Twitterでしな鉄さんの公式アカウントをフォローしているのですが、どうも一部の撮り鉄がマナー違反どころか法律違反をやらかしたらしく、警察に通報済みというレベルの話になっているようです。
その話に溜まっていた私の鬱憤がやや漏れ出して残念な一人愚痴大会を開催してしまったのですが(そしてそれに何人か付き合ってくださったわけですが)(ありがとうございました)、そんなさなかに目にしたのが下記のツイート。
ちょっと引っかかりを覚えたのですが、前後の脈絡もわからない上に、木島線・長野線と異なり同じ長野電鉄でも屋代線についてはあまり縁がないので、とりあえずこの場に引っかかった内容を捨て置いて行きます。
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屋代線関係で「乗って残そう運動」やった人達は、『それで本当に残せる』とは考えていなかったんじゃないかという気がするのですよ。
なんでそう思うのかというと、「何故電車を使わないか」なんて地元の人間は当然理由をよく知っているからですよ。
でもその理由を改善することは一朝一夕では到底無理だし、会社側にやる気があるんだったらとっくに会社側が先手を打って話していた筈なんですよ。
長野電鉄には木島線という前例がありますが、その段階で既に「なんで木島線が廃止なんだ、屋代線じゃないのか」という話もあったのですよ。更に言えばこの段階で電鉄側には確認が入っていたのですよ、屋代線は大丈夫なのかと。
電鉄側は大丈夫だと返答していたようです。
木島線の廃止は2002年4月、屋代線の廃止は2012年4月、この間ちょうど十年。
電鉄側に本当に残す気があったらとっくに話が出ていたはずですよね。
でもそれはなかった。
運行会社が残す気ゼロなんだから、本気で残すためには買い取るなり負債を負うなりしなければならない。
当然そんな資金はどこにもない。
巨額の公的支援を入れられる状況でもない。
※木島線廃止の際に、県は廃止回避のための長野電鉄への支援を拒否しています。同時期のアルピコグループへの対応と比較して考えると、お金関係の情報開示を拒否したのかなとも思いますが、詳細は探していないので推測でしかありません。すみません。
長野県北部は傍目で見てもわかる程度には道路重視の政策が続いていました。道路状況がよく車さえあるのなら、1時間に1本しかなく、片道25kmの距離を800円以上の運賃を出して電車を利用することを選択する訳がありません。それが日常的なものであればなおさらです。
はっきり言って廃止を回避できるはずがないのです。
ですが、一度なくなった鉄道をもう一度作ることは至難の業です。
沿線には学校も、人工関節で有名な病院もありました。関節が悪い人にとって、バスは電車よりも少々厳しい乗り物だと思います。
屋代線沿線の「乗って残そう運動」は、日常の選択肢から電車が抜け落ちた人達に向かって「そこに電車があった」ことを記憶に留めてもらうための、交通弱者からのメッセージだったのじゃないかなあと思っています。
あったほうがいい、でも無理、どう考えても無理、という絶望がまずあって、それを少し和らげるための「乗って残そう運動」があったっていいじゃない、という気はします。
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以上、私の推測に過ぎない話ですので、もっそりと脈絡なく書き捨てでした。
その話に溜まっていた私の鬱憤がやや漏れ出して残念な一人愚痴大会を開催してしまったのですが(そしてそれに何人か付き合ってくださったわけですが)(ありがとうございました)、そんなさなかに目にしたのが下記のツイート。
@harinonaitokei 真面目な話、いすみ鉄道の鳥塚社長は長野電鉄屋代線の存続シンポジュウムで「乗って残そう運動をやって残ったためしが無い」と言っていたのに、それを聞いた屋代線の活性化運動をしている人たちは「乗って残そう運動」をやって見事廃止になりましたね。
― メイドトレインさん (@maidtrain) 9月 8, 2012
ちょっと引っかかりを覚えたのですが、前後の脈絡もわからない上に、木島線・長野線と異なり同じ長野電鉄でも屋代線についてはあまり縁がないので、とりあえずこの場に引っかかった内容を捨て置いて行きます。
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屋代線関係で「乗って残そう運動」やった人達は、『それで本当に残せる』とは考えていなかったんじゃないかという気がするのですよ。
なんでそう思うのかというと、「何故電車を使わないか」なんて地元の人間は当然理由をよく知っているからですよ。
でもその理由を改善することは一朝一夕では到底無理だし、会社側にやる気があるんだったらとっくに会社側が先手を打って話していた筈なんですよ。
長野電鉄には木島線という前例がありますが、その段階で既に「なんで木島線が廃止なんだ、屋代線じゃないのか」という話もあったのですよ。更に言えばこの段階で電鉄側には確認が入っていたのですよ、屋代線は大丈夫なのかと。
電鉄側は大丈夫だと返答していたようです。
木島線の廃止は2002年4月、屋代線の廃止は2012年4月、この間ちょうど十年。
電鉄側に本当に残す気があったらとっくに話が出ていたはずですよね。
でもそれはなかった。
運行会社が残す気ゼロなんだから、本気で残すためには買い取るなり負債を負うなりしなければならない。
当然そんな資金はどこにもない。
巨額の公的支援を入れられる状況でもない。
※木島線廃止の際に、県は廃止回避のための長野電鉄への支援を拒否しています。同時期のアルピコグループへの対応と比較して考えると、お金関係の情報開示を拒否したのかなとも思いますが、詳細は探していないので推測でしかありません。すみません。
長野県北部は傍目で見てもわかる程度には道路重視の政策が続いていました。道路状況がよく車さえあるのなら、1時間に1本しかなく、片道25kmの距離を800円以上の運賃を出して電車を利用することを選択する訳がありません。それが日常的なものであればなおさらです。
はっきり言って廃止を回避できるはずがないのです。
ですが、一度なくなった鉄道をもう一度作ることは至難の業です。
沿線には学校も、人工関節で有名な病院もありました。関節が悪い人にとって、バスは電車よりも少々厳しい乗り物だと思います。
屋代線沿線の「乗って残そう運動」は、日常の選択肢から電車が抜け落ちた人達に向かって「そこに電車があった」ことを記憶に留めてもらうための、交通弱者からのメッセージだったのじゃないかなあと思っています。
あったほうがいい、でも無理、どう考えても無理、という絶望がまずあって、それを少し和らげるための「乗って残そう運動」があったっていいじゃない、という気はします。
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以上、私の推測に過ぎない話ですので、もっそりと脈絡なく書き捨てでした。