大銀杏ジュンコ  オオイチョウ・ジュンコ

女性として生きる知恵、大銀杏ジュンコがホンネで書きます。人を傷つけるためではなく、私の理解を深めるために。コメント歓迎!

レーシック

2005-07-22 10:13:29 | 健康と美容
身近な人がレーシックを受け始めたのが7・8年前。レーシック・・・受けようかな・・・?とぼんやり考えつつ、片目しか使えない私にはリスクが大きすぎる、と、二の足を踏んでおりました。それが先週の土曜日に突然受けようと思い立ち、月曜日に診察、その翌日にはもう手術という早業を決めたところです。これまでのところ、経過も順調です。

さてさて、今更「レーシックって何?」という方もいらっしゃらないでしょうけれど、視力矯正手術です。念のため。具体的には黒目の上をカッターで薄ーくそいで、曲がった針で引っ掛けてベローんとめくり、むき出しになった角膜にレーザーをバシバシ当てて角膜を整形すること。プーンと皮膚が焦げる臭いがしきたところで、焼き上がり=完成です。後はめくった部分をペラっと元に戻して20分ほどそのまま蒸らす(?)。そして目を開ければ・・・世界はシャープでクリアに変わっているのです。

あー、体験を語らせてもらいますけど、レーシックの手術のサイトや体験談を見ると、痛みは全くありませんとか、翌日から普通の生活に・・・などと書いてありますが、やっぱりあれは大袈裟です。チクチクぐらいの痛みはあるし、SFアニメのサイボーグ加工シーンみたいな音と光のショーが目の前で繰り広げられるわけだから、パニックを起こす人もいるんじゃないかと思います。自分の目玉が焦げる臭いを嗅ぐんですよ。かなりシュールでグッドです。

手術前に麻酔はもちろん、痛み止めと精神安定のためにスリーピング・ピルを飲まされました。家に帰ってからも睡眠薬と痛み止めを飲んでひたすら寝るように指示されるわけですが、大銀杏は早速もらったスリーピング・ピルの成分を調べてみました。解熱鎮痛剤に使われるパラセタモールと、「あへん」から作られるコデインがたくさん入っている!これは素敵です。合法的に麻薬をやれる。しかも体の具合が悪いわけではない。うふ。

そういえば、私の知り合いのほとんどは術後に白目の部分が真っ赤に染まっていたんですよ。大銀杏もチラッと赤いすじが入っているけれど、自分から言わなきゃわからない程度でとてもキレイ。片目というリスクを犯してまでやった甲斐があるというものです。

私は右目が弱視と言われる状態で、視力を測ると1.0ぐらい見えるのに、役に立ちません。明るい照明で照らし出された文字を時間をかけてゆっくり読み取るのなら、1.0ぐらいまで見えるけれど、そもそも見え方が普通の目と違うのでまさかこの目だけで車の運転をしろと言われたら、きっぱり断ります。でもね、この『視力1.0だけど使い物にならない』と言う状態は医者にも理解し難いようですから、レーシックのカウンセリングを行う事務員さんにわかってもらえるはずもないんです。もしも術後に感染症をおこして最悪の中の最悪のケースとして失明してしまった場合、普通の人は片目の生活を強いられるものの、車の運転も仕事も日常生活も「不便である」という状態になるだけで何も失わないのです。大銀杏が右目だけになったら、大銀杏は自分で運転することも、一人で出かけることも難しくなります。失うものがとても多いのです。

レーシックは視力矯正が目的なので、片目になると自立した生活できない人には施術しないのが普通です。幸か不幸か彼らは大銀杏を『1.0見える人』イコール『片目でも自立できる人』と短絡的に判定してくれるので、本人が右目は弱視ですって言ってるにもかかわらず、「ノープロ」そして続行。私はそのリスクを理解したうえで受けているんだからいいんだけどね。

弱視というのは、一般的に「目が悪い」というのとどこが違うかというと、矯正ができないところです。これは生まれつきではありません。赤ちゃんで生まれて体の成長と共に視神経が発達し、5歳ぐらいまでで目から入った光の情報を脳が的確に処理するプロセスが確立される。その発達が何らかの理由で妨げられた結果だそうです。近視・遠視・乱視、どんなレンズを入れても見えないものが見えるようにはなりません。そして後から何をしても視力が回復することはありません。

視力検査って、大きさの違う文字が書かれた表を明るい電灯で照らしてありますよね?だから私の右目でもじっくり時間をかければ脳に情報が伝わるんです。像はボケていないから一応読めるんです。これは解像度は低くても処理するコンピューターである私の脳と解析するソフトウェアに蓄積された過去のデータ、つまり私の経験でかなり精度を上げることができるということで、とにかく時間がかかるんです。一枚の絵を解析するのに時間がかかるということは、動画を解析するにあたっては指数関数的に処理すべき情報量が増えるということで、もはや現実的なものではない。

まー、レーシックの手術が成功したからいいようなものの、まだ感染症を起こすリスクも高いわけで、余談は許さないでしょ?万が一何かあったらやっぱり私の人生はかなり大きく変わるのだわ。あえて人生が「狂う」と言わないのは、もはやそういう転がり方もありでしょうという心境だから。いや、人生は放棄していませんが、何が起きてもいいぜ。そういう心境でこそ受けられたレーシックでした。

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