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松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆住民投票を考える(8)-議会・議員は本当に民意とは離れていたのか(三浦半島)

2015-06-06 | 地方自治法と地方自治のはざまで

 議会・議員が、民意とは離れてしまったことが、住民投票の理由とされる。それはどういうことなのか。そして、どうすれば、よいだろうか。

 住民投票は、間接民主制の不足を補うためにものとされる。議会・議員が、民意を踏まえず、民意と乖離して独走するような事態を是正するために、住民による直接民主主義制度が採用された。これはそのとおりである。では、民意に関して言えば、今回は、どの点が民意と乖離したのか。あるいは、民意との乖離を防ぐために、議会・議員は何をすべきなのか。

 調査によると、議員の自己評価と市民による議員評価は、真逆である。つまり、議員は、市民のために大いに仕事をしていると考えているが、他方、市民は議員は市民のためにちっとも仕事をしてくれていないと考えている。

 こうした相反がうまれる原因は、2つある。
 ①ひとつは、実際に議会・議員が市民の思いに合致する仕事をしていない場合である。この場合は、議会・議員は、市民のために働くという原点にもどって仕事をしていくしかない。その乖離を正すために、やむなく住民投票が行われた場合は、これは政治の失敗であるので、議会・議員は心して、住民投票がなされたという意味を考え直すことが求められる(そうでないとリコールにまで話が発展する)。

 ②他のひとつは、議会・議員は市民のためにちゃんと仕事をしたが、それが市民に伝わっていない場合である。伝え方の悪さの問題である。そのことが原因で住民投票が起こる場合がある。この場合は、伝え方のどこに問題があったのかを踏まえて、きちんと伝える改善策をつくっていくことが求められる。

 何千万円もかけて、住民投票が行われるのであるから、どこに問題があったのか、きちんと分析して、これを無駄にしない努力が必要である。

 新城市の場合は、どちらなのだろう。これは、人により、あるいは見方によって評価が違ってくるが、私は、住民投票で敗れた議会・議員側も、今回の新庁舎建設の提案において、市民の思いとは違う仕事をしてきたという評価は、正しくないと考えている。それは一般に、議論を重ねる中で、多くの人たちの賛同を得た意見は、一定の合理性を持っているはずだからである。新城市の新庁舎問題でも、これまで検討してきた新庁舎案を多くの議員が一貫して支持し続けたが、それはこの案が一定の合理性を持っているゆえだと思う。

 以前、新城市で、ブログ規制問題が起こり、ネット上で話題になったことがあった。内容は、若い市会議員がブログを発信するのを議員の多数が咎めたというものだった。ちなみに、ここでも、正義の少数派と悪の多数派という構図である。

 ネットで発言している人の心情を推し量ると、どうせ田舎議員たちは、ブログもインターネットも、よくわからず、若い人がやることに闇雲に反対するのだという思い込みや偏見がまず前提にあって、その悪代官を糺してあげよう、あるいは正しいことを教えてあげようという「正義の指摘」をしているつもりなのである。そして、この指摘に、多くの人が共感するのは、市民のなかにある議会・議員=悪代官という心情にぴったりフィットするからである。

 その時、おかしいと思ったのは、ブログを規制するという、そんな馬鹿な結論に、議会の多くの議員が同調するはずがないというものであった。たくさんの人が集まって議論していけば、おかしな意見は、一人落ち、二人落ちと、支持者がいなくなるからである。

 そこで、よく調べてみると、ブログ規制と言っても、規制しようとしているのは、未確認で不確定な情報を出すのはやめよう、誤った情報は訂正してほしいという、極めて常識的なことを言っているに過ぎなかった。だから、多くの議員が支持したのである。

 新城市の住民投票でも同じことが言える。これまで検討してきた新庁舎案を多くの議員が一貫して支持し続けたが、そこには同調できる理由があるからである。そうでなかったら、一人落ち、二人落ちと、支持者がいなくなる。投票の結果、この案は、住民の容れるところとはならなかったが、それは内容が市民の思いと乖離するといった欠点のためではなかったと思う。もう一つ、実質的理由は、(本当の正解は20年後でないとわからないが)、私は、今後の新城市を襲うのは、公共施設の中心部集約化だと考えている。そのことを考えれば、今のうちに国費で新たな受け入れ施設をつくっておいた方が、結局は安上がりで、長い目では有利だったと思うからである(しかし、旧庁舎を残すと選択した以上、これを前提に、今後やってくる事態を想定し、その準備を進めることが重要であることは言うまでもない)。

 住民の賛同を得られなかった主たる理由は、②の、つまり、議会・議員が、十分に住民に伝えられなかった、あるいは伝える努力が不足したためではないかと私は考えている。ずっと検討してきた案の意義や優れたところを住民に正面から説明する努力がはたして十分だったのか、賛同する議員一人ひとりが、当事者となって、町に出て、熱意をもって説明したといえるかである。住民運動を主導した人たちに負けないくらい、住民と真正面からぶつかったといえるのかである。

 この住民に訴える努力は、今後の議会・議員に問われている最も重要なテーマである。これまでの議員は、どこにもいい顔をして、敵をつくらないようにしてきた。執行部をチェックしている議会・議員ならば、それでもよかったと思う。しかし、自治の共同経営者として、政策提案するようになると、そうはいかなくなる。当事者として、旗幟を鮮明にし、内容を自信をもって説明することが求められるからである。

 今回の住民投票は、そうした議会・議員の在り方を改めて考え直すよい機会になったと思う。分権・協働時代において、議会・議員が最も注力すべきは、市民に対して、町の課題を分かりやすく提供して、それについて市民自身が学ぶ機会を提供する機能、つまり市民が、まちのことを考え、行動できるように、サポートする機能である。

 ついつい議会・議員は、自分たちは住民の代表であり、住民の思いを体現していると自負しているがゆえに、その分、こうした努力を怠りがちになる。しかし、今回の新城市における住民投票問題では、議会・議員が、自治の当事者として、自ら提案し、それを市民に広げていかないといけなことが明らかになった。

 もはや行政や議会・議員だけでは、まちづくりができないなか、今回のケースは、議会・議員が当事者性をもって住民と対峙することの重要性に気が付くよい機会となったと考えて、そのきっかけにしてほしい。前に進む、またとないチャンスである。自治を取り巻く状況は、確実に難しくなっていくが、コップの中の争をしている余裕は、新城市にはもはやない。議会・議員が、一丸となって、町を引っ張っていく新城市になってほしいと思う(だからノーサイドであり、それを後押しするのが市民の役割でもある)。

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ブログ規制について。 (大沢真)
2015-06-06 20:46:31
https://www.youtube.com/watch?v=hdw2uBFsPo0
いや、不確かなもなにも事実を言っただけです。議事録からは抹消されてしまうと踏んで発信したので、そちらの認識不測。
返信する
ブログ規制について (マロン教授)
2015-06-07 06:09:38
新城市のブログ問題は、それまでの会派制を廃止して、常任委員会で、相談、アドバイスをする仕組みを始めたことに由来します。
 市長に負けない政策提案をする議会・議員を目指すために、事前に質問事項を出し合い、みんなで勉強するシステムです。

 これが、ある議員さんが「自分だけへの干渉である」、「発言制限である」と感じて、議長に抗議文を出すとともに、ブログにアップします。

 それを受けて、議会は、あらためて調査し、干渉も発言制限もなかったこと、議員さんの誤解であったことを確認して、この議員さんに、ブログの撤回を求めます。これがその内容です。

 それと別件である不適切発言がごちゃごちゃになって、世間に流布します。

 私の考え方を以前、書きましたので、ご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/opin/e/30e9840528ae9e22941b8acb7151f7c4
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詳しい記事を書きました (マロン教授)
2015-06-10 06:21:22
 詳し記事を本文のほうに書きました。
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