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2011覇王決定!渓ゴチバトル選手権in気仙川「ヤメメよ何処に!」

2011-03-07 11:35:00 | ノンジャンル
3月1日渓解禁から気仙川の釣果は誰から聞いても新聞でも渋いというばかり

果たして渓魚達は何処に潜んでい居るのだろうか。

3月6日今年も仲間数人と気仙川でヤマメと戯れるのだ、おまけに「ゴチバトル」

も開催。マスター・Mさ・Kどー・ナベの4選手が参加表明!!

「なんでさん」「208」選手都合付かず不参戦なのでした。

朝6時に目覚めて自宅を出ると「ナベ」から携帯着信「何処居ましたか?」

「自宅出たばかりだど~」「えっ!もう渓釣りしてましたよん」と言われる

「Kどー君も来てましたが」・・・・・ヤバい出遅れている・・・マズイ・・。


決めていたポイントへ急ぐも人影が無い「あらまっちゃん」(汗)

車止めにも車が無く「ラッキー!」まだ誰も入った形跡なし!!

身支度急いでタックルセット!チョイスミノーは「Dーコン赤キン鮎」

下流から静かに大場所まで攻めて行くのだ、しかし深場流芯と攻めるも

チョイスなし(泣)「出ないな~」と不安になる。


大場所にきて思案する「何処から攻めるべきか?」ギリギリまで身を隠して

深みにミノー沈めてアクションさせると「バシャ!」「キター!」と

合わせたが手元まで来て「バ・ラ・シ!」「あちゃ~!」(号泣)

20数センチあるヤマメでした、早く一尾確保して安心したいのに・・・。

それからあちらこちちらと谷に下りて上り藪を漕ぎ悪戦苦闘の渓でした

正午集合かけていたので焦る焦る、他の奴らの釣果気になる気になる。

兎に角渋いコンデションでしたが天候だけは「晴れ!!」でした。


正午に待ち合わせの「三叉路うおまさ」に行くと誰も来て無かった

間もなく「Mさ」が余裕の面持ちで登場、不敵な笑みでした「こいつ

釣れたのかな?」容疑者でもあるので油断がならない。

続いて「ナベ」ニコニコしている「こいつも釣れたのか~?」う~む。

正午過ぎても「Kどー」が来ない・・・「かなり釣れたか釣れないか」の

どちらかだな。

遅れること5分で全員集合!!

まずは先に食べ物注文することにしたのだ(笑)

「ラーメン・ミニカツ丼」2つ「ラーメン・焼肉丼」1つ「チャーシューメン

ミニカツ丼」1つ!!さていよいよ計量なのでした。


全員で釣果3尾(大号泣)まてよ!全員で3尾だと誰か釣って無い人いますね~







最大値20cmを釣り上げた「マスター」!!覇王決定です。ヤマメ2尾釣りました。

「Kどー」しびらっこくもチビ岩魚1尾上げ辛くも逃げ切り。

「Mさ」「ナベ」ノーフィュッシュ!!

なんと「Mさ」は4日連続の四日坊主と言う事が判明!!やはり疑惑のMさなのだ。

2人に「御馳走さま!!」と言い美味しい昼飯となりました(爆笑)

夕方を待って隠れ家宴会方面へ!!「さ~呑むぞ~!!」



なぜか「鮎の塩焼き」・・・う~む



東京マラソン帰りの(ぶ)




朝早い凛とした渓に降り立つと心も体も自然のオーラに包まれて幸せな気分に

なって行く、流れる水流は肌が切れるほどの冷たさだが渓魚達は懸命に生きずいて

いたのだ。

昼ごはんを鱈腹食べたせいか帰りの運転は瞼が重かった

運転しながら釣り仲間とはこれからも死ぬまで続いて行くのだろうな~

とそんな事を考えながら思わず笑った昼下がり。

楽しい一日だったのは言うまでも御座いませんんね(笑)

今シーズンも森羅万象・深山幽谷・源流万歳・山奥深く人間としての

生命感頂きに参りますぜ!!





人は嬉しくても涙が流れる”祝い編そして、さらば青森!

2011-03-04 11:07:00 | ノンジャンル
朝早くの敷地内露天風呂は誰も居なく貸し切りで心地よかった、ただ39度と

温めの湯でじっくり入らないと温まりそうもない周りは大雪に囲まれていた。

旅の贅沢は朝風呂に有るといつも思うのだ、二日酔いの体からアルコールが

ゆっくりと湯に溶けだして生き変えさせられる、露天風呂だと尚良し!

生き変えると当然腹が減る(笑)美味しい北の朝食が待っていたのでした。


食後のコーヒーを楽しんで部屋に戻り11時のチャペル式までベッドで寛ぐ

第二の旅の好きな時間なのだ、目覚ましをセットして朝寝タイムだったのだ。

「おじちゃん!行くよ!」とドアをノックする姪とホテル内チャペルに向かう

式場前には嫁さん親族が揃っていた「よろしくお願いします」と深々と

頭を下げて回る、新たな親類縁者が出来た瞬間でした。

案内係りに先導されて静まり返るチャペルで新郎新婦を待った午前11時。


神父さんの、片言日本語ごちゃまぜ英語の聖書の読み上げや信徒でも無いのに

讃美歌の斉唱(泣)無理矢理盛り上げる神父さんでした(笑)

それでも我が家族たちは甥の成長を思い出してか、すすり泣く声がチャペルに

響いた、亡き母の遺影だけが微笑ましく2人を祝福していたチャペルだった。



甥の同僚が大半を占めた披露宴は賑やかに煌びやかに2人を祝福していく

舞台に上がり「何か?」とお願いされたが丁重にお断りして宴を楽しんだ

お世話になっている上司や職場の皆さんに酒をついで回る、親戚になった

方々たちと杯を重ねた宴もたけなわに時間になっていた。

キャンドルを持った2人が我が家族のテーブルに来る、祝福する家族は

みんな涙が流れていた、人は嬉しくても涙が流れる心温かい時間でした。




披露宴後帰ることにしていた、ホテルフロントに見送りに来た2人に

「仲良く幸せにな!」と告げてホテルを後にした。

大湊線午後5:03発・野辺地行き、車両は1車両で閑散とした車内でした

夕闇に包まれて「ゴトンゴトン」と南に向かう旅の後半だ。

一路向かうは「八戸」、夜の八戸ブラブラ旅が始まるのだ!!

午後7時過ぎに青い森鉄道は八戸駅に着いた、駅そばのホテルにチェックインして

繁華街にタクシーで向かった、代金は約2000円「う~む」遠いな~(泣)


来てみたかった「みろく横町」でしたが賑わいは無かった寒い夜だった。

来てみて兎に角「横町」が多い呑み屋街だった古い軒並みに昭和が残されていた

ノスタルジックな空間の街を歩いて回った回った(笑)「疲れました~」。





「たぬき小路」「ハーモニカ横町」・・・・

次回はじっくりゆっくり訪れたい街なのだ。

割増料金になったタクシーに乗りホテルに戻る、宿近くに雰囲気の良いラーメン屋

があったので入る、ばあさんが一人で切り盛りしていたが客は俺一人。

「八戸ラーメン」を頼むも待つこと30数分出て来ない!死んでるのではと

厨房を見ると動いていたので待つことにした(号泣)

漸く出てきたラーメンは見た目が美味そうだったが味が無くまずかったのだ

でも一生懸命作ってくれたのだろう熱いスープを頬張りながら青森の出来事を

思い返していた。

厳しい下北の寒さの中で頑張っていた甥、久しぶりに集まった姉兄家族

一人旅したかった青森でした。

またいつか来ることがあるだろうかと星空を見上げた青森の夜だった。

翌朝一番の「はやて」で帰郷した青森下北男旅路だったのだ。  

                         終わり!!

下北夜を味わう!哀愁編

2011-03-03 11:59:00 | ノンジャンル
大湊の駅で甥と待ち合わせていた、一つ手前の駅「下北」で降りてと言われたが

終点に辿りつきたく「いや大湊で降りるよ!」と告げ迎えを待っていたのだ。

駅外の風景は人通りもなく閑散としていた「高田と変わんね~な!」と空を見上げた。


仕事を抜け出して迎えに来たらしく近場の観光は残念ながら諦めたのだ

尻屋崎「寒立馬」「「薬研温泉」「恐山」「大間」いつかは?いやもう訪れる

事は無いだろうと助手席でぼんやり陸奥の海を眺めていた。

折角なのでと「北洋館」と言う歴史博物館に連れて行かれた昔海軍の社交場

だった場所でしたが見学は早足だと20秒位で終わりそうな館でした(泣)



3月から乗船勤務になりマレーシア行くという護衛艦なのでした

甥の携帯が鳴り姉兄が着いたと連絡が入りホテルに送ってもらった

高台にある「むつグランドホテル」翌日もここで式と披露宴が行われるらしい。

部屋は町を見下ろす9階でした遠くまで一望できる良い宿と温泉だった


6時フロントで姉兄姪甥と待ち合わせて夜の街に繰り出すことにした

向かうは「田名部地区」ネオンの多さに驚いた夕暮れだった

予約した店に入るも・・・ガラガラ・・・・店選び失敗した模様です(泣)

刺し盛り4人前に「ガックシ」もう笑うしかない出だしでした(笑)

しかし飲み屋街には感服!!ヤバい店もかなりあるらしいが。



みんなと別れて一人散策したかったが遅れて甥と嫁さんが登場したので

深夜まで昔話をしながら呑んだ北の街だった。

数年前に亡くなった兄嫁の話では涙が流れた下北の寒い夜だったのだ

暖かな店から深夜外に出ると大雪が降り積もっていた大湊でした。

翌朝6時に目覚めて窓を開けると真っ白な街が眼下に広がったのだ

大きなアクビをして露天風呂に向かった震える寒さの青森哀愁編でした。

いよいよ婚礼編に突入!!    続くのだ。




男の旅路「野辺地北風編」風に吹かれて

2011-03-02 11:22:00 | ノンジャンル
一関を出て一路「八戸」と行きたかったが今回の旅は乗り換え4回の列車なのだ

盛岡終点の「はやて号」はガラガラでした僅か30数分の移動で

旅の醍醐味「缶ビール」も呑む暇が無い移動だったのだ。

盛岡から再び「はやて19号」に乗り換えて、やはり30数分で「八戸」へ辿りつく

次の待ち合わせまでには40分あった「よっしゃ!めしめし」と構内を散策するも

始めて行く「八戸駅」だったので2階コンコース沿いにあった「鮨屋」に急いで

入る、座って直ぐに「生ビール!!」喉がカラカラでした。




「大間産マグロ一貫・赤身580円中トロ780円大トロ980円」「う~む」。

そんなのに見向きもしないで「〆サバ・ツブ刺しで!」〆にカッパ巻を腹に入れる

あっという間に40分(汗)八戸発青森行き「青い森鉄道」で「野辺地」に向かう

車内は期末試験を終えた高校生達で混雑していたがなんとか座席確保ほろ酔いで

乗り込んだのでした、見れば横並びの電車だった都会を走る電車風でしたが

外の風景は田舎そのものだった停車する駅は寂しいそのものだったのだ。

乗り込んでいる女子高校生達は皆顔を上げず携帯電話を開けていた

会話をしている高校生に耳をむけると皆標準語で「ここは青森だっけ?」と

耳を疑うのだ地方の方言も楽しみにしていたので拍子抜けの電車でした。

そして女子高生達は全て黒いブーツを履いていたのが印象深かったのだ。


効きすぎる暖房に眠気が出てきたが寝過ごすわけにはいかない旅である(笑)

我慢に我慢重ねて40数分で「野辺地」に着く「ここも寂しい町だな」の印象。




どうしても何処かの駅でやりたかった?いや食べたかった「立ち食いそば」

駅内に発見!!40分待ちの間に小腹がすいていたので「山菜ソバ!」400円

影に隠れてメニューがあった「かけそば280円・たぬき320円」(泣)

「けけそば」で良かったのに・・・・(号泣)




野辺地からは「リゾート・あすなろ」臨時列車に乗る、観光用の綺麗で広い座席の

快適列車でした、これで終点「大湊」に向かうのだ。

野辺地出て間もなく海が見えてきた「陸奥湾」でした、大陸からの北風が吹きつける

壮大な湾だった、白波が打ち寄せる間近を汽笛を鳴らして走りぬけて行く。

遠くには津軽半島も見えていた「津軽海峡冬景色」が頭をよぎった「横浜駅」

大湊まではもう少しだが眠りについた昼下がりだった。

車内アナウンスが「間もなく大湊~」と告げる、「ほっかぶり隊」と言う人たちが

忙しく車内販売に精を出していた、遠くには「釜臥山」がそびえていた。

北風は相変わらず強く吹き付けていた午後3時「大湊駅」に漸く辿りついたのだった。






駅外は寒く思わず手に息を掛けた北の町の第一歩でした。

感動涙編に続く!!