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世界遺産 日光大紀行

織内将男のブログ; 世界遺産の日光寺社を中心に、大地域の日光を巡ります

76、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮・神輿舎」

2014-07-25 17:47:05 | 日光東照宮




  76、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮・神輿舎」  





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東照宮 神輿舎 天女の天井画



陽明門の装飾を観察するには、外側より内側の方からが見やすいようです。 
無論、ジックリ見るには双眼鏡などを持参するのも一つの方法でしょう。


さて、陽明門を潜って左側に見えているの建物は神輿舎といい、東照宮の神様の神輿が納められている蔵(倉)です。

中には三基の神輿が納められているが、神輿は御輿とも記し、本来はり平安期に貴族等を乗せて担いだ「輿」の尊敬語であり、一般には神輿は神様の乗り物を指します。
 
中央の三葉葵の紋が入った神輿に乗るのが 東照宮の主神である徳川家康公であり、向かって右の神輿は配神の豊臣秀吉公、左が源頼朝公の神輿とされています。


しかし、不思議なのが「源頼朝」のものはともかく、何で、敵だった豊臣秀吉のものが納められているのか、チョッと疑問もあるが・・?。
ただ、久能山東照宮の祭神には、「正一位 徳川家康公」、相殿に「正一位 豊臣秀吉公」、「正一位 織田信長公」を祀っているのです。 

尚、1868年3月、徳川幕府を倒して成立した明治政府は、家康の呪いを恐れていたともいい、そこで、家康の主君にあたる秀吉を祀り、家康の呪いを消し去ろうとしたという見方もあるそうです。



次回、日光東照宮 神輿舎の御輿」








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75、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門と廻廊」

2014-07-23 17:17:43 | 日光東照宮





  75、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門と廻廊」  





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世界遺産の日光東照宮を巡っています。
陽明門から左右に本社殿を取り囲むように配置されているのが廻廊(神殿廊下)であり、途中から折れ曲がっているところもあります。 

気が付くと廻廊は東西対称ではなく、その端は御本殿後ろ(北側)の石垣の手前で切れていて、つまりコの字形に囲まれていて、総延長220メートルと言われてます。

回廊は、朱漆塗りの華麗な廊下で、外側には様々な彫刻が施され、天・地・水に因んだものが彫られ、彩色されていて、どれも1枚板の透かし彫り(向こう側が見渡せる)として出来あがっています。

しかし、寛永13年に造替された時は、実際は、もっと多かったそうである。
それは、当初は廻廊は北側にも在って、御本殿を一周りしてたが、ところが、正保年間の地震の時に御本殿裏の石垣が崩れかかり、北側の回廊が破壊されて撤去されたそうなのです。
 

回廊の彫刻のテーマは、霊獣・動物・花・鳥・果物など、変化に富んでますが、例えば、余り目立たないところに、家康公の干支・虎の彫刻も有ります・

いずれにしても、三次元的に繰り広げられる花鳥の彫刻は、大変見ごたえがあり、陽明門を見物した際には、ちょっと横に逸れて此方にもぜひ目を留めたいものです。
 







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74、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門と北極星」

2014-07-22 17:53:41 | 日光東照宮





  74、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門と北極星」





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江戸を起点にすると日光は真北に当たる。また、日光から富士山へ線を引くと、その延長線に家康が死後最初に葬られた久能山東照宮がある。この久能山から真西へ線を引くと、家康が没した駿府や生誕地岡崎へ伸びていく。






日光東照宮の建物を代表する陽明門は、高さ11メートル以上の2層造り、奥行きが4メートル以上あります。

胡粉(ごふん:貝殻をすりつぶしてつくった白色の顔料)を塗った12本の柱には、グリ紋と呼ばれる渦巻状の地紋が彫られています。
有名な「魔除けの逆柱」は、門をくぐり終わる左側の柱で、グリ紋の向きがこの柱だけ異なっているのです。
 

因みに、これと同じ逆柱が、本社の拝殿と本殿に1本ずつあることは一般にはあまり知られていないようです。
グリ紋それ自体に、魔除けの意味があるといわれているが、“家を建てるときは瓦3枚残す”という言葉があるように、建物は完成した瞬間から崩壊が始まるのが普通なのです。

それなら1か所だけ仕様を違え、建物はまだ未完成であると見なし、建物が長持ちするよう願った、という推理も成立つのです。  



又、夜の陽明門の直上には、北極星が輝いているという。

日光東照宮は、陰陽道に強い影響を受け、本殿前に設けられた陽明門とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北辰(北極星)が来るように造られているという。

北極星は、地球上から見るとほとんど動かず、北の空の星は北極星の周りを回転しているように見えています。 

謂わば、北極星を中心に天空は動いているのであり、同じように、陽明門、つまり東照宮を中心にして宇宙は動いている、と言う意味にもとれるのです。


日光の位置は、江戸のほぼ真北とされています。

北天は宇宙の中心であり、不動の北極星を中心に星々が規則正しく運行する。 
これがこの世の規範であり、江戸から見れば、その要の位置に日光がある。 

つまり、江戸と北極星を結ぶ宇宙の中心軸にまつられることによって、日本の平和の守り神になろうとしたとされるのです。

このことは大権現・家康の遺言でもあり、この東照宮は家康の遺言通りに、平和の象徴として造られているのです。




次回、日光東照宮  「陽明門と廻廊」








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73、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門・500個の装飾彫刻」

2014-07-19 18:01:39 | 日光東照宮




  73、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門・500個の装飾彫刻」  







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さて、陽明門の軒回りを飾るのは、中国の故事にちなんだ繁栄と平和の象徴である獅子や獏、龍など霊獣などが力強くも繊細な丸彫で、沢山飾られているのです。

壁面の羽目板全面には、500個を超えるという仙人像や雲、動植物などの絵柄の透彫で覆われており、朱、赤、黒などの漆塗と高価な天然の絵の具で彩色されています。 

これだけ細かい彫刻を500も見ていたら、とっくに日は暮れちゃうはずですね。


特に、裏側(本殿側)には龍の彫刻が施されています。 
これは家光の干支に因んだものとされる。

古来、龍は中国故事に言う、中国由来の伝説的生物で四霊獣の1つ(他は麒麟・鳳凰・霊亀)で強者の象徴とされ 中国では皇帝のシンボルとして扱われています。


東照宮の建物に刻まれた彫刻の実体総数は5000体といわれ、最多は本社の2468体(本殿-1439体、拝殿940体、石の間89体)、次いで唐門-の611体(7センチ×9センチの小さな花の彫刻が400体もある)、そして陽明門は3番目であり508体もあると言われてます。


彫刻をテーマで分類すると、人物、霊獣・動物、花鳥、地紋(一定の図形が 繰り返される文様)の4つ種類に大別され、それらが使われている建物や場所にも、規則や法則があるといいます。


例えば、人物の彫刻があるのは陽明門と唐門に限られているし、霊獣の唐獅子は陽明門に、又、獏(ばく;悪夢を食べるとされる空想上の動物)は本殿にと、それぞれ集中しているといった具合なのです。

これらの理由は定かでありません。
 



次回、日光東照宮  「陽明門と北極星」






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72、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門・明智=天海・・?、」

2014-07-18 17:55:02 | 日光東照宮





  72、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門・明智=天海・・?、」  






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この日光東照宮をプロデュースした、南光坊天海は家康の最高ブレーンであったらしく、さらに面白いのは、光秀こそが天海そのものだとする説もあり、同意する人も結構多いといわれてます。


家康の死後、久能山東照宮に眠っていた家康の死骸を、日光へと改葬した人物が南光坊天海なのです。
特に天海は家康の信任が非常に厚く、天台宗の僧侶としてだけでなく、政治や軍事顧問としても常に家康の側に控え、家康に進言した意見はすべて採用されたといい、徳川家代々を記した徳川実紀にも書かれていりそうです。

天海は、家康の死後も秀忠、家光に仕えたが、この天海の正体が本能寺で織田信長を討ちながら、豊臣秀吉に返り討ちにあった明智光秀であるとする説があるのです・・!!。



明智光秀=南光坊天海と言う説の根拠として、

1. 日光東照宮に光秀の家紋である桔梗の彫り細工が多数あること、
2. 日光に明智平と呼ばれる区域があること、
3. 秀忠の秀と家光の光は光秀、家綱の綱は光秀の父の光綱、家継の継は光秀の祖父の光継の名に由来してつけ  たのではないかという推測、
4. 光秀が亡くなったはずの天正10年(1582年)以後に、比叡山に光秀の名で寄進された石碑が残っていること
5. 学僧であるはずの天海が着たとされる鎧が残っていること、
6. 光秀の家老・斎藤利三の娘が徳川家光の乳母(春日局)になったこと、

などがあげらるが、果たして・・?。


尚、桔梗紋に関しては、加藤清正など多くの武将が使用しており、光秀の紋とは断定は出来ないとも云われるが、これだけ状況証拠がそろうと、明智光秀=南光坊天海もなかなか否定は出来ないのかなとも思われるのですが・・?。



次回、日光東照宮 「陽明門・500個の装飾彫刻」







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