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世界遺産 日光大紀行

織内将男のブログ; 世界遺産の日光寺社を中心に、大地域の日光を巡ります

世界遺産 日光大紀行(111)日光の自然 「奥日光・湯元温泉の温泉寺」

2014-03-29 16:17:26 | 日光の温泉





世界遺産 日光大紀行(111)日光の自然 「奥日光・湯元温泉の温泉寺」






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湯元温泉の歴史は古く、日光開山の時期である1200年前に遡るとされている。
日光を開いた勝道上人が延暦年間(奈良時代)には温泉を発見し、先ず、薬師湯と名づけたのが湯元温泉の始まりと伝えられる。
そのとき、背後の山を温泉ガ岳と命名し、頂上に薬師瑠璃光如来を祀ったといわれる。 さらに、には弘法大師がここを訪れ、観自在湯と名乗って観世音菩薩を祀ったと伝えられている。

湯元温泉には古くから薬師湯や観自在湯、川原湯など9つの湯があり、共同浴場として9人の湯守と呼ばれる人たちによって管理されてきたらしいが、残念ながら、現在これらの共同浴場はなくなり、それに代わる旅館やホテルが湯を引いて温泉客を迎えている。
 
当時は、冬の寒さが厳しいため、昭和の初期までは主に夏だけの湯治場だったらしい。
江戸時代文政年間に成立した「日光山志」によると、
『 中禅寺温泉湯元は中禅寺別所の西北、赤沼原(現在の赤沼)を経て三里、日光神橋より六里のところ、湯ノ湖の近くにあった。春に入っても風雪が激しく3月中は寒さが残り9月には前山が初雪となるため、毎年旧暦4月から同9月まで湯室を開いていたが、それでも白根山に残雪が残る期間は入浴する者も少なく、湯治シーズンは毎年5月末より6月頃からとなっていた。日光町方により管理され、必要な物資食料は日光町方が背に担いで運搬していた。三町から四町ほどの広さの平坦地・湯平(現在の湯元)には9軒の大きな「湯屋」があり、いずれも泉源のある東寄りの山際に並んで建てられており、ここから上州沼田に抜ける間道があった。 』と記されている。
9軒の湯屋というのは、河原湯、薬師湯、自在湯、姥湯、瀧湯など、9つの性質をもつ湯場のことである。






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世界遺産 日光大紀行(110)日光の自然 「奥日光・湯元温泉の源泉」

2014-03-29 16:06:28 | 日光の温泉




世界遺産 日光大紀行(110)日光の自然 「奥日光・湯元温泉の源泉」





https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/a0/85a238e4414b9fa1cdef33270f44ca7f.jpg


http://www.demio-fuafua.com/tabinikki/photo/67843.jpg
湯元温泉の源泉  湯ノ平湿原にある源泉




温泉地周辺では、既に、温泉の独特の硫黄臭が漂い、白樺林の木々の間に見え隠れする美しい湖面は湯の湖である。 湯の湖の水は、湯滝になって流れ下り、戦場ヶ原を潤しながら竜頭の滝に至り、直ぐ下の中禅寺湖へと流れ下る。
明るい初夏のこの時期の湯元は、つつじやシャクナゲが咲き乱れ、梅雨の晴れ間をぬって美しい湯の湖の湖面がぎらぎらと輝いている。 
湯の湖は、決して大きな湖ではないが、太公望達はボートに乗って湖面奥に見え隠れしながら釣りを楽しんでいる。
この時期の素晴らしい理由の一つに、至る所にここの有名な「クリン草」が咲き誇っていることであろう。 野生のクリン草群落は、千手ヶ浜が有名であるが、ここで見られるクリン草もナカナカのもので、特に温泉寺に咲き乱れているクリン草群は美事である。


日光湯元の温泉は、硫黄の香りが部屋中に充満する、わずかに青みを感じる程度の美しく滑らかな白濁湯である。
硫黄の香りとこの色だけで、浴感なんて超越した満足感が味わえる温泉であり、濃い硫黄泉に入ると、体が硫黄の香りに包まれていて、1日中幸せな気分になれる予想以上の素晴らしい温泉なのである。
源泉温度は60度前後なので、温泉宿泊所は湧出地と隣接しているため、適温にするための加水はしてあるようだが、それでもこの濃さからしても白濁硫黄泉はれっきとした源泉掛け流しの温温泉なのである。

含硫黄-カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩・塩化物温泉(硫化水素型、中性低張性高温泉)で、やや酸性を帯びたPH値は6、前後で、効能としては神経痛、筋肉痛、冷え症、糖尿病などに効くとされている。






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世界遺産 日光大紀行(109)日光の自然 「奥日光・湯元温泉」

2014-03-29 15:42:44 | 日光の温泉





世界遺産 日光大紀行(109)日光の自然 「奥日光・湯元温泉」





https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/a0/85a238e4414b9fa1cdef33270f44ca7f.jpg
奥日光・湯元温泉 源泉部

http://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/04/1e/e1/70/caption.jpg
奥日光・湯元温泉 露天風呂

http://dom.jtb.co.jp/yado/photo2/LL/3/3318015/33180151000000053.jpg




奥日光の湯元温泉へ訪れたことが数回あった。 
それは、日光山や中禅寺湖湖畔を観光した回数よりも、かなりの数なのである。
目的は、スキーであった。 

スキー場は、何もこちらの日光湯元スキー場より関越方面の近場もあったのだが、家族が気に入って始めのうちは良く来たもんで、それも暮れ正月が殆どであった。

利用したホテルは「日光グランドホテル」で、施設としては特上クラスの観光ホテルであるが、何よりもNTT(当時、電電公社)の特約の指定保養所になっていて、上さん(妻がNTT社員)の関係で超格安(通常の3分の1程度)で宿泊できたのであった。
ホテルはスキー場に隣接していて、スキー板をつけたままで玄関前まで滑り込んで来ることも出来るのである。 
そして、当ホテルでは年末年始になると特別の催し物が付いていて、宿泊者一同が楽しい一時を過ごすことができ、子供たちが特に喜んでくれるのであった。


キッカケはその年の夏、始めて家族と日光を訪れ、各所の観光県物を終えて、当館のホテルに宿泊した時のこと、周囲の大自然に囲まれた環境は絶佳で、正面には湯の湖が満々と清水を湛えて静まり返っていた。
ホテル住まいも豪華そのもので、特に小生たちは温泉浴場や温泉そのものに大満足であった。
そして、ホテルの直ぐ隣の草原へ家族とともに散策に出かけた際に、

「あれなーに・・?」と問われたので、
「あれはスキーのリフトだと。ここは冬になると雪が積もってスキー場になるところで、スキーの客をこのリフトで上まで運び、そこから滑り降りてくのだよ」と言うと、子供が、
「スキー、やってみたい」とせがむのであった。


元より小生、スキーは20歳(はたち)代の前半に数度、会社の保養所を利用して仲間と志賀高原で滑ったことはあるが、あれ以来10数年経験していなかったのが正直なところで、やや不安はあった。

そのことはともかく、冬の雪のシーズンともなると周囲の景観はガラッと変わるだろうし、その景観も見てみたい。 そして、何よりホテルが気に入っていたので、冬場の温泉に浸かるのも楽しみであり、早速、帰りしな当館フロントに、その年の年末年始の予約をしてしまったのである。



その年以来、この奥日光へは家族でスキーを楽しみに、毎年、数年間続けてやってきたのである。 
そして、あれ以来30数年間、子供たちが所帯をもった現在でも、スキーを楽しんでいるのであり、更には、スキーのメッカとも言われる長野県白馬村に別宅を構える程になってしまったのである。

奥日光、そして日光グランドホテルは、一家でもってスキーやハイキング、キャンプなどの自然相手の楽しみごとを始めた最初の出会いの場だったのであり、何より、小生が山歩きを始めたきっかけでもあったのである。
尚、その日光グランドホテルは近年、経営者が変わって「ほのかな宿・樹林」という名称になっているらしい。










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世界遺産 日光大紀行(89)日光の名所 「金谷ホテル・Ⅱ」

2013-12-13 17:16:01 | 日光の温泉






世界遺産 日光大紀行(89)日光の名所 「金谷ホテル・Ⅱ」



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イザベラ・バード女史




1878(明治11)年には 英国人女性旅行家・イザベラ・バードが宿泊した。

彼女は世界各地を旅した後に、来日(当時47歳)、東北と北海道を旅する許可を得て, 途中「金谷コテージイン」に滞在、自然にあふれた日光に感銘を受けた。

このことが旅行記『日本奥地紀行』で紹介され, 在日外国人の間で“日光の金谷”が最高の避暑地として評価された。
そして、1893(明治26)年に 東照宮の入口に近い現在地に,、2階建て客室30室の「日光金谷ホテル」を建築, 営業を開始した。


日光金谷ホテルの創業は明治6年、当初は寛永年間に当時の武家の住まいとして建てられていて、直前までは金谷武家屋敷であったらしい。
明治初期、ヘボン式ローマ字の制定で有名な J.ヘボン博士を泊めしたのをきっかけとして、金谷家は、この住まいを外国人の宿泊に提供することとし「KANAYA・ COTTAGE・ INN」と名づけ、後に金谷ホテルとなったといわれる。

室内の造りは、絢爛豪華な東照宮のお膝元にふさわしく、東照宮に相応しく眠り猫など、極、彩色の日光彫りなどの和風装飾で埋め尽くされている。
宿泊者は、避暑に来た日本情緒を好む外国人が多く、まるで外人ホテルの様相を呈し、外人の目を楽しませる趣向だったそうで、これは 現在も引き継がれて、独特の雰囲気を醸している。

尚、現在の旧邸は、西参道から国道120号線に出て西に向かい、母沢御用邸記念公園の手前右手にあるが、残念ながら見学は外からのみとなる。
近くに、名産らしいカステラ屋が2軒あり、観光バスのコースになっている模様で、大勢の人で常時あふれているが、旧金谷武家屋敷を訪ずれる人はいないという。


明治末期には、日光御用邸(現・日光田母沢御用邸記念公園)なども開設され, 日光は、さながら国内外の要人の社交の場としてさらに発展し、金谷ホテルも 1922(大正11)年に 英国皇太子殿下が泊まるなど, 外国王室や 国内宮家の利用が増え, 近代的ホテルとして増改築を経て現在に至っている。
尚、田母沢御用邸は、元紀州藩の武家屋敷を改造したものであり、室内は皇室御用邸としても整っていて、天皇の「鳳凰の間」などもあり、明治天皇をはじめ多くの皇室関係者、宮家もお泊りになったそうである。  


金谷ホテルは、天皇をはじめ、チャップリンやアインシュタイン(ノーベル賞受賞直後)、ヘレンケラー、イザベラ・バードなど、著名な外国人が愛した由緒あるホテルである。
特に、女子旅行家・イザベラ・バードは「日光」が気に入ったらしく、10日以上滞在している。 



次回、日光の人物 「イザベラ・バード」






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世界遺産 日光大紀行(88)日光の名所 「金谷ホテル」

2013-12-13 17:05:33 | 日光の温泉





世界遺産 日光大紀行(88)日光の名所 「金谷ホテル」




〇〇

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http://iiyado.tv-tokyo.co.jp/yado/1426/img/submain.jpg

金谷ホテル




金谷ホテル

北岸を更に西へ、菖蒲ヶ浜の手前辺りに美しい湖畔の高台に建つクラッシクな建物、リゾートホテルが森の中にヒッソリと建っている。
明治6(1873)年創業の日光金谷ホテルとともに日本のリゾートの先駆けとなった中禅寺金谷ホテルである。

土産物店などが軒を連ねる湖畔の中心地から、「日本ロマンチック街道」と名付けられた美しい湖畔脇の道路を走っていくと、ミズナラの木立が美しい高台にウッディな外壁と赤い屋根のホテルで、周りの緑と屋根の赤色やバルコニーの深緑色が見事に調和し、その佇まいは欧米の高原リゾートを彷彿させる。

昭和15(1940)年、避暑のために中禅寺湖を訪れる外国人向けのホテルとして「日光観光ホテル」の名称で開業したが、その後、度重なる火災やGHQによる接収など苦難の歴史を乗り越え、平成4(1992)年にカナダ人建築家の設計により全面改築し、カナダ産の銘木を使ったログハウス風のリゾートホテルとしてとして生まれ変わったという。


その本館とも言える「日光金谷ホテル」は、日光市街の一角、天下の日光山・二社一寺のお膝元に有る。
日光の地は江戸期までは、徳川家康の霊廟である東照宮が造られ信仰の山だったが,、明治以降 日本の開国によって増えてきた外国人が、蒸し暑い夏の東京を避けて避暑地を求めて、 軽井沢や日光にやってきた。
1873(明治6)年、アメリカ人ヘップバーン(ヘボン)博士が, 東照宮の楽職(笙=笛の一種=の奏者)をしていた金谷善一郎に頼み 自宅に宿泊させてもらった。
これが口コミで広がり, 毎年外国人を受け入れ宿泊施設「金谷コテージイン」を提供することになった。 これが「金谷ホテル」の始まりである。



更に、日光の名所 「金谷ホテル」






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