きりうゆかりの難民部屋

ボツ原稿、発表のあてのない原稿、出だししか書いてない小説などをアップしています。

えるかんたーれふぁいと

2009-06-28 18:56:47 | Weblog
(この文章は5月のmixiに書いたものです)

♪幸福(しあわせ)は歩いてこないだから結党するんだね
 一日一万三日で三万家を売っても喜捨をしろ
 人生はワンツーパンツ人乗せ妻捨て歩こうよ
 あなたの製作した映画物好きたちが見るでしょう
 腕を振って足を上げてビッグバンビッグバン
 あせりきって歩け♪
(365歩のマーチ)

 おやぢ向け週刊誌はむろんのこと民主党と豚風邪の話題でもちきりでありんすが、文春に埋め草で乗ってた「幸福の科学政党立ち上げあんど出馬」に目がいってしまうからスキマ商品が好きで困るとゆうのだ。
 しかししみじみ継続は力である。宗教おちゃーの間ではむしろ落ち目とゆう評価が決定的だったと思うのだな。だがものは宗教であるからして、最低でも56億7千万円、もとい、56億7千万年くらいのスパンで見ておかないといかんのである。思えば過去、「あーんなもんはすぐすたれる忘却は忘れ去ることなり」とゆわれながら隆盛をきわめた宗教や思想がどれだけあったことか。
 すげえ昔の「落書き2ちゃん」はこんなだったろーか。
>あのイエスってやつなに? 昔俺の叔父さんが屋根直し頼んだらそこの娘たぶらかしたって言ってたぜ
>しょせん私生児だろ
>ローマ兵氏ね! 革命起こして、連れてる女全部まわしてくれるんだったら支持してやってもいい
>俺湖畔料亭組合のもんだけど最近漁師がさぼりまくってて実際めいわく。死刑ケテーイ
>近くで見たことあるけどそんな変なやつじゃないぜ
>本人乙。

大きな雷のような音

2009-06-26 19:01:20 | Weblog
(この文章は5月のmixiに書いたものです)

 乳頭、もとい、乳糖不耐症なので、ぎうにう(牛乳)を飲むとはらをこわす。
 ここでちと生半可なことをゆわせてもらうと、母乳とゆうのは赤ん坊の食いもんなので、大人になると分解酵素が失われるのはちーとも変なことではないのだそうだ。「牛の乳を飲むと牛になる」級のトンデモをぬかすおっさんもいるがそれは無視するとして、なぜか母乳分解酵素が失われる率は黄色人種のほうが高いらしく、GHQは敗戦国にせっかく与えてやった完全食品でガキどもがはらをこわすのを見て、さすが野蛮人だけにバカなはらをしとると嘲笑ったんだそーだ。
 あにをぬかすこの毛深ザルめ進化的に言えばこっちはネオテニーでさらに高等なのだぞ。
 とゆうのもまた別なトンデモな気がするからおいといて、なにはともあれ牛乳を飲むとはらをこわす。
 そしてまた、コーヒー不耐症でもあるらしく、昔からうっかりコーヒーゼリーなどくうと吐き気がする。
 に~~~もかかわらず~~~~~~~。
 突然カフェオレが好きになっちまったんだよー!!

 6つで百円のコーヒーのポーションを生協で売っているのである。500ミリリットル110円の牛乳も売っているのである。無糖のポーションを牛乳でどばどばと薄めて飲むと、牛乳のほのかな甘みがまるでわたくしの創作意欲までも増進してくれるようである(←錯覚)。
 で、その結果どうなったかとゆうと。
 現在腸が負けまくってもはや腹下しする元気もなく、下に行かないから吐き気がするが戻す物がないとゆう状態であります。ごんろごろごろげろげろげ~~~~~(汚くてすまん)。
 もしも遺伝子治療つうものがそのへんのドラッグストアでちょちょいのちょいでできる時代が来たら、乳糖分解酵素を足してもらうぞもう絶対、と脂汗を流しながら思う。
 しかし最大の謎は、アイスクリームや明治のミルクプリンやロイヤルミルクティでは症状が出ないとゆーことですな。こりはきっと、西欧食文化の華たる牛乳と一緒にされたくないとゆうエチオピアの豆の呪いに違いないのである。

ジョウきみはどこにおちたい

2009-06-22 18:19:24 | Weblog
(この文章は5月のmixiに書いたものです)

 小田急ハルクのビックカメラの中を通過したら、天体望遠鏡がどかどか置いてある。
 
 ん?

 前もこんなにあったっけ?
 あたいが気がつかなかっただけか?
 「この望遠鏡で178個の彗星(数字でたらめ)が発見されました!」なんぞと書いてあって、望遠鏡と宝くじ売り場を混同しているようでもある。
 これを書くと「あーあそこか!」とぴんと来ちゃう異常な人もおるかもしれないが、それでなくてもなぜかあたいのすみかのすぐ近くには「天体望遠鏡専門店」などとゆー奇怪な物がぽつんとある。この世界にも鬼やキチ×イや病人や廃人が山ほどいて、その人たちが経営を支えているのだろうなあ。そいつらの夢はきっと、ガミラスに頼んで空気を汚染どころか全部持ってっちゃってもらうことに違いないのだ。さぞかし星空がきれいに見えることであろう。
 夕刊を見たら、「ガリレオが使った望遠鏡がどうちゃらこうちゃら」なんて記事まで載っている。
 アポロ計画のころにもこげな騒ぎはなかったよーな気もするがどうした風の吹き回しか。
 私はいちおう「SFの人」の末席にぶら下がってるつもりだけんどもお星様関係はぜんぜんわからんちんである。わかったらいいなあ、と思って「にうとん(Newton)」なんかはマメに立ち読みしてるけど基本的語彙がもうわからん(泣)。
 トンデモさんの中には、「今光って見える星の光は何万年も昔の姿だなどと言われて誰が納得するでしょうか!」とむちゃくちゃをぬかす人もおるが、すでに滅びた星の光とゆーのはSFとゆー義理と人情の器(だと私は思っている)にとって心にしみるネタなので十分に納得はしている。しかし確かにちょっと思う、「んな昔じゃなくてたった今の姿を見る方法はないんかいのう」と。

 おとろしい話を読んだ。宇宙では、ハタから見てて「こわいよー、いやだよー、早く帰りたいよー」にしか見えない「宇宙船の機械のあんばいを外から直す」作業がございましょう。
 あれ、当人はものすごく気持ちよくて中に戻りたくなくなるんだって。船長が「今戻らねーとキサマ、エアロックまで空気もたねえぞばかたれ」と怒鳴りつけない限り外に居続けしたくなるんだって(実話)。
 宇宙には雪女みてやな誘惑者が住んでおるらしい。
 してみると、HALの陰謀で宇宙にふっとばされたディスカバリー号のおっさん(名前わすれた)も、その運命はあたしには悪夢に見るほどの恐怖だったが、本人はたいへんハッピーだったかも。

ちゅんちゅかちゅん

2009-06-19 21:25:37 | Weblog
(この日記は5月のmixiに書いたものです)

 ベランダにコメをまいてスズメさんを呼んでいたら、すっかりずうずうしくなりくさってヒッチコック状態である。
 まず、明け方から「ちゅんかちゅんかちゅんかちゅんか」とわめき始める。最初は常連が3羽だけだったのに日に日に人数(?)が増える。
 ねぼけまなこでおコメをひとつかみまくと、窓を閉めるなりなんのためらいもなくどっとやってきて5分で何もなくなる。そしてまた「ちゅんかちゅんかちゅんかちゅんか」が始まる。
 はっと気がつくと、ベランダの先の電線にずらっと止まっている。おまいらは音符か。それも最初は全音符だったのが過密状態で四分音符になり、そろそろ十六分音符に移行しそうであるぞ。何を演奏したいのだ、「剣の舞」か。
 頼みの綱はみみ太による威嚇であるが、このみみ太ちゅうのがまた「新宿区で一番気の優しい猫コンクール」の優勝者(いや勝手に決めてるだけだが)で、スズメに興味をひかれるものの、「きゅきゅきゅきゅきゅ?」と可愛い声で何か話しかけているだけである。たまにカラスが来ようものなら目を合わせないようにして奥にひっこんでしまう。
 食料が潤沢なはずの初夏にしてこの始末である。いずれ秋霜烈日の秋が来れば(←字がかぶってるのでもう少しがんばりましょう。校正より)ナッツ、果物、野菜、肉、ナベ、酒、芸者にカラオケなど要求されるは必至である。噂を聞いてヒヨドリ、オナガ、モズ、ハゲタカ、アメリカハクトウワシ、ロック鳥、ハーピーなんかもやって来ないとも限らない。
 唯一期待できるのは雀のお宿に招待されることだが、あたくしてえものはめんどくさがりなので、「大きいつづらも小さいつづらもいらん」と言ってしまいそうである。
しかしスズメたち、見るからにまるまると太り始めた。
 新宿区のスズメたちが生活習慣病で絶滅するほうが早いかもしれない。

わし何も考えてまへん(笑)

2009-06-17 16:20:35 | Weblog
(この文章は5月のmixiに書いたものです)

 以下は日記でもなんでもねえ、しかも自分のアイデアですらねえ、んがしかし、「ダ・ヴィンチ・コード」をしのぐ面白さ(んじゃ大したことねえだろ、とかゆわんよーにそこの人)と前評判も高い「天使と悪魔」を語る上で、避けては通れないとゆうと大げさだが、私が紹介せんと関係者一同永久に知らんままだろうし第一「天使と悪魔」が映画化されるなんて話はカケラもなかったときにネタにしてたマンガなのでちょっと紹介したい。私はそこで簡潔に語られていることを「鋭っ!」と思ったのである。
 そこで語られる「天使と悪魔」とはこんな話である。
 ある日人々は、その人間の本質が天使か悪魔か判別するアイテムを手に入れた。モノが何だったかはわすれた。当然のこと、誰もそんなおとろしい判定を行う気はしない。クラスの中でもいけずうずうしい乱暴者の女の子が、気の弱い、およそ悪いことなど一つもしない幼児顔の男の子に無理矢理判定をさせると、結果は何と――悪魔であった。
 調子こいた女の子は、優等生、美女、真面目な子たちに次々と判定を行う。結果はすべて――悪魔。
 さていよいよ当の女の子と、彼女とどっこいどっこいの根性曲りの女子が判定する。
 結果は――天使。
 彼女たちは結論する。本音をごまかさず素直に生きている自分たちの天使性が証明されたのだと。
 しかしそこで、別な女子が言う。
 「要するにただ何にも考えてなくて無神経なだけな人を天使って言うんじゃないの?」
 皆は安心する。「あー自分悪魔でよかった」。

 さて皆様、これはマンガなのだがなんとゆうマンガだとお考えだろうか。
 答えは「あさりちゃん」である。
 小学生以外はこの戦慄の洞察を目にする機会がないであろうからここに紹介した。
 なお、上記の内容はもちろん本物の「天使と悪魔」とは大違いであり、姉タタミにうその粗筋を教えられたあさりがそのまま感想文を書いて先生に怒られるというオチがつく。
 作中作(「天使で悪魔」とゆう題になってた)で語られる内容を小学生が理解するであろうことを私は疑わないが、逆に大人が理解しないのではないかと不安である。だって大人向けとされる創作物には、いまだに純粋さのあまりよっぱらって物を壊すようなヒーローがごろごろ出てくるもんな。
 ところで本家本元「天使と悪魔」は……… 夕刊に載ってたけど、い、いるみなち? いはゆるいるみなちとは全然関係はなしの助だとは思うけど………。

アニーよワタをとれ

2009-06-15 19:20:17 | Weblog
(この文章は5月のmixiに書いたものです)

 いや、アニーちゃんはこんなぶっとくないからおそらくワタの一部なのである。ワタは綿でわなく腸とかく。あるいはイカ特有の生殖脚とか。
 アニーちゃんとは何かとゆうと、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%B5%E3%82%AD%E3%82%B9
 あ、不用意に開いちった人ごみんなさい。

 近所の某コンビニで売ってる「いかキムチ」がたいへん好きなのである。塩辛でなく、煮た物をキムチとたくあんであえたもんであるが、実によく日本酒に合う。少ない量でたくさん飲めるのも酒飲みにはたいへんうれしい。
 んで、今日も今日とてそれで冷酒の2合がとこをちみちみやっておったら、赤黒いキムチの沼の底からおハシの先に、5センチほどのゆですぎのソーメンのようなものがついてきたのである。これで「おうちに帰してえ」ともがき苦しんでいたらさすがにそれをイカの一部とは思わんかったろうが、ぐったりしてひとつも動かず、さらに目も鼻もちちもケツもなくてただの白いヒモで、しかしアニーちゃんを連想してしもうたので紙にくるんで捨てた。残りをかきまわしてみたが他にヒモはないので、まだくっている。だっておいしいんですもの。アニーちゃんだったとゆう証拠もないしな。たとえアニーちゃんだったとしても彼らには弱点が多いのである。

 切られると死ぬ
 よくかむと死ぬ
 ショーユなどの塩分で死ぬ
 死んだアニーちゃんをくっても何の害もない

 とゆーわけで、ただでさえキムチまみれでこまぎれのイカをんもう原型をとどめなくなるまで噛んで噛んで噛みつぶしつつ、でも食べておるわけである。ふと思う。ブタをくうてはいかんとゆう宗教は元来寄生虫への警戒から生じたとゆう説があるが、そおゆうとこはたいていウロコがないだのなんだのいちゃもんつけてきてイカもだめである。将来寄生虫が進化してこの差別待遇に文句をゆう知性を獲得したら深刻な民族闘争が生じるであろう。しかし彼らはひとつも明かりのないような場所で集団でうごうごしてるんだよなあ。うごうごめためたしとるあたり、神経組織とゆうのは実は寄生虫が変化したものではなかろうか(と気持ち悪い話を無理矢理まとめてみる)。

永遠の図書館

2009-06-13 19:54:23 | Weblog
(この文章は5月のmixiに書いた物です)

 本とかオモチャとか昔なつかしきオ×ムのお面とかコソボ軍オフィシャルマグジョッキ(実在するのでこまる)とか、くそ溜めに溜めるかたたちは廃館になった図書館に住むとよいのである。と、某様の日記を読んで思った。むろん現実にはそのような図書館はあっつー間に取り壊されてショッピングセンター兼何にでも使えそうでいて実は何にも使えねえホールなんかになってしまうわけだが、行政のどこかにヒマこいた悪魔が入り込んで本以外は居抜きで住めたとする。もちろん、図書館の蔵書のうちとっておきたいのは置いておけるわけである。わたくしのばやい、図書分類法で言えば5と6はごっそり抜ける。残ったのも面白くないのと珍しくないのはほかす。ほかすったらほかす。本当である(なぜ強調する)。で、棚をずらしてさらに棚を倍の数買い足す。隅のほうにフローリングを4畳半ぶんしいて、キッチンとベッドを置き、トイレを改造してユニットバスにする。維持費や固定資産税は、夢の話なので計算に入れとかないどく。
 どこでも選んでええのなら、広くてキレイで新宿御苑の緑が一望のもとの四谷図書館がいいなあ。
 わたくしにとって「まだ何も入っていない本棚」はしょんべんちびりそうなほど嬉しい光景なのだが皆様はいかがでありましょうか。そしてそこに本をぼんぼんほりこんでいくとゆう行為も。
 とゆーよーな夢は夢のままとして、
 あ~~~~図書館に泊まりたい。汚したら弁償、とゆう条件でいいから、貸切にしてすみっこに寝袋しいてワイン飲みながら閉館時間から夜明けまで読んで読んで読みたおしたい。
 でも「おもちゃのチャチャチャ」みたいに、夜中は本の精の皆様が宴会をやっておると思うので、朝が来ればわたくしの姿はどこにもなく、一冊の本と化して書棚に眠っておるであろう(どーゆー本だよ)。

ちゅんちゅかちゅん♪

2009-06-11 19:37:28 | Weblog
(この文章は5月のmixiに書いたものです)

 うちの近辺は新宿のど真ん中だが緑が多い。緑が多いと鳥が多い。近所の梅の花にはメジロ、大通りのブルーベリー(なじぇこんなところに)にはヒヨドリが鈴なりになっていたが、うちのべベランダに来てくれるのはスズメとカラスだけである。それは仕方がない、なんせおコメとパンの残りしかまいておらんのだから。「果物、種、脂身」などでもっといろいろ呼びましょうと鳥さん(トンデモさんとゆう意味でわない)関係の本には書いてあるが、そんなもんやるくらいならこっちが先にくってしまうのである。衣食足りてメジロヒヨドリを知る。
 トリを飼っている人は、ばんめしのとき肩に乗ってくるインコや文鳥に決して人のくうコメなどやってはならぬとおっさるが、このへんのトリなんぞ生ゴミくってるから今さら添加物を心配してやったところで無駄であろう。それでもコメよりもパンのほうが食いつきが悪いな。よっぽど防腐剤くさくてまづいのか。試しに近所の無添加が売りのパン屋のを買ってきてやろうか。しかしそんなものを買ったら人間がくってしまうに決まっておるのである。
 なぜかカラスは常連が一人だけである。なぜ同じ個体とわかるかとゆうと、顔がそうだからである。うちにめしを貰いに来るくらいだからよほど食いつめたはぐれカラスなのであろう。そのわりにはまるまると肥えてみみ太よりでかい。
 スズメは常連が三人いて、ごはんを忘れると一列になって「ちゅんちゅんちゅん(めしめしめし)」と合唱する。みみ太がガラス越しに牙をかちかち鳴らしても平気である。こいつらはパンの食いかたに個性があって、クチバシで砕いて小さくしてから食べるやつ、中くらいのをどこかへ運んで行くやつ、あと、でかいのを運ぼうとして途中で落としてるやつ。
 鳥頭にもいろいろあるらしい。

ら・くらかあちゃ

2009-06-09 11:50:35 | Weblog
(この文章は5月のmixiに書いたものです)

 好悪の念とゆうのはリクツではない。いや、そこにリクツをつけるのが元来大好きな性格であるがゆえのわたくしという存在なのであるが、「何々を好きだなんておかしい」と言われるのも困るが、それ以上に困るのが、「何々を嫌いじゃないなんておかしい」と言われることだ。とりわけ不潔関係がそうである。
 わたくしは、元来別段汚くてちらかっててものが腐ってるのが好きなわけではない。ただ、気にならないだけである。あまりにもそれを異常だ異常だと言われるので頭に来て、不潔こそが本来の有り様であり高等であり神聖なのだという主旨で「川を覆う闇」を書いたわけだが、本当は、不潔がんもう好きで好きで毎晩生ゴミでパックして寝たいとかそういうことではない。ただまあ、ガス台の隙間から下に落ちて鉄板ごと外さないと回収不可能なチャーハンのかけらなんてのは、半永久的にそこに止まることにはなる。
 結果として、わが家の裏家主は、黒くて平たい昆虫の皆様ということになる。我々(ダンナとみみ太と私)と彼らとの間には不可侵条約が成立しており、彼らが音を立てて走り回ったりいきなり顔に止まりに来たりとかの暴挙に出ない限り、殺虫剤スリッパ丸めた新聞紙などの迎撃行動は起こさない。廊下で会っても黙ってすれ違うか、たまには「こんにちはどちらへ」なんぞと話しかけたりもする。
 結果として、うちの黒いかたたちは、ものすごく動きがゆっくりである。皆様は彼らをとにかくすばしこい奴らとお思いかもしれないが、あいつらだって危険を感じてなければ普通に歩けるんである。人間と少しも変わりはない。
 しかし彼らにも寿命は来る。頭を切り落としても失血死ではなく口がないゆえの餓死を遂げるとゆうほど生命力の強いかたがただが不死ではない。よく廊下に引っくり返って死んでいる。と思ったら、まだ触覚が動いていたりする。そのままだと踏み潰してしまいそうなのでつま先でちょちょいのちょいと物陰に寄せてやったりもする。
 と思ったら、いつの間にか廊下のど真ん中に戻ってたりするんだよなこれが。明るいとこで死にたいのか?
 とゆうわけで、本日の「日月」歌会に出詠した歌。

終焉はしづかならめと死にかけのごきぶり移せば灯りに戻る 深森未青

 4票獲得。皆様ありがとうございました。
 本当は殺すんだろうとずいぶん食い下がられたが、だから、違うんだってば!

えんどれす・うをを

2009-06-07 18:52:28 | Weblog
(この文章は5月のmixiに書いたものです)

 もう半年近くもちょこちょこと進展を書いたり妄想をたれ流したりしていた古ゲーム「幻想水滸伝3」だが……
 どうも、「FFⅡ」(ファミコン版)と同じ運命を辿りそうである。
 どおゆう意味かとゆうと簡単に言えば
 「終われない」
 とゆうことですな。わはははははははは。

 もちろん今までだってヤヴァイ局面は山ほどあり申した。三人主人公のうち、子供嫌いのわたくしが操作するのに嫌悪さえ覚えた少年キャラなど、永遠にビネ・デル・ぜクセを脱出できないかと思ったくらいである。今なら雷魔法一発で掃討してやれるのによ、ちくしょうまた出て来やがれゼクセン兵、「虐殺」とゆうコマンドを設置してくれ!しかしそこをちみちみいじいじHPを稼いでしのいで来たんである。FFシリーズと違って、「わざと同士討ちしてHPを上げる」という手が使えないのも困りもんだった。しかし現在対決中の本ボスはどうもこうも決定的に倒せないような気がする。戦おうにも実体化直前のキングギドラみたいなモザイクの寄せ集めのトリと、あとは「光る球」が4つ、とゆう敵では倒すにも力が入らんではないか。
 んがしかし、本ボス戦の前のイベントで、わたくしはなかなかなテーマ性を、つーかありていに言えば一日ぶんの日記はまあ埋まるな、なネタをしこんだのである。
(以下ネタバレ)
 このゲームは詳細かつ名作の誉れ高いマンガ版が出ておるそうなので、そっちではもっと詳しく言及されておるかもしれんが、とりあえず、本ボスが「なじぇ世界を破壊しようかと思ったか」の理由は、「このままでは世界が絶対的な静止状態になってしまう」からなんだそうである。だからリセットしようとしたんだとか。それに対して主人公グループは「とりあえず今ここにいる人民や家族の生活を大事にしろ!!」とゆー態度でケンカを売るわけなんだけど、わたくしは思った。
 この本ボス(30づらこいて、デザイナーズ・チャイルドのせいで童顔とかゆうイケメン)の主張ってさー、「百億と千億」の阿修羅王と同じでね?
 彼女(阿修羅王様ね)の主張は明快だ。宇宙が熱的死を迎えるくらいだったらそれを阻止するために嬰児虐殺や、ひとつやふたつや100や200の文明の崩壊はやむを得ないと。この是非にわたくしが答えることは不可能だ。彼女に対して、「ヘロデ王に殺されたガキの親の気持ちにもなれ!」と言ったところで通じるだろうか。
 とここまで長々と書いてきて言ってみるんだけど。
 うん、ちょっとはその気持ちになってみなよアーちゃん。
 わたくしにもまた、パソコンのキーを押すたびに、一度も存在しなかった何かを抹殺している可能性があるのだろうか?
 でもアーちゃんは意図的にやってんだからさー。
 と同時に、「幻水」主人公たちのあつっくるしさにも閉口するけどな。

 (付記。結局終われませんでした)