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世界遺産 日光大紀行

織内将男のブログ; 世界遺産の日光寺社を中心に、大地域の日光を巡ります

30、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺と大猷院」

2014-05-30 17:11:08 | 日光山輪王寺





  30、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺と大猷院」  



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大献院概図



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写;大献院仁王門





大猷院(だいゆういん)仁王門

慈眼堂から再び延命坂を下って、今度は家光公のへ向かう。
大猷院境内に入ると、先ず、石段の上に大猷院の正門である朱塗りの「仁王門」が建っている。
この門は、8本の脚に支えられた堂々たる門で、3間1戸、8脚門、切妻造りの銅瓦葺きで、両妻流破風造、建物全体は朱色を基調として上部の構造体は黒色、金物を金、彫刻を極彩色で彩っている。

構造は東照宮の表門と似ているが、こちらはシンプルで装飾彫刻はあまり見られなく、大猷院の中では比較的落ち着いた色調であるが故、余計に威厳を感じなくもない。
左右に御馴染みの「阿(あ)」と「吽(うん)」の口の形をした、高さ 3.2メートルの仁王像(金剛力士像)が両脇を守っている。

仁王像は、左側(向かって右側・東側)には阿形像、右側(向かって左側・西側)には吽形像を安置するのが通例となっている。
だが、当初の頃は、釈尊を守護する「執金剛神」が単独で祀られていたらしく、平安以降になって山門、楼門が建つようになって「仁王門」とも呼ばれ、左右一体の金剛力士像となったとされる。

口を開けたのが阿形、口を閉じたのが吽形となり、これは「狛犬」でお馴染みであり、「阿吽の呼吸」の語源でもある。
つまり、「あ」は始め、「ん」は終わりで、密教では、「阿」を万物の根源、「吽」を一切が帰着する智徳としている。


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写;仁王門あん形像

仁王像は、中門の両脇に安置され、伽藍に侵入する仏敵を退散させるため、“びくとも動かないぞ”と、敏速に闘いに挑むことが出来るよう足を広げ、「仁王立ち」で立ちはだかり、仏敵を威嚇、退散させる。
「仁王さま」と庶民に親しまれていますだけに、仁王門(二王門)と呼ばれる寺院が多い。










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29、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺と南光坊天海」

2014-05-29 17:55:54 | 日光山輪王寺




  29、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺と南光坊天海」  



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輪王寺と南光坊天海

稀代の僧・天海は、僧名を南光坊天海といい、江戸時代初期に活躍した天台宗の僧であります。

徳川家康の重近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与し、比叡山延暦寺の再建や日光東照宮の建設、寛永寺の創建など、その業績は計り知れないと言われる。

戦国期の織田信長により比叡山が焼き打ちに合うと、次は武田信玄の招聘を受けて甲斐国に移住したとも言われるが、天海としての足跡が明らかになるのは秀吉の小田原の北条攻めの際で、この時、家康のために天海が関東に赴き、その陣内において家康に助言を行っていたことは確かだとされています。

家康公より日光山の貫主を戴き、その家康公が死去すると、天海の働きで遺骸は久能山から日光山へ遷葬、東照大権現として当地に祀られました。
その後、徳川幕府への政治的影響力の大きさから、黒衣の宰相とまで称せられます。 

その後も天海は三代将軍・家光に仕え、上野に寛永寺を創建するなど、江戸の都市計画にも関わり、陰陽道や風水に基づいた江戸鎮護の構想を練ったと言われます。

天海は108歳(・・?)という長命を全うしたらしく、その亡骸は日光山・慈眼堂に眠っていて、その後に朝廷より「慈眼大師」の号を賜ることになるのです。


面白いことに、明智光秀が逃亡して名前を変えたという、光秀と同一人物とする風評があるそうです。
(このことは、後に記載するつもりです)










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28、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺慈眼堂の廟塔」

2014-05-28 16:55:51 | 日光山輪王寺







  28、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺慈眼堂の廟塔」  



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「慈眼堂の廟塔」






慈眼堂・拝殿の後ろには、六部天像という各種の像に守られた慈眼堂 廟塔が佇んでいます。  

こちらは天海の墓所であります。
天海上人は、武田信玄や徳川三代にまで影響をあたえといい、しかも、江戸の町などを風水に基づいて設計したという稀代の大僧侶がここに眠ってます。


天海が上野の寛永寺で病に倒れた時、家光は4人お医者を付けさせ、自ら見舞いにきて薬を飲ませたといい、天海の様態を逐一報告させるために20人を割り当てたと記録に残ってるそうです。 

大猷院(家光の墓所関係、)の本殿は東照宮を向いているが、家光のお墓である奥の院は、慈眼堂を向いているそうです。

天海は、三代将軍・徳川家光とともに東照宮の大改修を計画し、現在の華麗なる東照宮社殿を造り上げただ、これを寛永の大造替といいます。
天海上人の功績は大きく、江戸初期の日光山は20院80坊、そして千人近い僧や院坊関係者で賑わっていたと伝えられています。

天海は、陸奥国・会津高田の生まれとされるが、「本人は俗人としていて、人の問いかけにも、氏姓も年も忘れて、いざ知れず」とあり、天海は自らの出自を弟子たちや周囲の人にはに語らなかったため、不明とする説もある。

ただ、天海の生年は1536年~1643年・・?、ともされるが、100歳以上の長命であったことは確かであるとされています。



次回、 「輪王寺と南光坊天海」









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28、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺慈眼堂の阿弥陀堂」

2014-05-27 18:39:21 | 日光山輪王寺




  28、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺慈眼堂の阿弥陀堂」  





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先ず、慈眼堂の阿弥陀堂は、慈眼堂一帯の中心になる仏堂で、丸い台座の上に阿弥陀三尊石像が祀ってありました。

又、慈眼堂・阿弥陀堂の直ぐ脇には、歴代の輪王寺宮のお墓があります。 
こちらは、宮内庁管轄のため立ち入り禁止で、門塀が閉まっております。 概ね、何処へ行ってもそうですが、宮内庁や皇室関係の廟所においては、一般者立ち入り禁止がされていて、塀を囲い門を閉ざしておりますね。 
先にも記したが、輪王寺宮とは輪王寺門跡に入所した親王など皇室関係者に与えられた宮家のことで、特に、明治維新の時、最後の輪王寺宮は輪王寺宮公現法親王、こと北白川宮能久親王が勤めていました。

この宮は、天皇家の血をひく宮家でありながら、戊辰戦争の際には旧幕府軍に付き、東北連合で勝利し、政権を取った暁には輪王寺宮を奉じ、東武天皇として即位していただき、北方政権を樹立する手筈だったらしい。 しかし、上野戦争の際に破れて会津へ逃げ、更なる敗戦で新政府軍に捕らえられ、京にて幽閉の生活を送ったという。

慈眼堂 阿弥陀堂では、ここで天海の命日に法要が行われ、その際には天海の好物である「納豆汁」が供われるそうです。 いみじくも天海の生年は定かでないが、100歳以上の長命であったことは確かなようで、その長寿は納豆のお陰だとも言われている。


阿弥陀堂の傍らに拝殿、そして経蔵が建っている。
は、一重入母屋造りといわれる建物で、前後に扉がついているのが特徴であり、墓所を守るようにたたずんでいる。
拝殿前の経蔵には、天海大僧正の集めた書籍類が収められているという。



次回、「輪王寺慈眼堂の廟塔」









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27、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺・慈眼堂」

2014-05-26 17:03:00 | 日光山輪王寺




 27、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺・慈眼堂」 




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慈眼堂への道


http://www.city.nikko.lg.jp/bunkazai/kankou/shaji/japanese/regist-n/list/images/c09.jpg
輪王寺・慈眼堂本堂





さて、常行堂と法華堂の後は、道順からすると輪王寺大猷院へ向かうのであるが、この地域の山中に天海上人の墓所である「慈眼堂」があるので尋ねることにしよう。

こちらは本来、西参道から車で行くと・・?、二荒山神社への中間地点から西方向へ向かうことになるが、実は、常行堂と法華堂の渡廊からも直接行くことができます。

まず大猷院の入口にある受付で、拝観料を納めるとパンフレットがもらえます。
入口は、常行堂と法華堂を繋ぐ渡廊の中間にあり、柵には「関係者以外立ち入り禁止」
と書いてあが、柵を除けて入ることになります。

そこからは、苔に覆われた延命坂が山の上へと続き、坂の途中には石仏も迎えてくれる。
石仏の一つに「右衛門の泣地蔵」というのがあり、これは右衛門とは松平正綱のことで、勘定奉行として東照宮の造営の管理をしたり、日光杉並木の寄進者として名を残している人物です。
正綱が亡くなった後、日光山の僧侶が正綱を偲び、石仏を作成し祀ったところ、地蔵の顔が泣き顔になったという逸話が残っているといいます。

坂を登り切ると、少し開けた場所に色々な各種の仏堂が立っています。
何れも、天海大僧正の曰くのある墓所で、慈眼堂というその名も日光山の再興に尽した天海大僧正の大師号の「慈眼大師」からきてまする。



次回、輪王寺の慈眼堂と阿弥陀堂










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