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世界遺産 日光大紀行

織内将男のブログ; 世界遺産の日光寺社を中心に、大地域の日光を巡ります

71、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門・随身像の家紋」

2014-07-17 17:49:14 | 日光東照宮






  71、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門・随身像の家紋」  




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ところで随身像は徳川一門ですから、当然ながら「三つ葉葵」が普通です。

ところが、こちらの随身像の袴の家紋は、織田信長の家紋「木瓜」や明智光秀の家紋「桔梗」に似ているというので注目されているのです。


東照宮内に、徳川家の三つ葉葵紋以外に無数の桔梗紋が隠されているらしく、それは何の為の、誰の誰の家紋なのか・・?、よいう疑問があるそうです。

家康を神とする東照宮のボディガードになぜ光秀が(謀反の象徴とさえ言われる人物なのに)・・?、しかも、家康の干支である虎の敷物に、偉そうに座っているのです。

その微妙な家紋は、豊臣家滅亡に執念を燃やした明智光秀(南光坊天海と同一人物という噂があります)ではないか・・?、という説がある一方で、徳川家康の江戸入府以前の初期江戸城を築城した太田道灌の桔梗紋ではないかという説もあります。


日光東照宮は、江戸を風水で守るために築かれたと言い、江戸の創始者である太田道灌に江戸を守護させるというのは説得力があるようにも思えます。


ここで、日光東照宮造営の立役者である「南光坊・天海」のことを忘れてはならないのです。
実は天海の出自は光秀と同じ土岐氏であると言われていて、天海の父といわれる船木景光は清和源氏頼光流・土岐氏の庶流であり、この点で光秀と全く同じであるとされています。
もし、これが真実であるならば、日光の桔梗紋には何の不思議もないのですが・・?。


次回、日光東照宮  「陽明門・明智=天海・・?、」








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70、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮・陽明門・Ⅱ」

2014-07-16 17:18:05 | 日光東照宮




  70、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮・陽明門・Ⅱ」  





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http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-07/kassy1946/folder/1796569/75/53600875/img_0?1381472456
陽明門は12本の「グリ紋」と呼ばれる渦巻き文様が彫られた白い柱で支えられています。
正面:4本、背面:4本、中央部:4本



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正常な柱の上向き渦巻き文様 (猿の顔みたいに見えます。)


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逆柱の下向き渦巻き文様 
間違えて彫ったわけでなく、魔除けのために意識的に逆の文様を彫ったものです。



魔除の逆柱

陽明門には、ガッチリした12本の柱で構成されています。 
ところが、その内の1本は模様が逆さまに彫られているのです。 

これは“魔除けのため”に故意にそうされたもので、そして、その柱にはグリ紋と呼ばれる渦巻状の文様が彫られています。

魔よけ・・?、
これは巷の推測によりますと、“月は満つれば欠ける”の言葉の如く“満月は必ず欠ける”ものです。

つまり、“物事は盛りに達すれば必ず衰えはじめる”という例えで、満月になるとともに欠け始めた月がほどなく三日月となるように、物事は、絶頂期に達すると同時に下り坂になるのが世の常、道理である、という意味なのです。

“この陽明門はまだ完成形ではない”と、わざと不完全な柱を加えることによって、陽明門、及び東照宮は衰退することがないように祈って作られたと言われます。 

この意味で「魔除けの逆さ柱」とも言われているのです。


陽明門の中には、二対の坐像が東照宮の本殿、神殿を守るという意味を込めて、隋身座象というのが控えています。
随身とは、俗に言う貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人のことで、手に持つ武具は、それを表しています。

陽明門の随身は特に名前は付されていませんが、さしずめ征夷大将軍・家康公の御側用人といったところで、今で言う補佐官か官房長官といった役どころでしょう。



因みに、お雛様の七段飾りに随身が左右一対飾られています。
雛飾りは天皇の結婚式とも言われ、従って、その随身は当時の官職である近衛中将クラス、即ち右大臣、左大臣とも言われています。




次回、日光東照宮  「陽明門・随身像の家紋」








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69、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮・陽明門・Ⅰ」

2014-07-14 17:28:37 | 日光東照宮





  69、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮・陽明門・Ⅰ」  




http://ts4.mm.bing.net/th?id=HN.608003142659670796&pid=1.7





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さて、いよいよ日光東照宮の顔といわれる有名な「陽明門」の登場です。

中学生(いわき市湯本第1中学校)の修学旅行の時に、日光見学に来たことがあるが、鮮明に記憶の残っているのは、東照宮の陽明門だけであった。
そして、ガイドの人が、「この門は皆さん如何ですか・・?、こうやって1日中見てても飽きないくらい立派な門でしょう。 そう、この門はそのために日暮門とも言うんですよ」
と、ガイドさんが説明していたのを覚えております。

別名を日暮の門というこの威風堂々たる陽明門は、京都御所の十二門のうちの名称を、朝廷から賜ったもので、後水尾天皇の直筆による勅額なので勅額門ともいわれたそうです。

無論、いつまで見ていても飽きないということから日暮の門とも呼ばれていて、日本で最も豪華で美しい門と言われている。

高さ11メートル、間口7メートル、奥行4メートルの12脚門で、この門だけで装飾彫刻が、500余りもありますので、一つ一つじっくり見ていたら本当に日が暮れてしまうかもしれないのである。


前面の扁額(上部の額)は、後水尾天皇より賜った「東照大権現」の額で、東照宮という名はこれが根源とされます。
尚、陽明門より奥は、明治維新まで庶民は入ることが出来なかったそうです。




次回、日光東照宮  「東照宮陽明門・Ⅱ」







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68、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮・薬師堂(本地堂)」

2014-07-13 18:33:32 | 日光東照宮




  68、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮・薬師堂(本地堂)」  




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鼓楼の奥に建つ薬師堂(本地堂)は、日光名物・「鳴龍」で有名です。

本尊が薬師如来であることから別名を薬師堂、また乱世を鎮めた家康公が薬師如来の生まれ変わりと考えられたので、本来の仏(本地)を祀ったことから本地堂とも呼ばれていりようです。
 

本地堂(薬師堂)の内陣天井に描かれているのが、有名な「鳴竜」で、竜の頭の下で拍子木や手拍子を打つと、天井と床が共鳴して竜の鳴き声のように聞こえるといいます。

元の絵は狩野安信の筆によるが、昭和36年に火災により焼失したため堅山南風画伯(横山大観に師事した昭和を代表する画家)が復元したという。   


豪快な鳴竜の絵は、縦6メートル横15メートルの34枚のヒノキの天井板に描かれたといい、東照宮の三奇態の動物の一つとして有名です。 
その龍の顔の下で拍子木をたたくと鈴の音のような音がするといい、まるで龍が鳴いているようなのです。

因みに、この龍の鈴鳴きは2秒程度続くようで、凡そ、この間に60回程度反射共鳴を繰り返して、音は消えるという。

音響専門家に言わせると、反射を繰り返すうちに中心周波数がおよそ100Hz弱下がっていく現象も観察できるという。

“運を拓くありがたい龍の声”と説明されているが、余り、深い詮索や論理的な説明はこのあたりにしておきます。




次回、日光東照宮  「東照宮陽明門・Ⅰ」









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67、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮・鐘楼と鼓楼」(Ⅱ)

2014-07-12 17:43:58 | 日光東照宮





  67、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮・鐘楼と鼓楼」(Ⅱ)  



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鐘楼と鼓楼






東照宮の鐘楼、鼓楼の鐘や太鼓を、実際に打鳴らす姿や太鼓や鐘がぶる下がっている状態は、欄干や飾り格子に囲まれていて実際は見えないそうです。 

ところが、鐘をつく棒の撞木(しゅもく)は微かに見えているのが判ります。


さて、鐘楼と鼓楼の飾り付けのことでありますが、両方とも形そのものは同じようですが、華麗さを競うような彫刻の数や種類が異っているのが判る。

実際は、鐘楼は78体、鼓楼は38体の彫刻が飾られているらしいが、一方の鼓楼の彫刻の数は38体と少なく、鐘楼と比較すると半数以下であり、見るからに地味なのです。

しかし、建物の構造自体は鐘楼も鼓楼も同じで高さであり、何れを観ても立派な建物であることに変わりはありません。


ところで、鼓楼の方はどちらかと言えば中国で好まれて多く造られているといい、中に配されている太鼓の打つ音で時刻などを知らせていたといいます。
一方、我が国で時を知らせるのは鐘が一般的とされます。

昼間に鐘が八つ鳴れば未(ひつじ)の刻で現在の午後2時、それから生じた言葉が“お八つ“(おやつの時間)の名残と言います。

現在では、「おやつ」も余り使われなくなったが、昔は、朝餉・夕餉(あさげ、ゆうげ)の二食の時代であったらしく、育ち盛りの子供にとっては、午後2時の“おやつ”は、空腹を満たす時刻でも有ったようです。



次回、日光東照宮 「薬師堂(本地堂)」








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