松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆小平市の住民投票・その後(三浦半島)

2013-06-01 | 1.研究活動
 小平市の住民投票は、考えさせられることが多い。
 一般的に住民投票は、住民間での対立、不信を招くものとされる。住民投票をやったところでは、もう二度とやりたくないという声を聞くことも多い。
 ところが、小平市では、この対立と不信が起こっている感じがない。なぜなのか。

 住民投票のツイッターを見ると、冷静な議論が多い。稀に市長選の投票率も30%台だといった、子どもの喧嘩のような記事が載ることもあるが、全体には、自制的で、さらに民主主義を進めていこうという雰囲気になっている。とても良いことだと思う。
 あらためて考えてみると、普通、住民投票の直接請求は、議会で否決されてしまうが、小平市では、議会が、それを成立させたことがすごい。「さすが小平市」というべき点を発展させていくべきなのだろう。

 やはり気になるのは、投票率の低さである。普通ならば、7~8割の投票率があるが、35%というのはあまりに低い。そうした雰囲気を感じて、あわてて50%条項を追加したのだろう。35%で最も困ったのは、小平の市長さんであろう。大きくシナリオが狂ったのではないか(ベストシナリオは、50%ハードルを市民が楽々、越えるというものだったと思う)。

 投票は、なぜ単純に「道路計画を続けるか」、「やめるか」にしなかったのだろうか。「住民参加で計画を見直す」か「見直さない」かでは、どう投票してよいか分からない。「住民参加で見直す」には、縮小して道路を通すのもありということなので、これでは結局、何を決めたのか分からないからである。住民参加=民主主義を問うということかもしれないが、住民参加は、あたりまえで、投票で決めるものではない。

 率直に、道路建設を続けるかどうかで議論すれば、もっと民主主義は深まったろう。そこでは市民一人ひとりの想像力と具体的答えが問われることになる。
 道路渋滞というと、私は、一刻を争うのに、渋滞する救急車の中で、不安顔のお母さんを思い出す(実体験から)。
 ○×の決断をするなかで、自分のことだけでなく、こうした他者の不安や弱みといった他者の思いにまで、思いを馳せることが大切である。自分の関心事だけで動いていたら民主主義は成り立たず、まちのことや他者のことまで思いが及び、それらの人々が持つ不安を乗り越える対案(既存道路の拡幅など)を出すのが、それが私たちの民主主義である(住民投票でどちらかに決まっても、相手側の提起する課題に答えず、スルーしてしまっているので、結局、問題は解決していない。あとは、数で決まったので、その課題は我慢しろという強者の論理だけが残るだけである)。
 そして、対案まで行けば、結局、投票などする必要がなくなるが、そうした想像力と具体的な答えを出す力を鍛えるチャンスであったのが、今回の住民投票だったと思う。

 小平市の住民投票論議も、しばらくは続きそうで、こうした民主主義を深めるものとなるように、大いに期待したい。
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