大銀杏ジュンコ  オオイチョウ・ジュンコ

女性として生きる知恵、大銀杏ジュンコがホンネで書きます。人を傷つけるためではなく、私の理解を深めるために。コメント歓迎!

怖くて聞けない、聞きたくない。

2005-03-30 14:39:37 | 家族というカルト
私たち姉妹は子どものころ仲がよくありませんでした。姉は優秀だけど意地悪でたくさん泣かされました。だけど大人になってから姉がいじわるだった理由も理解できるようになり、同じカルト集団にかつて所属していた被害者意識のようなものを共有するようになりました。姉もかつては私を心のそこから憎く思っていたことでしょうけど、特に私が成人してからは仲良く話すし、旅行に行ったこともあります。私は姉が嫌いではなくなるだけでなく、逆に昔のことを思い出して気の毒にすらなることすらあります。彼女もまた母によく人格そのものを否定されていたからです。

ある日、風邪を引いて熱があった姉は水銀の入った体温計を割ってしまいました。水銀の入った体温計は使う前に振って水銀を圧縮します。ガラスで出来ているので落としたりぶつけたりしたら割れ、人体に有毒な水銀が飛び出てしまうため結構危険です。水銀は空気中で気化してガスの状態でも人体に有害ですから母はすぐそれを片付けなければなりません。一日目は怒られただけで済みましたけど、なんと彼女、翌日にも新しい体温計を同じように割ってしまったのです。

なんで割ってしまったかと言うと、母にギリギリと締め上げられ、泣くまいと堪えながらやけになって体温計をぶんぶん振り回したからです。そんなイライラした状態でしたから割れてあたりまえなんですが、別にわざとやったわけじゃない。それを母がものすごい形相で「うち中の人を水銀中毒で殺す気????」と真剣に、何度も繰り返し聞くんです。んなわきゃねー・・・。

そういえば兄も同じようにやられてました。遠足で虫取りに行って蝶を捕まえてきました。翌日には放してやるように母は言いましたけど、蝶は翌日までももたずに死んでしまいました。兄に蝶を埋めるように指示し、泣きながら穴を掘っているその背中に母は「あなたが殺したのよ」と低い声で言いました。おいおい・・・もう悪いと思って泣いてるやん・・・。今ならそう思えるけど、当時の大銀杏はまだ幼稚園。その母の恐ろしさだけが心に残り、蝶は未だに苦手です。っていうか恐怖症のレベルです。気失いそうになるもん。

ま、それは本題ではなくて、その姉に未だに聞けないことがあるんです。実は大銀杏中学校の卒業文集に将来なりたい職業として「通訳」と書いたんです。人と人のコミュニケーションを橋渡しする「糸電話の糸」になりたいと書いたのです。大銀杏は今通訳ではありませんが、姉は通訳です。姉ちゃん、君が通訳になったのは、私が通訳になりたがっていたからじゃないの?それが聞けん。聞けませんよ、だって「あたりー」とか言われても嫌だし「は?何それ?」って言われても信じられないんですもの。しかもね、大銀杏自分もちょっとそういうことをしてしまう人間なんですよ。人よりちょっと要領がいいところがあるので、いけ好かない人が誰かのことを好きだと言えばちょっかいだして彼氏にしてしまったり(昔の話です)、人が何か習い事をやろうとしてたら「あー、面白そう」とか言って自分のほうが上手になって見せたり。要するに自分で本当にこれが好きということがないから、ヒマ。ヒマだから人でもからかって見るかっていう心理があるんです。

姉ちゃん、たとえそうでも別に恨まないよ。同じ親から生まれた子ども同士、ろくなもんじゃないね。

占い

2005-03-30 13:31:08 | 日々の出来事から
東京にいたころ、いつかやろうと思いつつ、遂にやらずじまいだったことがあります。それは街角に立って「占い」もしくは「人生相談」をすること。私は占う側ですよ、念のため。星座や生年月日で過去を見たり未来を見たりする占いは全く信じません。でも対面で占いをする場合、今のその人から感じ取れる過去、そしてなんとなく見える未来ってあるんですよね。

過去なんてもう変えられないから、当たろうと当たるまいと実際には関係ないけれど、その”人となり”を占い師が正しく読んでいるかどうかの目安にはなります。そこで占い師を信用できれば、今度は占い師の側にとってその人を読みやすくなります。だから占いの最初のほうでは過去を当てて見せたりするんじゃないでしょうかね?そしてそこから推察されるその人の傾向やそれが引き起こす未来をある程度予測することはできるんじゃないでしょうか。

大銀杏、所謂「お水」をしていたことがあるんですけどね、その頃しつこい客を黙らせる手段として占いをよく使いました。占ってあげると言ってその人が隠しているつもりの事実を言い当てたり、繰り返し起こるであろう人間関係のトラブルのパターンを予期したりして結構驚かれました。こっちからしてみると、「あんたみたいな性格の人は最後には人から疎まれるよ」とか「だいぶ会社でカス扱いされてるな」とかその程度のことなんですけどね、ちょと言い方を変えて「過去の誰かの妬みがあなたの信頼を横取りしてます」とか「誤解をされやすいのは自分の中に気づいていない人格が隠れているからです」とか言うんです。そうすれば笑いながらも目が真剣になって「どうすればいいの?」と来るんですよ。「性格直せば?」なんて言っちゃダメですよ。そこでさらっと「ニューボトル入れればいいんじゃないかな?」と切り替えし、笑いを取って金も取る。うまいね!あたし!

なんかこう、心理的なかけひきばかりやってきた大銀杏からすれば、人の悪意を引き出したり善意を引き出したりするのが簡単なように、その人の漠然と持っている不安や恐怖を言い当てるのはそれほど難しくないんです。だけどそんなことをしたら友達だってひきます。でも見えているものを見てないふりをしているのって結構疲れます。だからたまにガス抜きをするために、占いという方法でそれとなくメッセージを発してたような気がします。

ところで最近知り合いが数人で占いに行きました。帰ってきてどことなく嬉しそうに彼女はこういうのです。
「一緒に行った子はお金の話に終始したらしいけど、私はずっと恋愛の話だった。ニュージーランドにはもう私を満足させるものはなにもない、この国はあなたにとって暖かい場所ではない。すぐ日本に帰ったほうがいい。日本で待っている運命のパートナーに早く回り逢って一緒に世界を旅行するのがいいんだって。」と、彼女はまるで「私という素晴らしい人間はニュージーランドにはもったいない」と言われたかのように嬉しそうに言うんです。へー・・・と頷きながら、大銀杏が失礼ながら思っちゃったこと。

 - 英語がカタコトしか話せない30過ぎで独身の太め女に暖かい国なんてどこにもない。
 - 自分で自分の人生を切り開く強さもないなら男に食わせてもらうしかない。
 - 一度海外にかぶれてしまったから日本にいるだけだとプライドが満せない。

こういうことを読み取ったんじゃないでしょうかね。やっぱり占いって、大銀杏にもできそうな気がする。要は言い方ですもの。

ところで、少なくとも会ったばかりの彼女の状況を、その占い師はよく読んでいると思うんです。何年も彼女の事を知っている大銀杏はだからこそ言えることですが、彼女は自分に幻想を抱いているんです。だから彼女は今のままなら、日本以外で幸せになることは実際難しいのです。大銀杏友達に冷たいんじゃないですよ。大銀杏は前から彼女に英語をちゃんと勉強するように勧めているんです。実際日本に帰ったって30過ぎの何のスキルもない女は派遣会社にだって相手にされません。海外に数年いたのに英語が上手にならないのは怠慢以外の何ものでもなく、言い訳の余地はありません。これからお先真っ暗です。男に逃げるしかないんです。そしてそうするしかなかった人に限って、男自慢しかしない女になるんです。そうならないためには、今、スキルを身につけるしかないんです。

人間は見たい現実しか見ませんからね、彼女に「この国にはあたなを満足させるものは何もない」という言い回しでアドバイスするあたり、お見事です。見栄っ張りな彼女が飛びつく言葉ですから。日本に帰れば彼女にも現実が見えることでしょう。ということでね、大銀杏はその占い師私に何を言ってくれるのか、ものすごく興味が沸いてしまいました。早速連絡先をゲットしてまいりましたので、近いうちにそのご報告をいたします。

通勤地獄・逃げるが勝ち

2005-03-29 12:54:17 | 通勤バトル
大銀杏が日本を出たときに自分に誓ったことがいくつかあるけれど、「通勤・通学に公共の交通機関を使わない」と言うのもその一つです。東京にいたころは主に私鉄と地下鉄を使って生活していました。私、あの電車や駅という人ごみにどうも酔うのです。自分の世界に篭もってリラックスしようとありとあらゆることを試しました。外界の音をシャットアウトするヘッドホンをつけて音楽を聞いたり、マスクに手袋までしたり。まるで変態ですが、本人は大真面目。私的には人ごみの中で発狂しそうになるのを抑え、私の世界を守るための防護服でした。実際に何度も電車から降りて駅で休養してから通勤を続けるようなこともあったんです。

公共機関をどう快適に使うかという発想を捨て、自転車で50分かけて通勤したこともあります。これはこれで一つの解決策だったと今も思っています。郊外から幹線道路を通って都心へ、そこから裏道に入り代々木から赤坂を抜けて目的地まで、朝の早い時間に人気のない街をチャリる。体中に酸素が行き渡って日々鍛えられていく自分を感じられ、ある種病み付きになる楽しさでした。

東京の街にはチャリラーがたくさんいます。たまには行きずりのチャリラーと無言で競い合い、信号で止まって並んだ時に「全然平気よ!」って顔してにっこり笑いあったりするんです。ええ、気を失いそうに呼吸が苦しくても。他の車両に気をつけなければいけないし、都心はとっても信号が多いので、女性ライダーも男の人と結構対等に競えるんですよ。文字通り命懸けになりますけどね。

意外に侮れないのがママチャリ族。大銀杏も最初はママチャリからスタートして、だんだんロードレーサーやマウンテンバイクも乗るようになったんですけどね、歩道に乗り上げなければならないこともある都心の道路事情では意外とママチャリは速いです。特にロードレーサーはママチャリよりずっと軽いから加速もスピードもいいんですけど、段差や悪路にはからきし弱い。逆に自重があり慣性の力が働くママチャリは、少々段差があっても「どーん」と突っ込んでいけますので結構スピードを保ちます。ライダーがおばさんだった場合など、その運転はもう無法者。信号無視も逆走もなんでもござれですから、ヘルメットにピタスーツで決めているチャリラーが逆走ママチャリに蹴散らされたり、狭い歩道に上がり際に抜かされたりするんですよ。

あとは一見ご老人としか呼び様のない方も侮れない。彼らはヒマですからね、自転車でどこまでも行きます。よく見かけるじーさんがいました。ゆるりゆるりと緑の自転車をこぎながら、ある日は初台で、ある日は赤坂で、またある日は中野で見かけました。その行動範囲半径10キロぐらいはあるんじゃないでしょうか。いつも同じ恰好でうろうろしているから目立つんですけどね、あまりあちこちで見かけるので、本当はもう死んでて魂が彷徨っているのかと不安になったぐらいですよ。なんで生きていると確信したかというと、ある日そのじーさんが狭い路地で私の行く先をふさぐかのようにトロついてたんです。邪魔臭いので抜き際に軽く罵声を浴びせたら、「殺してやるーー」といいながらついて来たんです。「憑いて」来たんじゃないですからね、念のため。ちょうど交番があったので駆け込んで置いてきちゃいました。「おまわりさん、このおじいさんが殺してやるとか言うんです・・・」って不安そうな顔して・・・。あはははは

本題に戻りますけど、自転車通勤を恒久的な手段にするためには自転車で通える範囲に仕事を見つけることが条件になります。また、東京には雨も降れば雪も降る、夏の炎天下は・・・体が溶解しますよ。普通に。と言うわけで根本的な解決にはなり得ないのです。だいたいチャリ通勤をしていた時だって、朝起きるのは結構プレッシャーでした。それもいい感じのプレッシャーではありません。早起きできなければ地獄の通勤電車が待っているという恐怖感と、道路が混んでしまうという2重のプレッシャーです。おかげで就寝・起床時間がどんどん早まり、ついに6時前に会社に着いてしまうようになりました。そしてある時、ふと思ったんです。「こんなに早く来て、どうするんだろう・・・」って。より良い生活を送るために始めた自転車通勤が、より規制された生活を招いてどうするんだ!

そういうことで、大銀杏今度はまた引越しをして「始発電車で毎日座れる生活」をめざしました。これはですね、結論から言うと全く効果ないです。確かに毎日座れますけど、みんな座りたいのでドアが開いた瞬間に愚劣な戦いがあります。後ろから突き飛ばされたり、尻から座ろうと体を回転させているその一瞬のスキを突いて荷物を置かれたり・・・。もちろん自分も参戦してましたよ。でもそういう戦いを毎日繰り返して、悲しくないかと自分に問うまで時間はかかりませんでした。結局ね、公共の交通機関が苦手なものは苦手なんです。バスもだめ。全然混んでいなくても電車酔いをすることもある。で、自分が嫌なことから自分を遠ざけてあげなければいけないと、私の保護者である私自身は考えたのでございます。

さて、ニュージーランドで人生をリセットする気持ちになったのなら、どういう生活が送りたいのか、妥協なしで考えなければなりません。いいかげんな「我慢」は卑怯じゃありませんか?現在大銀杏は事務所まで片道3・5キロの道のりを車で通っています。東京では考えられなかった天国です。本当なら徒歩でもいいぐらいの距離なんですが、仕事柄足が必要です。荷物を運ぶことも多いので自転車やオートバイもだめ、結局車しかないんです。でも車の中では好きな音楽を聞いたり遅い車に怒鳴り散らしたり、いくらでもストレス発散ができます。車の中は不本意に人に触れてしまうこともないプライベートな空間ですから、気持ちの持ちようが違いますよね。右左折レーンを悪用して割り込みをかけてくるドライバーにはイライラするけれど、オヤジの頭の油を嗅がされるほどじゃない。少なくとも、「あれも嫌だこれも嫌だ」と自分に言わせないために、私は私の逃げ道を一つ、確かに塞いだと言えるでしょう。女34。立派な覚悟だ。



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番外ネタ
通勤が嫌だから"会社の近くに住む"というのは社会人になって最初にやったことです。会社からわずか2キロ、毎朝自転車で10分でした。通勤途中には有名な水神様があるんですけど、雨の日の翌朝にはよくその池から亀が散歩に出ちゃうんです。道路でおろおろして危ないのでよく自転車を止めて池に放り込んだものでした。忙しいので本当に池に向かって投げ込むだけですけどね、一度やったらもう気になって気になって、雨が降る度に道路の亀チェックしてました。本当に面白いぐらい出てきちゃうんですよね。

その生活を続けられなかったのは、単純に仕事を辞めたからです。次の職場は日比谷。でも都心の地価は高いし、会社変わるたびに引っ越してたらきりがない。引っ越すのが面倒で嫌な仕事を続けたり、逆に仕事を制限したりしそうで「逃げ腰」を保ちたい大銀杏には現実的じゃなかったんです。「逃げ腰」またの言い方を「フットワークの軽さ」かな?

便秘・うんこ話 again

2005-03-24 08:15:13 | 健康と美容
今朝も快調にうんこして参りました。朝起きて布団の中で伸び兼ストレッチをし、朝ごはんを食べてカフェインを摂取して、たばこをくわえたらもう「もりっ」と頭が出てくるのです。ああ、本当に幸せ。

便秘の治し方を紹介した項でも書きましたが、大銀杏本当に便秘がひどかったんです。もうなんでもしました。市販の下剤はもちろん、センナもいちじく浣腸も使ったし、ひまし油まで飲みました。いわゆる便秘薬が「緩下剤」と言われるのに対してひまし油は「峻下剤」(しゅんげざい)。即効性のある強力な下剤です。オエっとなるようなにおいのする油なので、飲み下せずに吐いてしまう人もいるぐらいです。食べたことを帳消しにしたい一心でそんなものを使うようになり、結構無茶してましたね。

ラーメン屋に行ってからケンタッキーでドカ食いし、食後にひまし油を飲んでケンタのトイレでゲロりそして下痢る。即効性がある分苦しいですよ。もう冷たい汗がが吹き出る感じで。高校にもいかないでそんなことをやってました。さすがに自分でもヤバイと思ったのでひまし油の入った壜はお守りとしてカバンに入れ、なるべく緩下剤で済ますように努力しました。過食が治まってからも便秘は治らず、20代の前半はあいかわらず緩下剤を多用していました。

もともと暑いのが苦手な体質なのに、便秘でさらにのぼせやすくなり、夏は本当に苦しい季節でした。たしか23歳のとき、どうにもこうにも気持ち悪いから絶対にどこかおかしはずだと思って総合病院で検査をしてもらいました。結果はほとんど異常なし。でも便秘と吐き気がずっと続くんです。体温も微妙に高い。そこで別の病院で調べてもらう。そこの病院でよそでの検査の結果を言うと、「え?そこで調べてもらったの?あんたみたいな人、本当に病気になるまであっちこっちの病院を渡り歩くんだよね。20代の女性に多いんだよね」ってずげずげ言われたんです。もう切れましたよ。切れたら大銀杏は「謝らせる」のが主義。結局その先生も「僕、当直明けで昨日から24時間続けて働いていて、君が最後の診察なんだよね。疲れててごめんね。」なんてしおらしくなり、近所にあった胃腸専門の先生を紹介してもらいました。そしてそこへ行って、人生が変わりました。本当にあのときキレてよかった。

胃腸科で「便秘だしとにかく気持ち悪いんです!何か原因があるはずです」という私に、「一緒にピアノを習い始めてもどんどん上手になる人もいればなかなか上達しない人もいる。生まれつき指を動かすのが上手な人とそうでない人がいるからです。同じように生まれつき腸を動かすのが上手な人もいれば下手な人もいるんです。あなたの体は排便が得意でない、そういうことです。」このとき、この話に妙に納得できたんですよね。そしてピアノを弾くのが下手な人も練習すれば必ず進歩する。腸を使うのが下手な私も練習すれば、人より上手にはなれなくても今より「進歩」はできるはず。ならばその訓練方法を見つけてやる、何でもやってやる、そう決心しました。

一日中踏ん張ってみることは過去に何度もやった。力を抜いてジャンプをするのも昔やった。逆立ちもやったし塩水も飲んだ。右腹を下にして寝るとか腸を時計回りにマッサージするとか、そんなことはみんなやった。じゃあ、今までやったことがないことは?うんこを出そうとしないで押し戻すこと。もう「何でもやってやる」と決心したからにはたとえ意味不明のことでも一つ一つやってみるしかなかったのです。もううんこを口から出すようにケツの穴もお腹も閉める閉める。絶対ケツからなんて出してやるものかという決意で。そしたらさ、次の日、ちょろっと出たんですよ。全部じゃないけどウサギのうんこみたいなやつが。なんの苦労もなく。あれれ?なんて思ってたら食後にでかいのが・・・。も、もしや・・・これが・・・!!!

結局その胃腸器専門の病院には一度行ったきり、だけどそのお医者さんが言った言葉で大銀杏のうんこは長いトンネルからやっと抜け出せたのです。失礼、うんこもそうだけど、大銀杏も人生の暗いトンネルから出られたんです。いやー、先生感謝。

便秘ってね、本当に人生の何十パーセントかを確実に消耗してます。24時間、それこそ寝ているときですら、うんこの存在を感じていなければいけないのですから。大銀杏のやり方が万人に通ずる解消法ではないと思います。だってそれぞれの体はみんな違うから。だけど「体質だ」と諦めてしまったら一生うんこに人生を削られたままです。たぶんうんこだってつるんと出たいと思っているでしょう。今の自分より少しでも「進歩すること」を心がけて、自分の体の正しい使い方をマスターしてくださいね。

「大銀杏」って何?

2005-03-22 12:46:55 | 日々の出来事から
大銀杏って、あのお相撲さんが結ってる髪型のことです。十両以上の力士は、本場所では必ず大銀杏を結わなければならないそうです。髷(まげ)を元結いで結んだ髪の先端の部分を「ハケ先」と言い、このハケ先の形が銀杏の葉に似ているので、大銀杏と呼ばれるそうです。

私最近また髪が伸びてロングなんですけどね、色っぽく髪をまとめたつもりだったのに、ある日フラットメイト(同居人)に、「あら、大銀杏ね!」って言われたんです。エプロンをすれば「化粧廻し?」、プリエをすれば「しこ踏んでるの?」。もう!この相撲好きめ!いつか張り倒してやる!と、思ってんたんですけど、考えてみたら「大銀杏」って結構インパクトありますよね。なんかそれで気に入って使ってます。

食べる銀杏(ぎんなん)も好きだから間違えられてもいいけどね。

オークランドの暗い夜

2005-03-22 12:31:56 | ニュージーランド生活あれこれ
東京育ちの大銀杏は暗い街を知りませんでした。たとえ真夜中でも空を見上げてぼんやりと明るい方角が新宿方面、雲が低い日にはオレンジ色に煙る方向がそれです。暗くなれば街灯がともり足元を照らしてくれます。顔を上げれば看板が照らし出され、何かしたいことはないかと問いかけてきます。コンビニに行けば「この中に欲しいものがあるでしょう、ないわけないんです」とばかりに商品・サービスが充実し、24時間空いている。そんな便利さが大好きだった大銀杏は、そこからニュージーランドに引っ越してきて3年、やっと暗い夜を大切にできるようになりました。

オークランドはニュージーランド最大の都市。それでも東京から来た当初、自分の目が悪くなったのかと思うぐらい夜が暗く感じました。実際に街灯は大きめな通りにしかありません。一つ一つの家の敷地も日本より少し大きめだから民家の明かりももちろんまばら。ただそれだけではなく、お店というものが早く閉まってしまうから余計暗く感じるんです。東京の夜も2時を過ぎればそれなりに暗くなる。オークランドにはその暗闇が午後8時にやってきます。テレビのチャンネルも少ないこの国で、自分の時間と睡眠時間が確実に長くなりました。

今日は週に一度のごみの日。ゴミ箱を回収しに通りまで歩き、かえる道すがら空を見上げれば、雲を透かして見る月ですらとっても明るい。サマータイムが終わり、これから冬に向けてどんどん日が短くなります。夏は9時ごろまで明るい空も、今は7時で薄暗く、これから徐々に5時には暗くなるようになって行くきます。

そういえば、ニュージーランドは「常春の国」なんて書いてあるガイドブックもありますが、これはもともとイギリスから移民してきた人々が言った言葉。東京育ちの私にとって春というのは暖かいものですが、彼らにとっての春はもっとずっと寒いのです。だから大銀杏にとってここは「冬が長い国」です。しかも雨は多いわ、雪が降るような気温にはならないわで、カビだけはちゃんと生えるんですよ。これから暗く長い冬が来るかと思うと大銀杏ちょっとブルーです。

ニュージーランドへいらっしゃる方。絶対に南半球の夏に来てくださいね。全然違いますから。

趣味は習い事

2005-03-22 09:53:43 | パフォーマンス
大銀杏、フラメンコの他にギターも習っています。ニュージーランドにきてからたった3年、今までにお金を払った習い事の数は既に10に近づいています。カルチャー・スクール情報もお任せあれ。忘れているのもあるかもしれませんが、ちょっとリストにしてみました。
 - Singing(歌)
 - Hip Hop(ヒップホップダンス)
 - Swing Dance(ジャズダンス)
 - Ballet(バレエ)
 - Public Speaking(スピーチ)
 - Flamenco(フラメンコ)
 - Ice Skating(アイススケート)
 - Guitar(ギター)

基本的に歌ったり踊ったり、するのが好きなんでしょうね。この中で続いけているのはフラメンコとギターのみ。本当は歌とアイススケートも続けたいのですが、やっぱり時間と体力には限界が・・・。何故この2つが残ったのかなと考えると、基本的に「発表の場が多い」ものが残ってるんです。(フラメンコについては当初先生に毛嫌いされるという逆境に打ち勝ちたかったからという裏事情があるのですが・・・別項ご参照ください。)

そもそもフラメンコを始めたのはダイエットのためでした。脂肪燃焼にはウォーキングが一番なのはわかってますけど、一人でうろうろ歩いて楽しいわけないですよね?徘徊老人にはまだ早いし、はっきり言って毎日やるなんて面倒くさいだけ。やっぱり運動をするからには「できないことができるようになる」「上手になる」「人に見せる」スポーツであればあるいは「勝てるようになる」など、欲望と達成感がなければ味気ない。下世話な欲望を満足させるためにの方が、私にはより強い動機となります。

ギターはフラメンコの伴奏として欠かせないものですが、大銀杏の目的はフラメンコではありません。パーティーの多いニュージーランドでは意外と弾く機会があるのです。上手になったらストリートミュージシャンもやってみたいし、あわよくば歌手デビュー?え?紅白?なんつって。ま、とにかくギターは持ち運びも簡単なので、これが弾ければ人生はさらに豊かになると思ってます。

さて、今入れ込んでいるフラメンコがひと段落したらアイススケートに挑戦しようと思ってます。ジャンプやスピンしたりできたらかっこいいと思いませんか?オリンピックに出ようと思っているわけじゃなくても、「あんなことができるようになりたい」という気持ち以上に心が躍ることってないんですよね。一旦それが出来てしまえば、さらに上が見えてきて戦いになってくる。その争いからは遠ざかりたいのです。っていうか勝てないし。だから新しい習い事を始めてみては、それが楽しければある程度はやる、だけど極めようとはしない。だからまた新しいことを探すというパターンになるんです。

器用貧乏とは私のこと。親にもよくそう馬鹿にされました。でもそれは傍から見て貧乏なだけで、当の本人は折々に満足を味わって豊かな気持ちですごしているのです。「あんなこともこんなこともやってみたい」というのが大銀杏の持って生まれた性格だとしたら、「あんなこともこんなことも私にさせてあげられる」という今の状態はまさに天国みたいです。人の評価なんて私の満足の前では取るに足らないことですから。

筋肉痛で遅刻します

2005-03-22 08:30:30 | 日々の出来事から
大銀杏、今朝は大遅刻で出社したのが11時5分前。すごい疲れてたんですよ。というのもおとといの日曜日にイベントでフラメンコを踊ったとき、野外劇場の舞台が古い木製で湿ってたんです。それで靴音がくぐもった音になってしまうため、響かせようと力いっぱい踏んだんです。あまりに靴音に気をとられ過ぎていた為に、スカートを振るのを忘れてたり散々だったんですが、何よりひどいのが翌日からの筋肉痛。普段から運動をしている私が筋肉痛って、何年かに一度の本当に珍しいことなんです。準備運動不足も祟ったんでしょう。反省しきり・・・

しかもその後、ガンダムのDVDを朝まで7時間半も見ちゃったし。いくない。

筋肉痛といえば、腕や足やお腹等、大きな筋肉が思い起こされます。でも昔、私舌が筋肉痛になったことがあるんです。舌の筋肉というのは体の中でもっとも強い筋肉。3度の食事の時にもしゃべるときにも使われる舌はエクササイズのチャンスにも事欠きません。その筋肉をどうやってこれ以上酷使したのか?それは「テレアポ」のバイトです。マシンガン・おしゃべらーな大銀杏も電話となれば必要以上にカツゼツをよくしようと、ものすごい筋肉を使ったらしいのです。

筋肉痛といっても舌そのものが痛くなるわけではなく、最初は舌が回りにくいなと感じる程度でした。そして気がつくと本当に舌が口の中いっぱいに腫れあがってて、ろれつが回らないんです。ええ、物理的に舌でお口がいっぱい。あの気持ち悪い感覚はちょっと今でも忘れられません。

そんなわけで、今朝、筋肉痛と全身のだるさで2時間も遅刻してしまいました。因みに事務所は自宅から車で10分。電話してから会社に来るまでの間に2時間もあったけど、誰にも何も聞かれなかったな。何してたって、もちろんもう一度布団に入って寝てからシャワー浴びてでて来たのよ。5分の遅刻も2時間も一緒ですよね。クビにするならしていいよと開き直る大銀杏、実は筋金入りの遅刻常習犯なんです。

小学校のときは学校まで毎日走りどおし、中学校へは禁止されているのに自転車で滑り込む。高校にいたっては遅刻が年間100回を超え、「後一回でも遅刻したら退学に同意します」という書類と退学届けそのものにサインさせられました。でもね、スキーにはまっていたころは朝の2時でも3時でもピシーーっと準備をして車を待っていたものよ。学校、仕事という義務的なことに対してはからきし誠意がないの。こんなことで人生渡っていけるほど世間は甘くはないと思うのですが、どういうわけかこれでもなんとかなってしまうものなんですね。

社会人になってからも日本で「勝手にフレックス」を実行しておりました。出社したのが午後2時半というのが日本での最悪遅刻記録ですね。午後2時半に海外旅行へ行く荷物を持って現れたワタシ。今思ってもよくクビにならなかったものだと・・・。大銀杏いつも「クビにするならしてくれ」と思ってますが、意外とクビってならないんですよ。日本でもニュージーランドでも。みなさんも他人の迷惑にならない限界まで非常識にチャレンジしてくださいね。世の中の懐の深さに感動できること請け合いです。

家族というカルト2

2005-03-18 18:17:06 | 家族というカルト
子供の世界は小さいです。家庭は世界、親は神。自分の世界が広がるにつれて普通はその相対的地位が下がっていくものですが、大銀杏の過程はカトリック・キリスト教。その宗教的な特徴がうんぬんというよりも、毎週教会に行って「私たちは特別です。キリストの復活は本当にあったんです。」と言われ、親も兄弟もふんふんと頷いていれば、そうかそうなんだと我も思うわけです。

まずいことに大銀杏の父親はけっこうご立派な肩書きを持っていて、母も相当なお譲なのです。ご近所からも学校でもどちらかと言えば羨望のまなざしを送られることの多い家庭を想像して下さい。子供は素直に親を誇らしく思うのです。その親が言うことを疑う余地なんかないんです。そして毎週毎週教会に行き、キリストは病人を治した、復活したと言われれば、もうそうかそうかと丸呑みですよ。

今思えばですね、キリストは偉大な指導者でありました。だけどキリストが神の子であるなら神の法、つまり物理法則を自ら破ることなんてあり得ないんです。キリスト教徒は自らの法だからこそ自らが破って見せるなんていいますが、神が神であることを人間に対して証明しなければならないと言う発想こそイカれていませんか。

いずれにせよ、大銀杏は馬鹿みたいに母を信じて馬鹿みたいに敬虔な信者になろうとしていたのです。何度も言うようですが、大銀杏のゆがんだ世界は周囲から向けられる羨望のまなざし、教会での日常、毎食・毎夜のお祈りの時間などで幾重にも補強されていました。学校の先生に何を言われても自分の母の方が正しいと信じていました。教会の日曜学校で教えられる聖書の解釈よりも母の解釈を信じました。だって私の両親は教会社会でもリスペクトされていたわけですから。

大銀杏も結構頭の回転が速いほうなので人の中では上手に立ち回っていましたが、自分の中では混乱がたくさんありました。友達と遊びでやったことすべてを母に「悪いこと」だとしかられれば罪の意識に苦しみ、恐ろしいほど激しく自分を責めました。自分の目から見える同じ世代の子供たちの生きる世界、そこから賭け離れた自分の心。それはまさにカルト世界でした。そして私が選ぶのは常に大銀杏教の歪んだ教え。だってそれが大銀杏の家庭でしたから。

そんな状況で最初に外の世界へのしっかりとした足がかりをつかんだのは学校の普通の友達の存在でした。彼女たちは明るくていたずら好きで、緊張感でいっぱいの大銀杏の兄弟よりもずっと優しかったのです。その彼女たちの笑顔は大銀杏の罪の意識にまみれた魂よりよっぽど清潔に見えました。理屈ではありません。罪人であるはずの彼女たちのほうが大銀杏よりずっと天国に近いと直感したのです。「私の友達は罪人なんかじゃない」そういう直感が、後に自分の意思を取り戻していく時の礎になっていったのです。

先輩の噛みどころ

2005-03-18 18:05:48 | 女性として
人にも縄張りというものがいうものがあって、新入り、年下という状況は常に相手に甘く見られがち。一旦舐められればその立場を覆される屈辱を避けるために、必要以上の抵抗にあったりします。大銀杏の年のころ(34)にもなればどこへ言っても最年少ということはないから、わりと楽に人間関係を処理していけるけれど、若かりしころはそれなりに舐められました。そういう中で先輩を「噛む」ころあいというのを大銀杏実によく心得ていて、会社でも結構おいしいところをいただいてきました。

例えば新入社員になったばかりのとき、配属の部署へ連れて行かれたその時、にこにこっと近づいてきた女の先輩がうれしそうにこう言ったんです。「私、後輩が入ってきてうれしいの!うちの部署女性が2人しかいないでしょ?私の派閥に入れようと思って!」。冗談なのか本気なのか私にわかるはずもなかったけれど、とりあえず危険信号を感じた私は即座ににこにこっとこう返した。「あら、遠慮しますよ。私自分の派閥作りたいんで!」。

実はその部署、海外生産を取り仕切る部門なんですが、タイ部門と香港部門を取り仕切るそれぞれの先輩が対立していたんです。新人を教える立場である香港側の先輩はそれまでの劣勢を挽回すべく、大銀杏を取り込むつもりでいたようです。私は本当にどちらにも傾倒せず、大先輩であるタイ側の先輩にもたっぷりかわいがってもらいました。どちらも職場で一人で浮きたくないという心理を利用して。大銀杏がしょっぱなから「自分の派閥宣言」をしたことは、派閥化を阻まれた先輩の口から社内に広がり、ちょっと一目置かれていたようです。ハイリスク・ハイリターン。一歩間違えば白眼視されるところだったけど、今思ってもいい噛みどころでございました。

先生のお気に入り? ・・・っふ・・・。

2005-03-18 17:45:06 | パフォーマンス
大銀杏はフラメンコを踊っています。先日のこと、月謝を払おうと列に並んでいたら、先生が、「あら、ジュンコの分はまだ計算してなかったわ。今計算するわねー」と計算をはじめられた。うちのお教室、レベルによってレッスン時間も値段もバラバラ。週に何回通うかで割引率が決まっているので、月毎に払う場合は「何曜日の何時いくら、何曜日いくら、週2回だから1割引いて・・・」という計算をするのです。ちょっと面倒くさいことですが、毎回払うよりお得だし・・・。そんなとき、後ろに並んでいた生徒が「ジュンコは特別だから計算していないのよ!あなたは"Teacher's pet"だものね」と意味不明のことを言うのです。「先生のペット」だなんてそんな・・・ か、かわいいってこと?うん、違うよね。

もちろんこれ、先生のお気に入りであることへの当てこすり。月謝の計算をしてもらっていない=お気に入りという図式も摩訶不思議、ただただ「あんたひいきされてんじゃん」ということを言いたくてムリな会話運びになってしまっただけ。実際フラメンコを初めてから1年ちょっとの私がアドバンスのクラスに出入りし、イベントでソロを踊っているというのは、層の浅いニュージーランドでも異例なこと。でもこうなるまでには先生と私の心理戦秘話があるんです。

当初私は先生からなんだかものすごく嫌われていました。人が見てなきゃ平気で無視するわ、レッスンで毎回「フラメンコはバレエとは違うから・・・」とか「バレエみたいな型にはまった踊りは・・・」とか、とにかくバレエを否定するようなことを言うんです。バレエやってたのなんて15年以上前だっつに。そして私にはほとんど注意をしないし見てくれない。その態度にかなり腹が立って、本当は大して興味もなかったのに「ぜってぇ辞めてやんねぇ」と決意してしまったのです。それから機会を伺うこと半年、チャンスはやってきました。

発表会のセビジャーナス(お祭りの踊り)には2組あって、速いテンポで上級者が踊る組と遅い組に分かれてました。大銀杏ラッキーなことに速いテンポの組にエントリーされ、結構ご機嫌で練習に励んでいました。セビジャーナスは2人一組で踊り、私のパートナーはスチュワーデスさん。そんなある日、先生から私ダイレクトではなく、私のフラットメイト経由で由々しき情報が伝えられました。私のパートナーと同じ職場の方が、彼女と一緒に練習したいからという理由でパートナーを交換してくれと言いだし、先生はそれを承諾したというのです。私はもともと遅い組にエントリーされていた方と遅い組に出るようにということでした。なんじゃそりゃ!

これを聞いた時、大銀杏は「今だ!」とぴんと来たのです。物申すチャンスです。誰だって「先生、私をもっとかわいがってください」って頼めませんよ。だけど、理不尽な扱いを責め立てて自分の立場を良くする交渉を有利に運ぶというのは交渉の基本テクニック。私は早速先生に「私は早い組でやりたい。私はすごーーくがんばって練習しているのでこの扱いは不本意と感じている。」云々。さらにあんまり強い調子にならないよう、フォントを手書き調のポップなものに変え、薄紫のかわいらしい色にしました。あつかましすぎないかどうか私の上司に英語をチェックしてもらう念の入れよう。

この手紙、すぐにE-mailで送ったんですが、「読んでない」と逃げられるのが容易に予想されるため、大銀杏プリントアウトもして封筒に入れて次のレッスンにも携えていきました。もちろんカラーで。先生に「あの、メール送ったんですけど・・・」と言うや否や、「あ、そうなの?見てないわ」。そこでにっこり笑って、「そう思って、プリントアウトしてきました。」とすかさず封筒を手渡しました。クス・・・逃がさないわよ。

ほどなく、先生から「あなたはもちろん速いテンポの組よ、あなたは良くやっているわね。」という返事が入り、その後はアドバンスのクラス来る?カスタネット?個人レッスンしてあげるわよとまさに手のひらを返したような対応。おいおいと鼻白む態度を見せてはだめ。今まで何事もなかったかのように先生先生と尻尾をふれば、あとはおいしい話が振ってくるってもの。こうやって大銀杏2年目にしてソロ・デビューという快挙を成し遂げたんです。だから「先生のお気に入り」なんて言われても、舞い上がりこそすれ、萎縮したりしません。私にとっては褒め言葉だもん。

ま、そんな不安定な先生ですからまたいつ大銀杏に矛先が向いてくるのかわかりませんが、あたし見かけほど弱くない。母との心理戦線で磨き上げられた技はまさに怪我の功名。先生も心しておいて下さいね。

万引き?もちろんやったさ。

2005-03-17 21:26:36 | 日々の出来事から
ちょっと古い話になりますが、本屋で万引きを見つかり警察を呼ばれた男の子が、逃げ出してすぐ電車に跳ねられたことがありました。本屋に「人殺し」という抗議が殺到して店を閉めざるを得なくなったり、それに対して「正しいことをした」と激励があったりと世の中を賑わしておりましたが、あの本屋、結局のところどうなったんでしょうか。普通に考えて、本屋は悪くないですよね。

それより彼は本当に逃げようとして遮断機をくぐったんでしょうか。大銀杏も万ビラーでした。初めて捕まったのは小学生のころ。母に夕食の買い物を言い付かって行ったスーパーでついでに万引きをしていたら、保安員のおばさんにやられました。そのときのことを思い出すと、何が一番怖かったって、店員でも警察でもなく親に知られることが一番怖かったんです。どんなにひどいことをされても、子どもは親の機嫌を悪くするようなことはしたくないんです。だから、お使いにだって素直に行っていたわけです。

先の電車に跳ねられた中学生、自分の名前も言わなかったのは親に連絡されたくなかったから、警察を呼ばれて追い詰められたんじゃないでしょうか。遮断機が下りている踏切にやってくるのは電車、そんなことは彼にもわかっていたはず。彼が逃げようとしたのは警察じゃなくてその先の運命だったんじゃないかと思うんです。万引きぐらいで?って思われるかもしれませんが、本人が問題にしているのは万引きそのものじゃなくて、万引きをしたことで周りが自分をどう思うかだと思います。万引きが悪いことだというのは絶対に分かっている。友達と遊びで万引きをしてしまう場合とは別で、一人で万引きをしてしまうような病的な心理へと追い詰めた原因は他にあるんでしょう。本屋に「息子のせいでご迷惑をおかけして・・・」と謝罪した立派なご両親、はっきり言って彼らが一番怪しい。

大銀杏の場合もですね、万引きが見つかった夜、両親に部屋を検められました。おこづかいもろくに与えてないのに出てくる出てくる文房具やお菓子の山。ええ、見つかった時点でかなりの常習犯だったんです。それからというもの、どこで何を取ってきたのか全部吐かされ、なんと一軒一軒謝りに行かされました。これは、つらかったです。もちろん大銀杏も全部馬鹿正直にしゃべったわけじゃないんですけどね。できるだけ数が少なくなるよう何でも売っている大型スーパーなどに集約しておきました。そこへ一人で謝りに行って怒鳴られるならまだしも、当然親がついてくる。そうすると店側は正直に子どもを突き出す親を褒める訳です。そして私みたいな子どもがいることを気の毒そうな顔をするんです。ああ、ここでも私が加害者で親が被害者なんだ、そう思うのがとてもつらかったのです。

結論から言うと、万引きに対しては事務的に警察を呼ぶのが一番いいと私は思います。家庭の指導に任せるのが温情だと思っていても、そもそも万引きに至った心理を生み出したのがその家庭である可能性はとても大きいのですから。大銀杏は万引きでではありませんが、実際に警察にしょっぴかれて家庭裁判所に引き出されたこともあります。そこでの審判は決して自分の心理を汲み取って為されるものではない。だけど、とても事務的で、人格を徹底的に否定してくる家族裁判に比べたらよっぽどフェアでした。万引きしたことを家族の知られてはならない恥のように扱われるより、「この人間はカクカクしかじかなことをした」と朗々と読みあげらる方がよっぽど楽なものでした。周りもその事実を受け入れやすいんじゃないでしょうか。

大銀杏の場合その後も熟練を極め、もはや万引きというよりは直接的に窃盗と呼ぶべきところまでやってました。今でも思い出すのが洋服屋。店の外にまでハンガーラックを出しているお店、ありますよね?あれをラックごと友達とエッサホイサッ!と大笑いしながら担いで逃げたことがあります。笑い事じゃないやね。自分で働いてお金を稼ぐようになって、あの時盗んだ洋服にもそれをデザインした人がいて、それを縫った人がいて、それを運んだ人がいて・・・そうやって人が生活しているんだと実感できるようになるまで、万引きそのものに罪悪感は持っていませんでした。お金を払うという「義務を果たさなかっただけ」で、誰かを傷つけたり不幸せにしているとは思っていませんでした。誠、若いことは恥ずかしいことです。

生理用ナプキンの裏に・・・

2005-03-17 19:14:37 | 日々の出来事から
大銀杏が高校生のころ、留学していく人が必ず持っていったものは日本の生理用品でした。先進国アメリカでもでかくてゴワゴワして吸収力のないものしか売られていなくて、日本のものが最高だったそうです。実際に留学の手引きにも書かれていたことですよ。でもこれは、かれこれ20年前のお話。今私のいる中途半端な先進国ニュージーランドでも、日本並みにつけごこちのいいものをスーパーで買うことができます。食品に比べると割高ですが、少なくとも日本から持ってくるものリストには入りません。

私が普段愛用しているナプキンは2種類。そのうちの1種類は、ちょっとしたおまけがついているから買っています。面白グッズとしてトイレットペーパーにクロスワード・パズルが並んでいるのを見たことありませんか?それと同じようにナプキンのシール部分から剥がす紙にどうでもいいような豆知識が書いてあるんです。これがあまりにくだらなくてやめられない。例えば・・・

 テレビを見ているよりも寝ている時のほうがカロリーを消費する
 トナカイはバナナが好き
 サメに襲われるより牛に襲われる確立の方が高い
 平均的な人間の体は石鹸を7個作れるだけの脂肪を蓄えている
 今この文章を読んでいる間にあなたの体の50,000個の細胞が死に、新しい細胞と入れ替わっている。
 人の体の中で一番大きい細胞は卵細胞、一番小さいのが精子


などなど。大銀杏を虜にしてしまったのは次の一文。
 一生の間にあなたが寝ているうちに70匹のいろいろな虫と10匹のクモを・・・食べている。

昆虫恐怖症のワタクシはもう泣き笑いです。オーストラリア産のこのナプキン、決して使い心地が良いわけではないし、結構同じネタも繰り返し出てくるんですが、とりあえず憂鬱な生理の時期をちょっと心待ちにさせてくれるアイテムです。

30女  海外で人生のリセット!

2005-03-17 12:10:43 | ニュージーランド生活あれこれ
海外に脱出して人生のリセットを図る人はたくさんいますよね。ここNZにも日本での生活を「諦めて」やってきた人がたくさんいます。とくに「ギリホリ」には多いのも当然です。ギリホリというのは「ワーキング・ホリデー」に「ギリギリ」間に合う年で駆け込む人のことです。ニュージーランドは30歳のうちにワーホリビザを申請し、31歳の誕生日までに入国すれば、入国から1年間滞在することができます。この年代は男性ならバリバリ仕事をこなしていたり、女性なら結婚・子育てに関わっているか、若しくは考え始めているはず。その時期に敢えて何の保証もない海外にやってくるというのだから、何か理由があって当然ですよね。

大銀杏が来たのも31歳ぎりぎり。まさに人生のリセットでした。日本にいたときに、この続きの人生はいらないと思ったからでした。人生を変える=海外ではもちろんありません。私にとって排除したいのは母親とのつながり。だから国内で知らないところへ引っ越してしまえばいいわけです。だけど社会人であればそれなりに重要な郵便物もあり、郵便局に自動転送を依頼したいもの。ところが大銀杏の母は私の住所を知らなくても、古い住所あてに手紙を書いて転送されるようにしてきたりするんです。その「届く」という距離にいるのに耐え切れず、もっとはっきりと住む社会を別にしたいと思ったのです。

その決意にいたるまでは北海道や東北地方など、家賃の相場から仕事の検索までいろいろ調べました。私はスキーが趣味だったんでとりあえず雪国へ。でも田舎は無理。実は転勤で田舎に住んだことがあり、その時に知らない人からいきなり「結婚してるの?」とか「うちの息子どう?」とか質問されるのにたまげました。それも全国規模のまともな企業の中でですよ。ああ、まだ田舎はこういうものなんだなと実感しました。そういう中で30歳以降の人生を送るのもつらかろうと、海外脱出に答えを求めたのです。

今ニュージーランドにいる人も、聞いてみればそれそれ事情があります。海外に脱出しても自分は自分。他の誰かになれるわけじゃありませんが、やっぱり自分が今まで浸かっていた日常から抜けてみることで、自分の整理ができるのも事実です。今までの自分の人生をそのままの調子で続けたくなかったら、とりあえず思いつくこととして海外脱出を図るのもアリ。未婚の30女が留学したり海外に出て行くのをやじるような言い回しも見かけるけど、結構事情があるんですよ!

さて、海外で人生のリセットは結構ですが、日本人同士で固まってばかりだと、やっぱりその中で妙な競いあいが生まれやすいと思います。だから海外に行くならまず語学、そして自分で知りたいことの答えを見つける練習を惜しまないことは絶対必要。語学について「海外に行けばなんとかなる」というのは間違いです。生きていくためだけなら日本人に頼ったり、片言でもなんとかなりますが、リセットした人生がそれでいいのでしょうか?せっかく手に入れた第2の人生、自分がやってきたことを捨てるのじゃなく、前の人生からおいしいところだけ使って、効率的に楽しみたいものです。

駐禁取られました

2005-03-16 10:52:57 | ニュージーランド生活あれこれ
先月仕事中にちょっと車を止めたところ、わずか2分後にParking Warden(市から派遣される駐禁の取り締まり)に見つかって最高額の$40も切符切られてしまいました。既にTowAway(牽引車)も呼ばれていたけれども、それはキャンセルしてもらえました。罰金$40。牽引車が到着していたらさらに$200ぐらい払わされるところだったので、不幸中の幸いですかな。

ところで、オークランドの駐車事情はそれほど悪くありません。なぜいきなり$40も取られたかというと、私が止めたところが"Goods and Service"つまり配達などに使う貨物車両専用のゾーンだったからなのです。私の車にはサービスをするための機器が積んであって、私は今仕事中だと主張してもだめ。そういう車両にはきちんと登録があるそうです。

さて、この$40どうする?市役所に抗議の手紙を書くという方法があるけれど、面倒くさいから払っちゃおうという方法もある。私はいつもこの手の選択に迷う。お金が無限にあるわけじゃないけれども、レター書いたりする手間を考えたら払っちまったほうが早くすっきりするんじゃないかと。少なくともレターを書こうか書くまいかと迷っている時間が一番もったいない。本当に時間を使う価値があるのか、お金で済ませる方がいいのか・・・。

何事も経験、後々同様の場面で文面を使いまわせる利便性にも気づいたので、結局市役所に手紙を書いて送りました。めでたく$40はWarningに変更になり、罰金はなし。1時間ぐらいかかったかもしれないけれども、まずまずです。たとえいいわけレターで罰金がチャラになっただけのこととは言え、文を書いてたことでお金をもらったと考えることもできるわけで、上出来。時給$40なり。


余談になりますが、以前いきなり裁判所から私の雇用主に、スピード違反の罰金を私の給料から差し押さえるよう命令が下ったことがあります。雇用主も大銀杏もこれにはびっくり。罰金はインターネットでクレジットカードを使って簡単に支払えるから、大銀杏出し渋ったことはないのですが、ちょっと忘れているうちに引っ越してしまい督促のメールが受け取れなかったのです。裁判所もさ、雇用主がわかってるなら一本電話でも頂けないものかしらね。

まともに働いているものからは平気で手荒い措置をしてくるこちらの行政。だけど生活保護をもらっているような人は働いていないから給料差し押さえもできません。そういう場合公園の清掃などの奉仕活動を命令されます。だけどこの奉仕活動の日時に現場に現れなくても誰もそれ以上文句をいいません。つまり、生活保護をもらっている人は罰金は完全に無視できるものなのです。大銀杏、自分が彼らの奴隷の身分であることがちょっと不満です。