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世界遺産 日光大紀行

織内将男のブログ; 世界遺産の日光寺社を中心に、大地域の日光を巡ります

12、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山内のシンボル神橋」

2014-05-08 17:25:12 | 世界遺産・日光






  12、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山内のシンボル神橋」 



http://220.221.228.170/record/current.jpg?rand=981581


http://www2.odn.ne.jp/~cbb90540/nikko/13.jpg
日光山内・神橋






東武日光駅を降りると正面にバス停がある。
ここから二社一寺へは、ほぼ直線で1・5km、真直ぐ歩けば徒歩で20~25分、バスでも5分程度。 若干の上り坂と言う事と山内を沢山歩く事を考えても、ここは市内の様子や雰囲気を見物しながら、ジックリと歩いてゆきたい。
二社一寺へ訪れるには、とにかく真直ぐに行くと大谷川に架かる洒落た「日光橋」を渡る。バス停だと「西参道」で降りる事になる。
ここは既に日光山の入口にあたり、直ぐ左に赤い弧橋の「神橋」が見えている。
「神橋」の読み方は「しんきょう」である。


聖地日光の表玄関を飾るにふさわしい朱塗に映える美しい神橋は、聖都・日光の象徴的建造物である。
幅6メートル、長さ27メートル、高さ(水面より)10.6メートルあり、高欄には親柱10本を建て、それぞれに擬宝珠(伝統的な建築物の装飾)が飾られ、橋板の裏は黒漆塗で、その他は朱に塗られている。
奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれてきたが、寛永13年に現在のような神橋に造り替えられてから、もっぱら神事、将軍社参、勅使、幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般の通行は下流に仮橋(日光橋)を架けて通行することとしたという。

この橋は「山管蛇橋」という別名もある。
これは、この地に勝道上人が二荒山(男体山)で修行をするために訪れた時に、大谷川の急流に行く手を阻まれ、神仏に加護を祈ると「深沙大王」が現れ、赤青2匹の蛇で両岸をつなぎ、その背に山管を生やし勝道上人を対岸に渡したという。
勝道上人は、お礼の意味をこめて、後に深沙大王のお堂を建ててお祀りしました。


深沙大将(じんじゃだいしょう)は、仏教の守護神の一人で、大般若経の十六善神とともに描かれることが多く、深沙神、深沙大王とも呼ばれる。
玄奘三蔵がインドへ経典を求めて行く途中、砂の中から現れ、玄奘を守護した神と伝えられる。

深沙大王を祀る深沙大王堂が、直ぐ向かいの山内、太郎杉の隣にある。
お堂に扇の要をはずして願い事をすると願いが叶うといわれ、特に花柳界の信仰が厚く、小雨の中、蛇の目傘をさして朱塗りの神橋の近くを歩く芸妓衆の姿は、とても絵になる風景だったそうである。
又、東京調布の深大寺は、「深沙大王」を祀る寺院として有名である。

神橋は、昭和57年男体山頂鎮座1200年祭斎行に際し、昭和48年よりその奉賛を目的として、広く一般に公開され、平成9年より大修理が行われた。 
山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋であり、日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の1つに数えられている。
日光山の世界遺産登録時に、同時に指定されている。



次回、 「日光山・輪王寺」






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10、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山と輪王寺宮」

2014-05-05 10:27:01 | 世界遺産・日光





   10、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山と輪王寺宮」



http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dd/NikkoRinnoji5390.jpg/800px-NikkoRinnoji5390.jpg
輪王寺本堂(三仏堂)


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/6/61/Rinnoji_taiyuinbyo.jpg
輪王寺 大猷院廟唐門(家光朝廟)



日光山と輪王寺宮について、

日光山輪王寺は、室町時代には所領十八万石、500におよぶ僧坊が建ちならび、その隆盛を極める。
しかし、その後の天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際、北条氏の支配下にあった寺領は全てを没収され、一時衰退した。
しかし、近世に入って、天台宗の高僧・天海が貫主(住職)となってから復興が進んだ。

元和3年(1617年)には徳川家康の霊を神として祀る東照宮が設けられた(現存の東照宮社殿はこの時のものではなく、20年ほど後に建て替えられたもの)。
承応2年(1653年)には3代将軍徳川家光の霊廟である大猷院(たいゆういん)霊廟が設けられた。
東照宮と異なり仏寺式の建築群である大猷院霊廟は近代以降、輪王寺の所有となっている。

その翌年の明暦元年(1655年)には後水尾上皇の院宣により「輪王寺」の寺号が下賜され(それまでの寺号は平安時代の嵯峨天皇から下賜された「満願寺」であった)、後水尾天皇の第3皇子・守澄法親王が入寺した。
以後、輪王寺の住持は法親王(親王宣下を受けた皇族男子で出家したもの)が務めることとなり、関東に常時在住の皇族として「輪王寺門跡」あるいは「輪王寺宮」と称された。

輪王寺宮は、輪王寺と江戸上野の輪王寺及び寛永寺(徳川将軍家の菩提寺)の住持を兼ね、比叡山、日光、上野のすべてを管轄して強大な権威をもっていたとされる。東国に皇族を常駐させることで、西国で天皇家を戴いて倒幕勢力が決起した際には、関東では輪王寺宮を「天皇」として擁立し、徳川家を一方的な「朝敵」とさせない為の安全装置だったという説もある。

だが、戊辰戦争の後に明治政府によって輪王寺の称号を没収されて、明治2年(1869年)旧称の「満願寺」に戻される羽目になる。 更に、追い討ちをかけるように輪王寺宮本坊を焼失してしまう。
だが、明治15年(1883年)に栃木県の取成しによって、荒波を越えて再び、「輪王寺」を正式の寺号とすることが許されたのである。




次回、 「輪王寺;日光駅から」









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9、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山と本地垂迹」

2014-05-04 15:19:26 | 世界遺産・日光




9、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山と本地垂迹」




http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/birth-of-venus/20130503/20130503221025.jpg
日光山の元祖: 滝尾神社


http://c2.atwiki.asia/livia/2/2013/1007/33d4d7cc57cd62093236.jpg






日光山の本地垂迹について、

因みに仏教教示は、平安時代になり「最澄」、「空海」(平安二宗)らの出現によって、奈良時代(南都六宗)の官寺から、一般大衆の信仰対象となって宗派が出来た。

その仏教宗派は、山岳信仰(自然神)や各地の神社との融合である「本地垂迹」と言う形式が出来て、神道と仏教の共存のあり方が生まれてきた。

神道が仏教に一歩、歩み寄り、仏教も神道に融和し互いに化身し、裏表一体の権化として、この形式が公家から庶民まで浸透して行った。
この事象は、平安期から江戸末期まで延々と続くことになる。



だが、世は近代に移る時の明治4年、今から140年余り前、日本が明治維新と言う史上例のない大変革に取り組み、近代化日本に邁進する中に「廃藩置県」と「神仏分離令(通称)」が施行発令された。

それまでの日本は仏教伝来依頼、神仏は共栄共存をしてきた。
世界の古今東西、外来宗教と既存宗教の軋轢、紛争は世の常であるが、日本人の英知言うべきか、旨く融和、融合し、神仏習合が特に大きな問題も無く、同一化できたことは世界の奇跡と言っても良い。

以来1400年余り大きな争いにもならず融和、伝統文化を形成し、歴史を刻んできた。
昔は、日本の津々浦々に神社と寺院が隣り合わせ、また道を一本隔てて立っている光景を良く見かけたものであろう。

ところが、明治維新までは神仏一体の社寺だったはずが、明治初期の神仏分離令によって、神と仏、神社と寺院は別のものとして、切り離されたのである。


現在、日本には神社が8万8千社、寺院は7万5千寺が有ると関係資料に記されている。
多分、明治以前の神仏分離がなされていなかった場合、寺院だけでも十万寺は下らなかったろうといわれる。



次回、「日光山と輪王寺宮」








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8、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山と神仏習合」

2014-05-03 21:09:38 | 世界遺産・日光






8、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山と神仏習合」




http://www.kirariwedding.com/contents/thumbs/gallery/bf431d76c40efa527f217aa669f44f7f.jpg
日光山輪王寺・本堂
(日光山輪王寺は日光山中にある寺院郡の総称でもあり、堂塔は広範囲に散在しています。歴史深い輪王寺での仏前結婚式も厳粛に行われます。)




神仏習合と本地垂迹

神仏習合時代の本地仏名とは、「本地垂迹」(ほんちすいじゃく)ともいわれ、仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つであり、日本の八百万の神々は実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。

「権」とは「権大納言」などと同じく「臨時の」、「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを示すとされる特別な名称である。
「垂迹」とは神仏が現れることを言い、「本地垂迹」とは日本の神は本地である仏・菩薩が衆生救済のために姿を変えて迹(アト)を垂(タ)れたものだとする神仏同体説である。
端的に云えば、日本各地に祭られている神々とは、仏教の仏たちが仮の姿で現われたものと説いている。
言い換えれば、神は実態が無いが、仏が神に代わって実態として現れたものと解釈できる。

これを神社側の視点に立って説明すれば、神々はそのままでは俗世に姿を現すことができないので仮に仏の姿に変えて現れ、衆生の苦しみや病を癒してくれるのだという。 
こうした説は平安初期頃から流布しはじめ、中世には概ね日本人の感覚として定着していったといわれている。

日光山に祀られる神は日光権現ともいい、二荒神、二荒大神が神仏習合によって権現と呼ばれるようになったもので、日本でも有数な神域だったのである。
平安初期に始まった、この神仏習合という思想形体は、文明開化の明治期、時の明治政府によって厳しく指摘され、習合している神仏を切り離す、所謂、「神仏分離」政策が施行されるに到った。 これまで神仏習合の時代は、実に1000年以上も続いたのである。



次回、「日光山と本地垂迹」



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7、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山と三所権現」

2014-05-02 14:30:21 | 世界遺産・日光





  7、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山と三所権現」




https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/f2/10f7d4adfcf100f79449dd14c8983959.jpg

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-34-4b/csrjc186/folder/1006765/67/50581967/img_0?1273585783
日光三所権現の男体山と女峰山






創建以後、平安時代には真言宗宗祖の空海や天台宗の高僧・円仁(慈覚大師)らの来山が伝えられる。
円仁は嘉祥(かしょう)元年(848年)に来山し、三仏堂、常行堂、法華堂を創建したとされ、この頃から輪王寺は天台宗寺院としての歩みを始める。

鎌倉時代の日光山は幕府や関東地方の有力豪族の支援を受け隆盛した。
男体山、女峰山、太郎山の三山の神を「日光三所権現」として祀る信仰はこの頃に定着したようである。


三山、三所権現、祭神(垂迹神)、三仏(本地仏)、つまり本地垂迹の対応関係は次のとおりである。

★ 男体山(2,486メートル)=新宮権現=大己貴命(おおなむちのみこと)=千手観音
★ 女峰山(2,464メートル)=滝尾(たきのお)権現=田心姫命(たごりひめのみこと)=阿弥陀如来
★ 太郎山(2,386メートル)=本宮権現=味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)=馬頭観音


以上のように日光山では山、神、仏が一体のものとして信仰されていたのであり、輪王寺本堂(三仏堂)に3体の本尊(千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音)を安置するのは、このような信仰形態によるものである。


これは今も尚、日光山は「日光権現」あるいは「三所権現」と呼び慣わしていて、「神仏習合時代」に神々と仏が一体とした由縁で祀られている。

所謂、本地仏名も掲げてあり、上記のの観音名がそうである。



次回、「日光山と神仏習合」









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