松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆横浜市にもあった境界紛争(横浜市)

2016-05-12 | 地方自治法と地方自治のはざまで

 今年も横浜市の地方自治法の研修会が始まった。毎週水曜日、夜6時半から。4回連続。

 横浜市は、昔の職場ということもあって、思い出話が多くなる。この日は、地方自治法5条以下のところで、横浜市でも境界紛争があったという話をしてしまった( 5 条第 1 項は、自治体の区域は「従来の区域による」とされている。この規定も面白いものであるが、これは別の機会があれば取り上げよう)。私は最初、金沢区に配属になったが、金沢区と横須賀市の境に、野島があり、横須賀側には夏島があった。その夏島をめぐって、横浜市が半分は自分たちのものだと争ったものである。

 野島も夏島も、最初は島であった。野島は、伊藤博文がここに籠って憲法をつくった場所で記念碑もあり、夏島には貝塚もある。今では陸続きになっているが、海軍がそこを埋め立てて、飛行場をつくったためである。夏島は、海軍航空隊発祥の地である。

 戦火が厳しくなると、海軍は、海を埋め立て、地下に格納庫をつくった。今は見ることができないが、最新鋭の航空機を温存し、横須賀軍港や首都防衛を図ろうとしたのである。改めて調べてみると、大格納庫である。

 戦後、この広大な土地が日産自動車に引き継がれ、日産の追浜工場になった。横須賀市にとっては、最大級の企業の一つである。ここから多額の税収が上がるために、日産の一部は横浜市の区域だといって、紛争が起こったのである。

 私が金沢区に入ったころには、議会に野島問題特別委員会もあった。ここはどちらの領域に属するか。平時ならば、両市が調整してそれなりの決着をするが、なにせ当事者は大海軍である。非常時でもあり、軍事優先で、どんどん埋め立ててしまったのだろう。

 領土問題は、過去にさかのぼれば、それなりの理由が出てくる(韓国は、対馬は自国の領土だといってるが、たしかに対馬の宗氏は、朝鮮に対しても、従属するかのようないい顔をしていた時期があったようだ。元寇のころ、元の歴史書には、対馬上陸は、敵地上陸とは書かれていないそうである。戦国時代は、境界の村は、戦国大名の間に立って、半分ずつ年貢を納めていた。これも生活の知恵なのだろう)。しかし、大事なのは、現にそこを押さえて、行政サービスを受けていることで、いまさら、半分横浜市だとはいそうですかとはならない。

 私は、この事務を担当したわけではないので、詳細な経緯は知らないが、簡単に調べてみると、神奈川県知事が調整したとのことであるが、その後、結局、うやむやの形で、矛を収めることになったようである。1980年代の終わりころには、この議会の特別委員会も解散した(これは記憶がある)。

 地方自治法の規定は第9条である。第9条には「市町村の境界に関し争論があるときは、都道府県知事は、関係市町村の申請に基づき、これを第二百五十一条の二の規定による調停に付することができる。
 
前項の規定によりすべての関係市町村の申請に基いてなされた調停により市町村の境界が確定しないとき、又は市町村の境界に関し争論がある場合に おいてすべての関係市町村から裁定を求める旨の申請があるときは、都道府県知事は、関係市町村の境界について裁定することができる。

 ただ、この野島のケースが、この規定による調停なのかは、調べてみないとわからない。

 おかげで、講義のほうは、予定の半分しか進まなかった。次回は、余計なことを話さないでやろう。


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