大銀杏ジュンコ  オオイチョウ・ジュンコ

女性として生きる知恵、大銀杏ジュンコがホンネで書きます。人を傷つけるためではなく、私の理解を深めるために。コメント歓迎!

マダム舞う

2006-07-25 17:45:35 | 女性として
何がショックって、さっき高校時代からの友達にひきこもり扱いされた。そりゃあたしはここ10ヶ月ほど働いていないし、これからも働くつもりはないし、貯金はどんどん減っていくし、将来がないっちゃーないよ。ないさ。ないわよ。でもね、ひきこもりって何さ?「働きたくても働けない、私だって苦しんでる」なんてあたしは一度だって言ったことはないわよ。「働きたくないから働いてない」って最初から言ってんじゃん。あたしが稼いで貯めた金で遊んで何が悪い????あたしは働く気がないんです。働く気も全然ないけど、人にあれこれ言われる気なんてもっとないんです。んー、でも人の心は支配できないから仕方ないかぁ。でもある意味今が一番素で人生を楽しんでいるのに、無理していると思われることがショックだなぁ。

で、この10ヶ月間ブログも書かずに何をやっていたかって?ふふふふ・・・って誰に話しかけてんだ、あたしは。誰も読んでないんないんだったわね。最後に書いてから8ヶ月?このあたしでさえ、以前書いたものが残っていることに感動したぐらいだもの。また誰か読んでくださると嬉しいです。誰かに蔑まれたり、誰かに共感を持ってもらえたり、そういうことで同じ時代に生きていることを面白がれるといいっす。

ところであたしが最後に書いたブログの最後の一言「死期とか近づいてんのカナ?」だったよ?あたしやっぱり落ち込んでたのかな?あたしは死んでないし死ぬつもりもないし、誰かの為に人生の時間を売り渡すつもりもなければ、誰かの世話になるつもりもない。あたしは相変わらず立派な大銀杏ジュンコですよ。

あのねあのねあのねそれでね、じ・つ・は!最近アイススケートにはまっているのでありまーす。でも違うから。先に言っておくけど、それ違うから。荒川静香が金メダル取ってからはまったわけじゃないから。だってあたくしは2年以上前に既にマイスケートをゲットしていたし、無職になってからすぐスケート教室に通い始めていたんですもの。個人的にコーチについてレッスンなんかしちゃってるんですから。ジャンプだってするし、スピンだってしちゃうんですから。優雅なご趣味をお持ちなマダムなんだから。

スケートって昔から憧れだったの。だってキレイなんですもの。氷上のバレリーナよね?ああいうひらひら風にゆれる衣装を着て人に賞賛を浴びることに魅力を感じない女性っているのかしら?いないでしょう?ええ、大銀杏ジュンコ35歳独身子なし彼氏なしペット欲しい、オッケィ認める、負け犬「以下」。スケート大好きでぃーす。

あたしはさ、体を動かすのが好きで、特にバランス系の競技が好きだから平日の空いている時間に空いたリンクで思う存分滑れるスケートに今ハマるのは、すごく自然な成り行きなんですよ。趣味なんだから週2・3回にしようなんて自分から制限するお馬鹿さんじゃないから楽しけりゃ毎日行くし、お金もつぎ込むさ。だって楽しいと思うことがあるから生きたいと思うわけだし。だけどあたしが無職無収入になって以来、行く先々でどれほどの人が私を見下すか、ここ半年その心理に改めて驚かされたわ。「人を見下したい」という欲求が皆にあると言うよりは、「自分のほうが良い人生を歩いていることを確認するために人を貶めるチャンスは見逃さない」というほうが正しいのかな?生き物はみんな自分より弱いものを探すハンターだぜぃ。

つづく



なんつって

ロレアルなあたし

2005-11-06 22:39:10 | 女性として
25年も昔、私は小学生だった。そして「8時に就寝、テレビは一日1時間だけ、それも5時まで。兄弟で相談して何を見るか決めなさい。」うちにはこんな決まりがあった。だから『8時だよ全員集合』も『欽ドコ』も、一度も見たことがない。5時以降はテレビを全く見せてもらえなかったわけではなく、ニュースや大河ドラマはOK。つまり親が低俗だと思うものは見せてもらえなかった。

友達の話題についていけない時は焦るけど、親を真似てそんなものくだらないと自分に言い聞かせた。恋愛話が咲き乱れる少女漫画は全部だめ。おしゃれしたくても子供は必要ないからと、お下がり率は99%。男物も女物もごちゃまぜに、ちぐはぐな服をを平気で着ていた。因みに、洗髪のときにリンスも使っちゃいけなかった。色気出すのは10年早いって?

とにかく人と違う自分を意識して、自分のほうが惨めに感じるような時、私は決まって「くだらない」と自分以外を馬鹿にすることで自尊心を守るクセがついてしまった。子供時代になんだかよくわからない物をいっぱい否定しまくった後遺症で、好きに生きてるつもりの今でも油断すると混乱してしまう。服や化粧にお金や時間を使ったりすることが、たまらなく無意味なことに思えてくるのだ。すごく大切なことなのに。

ちょっとおしゃれして外見を良くするだけで、人生は大きく変る。まず人の扱いが変る。そして自分自身の心の中でも、自分を大切にする気持ちが大きくなる。自分が大切だからこそ、生きる意味が出てくる。だから、女でも男でも、内面でも外見でも、自分を磨くことに遠慮なんかする理由はどこにもないはず。これが俗っぽい発想だとしても、現実に私の心はそうやって動く。

この前、ちょいとお高いジャケットを買った。素材から考えて、ちょっとその値段には合わないと思ったけれど、店員に "You deserve!!"(あなたには其の価値があるから!)と言われて、納得。セールストークにのせられたと言えばそれまでなんだけど、素直に頂いた。『私には、素敵な服を着る価値がある。』それを実感することは何にも変え難い快感だから、服を手に入れる以上にお金を使う意味があったのだ。

最近収入が全くなくなって多少不安な大銀杏、今日は買い物に行って何も買えなかった。お金はなくなったらまた稼げばいい。どうしても稼げなかったら詐欺とか結婚とか自殺とかいろいろ手はあるんだから、明日からはまた、この価値ある私のためにちゃんとお金を使おうと思う。

先輩の噛みどころ

2005-03-18 18:05:48 | 女性として
人にも縄張りというものがいうものがあって、新入り、年下という状況は常に相手に甘く見られがち。一旦舐められればその立場を覆される屈辱を避けるために、必要以上の抵抗にあったりします。大銀杏の年のころ(34)にもなればどこへ言っても最年少ということはないから、わりと楽に人間関係を処理していけるけれど、若かりしころはそれなりに舐められました。そういう中で先輩を「噛む」ころあいというのを大銀杏実によく心得ていて、会社でも結構おいしいところをいただいてきました。

例えば新入社員になったばかりのとき、配属の部署へ連れて行かれたその時、にこにこっと近づいてきた女の先輩がうれしそうにこう言ったんです。「私、後輩が入ってきてうれしいの!うちの部署女性が2人しかいないでしょ?私の派閥に入れようと思って!」。冗談なのか本気なのか私にわかるはずもなかったけれど、とりあえず危険信号を感じた私は即座ににこにこっとこう返した。「あら、遠慮しますよ。私自分の派閥作りたいんで!」。

実はその部署、海外生産を取り仕切る部門なんですが、タイ部門と香港部門を取り仕切るそれぞれの先輩が対立していたんです。新人を教える立場である香港側の先輩はそれまでの劣勢を挽回すべく、大銀杏を取り込むつもりでいたようです。私は本当にどちらにも傾倒せず、大先輩であるタイ側の先輩にもたっぷりかわいがってもらいました。どちらも職場で一人で浮きたくないという心理を利用して。大銀杏がしょっぱなから「自分の派閥宣言」をしたことは、派閥化を阻まれた先輩の口から社内に広がり、ちょっと一目置かれていたようです。ハイリスク・ハイリターン。一歩間違えば白眼視されるところだったけど、今思ってもいい噛みどころでございました。

美差別

2005-03-10 13:15:04 | 女性として
悪魔は常に闇の支配者で、天の支配者は光。その象徴的な色は黒と白。犯罪者をクロ・シロと言ったり腹黒いなどの言葉が自然に響くように、残念ながら肌の色での差別は簡単です。肌の色だけではありません。人を差別することこそ、生存競争を戦っている私たちの生業なんじゃないでしょうか。

大銀杏、ここで一つ流行語大賞に挑戦する言葉を創ります。

「美差別」びさべつ:美しさを基準に差別をすること。

美差別ってこんなにはっきりしているのに、誰も言い出しませんね。大銀杏は背筋を伸ばして歩いて、荷物を持ってもらったり道を譲ってもらったりするのが大好きです。ドアを開けたら人がいた、その時に自分がよけなくても相手がさっとよける、こちらはにっこり笑ってThank you!男女を問わず、これは結構「美勝ち」な瞬間です。アジア人だって海外でこれが使えます。もちろん誰に対しても勝てるわけじゃありませんが、少なくとも美人オーラを出してさえいれば、こちらがよけてあげたときも向こうがThank you!最悪なのはよけて当然って思い込まれて無関心で素通りされる場合です。わざとやられているなら人種差別ですが、本気で気づかないなら「美差別」です。人としての数に入れてもらえてないからです。

人が人として認められる、その一つの要素は美しさだと思いませんか?美形じゃなくても品があってつい優しく話し掛けてしまう人っていませんか?そしてにこにこっとされると、あ、うれしいって思わせてくれる人。それが美人です。人は美人を喜ばせたいのです。男も女も関係ありません。その美は決して外見的なものだけではないからです。

もちろん外見は大切。外見がとっても劣っているのに美人オーラを出されても少々臭います。自分が出来る限り外見整えてこそ、自信が出てくるものじゃないでしょうか。ニュージーランドではストッキングをはいている女性をあまり見ませんが、大銀杏はアツギのストッキングをちゃんと履いてスーツを着て、仕事に出かけます。スーパーに言ってはだしのオヤジにカートを譲られてはThank you!パン屋に並べばおばちゃんと譲り合い、お互いににっこりThank you!そうやって笑顔を振り向けて差し上げることで周りが喜ぶ美人でありたいのです。異性に誘われてナンボじゃないんですよ。

知恵と知識

2005-03-07 20:21:42 | 女性として
このブログは女性として生きる「知恵」と謳っています。知恵と知識は違います。知識は客観的妥当性を要求し得る「情報」ですが、知恵は経験の中から得られるもので人格と深く結びついてきます。つまり生きていくためのスキルでもあるのです。

大銀杏ジュンコの人生にも運・不運がたくさんあり、その中から思い知ったことがたくさんあります。どこから仕入れたのか定かでない知識のかたまり、そこから下されてきたたくさんの誤った判断。私の経験から学んだことが、誰かの役に立つことがあるように公開しているのがこのブログです。

私が10代のころはインターネットはまだ一般の人が情報をやり取りするツールではありませんでした。あっという間に浸透したこの情報ツール。これがあったら間違いなく私の人生は違ったものになっていました。インターネットの害悪も報道されますが、この情報伝達能力は印刷技術・放送技術に続いて人類が種として手に入れた能力であることは間違いありません。この時代に生きている
ことを喜べることに感謝します。

読んで下さった方は是非、コメントを残していってくださいね。インターネットの出会いも一期一会。あなたのコメントが私の人生を刺激します。

精子を買おうかと

2005-03-07 11:43:34 | 女性として
昔は自然回帰願望が強い人間でした。環境問題を本当に切実な問題だと思い、自分が生まれてきた理由は破滅に向かう宇宙船地球号を救うための指導者になることだと思ってました。中学生のとき最初に書き始めた本(もちろん未完)は論文で、タイトルは「霊長類の責任」。弱肉強食の食物連鎖の頂点に立っている人類には自ずとこの地球を守る責任もある。好むと好まざるとを得ず、今の消費文明は害悪だーというあれですよ。ちょうど風の谷のナウシカが劇場アニメとして公開されたときでもあり、本気でした。

そういうことを突き詰めて考えて行くうちに、私個人も人間社会の中での生存競争の渦中にいる1生物で、種の保存よりも人間としていかに生きていくかが重要であって当然だと認識するようになりました。そして今、一人の女性として如何に生きるかということが自分にとってどれほど大切なことなのかを理解し始めたほうに思います。環境保全なんて所詮暇人の仕事と言っているわけではありません。この社会の中で生きていくかということは、一固体として優先して当然であり、くだらなくないということです。同様に、自分の遺伝子のコピーを残したいと言う欲求も強くて当然であり、無視することの方が不自然なのではないでしょうか。

数年前にアメリカの出産事情を特集したテレビ番組で、ある女性が紹介されていました。彼女は精子バンクで精子を買い、男の子を出産しました。彼女が言うには、結婚をするかしないかと言うことは人生のどの段階で決断してもいいこと。だけど子供を産むか産まないかという選択にはタイムリミットがあり、彼女は産むことを選んだということでした。今私は彼女の言うことがとてもよくわかります。子孫を残すかどうかということは時として女性にとって選択せざるを得ないことです。

そのテレビを見た時点で私は20代後半で、主張は理解できるけれども自分はとりたくない手段だと正直思いました。彼女はとても太っていて、田舎に引きこもって暮らしており、インターネットを使って収入を得ていました。彼女にはそういう選択肢しか残されていなかったんじゃないかと失礼ながら思いました。だけど自分が病気になり、闘病が終わってみれば、私は34歳の独身未婚女性としてのみ社会に存在し、まさにそういう選択をせまられているのです。他人から見れば負け犬の焦りでしかないかもしれません。ただ今までの5年間を振り返ってみて私には結婚や出産なんてオプションはなかったので、今こうして社会人に立ち返ってはじめて、子孫を残したいのかを自分に問いかけているのです。

もちろん精子を買うだけがオプションではありません。配偶者を見つけることもお金でできます。何に使われるのかわかりませんが卵子を提供することも考えられます。残念ながら卵子提供にも年齢制限が設けられている場合が多く、私が調べたところでは30歳未満の女性が対象です。お金をはらって配偶者を見つけるサービスでは妊娠することよりも結婚に焦点をあてているため、自分の目的には合致しません。結婚するための人間関係を樹立しなければならないと思うと、障害ですらあります。私はただ純粋に、子孫を残すこと、子育てをすることを選択しなければならない状況にきているのですから、目的の成就はできるだけ優秀な遺伝子、つまり精子を手に入れることで成されるのです。だから、精子バンクが理想的なオプションだと思われます。

ひとつ自分に対して沸きあがる疑問は、自分の人生を選択することと子供の人生を選択することを同じに考えていいのだろうかということです。信頼できる両親のもとで自分の子供が育てるように、パートナーを探すところからはじめるのが本道なのかもしれない、子孫を残したいだけで母子家庭という境遇を子供に強要していいものか、そういう疑問が心をよぎります。父親は金で精子を売った男、母親は金で精子を買った女だと知ることがどういう意味を持つのか、それは私の想像の範囲を超えます。

先に紹介したアメリカの女性は、子供のために自分の選択を描いた絵本を作り、それを読み聞かせることで彼女が如何に強く子供を望み、その息子がこの世で如何に望まれた存在であるかという強いメッセージを伝えようとしていました。不安も疑問もつきません。だけど母親から精神的虐待を受け続けた私も、生まれてきてこそ、生きてこその幸せだと感じることがあるので、「自分の子孫を残す」という主体的な願いを超えて、生まれ出るべき者を阻まないという視点から精子バンクに出かけてみようと思っているのです。私が勇気を出すことで未来に生まれ出る子々孫々に生きるチャンスを与えたいのです。

冒頭にふれたとおり、私は不自然なことは大嫌いで文明に否定的だったこともあります。でも今は自分に与えられたオプションを支えているこの科学技術文明こそ、たくさんの人間の生への努力で築いてきた傑作だと思うのです。この時代に生まれ出たことを感謝しつつ、個体としての幸せを成すための英断と信じたいものです。

*まだ検討段階です!