彫刻の姿とそれに施された彩色を細部に至るまで紙に描き起こし、これを元に作業を行っていく。
“見取り図”の作成は、写真では残すことができない繊細な彩色の細部を後世に伝える役割も果たすため、彩色職人にとっての大切な仕事の証でもある。

ところで、東照宮内部の建造物は、基本的に五色の色彩が配されているという。
具体的には、白・赤・黒・黄色(金)・青で、日光東照宮のシンボルともいえる陽明門に到るまで、訪れた人は五重塔、神厩、水盤舎、鐘楼等を通るが、次第に色彩が華やかになってきて、陽明門に至ると五色の色が全てが使用され、より華やかな色彩に包まれる。 
後に通る唐門、本殿、坂下門にも同様に確認出来る。

東照宮の色彩は、陰陽道における陰陽五行説によるとされ、魔除けの願いがこめられていると言われている。
陰陽五行では地球上のすべては五つの元素で成り立っているとされ、五元素を示す色が即ち、白・赤・黒・黄色(金)・青といい、東照宮もそれに習ったとされている。




次回、 「東照宮入口の遠近法の不思議」







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110、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の彫刻の不思議」

2014-09-18 17:48:36 | 日光東照宮






  110、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の彫刻の不思議」  







http://www.tochigi-tv.jp/common/sysfile/topics/ID00000376_img3.jpg



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-30-fc/satan0518/folder/314598/54/4132754/img_2?1172891498



http://www20.tok2.com/home/koichi76/casephoto/13/13019.jpg






東照宮の不思議 多種の彫刻類

有名な神殿に彫られた「見ざる・言わざる・聞かざる」の「三猿」や、「眠り猫」、「鳴龍」などは、三大絵柄ともいわれる。

猿は、古来から猿は馬の守り神とされているが、何で、「三つの○○ざる」なのか・・?、
猫は寝ているのか、寝たフリをしているのか、睨んでいるのか・・?、 鳴龍は、故意に作ったのか、偶然か・・?(現在、お堂内では「手は叩かないでください」ということになっているらしい)、 後世の人々はいろんな理屈、理由を付けているが、当初の頃の人々は、果たして同じ様な印象だったのか・・?。


上神庫の屋根妻面には狩野 探幽が下絵した「想像の象」という彫刻があり、「三猿」と「眠り猫」と共に日光三彫刻の1つとされている。

建物の側面に2頭の象の彫刻があるが、しかし、鋭い爪・・?、耳には金具・・?、それに、尻尾が4本・・?、と、無論、実物の象とは全く異なっている。
当時象は見た人がほとんどいない珍しい動物で人からの又聞きで特徴を聞き、想像力で膨らませて像を描いたそうです。 つまり想像上の象なのです。



次回、東照宮の不思議、絵柄・色彩






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109、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の不思議」

2014-09-16 18:04:52 | 日光東照宮






  109、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の不思議」  





http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-07/kassy1946/folder/1796569/73/53835973/img_1?1250776977



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日光東照宮の不思議と家康、
 
日本を代表する社寺として、1999年に世界遺産に登録もされている日光東照宮。
元々、徳川家康の「日光に小さな堂を建立して祀るように」という、遺言に基づき建造されたそうで、3代将軍の座に就き家康を崇拝していた家光が、大規模な社殿の造営を命じる。

徳川幕府の威信をかけ、日光東照宮の造営が進められ、工事に関わった総延べ人数は650万人にも上る。1日平均に換算すると1万3000人になる。費用も当然莫大であり、完成までに現在の貨幣価値にして数百億円がつぎこまれたといわれている。

42棟ある日光東照宮の建物群を観に訪れた人に、強烈な印象を与えるのが建物群の多彩な色合いと、建物に彫られた数え切れないほどの彫刻の数々であろう。

その大権現・徳川家康自身のことであるが、遺骸は日光東照宮ではなく、静岡県の久能山東照宮に埋葬されている。

徳川家康は元和2年(1616)4月17日に75歳の生涯を閉じた。

天下人であった家康の遺言により、亡くなったその日のうちに久能山に葬り、 二代将軍秀忠の手により創建されたのが久能山東照宮である。
そして1年後、元和3年(1617)に、これも遺言に従って御霊は日光の東照宮に移されたが、
御遺骸は依然として久能山東照宮の境内奥にある神廟に眠っているという。 つまり、身体と魂が別々に祀られているために久能山と日光に東照宮が2つあるのだ。

更に、御位牌は、生まれ故郷の岡崎にある菩提寺の「大樹寺」に納められているという。



次回、「東照宮の彫刻の不思議」








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108、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮=徳川家康」

2014-09-14 15:07:36 | 日光東照宮





108、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮=徳川家康」




http://www.busyo.org/media/date_masamune.jpg


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http://ts3.mm.bing.net/th?id=HN.607992413905618741&pid=1.7




天下統一を果たし、270年にも及んだ江戸幕府を開いた家康は1542年、当時、松平氏として岡崎で生誕している。 
幼少の頃は苦労の連続で今川氏の駿府城下、家康は今川家の人質として19歳までの12年間を過ごしている。
不自由な生活に耐えることで忍耐強い性格がここで形成されるのです。

織田信長の台頭により岡崎城主として復活している。 
後に浜松に城を移し、城主となった1572年、上洛中の信玄に「三方ヶ原の戦い」で大敗を喫する、家康初の敗戦である。 
その後、織田信長、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と手を結び、次第に勢力を伸ばしていった。

両氏亡き後、天下分け目の戦いと言われる「関ヶ原の合戦」で、徳川東軍を勝利に導き、更に、豊臣遺子(秀頼)を「大阪の陣」で滅亡させる。

1603年、江戸に幕府を開き徳川政権下、征夷大将軍になったが、わずか2年で秀忠に将軍職を譲り、駿府に戻って大御所と呼ばれるようになった。

晩年になって、天下統一を果たした家康は、忍従と波乱に満ちたの一生であったといえる。


家康公の遺訓として、

『 人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久に基、怒りは敵と思え。 勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る、己をせめて人をせめるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり 』


『 人はただ 身のほどを知れ 草の葉の
        露も重きは 落つるものかな 』  家康

1541~1616年、75歳の生涯を駿府(静岡)で、その幕を閉じている。



次回からは、東照宮の不思議   









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