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世界遺産 日光大紀行

織内将男のブログ; 世界遺産の日光寺社を中心に、大地域の日光を巡ります

120、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の不思議、五重塔の耐震構造(Ⅱ)」

2014-09-30 16:37:14 | 日光東照宮




  120、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の不思議、五重塔の耐震構造(Ⅱ)」  





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日光東照宮の五重塔の耐震構造


現在(2012年)、世界遺産・日光東照宮の五重塔の初重内部の心柱が特別公開されています。

塔の中心に心柱(しんばしら)が据えられ、その優れた耐震構造は高く評価されています。
5月にグランドオープンした東京スカイツリーもこの耐震システムを応用して設計されたものと言われています。


日本に存在した数多くの五重塔は、火事や戦火で倒壊したものの、地震により倒壊した事例は歴史上ないそうです。

内部を貫く心柱や重い瓦屋根で安定させるなど、優れた免震システムが備わっているとか。
日本の五重塔は「免震システムの教科書」と言われ、高層ビル建築の参考にされているそうです。

平年24年5月に開業した東京スカイツリーの免震システムも日本最古の法隆寺の五重塔を参考にしたと言われています。

その開業を記念して、東京スカイツリー開業日より平成25年3月31日まで、その内部を初めて一般公開しています。次回の公開は未定とのことなので、ぜひこの機会に訪ねてみてください。

五重塔の大黒柱でもある心柱は黄金に輝き、普段は見ることのできない側面や背面の豪華な彫刻を観覧することができます。
  
・特別公開の内容 : 五重塔の初重(一層目)の内部の金に彩られた
               心柱等と初重外回りの十二支の彫刻        
・特別公開期間  : 平成24年5月22日(火)~平成25年3月31日(日)
・拝観料       : 300円


今回の特別公開は、東照宮400年祭(2015年)のプレ企画として実施されているものです。

真ん中が心柱、全体に漆塗り・彩色・漆箔がきらびやかに施されています。
この心柱は縁下の礎石には触れてなくて、中吊り状態になっているそうで、但し心柱の周りの4本の柱はしっかり礎石に密着しています。

塔の先端部分の標高が681.215m、基底部の標高が646.751mであり、石鳥居手前の参道の途中がスカイツリーと同じ高さの標高の634mだそうです。


心柱が四重部分の梁から吊り下げられて浮いています。
時を経て重みで塔身が縮んだ際にも心柱が五重の屋根を突き抜けてしまわないよう江戸時代に考え出された工法です。
このように、塔身と分離した心柱が免新機能をはたしていると考えられています。



次回、「東照宮の徳川埋蔵金とかごめかごめ」







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119、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮五重塔の不思議」

2014-09-29 16:37:12 | 日光東照宮




  119、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮五重塔の不思議」  




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東照宮の不思議、五重塔の耐震性、

東照宮境内入り口にある五重塔に、「不思議」が有るといわれる。
不思議とは、「五重塔の心柱が宙に浮いている」のである。
実はこれは、不思議ではなく科学的にも、理由は解明されている。


五重塔の1層目に当たる初重内部には、直径約60センチの心柱に金箔が施され、周囲の梁や柱に描かれた極彩色の模様や竜などが間近で見られるそうである。 
また、五重塔の心柱は塔の四層から鎖で吊り下げられており、礎石(そせき)からは浮いているという。 
これは経年で塔身が縮んだ際に、地上に据えた心柱が五重の屋根を突き抜けてしまわないための工夫がされているそうである。


そして更に、地震の際にこの構造こそ、揺れを吸収してしまう造りであるとされている。
1683年9月に、「日光山大地震」(震度6)と言われる強烈な地震に襲われているが、この時既に、五重塔は建造されていたはずである。 

だが、この五重塔が壊れたとか、倒壊したという記録は無いらしい。



今年(2012年)、建築が終了してグランドオープンの運びとなった「東京スカイツリー」は、真に、この耐震システムを応用して設計されたものと言われています。

又、五重塔の建つ場所の標高は、奇しくも東京スカイツリーとほぼ同じ高さであり、今回、日光東照宮により、東照宮400年祭(2015年)のプレ企画として、特別公開が行われることになったという。



今年公開された、「東京スカイツリー」も、五重塔の構造を参考に、心柱的な構造を採用しているといわれる。
日光東照宮五重塔は、塔の中心に心柱(しんばしら)が据えらていることで、今、その優れた耐震構造が高く評価されているのである。

今でも通用する当時の技術の高さは、驚嘆に値する能力だったのである。




次回、「東照宮の不思議、五重塔の耐震構造(Ⅱ)」









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118、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮陽明門のグリ紋の不思議」

2014-09-28 14:49:10 | 日光東照宮




  
118、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮陽明門のグリ紋の不思議」  





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陽明門は12本の「グリ紋」と呼ばれる渦巻き文様が彫られた白い柱で支えられています。
正面:4本、背面:4本、中央部:4本



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正常な柱の上向き渦巻き文様 (猿の顔みたいに見えます。)


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逆柱の下向き渦巻き文様 
間違えて彫ったわけでなく、魔除けのために意識的に逆の文様を彫ったものです。




東照宮の不思議、陽明門のグリ紋彫刻

陽明門は、12本(正面:4本、背面:4本、中央部:4本)の「グリ紋」と呼ばれる渦巻き文様が彫られた白い柱で支えられている。
しかし、この中の1本だけ渦巻き文様の向きが逆になっている柱が背面にある。

何故か・・?。

東照宮の建物には、このように一箇所だけ他とは異なる仕様に仕上げている細工が、あちこちで見られます。
この理由として言われているのが、
『 完成された建物は、いずれは崩壊する。正に完成した瞬間から崩壊が始まる 』という言い伝えである。

建物自体の陽明門の逆柱は、未完成というわけではないが、敢えて1つだけ仕様を変えることで、まだ完成した完璧な建物ではないよということを表わしており、この後も衰退することは無い、つまり、徳川家の衰亡は絶対に無い、ということを暗示させているといわれる。
更に、この逆柱は、その意味を込めて魔除けの意味があるとされている。



【1箇所だけ仕様が異なる建物の例】 

★ 五重塔第5層の屋根の垂木の構造が他の4層と異なる。
   (1~4層:平行垂木、5層:放射状垂木)
★ 御水屋の西角だけが切り落とされた形になっている。(角切りの屋根)
★ 陽明門の左右の回廊の透かし彫りで右端の一つだけ大きさが小さい。
★ 陽明門の逆柱



次回、「東照宮五重塔の不思議」





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117、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の回転燭台の不思議」

2014-09-26 13:40:06 | 日光東照宮





  117、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の回転燭台の不思議」  





http://c2.atwiki.asia/livia/2/2013/0929/047df9e28ca660e98aaf.jpg



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回転灯篭(オランダ寄贈)



オランダ寄贈の回転灯篭の逆さ葵紋(九箇所)



正規の三つ葉葵の御紋



東照宮の不思議、各種燈籠の一つ回転燭台

陽明門の直ぐ下に「回転燭台」というのがある。(向かって左側)
寛永20年(1643)、オランダから奉納された豪華な燭台だそうで、蝋燭(ろうそく)に灯を燈すと自然に回転するといわれる。

(余談だが、我が家のひな祭りの節句に飾る「雛飾り」の最上段、内裏雛の両サイドに燭台を併せて飾っているが、燭台に灯り(電球)を灯すと、その熱によってカバー全体が回転する仕組みになっている。)

回転燭台を見渡して、眼のいい人、感のいい人は、何かの異常に気が付くはずである・・?。
この燭台の上部を良く見ると、徳川家康の家紋である「三つ葉葵」が逆さまになっている・・?。 

これは「逆紋の廻り燈籠」とも言われているらしい。
通常の「三つ葉葵」の形は、上から1葉・2葉の巡になっているが、この燭台の文様の8箇所全てが、上から2葉・1葉の形になっているのである。

オランダ人の技術者達が、母国で精魂込めて作ったもので、この事はただの“うっかり”したミスだったそうである。 
家康自身は、その出来栄えの見事さと悪意がなかったことから、特にお咎めはなかったそうで、従って、現状のままになっているのである。

因みに、東照宮境内には各種灯篭が無数に存在するが、特に陽明門透塀の内側の周辺に、ずらりと並ぶ唐銅製の燈籠は、10万石以上の諸大名から寄進されたものといわれる。
境内には、石燈籠と合わせて315基にものぼるという。



次回、東照宮の不思議、陽明門のグリ紋








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116、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の不思議、明智は天海・・?、」

2014-09-25 18:00:06 | 日光東照宮



116、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の不思議、明智は天海・・?、」





http://ts2.mm.bing.net/th?id=HN.607995879950125731&pid=1.7



http://www.bs-tbs.co.jp/rival/img/bknm/ph32-1.jpg



http://livedoor.blogimg.jp/jidai2005/imgs/6/3/634f0cfa.jpg
天海僧正と明智光秀 像



東照宮の不思議、明智光秀は天海僧正・・?、

家康の死後、久能山東照宮に眠っていた家康の死骸を日光へと改葬した人物が「天海」である。
特に、家康の信任が非常に厚く、天台宗の僧侶としてだけでなく、政治や軍事顧問としても常に家康の側に控え、家康に進言した意見はすべて採用されたと「徳川実紀」にも書かれている。
家康の死後も秀忠、家光に仕えたが、この天海の正体が本能寺で織田信長を討ちながら、豊臣秀吉に返り討ちにあった「明智光秀」であるとする説がある・・!!。

明智光秀=南光坊天海と言う説の根拠として、

1. 日光東照宮に光秀の家紋である桔梗の彫り細工が多数あること
2. 日光に明智平と呼ばれる区域があること
3. 秀忠の秀と家光の光は光秀、家綱の綱は光秀の父の光綱、家継の継は光秀の祖父の光継の名に由来してつけたのではないかという推測
4. 光秀が亡くなったはずの天正10年(1582年)以後に、比叡山に光秀の名で寄進された石碑が残っていること
5. 学僧であるはずの天海が着たとされる鎧が残っていること
6. 光秀の家老斎藤利三の娘が徳川家光の乳母(春日局)になったこと

などがあげらるが、果たして・・?。
桔梗紋に関しては、
加藤清正など多くの武将が使用しており、光秀の紋とは断定は出来ないと思われるが、これだけ状況証拠がそろうと、明智光秀=南光坊天海もなかなか否定は出来ないのかなとも思われる。


次回、東照宮の不思議、各種燈籠の一つ回転燭台







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