松下啓一 自治・政策・まちづくり

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*政策手法としての「励まし」(横須賀)

2010-10-08 | 4.政策現場の舞台裏
 大学で地域連携という講座を持っている。日本は、都会と地方が連携しあって、今日を作り上げてきた国であるが、それゆえ、地方の大事さを考えようという授業である。机上だけで考えていてはだめなので、フィールドワークとして、この秋に、信州上田を訪ねることになっている。そこで、まず上田を知ろうということで、上田が舞台の映画『サマーウォーズ』をみんなで見た。
 この映画は、地球を支配しようとするコンピュータに、上田の大家族の人たちが、立ち向かう話である。コンピュータが、さまざまな危害を加えているときに、主人公の祖母であるおばあちゃんが、消防士や救急隊員、警視総監など、あらゆる知り合いに、黒電話で働きかける。「あんたが、がんばらないでどうする」、「今、がんばるときではないか」。励ますのである。目を三角に吊り上げて相手を非難するのではなく、一人ひとりに諄々と思いをこめて説くのである。このおばあちゃんに励まされて、それぞれの人が、それぞれの立場で、力を尽くすことになる。
 これまでの政府と市民の仕組みは、政府を縛り、監視するという関係でつくられてきた。18世紀の事情に対応したシステムが今日まで続いているのである。これは国と国民とを規律するシステムであるが、国と地方の違いを吟味することなく、地方にも、いわば機械的に持ち込まれることになった。これでうまくいく時代もあったが、今日では、このシステムそのものが制度限界を起こしている。
 その最悪な例の一つが、守りに徹した行政である。市民からの、どんな非難、攻撃に耐えられるように、行政は防衛線をぐっと下げて守っている。鉄壁の安全ラインに位置するのである。その結果、広大な前線が残ってしまい、そこに、悲惨な被害が出ているが、前に出ることができない。
 行政たるもの、現場に出て行って戦うべきだという意見は、なかなか説得力を持たない。出て行って失敗すると手のひらを返したように個人の責任を問われてしまうのである。あえて打って出る場合もあるが、どういう法的根拠があるのだといわれてしまって、たちすくむことになる。そこから「法を守って、タクシー代に何億円も出す」という北海道の事例が頻発する。
 行政が悪いことをするから監視するという手法は、大事な視点であるが、それだけでは今日の自治は創れないということである。自治の関係者を前に押し出す、励ましの政策手法が必要になっている。
 講学上、住民自治とは、政府をコントロールすることと説かれるが、これはせいぜい200年の歴史にすぎない。そのはるか以前から、私たちには、自ら考え、まちのために活動するという、自治の長い歴史があった。政府の監視は、裏を返せば、政府への依存であるから、そればかりやってきたために、私たちは、本来持っていた自治の力を失ってしまったのではないか。
 今必要なのは、行政や議会に対して「あんたが、がんばらないでどうする」、市民自身も、「今、みんなでがんばらないでどうする」と励ます政策手法だろう。欠点をあげつらい、許容性・寛容性を失った姿は、民主主義崩壊直前のアテネのようである。
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2 コメント

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おびえ (たしろあやこ)
2010-10-09 12:15:09
私が思うに、たくさんのひとはみんなと異なる意見をいうことにおびえている、浮くこととか。もっとこうすればよくなる、と思っても口には出さないで我慢していたり、そんなことに関わっている暇はない、とかいう理由らしい。そういう空気こそが悪いことにつながっていくとおもう。もっと意見を言っても大丈夫、かえってそのほうがうまくいく、そんな風にしたい。
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女性や若者 (マロン教授)
2010-10-10 08:05:26
 頑固というものひとつの魅力ですが、これは許容性・寛容性とは必ずしも矛盾しませんね。縛られてしまっているおじさんを解放する役割として、女性や若者に期待しています。
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