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世界遺産 日光大紀行

織内将男のブログ; 世界遺産の日光寺社を中心に、大地域の日光を巡ります

世界遺産 日光大紀行(17) 「日光・足尾銅山・2」

2012-11-30 13:44:04 | 日光の地域
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世界遺産 日光大紀行(17) 「日光・足尾銅山・2」 .






足尾銅山における足尾鉱毒事件とは、渡良瀬川周辺で起きた足尾銅山による公害事件で、銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に著しい影響をもたらした事件である。

しかも、足尾銅山精錬所の廃鉱がされた後も、有毒な廃液が渡良瀬川にたれ流され、数十年にわたり魚類や農作物、養蚕など下流全域に大被害を与えた。

又、当初の鉱山開発や燃料確保による森林伐採や精錬所からの亜硫酸ガスにより水源地帯である森林が大幅に荒廃し、大洪水の原因にもなった。


これを見かねて立ち上がったのが、地元の勇士「田中正造」であった。
氏は、この公害問題に対し懸命に取り組むことになり、公害反対運動として広く世に知られることになる。
足尾銅山は、日本の公害第1号としても有名になる。


田中正造は、日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家で、告発により足尾鉱毒事件は明治最大の社会問題として世間の見聞を集め、後に「公害の原点」として語り継がれることになる。

特に、時の明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴を行い、途中で警備の警官に取り押さえられて直訴そのものには失敗したが、これによって東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く世に知れ渡ったという。




1973年(昭和48年)2月28日をもって操業を全面停止し閉山した。

足尾では今、植林はもちろんのこと、環境保全を学習するために全国から希望者を受け入れたり、銅山跡を観光資源にしたり、新しい動きがずいぶん起きているという。

又、元鉱山は「足尾銅山跡」として国の史跡(産業遺産)に指定されている他、「負の遺産」として世界遺産にも登録しようという動きもあり、世界遺産暫定リスト記載に向け文化庁に要望書を提出している。

もし、この遺産が認知されれば、日光市は異色の世界遺産が2箇所存在することになるが・・?。




次に、「日光・今市地区






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世界遺産 日光大紀行(16) 「足尾銅山・1」

2012-11-30 13:43:01 | 日光の地域
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世界遺産 日光大紀行(16) 「足尾銅山・1」 .




足尾銅山 .



足尾銅山製錬所、奥の禿山は備前盾山(wik)




そして、庚申山の山麓、現代の足尾の中心的存在が「足尾銅山」であろう。
これも、猿田彦大神のお告げにより、発見されたのかもしれない・・?。
現在は、「足尾銅山跡」として国の史跡に指定されている。


足尾の銅鉱脈は、戦国期の16世紀の半ばには既に、発見されていたと伝えられている。

本格的に採掘が開始されたのは江戸時代の初期からであり、その後、400年近く続いた歴史ある銅山である。


三代将軍徳川家光のころに江戸幕府直轄の銅山となり、掘り出された銅は日光東照宮や江戸城建造に使われたり、長崎からオランダへ輸出もされている。

その頃の銅山は大いに栄え、足尾の町は「足尾千軒」と言われるような発展を見て、江戸期のピーク時で年間1,200トンもの銅を産出していたとされている。


その後一時採掘量が極度に減少し、幕末から明治初期にかけてはほぼ閉山状態となっていたが、1877年(明治10年)に古河市兵衛(古河鉱業、古河財閥の創業者)が足尾銅山の経営に着手した。

これを期に、数年間は全く成果が出なかった銅山が、1881年(明治14年)に待望の有望鉱脈を発見し、その後の探鉱技術の進歩によって次々と有望鉱脈が発見され、20世紀初頭には国内の銅産出量の1/4を担うほどの大鉱山に成長した。



しかし、採掘、精錬の近代化にともなって、併せるように弊害も発生している。

江戸期においては人為的に細々と採掘、精錬が行われていたが、近代化によって大量に急激に鉱山開発が実施されるに及んで、足尾鉱毒事件(※)に見られる公害を引き起こし、地域及び下流域の住民を苦しめることとなったのである。



次回、 日光・「足尾銅山・2




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世界遺産 日光大紀行(15) 「日光・足尾地区・3」

2012-11-27 09:37:34 | 日光の地域
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世界遺産 日光大紀行(15) 「日光・足尾地区・3」 .



昔の、この足尾の庚申山信仰は、全国の庚申信仰の総本山とも言われる。
因みに、庚申信仰の祖神は猿田彦のことで、道祖神とも言われる。
参拝登山道に登山の目標となる道標、安全を祈願するための道祖神が祀ってあるのは極めて自然である。



猿田彦(サルタヒコ)は、日本神話に登場する祖神で、「古事記」や「日本書紀」の天孫降臨の段に登場してくる。
邇邇芸尊(ニニギ)が天降りしようとしたとき、高天原から葦原中国(日本国土)までを照らす神がいた。 

その神は鼻が長く、背丈は大きく、目が鏡のように、ホオズキのように照り輝いているという。 
そこで天照大神(アマテラス)、その神の元へ遣わして誰であるか尋ねるよう命じた。 
その神は国津神(天津神は高天原にいて天降った神の総称、それに対して国津神は地に現れた神々の総称とされている)の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来たのであった。

猿田彦は天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視されているのである。




庚申山信仰 ・猿田彦神社  .

足尾の庚申山地域は、古来より庚申信仰における全国の本山でもあったと伝えられ、猿田彦大神を奉祀し、大己貴命(大国主命)、少彦名命の2神を配祀された地域である。 
猿田彦神社は、銀山平より46丁の地にあって、奥の院は皇海山頂にあり、祭神は猿田彦大神で、社は始め三猿堂、明治には赤岩神社、大正に猿田彦神社となったとされる。 

江戸・元禄年間に佐野一信が、安政年間には大先達・松翁行者(丹後屋安右ヱ門と同人)により参道が整備された。 

特に江戸講中を通じ庚申信仰は大いに広まり、社殿、社務所、参籠所などもを建立した。

ただ、庚申山・猿田彦神社の社殿、宿坊などは昭和21年に焼失、現在は跡地となっている。



次回、 「日光・足尾銅山・1




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世界遺産 日光大紀行(14) 「日光・足尾地区・2」

2012-11-26 09:27:55 | 日光の地域
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世界遺産 日光大紀行(14) 「日光・足尾地区・2」 .




庚申山の異様な山塊 .


足尾の西方山地にある庚申山は、最高峰・皇海山(2143m) 、 鋸山(2050m)、庚申山(1901m)の尾根を連らねる山々の1峰である。
一見、群馬の妙義山に似ていて、奇岩怪岩の奇怪な山容は、関東の耶馬渓と言われている。日光火山群と赤城火山の中間に位置していて、その特異な岩質は、地質学的には固くて侵食に強い岩石が噴出し、トロイド状(ドーナツ型)の岩峰を形成したという説がある。
しかし、何故あれほどの稀有な断崖が出来るのかは、確かなところは分かっていないという。 

この庚申山で初めて、希少珍種の野草が発見されたという。
庚申草(コウシンソウ)という多年草の食虫植物の山野草で、世界中でも庚申山と男体山、女峰山、袈裟丸連峰の一部にだけに見られる珍種であるとされる。
明治23年(1890)、三好学博士が庚申山に群生しているところを発見し、山名をとって名付けられたといい、国の特別天然記念物である。 
下界ではまず生育できない珍種中の珍種で、無論、指定された研究者以外は採取はご法度である。


足尾の庚申山信仰 ・ 庚申講

この奇怪な岩峰の庚申山は神仏宿る山とされ、今でも歴史を彩るように山腹、山麓には庚申塔、青面金剛像石碑、三猿碑などを各地に見ることが出来るという。 
庚申信仰の隆盛期である江戸時代中期から後期にかけては、足尾の庚申山・猿田彦神社の庚申講中の参拝で多いに賑わったと言われる。
明治前期までは、古道を通る庚申山・猿田彦神社への道程は、足尾の集落から歩くと丸一日掛かったといわれる。 

当時の庚申山・猿田彦神社の宿坊には多数の参拝者が宿泊していたとの記録も残っており、庚申山・猿田彦神社詣の参拝者が絶える事は無かったとも言う。 
だが、現在この古道(参道)を通って庚申山・猿田彦神社へ歩く講中の参拝者の姿は見られないし、道中の庚申塚や石仏、丁石(丁目石・丁標石・行程石)といった石碑も次第に風化しつつあるようだ。 
ただ、今は銀山平までは車で入ることも出来るし、かっての古道、参道は今は庚申山への趣味の登山のためのルートになっていて、山道は往時を偲ぶことも出来る。
昔の、この足尾の庚申山信仰は、全国の庚申信仰の総本山とも言われる。



次回、 「日光・足尾地区・3」





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世界遺産 日光大紀行(13) 「日光・足尾地区・1」

2012-11-24 14:44:10 | 日光の地域
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世界遺産 日光大紀行(13) 「日光・足尾地区・1」 .




足尾地区の郷社・磐裂神社




先ず、足尾地区は、北部は旧日光地域の中禅寺湖や奥日光地域の南に、南西部は群馬県北東部から栃木県南西部にまたがる地域に位置し、一部、日光国立公園に含まれる。

山域は、皇海山、三俣山を北端とし、県境沿いに連なる山々、および大谷川以南から鹿沼市まで広がる山々を総称する。

標高は北に行くほど高く、南に行くほど低くなる傾向にあり、秋山川などの渡良瀬川の本・支流のほとんどがこの山地から流れ出している。


この渡良瀬川渓谷沿いに、「わたらせ渓谷鉄道」が大間々から足尾に延びていて、従って、昔から足尾は群馬県側に流通ルートが開けていて、生活圏も群馬県に多く依存している状況である。




足尾の歴史 .

足尾銅山は日本の産業、鉱山史や公害、環境問題の原点として広く世に知られていることは周知である。 無論、銅山開発は明治に入り急速に進んで一時代を造ったのであるが。

それ以前の足尾の歴史は、磐裂神社、庚申山信仰、庚申講、石碑などを中心に、古い歴史に彩られていることは余り知られていない。 

磐裂神社(いわさくじんじゃ)は、足尾地区のの鎮守; この社は僧・勝道上人が磐裂神の加護により日光の開山を完遂出来た事を報謝し、大同4年・809年に創建したと伝わる日光山最古の社で、星の宮とも称し、奈良・平安・鎌倉・室町の各時代には修験者の霊場の一つとして、又戦国時代には武将の篤い崇敬を受けて栄えた。 以上は神社由緒より

(盤裂神社は盤裂神・根裂神を祭神とし、本地仏を虚空蔵菩薩としている。勝道上人の日光登山の成功は、盤裂神の助けによるものといわれ、この神社圏は日光に始まり、今市の行川流域を通って鹿沼にまで及んでいるという。)



しかも、足尾の山深いこの地域において、縄文前期(紀元前5000から6000年)の頃、渡良瀬鉄道の南・唐風呂地区付近には縄文人の生活跡があったとされており、天平の頃には日光男体山開山の祖・勝道上人が、庚申山で行脚修行したとも言われている。


信仰登拝が盛んに行われるようになったのは、江戸時代の末期で、慶応元(1865)年には江戸の講中の参加者が三千人余りにもなり、その頃、建てられた道標や石碑が数多く残っているという。


また、江戸時代の小説家滝沢馬琴の小説「南総里見八犬伝」に庚申山のことが書かれている。


次回、 「日光・足尾地区・2」





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