大銀杏ジュンコ  オオイチョウ・ジュンコ

女性として生きる知恵、大銀杏ジュンコがホンネで書きます。人を傷つけるためではなく、私の理解を深めるために。コメント歓迎!

クラブ活動

2005-11-05 20:32:10 | ニュージーランド生活あれこれ
失業したおかげでお金はないが時間はある。テレビで放映される映画は毎日チェックするようになった。

今日見た映画はClockstoppers(2002年、邦題:タイムマシン)。未来や過去を行き来できるドラえもん的タイムマシンではなく、腕時計仕立てのタイムマシンを作動させると、自分だけが超高速で動き回れる。それこそ回りの時間が止まったかのように。だからClockStopper。要はサイボーグ009の加速装置です。

カンケーないけど、主人公の名前はザクだし、この映画のライターは日本アニメのファンに違いないね。

さて、そんな面白いおもちゃを手に入れちゃった男の子がすることと言えば?もちろんいたずら。むかつくクラスメートに仕返ししたり、おまわりさんをからかったりと、調子に乗ってはしゃぎまわる。そして彼にやがて訪れるお約束の危機・・・。

その緊迫した空気の中で息子を心配する両親が交わす会話が、今日の大銀杏の気を引いた。待つしかない状況にイラ立って「じっとしておれん!」と父親叫ぶと、母親はマジ顔でこう怒鳴り返す。

   Welcome to the club!

これ、「クラブへようこそ!」じゃなくって、「お互い様よ!」とでも訳すところなんでしょう。分かっているけどサ、クラブというと学生のサークルや部活を思い起こしてしまう純日本人の大銀杏としては、どうもジョッキ片手にワイワイガヤガヤしている雰囲気を想像してしまうんですよ。だからすごく新鮮で耳に残ったの。

そういえば、最近も街でクラブがどうのって見かけたなーと思って記憶をたどった。そうそう、バスの腹にでっかく書いてあったのは・・・

 Confiscated car club. Recruiting car.

敢て訳せば、「レッカー移動された車のクラブ。新会員募集中」かな?レッカー移動された違反者の会じゃないですよ、念のため。違反駐車している車を、積極的に撤去していますよという市のキャンペーンです。有刺鉄線がついた高い金網の中に集められた車たち。クラブの会合だと思えば、なんか楽しそう・・・かも・・・。

動物虐待 うーーん・・・

2005-11-02 22:20:11 | ニュージーランド生活あれこれ
ニュージーランドの北島の最北の街、カイタイアでの動物虐待事件が報道された。生後6週間の犬を、ボールのように放り投げて蹴り、死なせてしまった十代の少年が有罪になり、罰金のほかに、最悪の場合3年間投獄される。ここまで聞いて、どう思います?

大銀杏は動物の扱い方が分からない子供が遊ぶつもりで投げたりして、夢中になって足で受け止めようとした弾みで殺してしまったのかと思いました。それにしては刑が重過ぎると。そこでもう少し調べてみると、明らかに過失のレベルではなく、車を持っているから「子供」という年齢でもないようです。

まず、少年はブリーダーをしているい知り合いのところに行き、子犬を借り出す。子犬を車に乗せて友人とビーチへ行く。目撃者の証言によれば、彼はそこで子犬を「ボールのように10メートルほど投げ、駆け寄るとそのまま靴を履いた足で子犬を蹴り上げた」そうだ。目撃者が抗議に駆け寄ると、少年達は車に乗って逃げてしまった。目撃者はすぐ子犬を獣医に連れて行ったけれども、肝臓の破裂による出血多量で、子犬はその場で死んでしまった、というのが事の全容らしい。カイタイアというのは、もうそれは小さな町なので、目撃者も顔見知りだったことだろう。

大銀杏が考えた事というのは、子犬を殺した少年のバックグラウンド。誰かが彼を、もしくは彼の心をその子犬のようにもてあそんだことがあるんじゃないかということ。それも一度や二度ではなく、長期にわたって。この少年が無抵抗な新しい命、本来なら誰もが自然に保護したい感情がわきあがるはずの小さき者に、全く同情を寄せなかった異状さには、相応の理由があるはずだと考える。


自分より弱いものを傷つけたくなる時、大銀杏はいつもそれを止めようとする気持ちに対して、「私は我慢するしかなかったのよ!!」と叫びたくなる。そうだった。大銀杏は小さい頃、何度年上の兄弟に意地悪をされても、一度機嫌が直ってしまえば仕返しをしようとは思わなかった。だけれども、自分が優しさをもって堪えても誰も褒めてくれない。年上の兄弟にはいいようになぶられるし、口では到底かなわない事にカッとして手を上げたりすれば、一方的に叱られる。そんなことが繰り返されるうちに、たとえ良心が痛んだとしても、弱みを見せたスキをつけと自分に命じるようになった。かわいそうだな、と思う心の横から、「いや、今やっておかなければ後で後悔するぞ!」と自分を奮い立たせ、人を傷つけた。人を許したことを、死ぬほど後悔したことが、いったい私に何度あったんだろう。

いやいや、自分の思い出を語っている場合ではなかった。犬を殺して投獄される少年。そこに感じる違和感を明らかにしたい。

私は小学校1年生のときに、教会で小鳥の命と人間の命のどちらが大切かと聞かれたとき、胸を張って「同じです。理由は同じ命だから」と言った。ところがカトリック・キリスト教では、動物の命よりも人間の命のほうが大切だそうだ。人間は神様に似せて作られたのだから、特別ということらしい。命の重さは人間も動物も同じだと私は今も信じているけれど、この事件については正義がなされたと私は思えない。

まず、私達は自分達の生きるのに良い環境を維持する権利があるから、ルールをまもらない人間、つまり犯罪者を排除できると思っている。その一つの方法が投獄ということだ。守らなければならないのは私達。正義じゃない。

犬に罪はないけれど、私達は正義をなす神様じゃない。私達は沢山の命を奪って生きている。生命を維持するという目的をとうに超えているレベルで。ニュージーランドでは子羊の肉を良く食べる。大人になると独特のにおいがきつくなるから子羊を、だ。野に放しておいて数年すれば何倍もの肉がとれ、毎年羊毛も取れるのに、子羊を食べてしまうのは、必要のためであるはずがない。

弱きものに少しも同情できない悲しい若者がそこにいるのに、誰も手を差し伸べない。彼を閉じ込めたって、ますますやりきれない怒りを募らせるだけじゃないのか。ますます反社会的行為に走らせるばかりじゃないのか。少なくとも彼はまだ人を傷つけていないのだ。

そこに明らかな虐待の跡があるのに、処罰されるのは被害者である少年なのか。そうだ、大銀杏が感じた疑問はこれだ。犬を殺した少年が、私にとっては救うべき被害者にしか見えないのだ。加害者は別に居る。子犬の命は軽くないけれど、私達の生活を「豊か」にするために奪われる命の一つでしかない。私達には犬を殺したことで彼を罰する資格はない。そして最初に守るべきは、傷ついた仲間の心じゃないのかと。

すいません、久しぶりなもんでだらだらと。断っておきますが、大銀杏は犬好きです。犬を飼えない理由は、添い遂げる自信がないから。無責任なことはできないよ。

パトカーに追尾されて・・・

2005-04-26 20:13:06 | ニュージーランド生活あれこれ
やられたました。働きに行ったのに賃金を罰金で持ってかれるって、ある意味囚人並みの待遇ですよね。大銀杏、今日生まれて初めて鼠捕りに引っかかりました。16キロオーバーで$120ドル。トラックに追い越しをかけていた最中、巨大な車体が視界を遮り、隠れて張っていたパトカーが見えなかったようなんです。ふと気付いたら後ろからパトカーが。お急ぎのご様子なので"道を譲ろうと"路肩に寄せると、ああぁ・・・なんで着いてくるかな・・・。なんかね、追い上げてくるパトカーのくるくる回るフラッシュライトが、汗を飛び散らしているように見えてかわいかったっす。

ひきこもり予備隊長である大銀杏は今朝も6時過ぎまでパソコンにかじりつき、3時間ほど寝ただけだったんですが、今日に限って車で2時間以上かかる小さな街に出張しなければなりませんでした。いえね、たまの出張は音楽聴いて車飛ばせるという意味でお楽しみではあるんですけど、寝不足に運転はつらいし、寝たらいきなり命かかりますよね。眠らないためには音楽のボリュームを上げて、スピードを上げるしかないじゃないっすか?もう、いいけどね。

ニュージーランドのスピード違反の取締りは大体日本と同じです。固定スピードカメラやスピード・ガンを搭載したパトカーが潜んでいたり。罰金は、制限を超過した速度に比例して高くなり、5キロ単位で規定されています。最高額は$630(約\45,000)ですから、日本と比べると安いものですが、これ以上行くと罰金に加えて免停になったり、最悪の場合車をその場で没収されます。没収された車は28日間は返ってきません。さらに返却してもらうためには裁判所に出頭し、手続きを取らなければならないし、没収された地点から車をレッカーするための費用も自分持ちです。だから田舎の道路で大幅な違反をすると、この車の撤去代がべらぼうな額になり、かなり厄介です。

ところで、ニュージーランドの交通法で日本と対比して面白いのはスケートボードやインラインスケートの扱いです。日本の道路交通法ではローラースケートは「メーカーが人を搬送する目的でつくったものではない」という発想から「遊具」として扱われるのに対し、NZではなんとこれらも乗り物(Vehicle)にあたるとされています。つまりインラインスケートを履いた人もスケートボードに乗った人も「乗り物の運転手」としての責任を求められるのです。歩行者に対する安全の配慮もその一つで、歩行者との衝突により怪我をさせたり死亡させた場合には罰金だけでなく、3ヶ月以下の禁固刑もあり得ます。このへんの厳しさ、結構イイかも。

あなた死にますよ・・・と言う表示

2005-04-13 13:45:30 | ニュージーランド生活あれこれ
自分の考えを実現する能力って、生まれ持ったものじゃなくて習得するものなんじゃないかしら。大銀杏のように空想好きな子供だった人って、空想世界に逃避しているだけだから、発想はいろいろあってもそれを実現することを最初から自分に期待していなかったりするんですよね。遅ればせながら、大銀杏ジュンコ34歳、最近いろんな面で自分をプロデュースすることを掴んできたように思います。

1週間前に20年吸ってきたタバコを止めたのもその一つ。自分により深く惚れ込むための、ちょっとした変化です。止めようと思ってからずっと機会を伺っていました。無理をして止めてみて失敗しても仕方がないから、自然に切れる瞬間を探しました。毎日たばこを吸いながら、血行が悪くなって寒気がしたり、口臭を気にしたりしてたばこを止めるメリットを思い描く。ある日たばこが切れてた時に、吸いたい気持に買いに行く面倒臭さが勝つ、その瞬間を何ヶ月も待ちました。

大銀杏の悪いところはですね、たばこを止めようと思って買うのを止めても、フラットメイトにおねだりをしてしまうことです。だってやっぱり目の前にあると弱いですよ。だからまず、タバコを止めるまえに「おねだり」をしないことを確立する。おねだりをしないでいいように常にタバコを買っておき、切らさないことにする。一見禁煙と逆行しているように見えるかもしれませんが、おねだり癖を直さないと、周りに喫煙者がいる限り永遠に禁煙できない人になってしまいますからね。禁煙はそれからです。結局いつも手元にあるから吸う。だけど吸う度にタバコの害悪を思い浮かべる。これは自己虐待とは違います。逆に、タバコの害を無視する癖をなくしたのです。「わかった!もいい!もう本当に吸わん!」という気持になるのを待ちました。

もう一つ、たばこを吸う人が周りにいないほうが禁煙は楽だとよく言われます。たしかにそれはそうなんでしょうが、大銀杏のは人格が歪んでいるようなので、実は目の前にタバコの虜になっている哀れな中毒者がいたほうがいいんです。私の生きる力、喜びの糧は優越感。たばこを吸い続けている人に対して哀れみの目を向けることにこそ、自分が「吸わないでいること」の意味を見出すのです。自分が「裏切り者」として喫煙者に心理的プレッシャーを与えている、それも一つの力の象徴。私が私の人生をコントロールするためのファクターとしてのみ、君たちは存在するのだよ・・・と一人微笑む暗い私。

ところで、先進国はどこも禁煙傾向にありますが、ここニュージーランドも同様。小国らしく、展開が速いことはとても速い。私が来た3年前はアジア系レストランやバーの中ならタバコは吸い放題。マリファナも煙ってくるところも多かったのに、とうとう全面禁止になりました。もはやいかなる公共の建物の中でも吸うことはできません。お酒を飲むバーでも禁煙です。

法律だけ作ってもそれを強制しなくては意味がないと、ちゃんとタバコを吸っている人を探す見回りも登場しました。腕っ節の強そうな兄さんや姉さんが、金曜日の夜には一晩中あちこちのバーを見回ります。別に彼らだって吸っている人に正義の鉄拳をお見舞いするわけではありませんが、その素晴らしい体格にはやっぱり圧倒されます。かっちょええ!

タバコを吸っているのを見つかったら、吸っている本人だけではなく、そのバーの所有者も罰せられます。そのおかげで法律の執行後、なじみのバーですらタバコを空いたそうにすると灰皿とマッチを渡されて「行ってらっしゃい。」と追い出される。路上に出れば出たで、今度は公共のスペースでの飲酒の方が禁止されていますから、グラスを片手に・・・ということもできない。結局「お酒を飲みながらたばこを吸う」という行為そのものがほぼ不可能です。例外はオープンカフェのようにバーが外に張り出しているエリアやバルコニー席。そこまでして酒とたばこをに酔いたいと思うほどロマンチストでもないので、もういいやという気持になります。教育上とてもよろしい。

日本のたばこのパッケージの側面には「健康を損なう恐れがあります」と書いてありますが、こちらのたばこにはもっとダイレクトに「Smoking kills = 喫煙で死ぬよ」と表示されている。それも箱のふたのタバコを取り出す部分にでかでかと印刷されているので、読まざるを得ない。心理的効果は・・・あるでしょうね。

さて、この「あんた死ぬよ」というメッセージ、タバコに貼り付けてあるだけでなく、タバコを売る場所にも表示することが法律で義務付けられています。タバコに対する政府の取り組みについて読んでからというもの、どこの店に行ってもこのプレートがちゃんと貼ってあるかどうか、つい探してしまいます。写真は今日牛乳を買いに行ったお店で見かけた手作りのプレートです。棚に並べてあるすべてのタバコの蓋部分に"Smoking Kills"や"Nicotin is addictive"などの文字が書かれているのが見えますか?この棚ごと「毒物ですよ」と脅迫している雰囲気です。タバコって恐ろしい・・・。止めたから言えることけど、タバコそのものを早く禁止しなよね・・・政府。

奴隷が欲しい

2005-04-04 11:05:09 | ニュージーランド生活あれこれ
最近ね、奴隷が欲しいと思うんです。私の持ち物であり、言葉や感情を解し、且つ自分の欲求を優先させない生き物。私が男だったらエージェントにお金を払って貧乏国から女を娶って奴隷状態にできるのに、女ってホントに損ですよね。

今ニュージーランドで流行ってるのはロシア人妻。それも子持ち、中年系の女が大人気なんです。若いロシア人を手に入れても、永住権取得後にもっといい男と逃げてしまうかもしれない。だけど母親ならば子供の環境を優先させ、自分を裏切らず尽くしてくれる、そう思うのかもしれません。そうやって牧場の金持ちの独り者とかが家族を持つのです。ロシア人は白いから、買うほうからしてみればアジア人の妻を持つよりも自尊心を傷つけられないし、貧乏な国から来ているからちょっとのことで喜ばせられる。生活費が比較的安く上げられるニュージーランドでは、扶養家族を増やすことはそれほど経済的な痛手ではありません。だから家族が欲しいと思ったとき、男にはネット通販ぐらいお手軽に妻子を手に入れられるんです。その選択肢、本っっっっっっ気でうらやましぃーーーー!もちろん「奴隷にしよう」と思って買っている悪い人は少ないと思いますけど・・・。

近頃の私、またなんとなく自由が減っている気がするんです。自分は誰かの奴隷みたいな気がしてよく考えてみたんですけど、別に誰の奴隷というわけでもなく、私のマスターは私やっぱりなんです。ただし私は、自分が「未来の自分」の奴隷のような気がしているのです。明日のために今日これを、老後のために今これをってやる・・・って、まるでまだ存在しない未来の自分の奴隷みたいじゃありませんか?自分が自分のマスターなのか、「自分の理想の未来」が自分のマスターで現在のこの私はその奴隷なのか・・・。多重人格的に「自分をいじめる自分」や、過去の嫌な記憶と戦う術は覚えたけど、今度は未来という時間の延長線上になにやら怪しげな影を見ている大銀杏。

とりあえず今の自分以外に支配されていないということを証明するために、仕事辞めちゃおうかなー。なーんて・・・。アブナイアブナイ・・・・

ビザ差別

2005-04-03 22:25:10 | ニュージーランド生活あれこれ
永住権保持者を頂点としたビザによる差別意識。何故こんなものが生まれるんでしょうか。

ビザが規定しているのはこの国での権利。あなたはこの国に3ヶ月滞在してもよろしい、あなたはこの国で2年間働いてよろしい、そういう権利が規定されています。たしかに永住権はこの国に無期限滞在して国民と同じようにサービスを受けることができます。つまりニュージーランド国民とほぼ同格。それに対して期限があるビザはこの国での行動が制限されています。人間も群れで行動する生き物ですから、本能的に組織の中での自分の格付けを読み取ろうとしていてもおかしくありません。外国人として海外で生活するということは、期限付きの滞在許可証を持って見知らぬテリトリーで暮らすということ。そこで相手から威嚇されなくても自分から自分の格付けを下げてしまうことも差別の根本にあるとは思えませんか?

永住権をもっていると、何の考えもなく「へー、すごいですね。」と言われることがある。確かに永住権を取るためには書類も集める必要もあるし、パスポートを提示する程度のワーホリよりは取るのが大変。博士号を取った方にはその努力に対して「すごいな」と思うように、自分がやったことがないことを既に成し遂げた人に対する自然な尊敬があるのかもしれない。個々の発言はたいしたことがなくても、言われたほうは自分がすごいのかと思い、言ったほうはいざ自分が永住権をとったときに自分はエライと勘違いする。そういう意識が全体としての差別意識に発展してくるのじゃないかと思います。

ニュージーランドは小国で賃金も安いですから、ほとんどの日本人移民も日本よりも安い収入で暮らすことになります。日本からお金を持ってくる観光客にとっては小額でも、現地の者にとってみれば旨い汁。妬みも手伝って、そのうち日本からの客からはどれだけ搾り取っても大丈夫という気持ちにもなってくるってものです。日本人だけではなく、中国人も本国からの観光客を相手に相場より高い値段でお土産屋を売っていたりします。仕方のないこととは言え、相手を思うがままに支配できてしまう状態が、さらに差別する側に特権意識を与えてしまうのでしょう。

相手の知識不足を利用して思うままにコントロールしようとする試み、これも虐待のパターンですね。子供や年少者に対して知識不足を利用することは一般に悪いことだと解釈してもらえるけれど、大人相手の場合どう判断するか難しいところです。大人であれば自分のちょっとした努力でカモられずに済むところを、自分に都合がいい事だけ勝手に信用してくるのだからカモっても罪はない。それも大銀杏の中で成り立つのです。だから、この差別的な関係はなくならないと思います。

私は敢えて「差別」という言葉を使いましたが、ワーホリで入ってきた人がこの国での生活を気に入り、ワーク・ビザを取り、最終的に永住権を取っていく姿を見て、本当に永住権が欲しいんだろうかと疑問になることが多々あります。無意識に被差別的な立場を逆転させたくて意地になっているようにしか見えない場合です。価値観は人それぞれだけど、永住権をとっても自分の人生が変わるわけじゃない。だから永住権を取ることが最終目的であるかのようにがんばっている人を見ると、少し気の毒に思ってしまいます。それはその人が、無意識に差別的偏見に支配されているように私の目には映るからです。

ガイドさん

2005-04-01 13:33:14 | ニュージーランド生活あれこれ
以前イタリアを旅行したとき、有名なウフィッツ美術館でガイドに率いられた日本人旅行者一向がいました。一人でうろうろしていた私はこれ幸いとばかりに集団に混じり、耳をそばだてる。驚いたことに、彼女は絵の歴史や描かれた題材の解説だけではなく、哲学的背景まで交えて説明していたのです。ガイドブックの受け売りではなく、彼女自身が美術にも宗教にもその哲学にも深い造詣があることがひしひしと感じられ、話の迫力にいつしか私は尊敬のまなざしを向けていました。私は彼女にお金を払っている訳ではないので集団の後ろに隠れるようにして聴いていたのですが、熱意が通じたのか彼女と何度も目があい、私が不明な顔をすると補足説明を入れてくれたりしてくれた。(ように思う。大銀杏自意識過剰自覚アリ)

そういえば大学の教授たちと韓国で日韓の歴史についての研修旅行をした時も、ガイドに感心しました。おばちゃんガイドだと思ったら日韓の歴史から最近の世界情勢まで幅広い知識をもち、それを滲ませながら史跡を解釈する姿に圧倒されていました。ガイドという職業は研究者にも劣らない探究心があってこそつとまるものなのだと心から感心したものでした。

さて、日本も歴史の長い国。日本で観光ガイドをするためには国土交通省の資格が必要になります。地理・歴史・文化を含めて日本に関する知識をテストされ、競争率20倍という難関だそうです。ですからガイドをなさっている方にはある程度の知性は期待できるはずです。ところがここ、ニュージーランドでは歴史も浅く、解説すべき美術品すら多くはありません。観光で訪れる人の目的は雄大な南島の自然やのどかな風景、そして数限りないアクティビティーでしょう。おのずとガイドに求められる素養も少なく、ガイドはワーキングホリデーでやってくる未経験の若者が中心になります。

しかもガイドという職業は日本食レストランで働くより専門性がありそうな印象があるため、「海外で遊んできた」と思われたくない人が殺到します。労働ビザも取りやすく、長期的には永住権を取る道筋にもあるため、ニュージーランドで働きたい人はたとえどんなに待遇が悪くてもがんばってしまいがち。ガイドからはじめ、カード会社や旅行代理店、女性なら国際線のスチュワーデスとして航空会社などに転職していくのが花道なようですね。希望者がいくらでもいる、ということは当然、雇用者側からすれば「カモ」。時給ではなく、コミッション制であることを理由に、朝早く起きて空港でお客さんを出迎えてもたった$10(750円)ぐらいしか払いません。飛行機が3時間遅れた場合は6時間で同じ値段です。そんなですから、本当に好きな人か計算が苦手な人しか残り得ません。そしてここで言うガイドとは、この国を紹介する役割を担うというより、観光客のお守りをする添乗員のイロが濃厚です。

カタコトの英語ができれば誰でも出来てしまうため、やるほうもいいかげん。笑い話にも事欠きません。「この花はなんていう花ですか?」とお客に聞かれ、とりあえず「パパトエトエです」と言ったガイド。知らないからその時目に入った単語を言ったらしいですが、それって街の名前です。「ここがオークランドで一番流行っているカフェです!」とバスの窓から紹介したガイドさん、話をつなげるための出まかせで、後から聞かれても本人ですらそれがどこだったか覚えてないそうです。

キャリアが長くなってくると、自分の趣味を取り入れてしまう人もいます。予定にないところに勝手にお客さんを連れて行ってしまうのです。自分で一度行って見たいと思っていたワイナリーや、興味のある食品の生産地などと勝手に連絡を取って観光客を連れて行き、そこの人に案内させて自分は通訳をする。さらに入場料があるところではコミッションまで要求するなど、話を聞くだけで笑うやら呆れるやら。

すべてがイージーなお国柄、ガイドだって苦情がない限りイージーにやって文句言われる筋合いもないというもの。でも、今日はどれぐらい時間を短縮したかとか、如何にしてお客を自分で歩かせて自分だけカフェで涼んだかということを自慢しあう彼女たちを見ると、ああそれが彼女たちにとってのガイドのスキルなのかと気の毒に思います。安いお金でこき使われて、どうして我慢できるのかも分からないけれど、将来何の役にもたちそうにない、自分の世界を広げてくれそうもないことにどうして自分の時間を使うことができるのか、それが一番不可解です。仕事は懲役ではないのだから、やればやっただけ損をするものではないはず。時間を切り売りするのではなく、少しでも新しい世界を見つけられるよう、顔を上げていたいものです。



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・・・このブログに掲載されている記事はほぼすべて就業時間に書いています。大銀杏・・・人のこと・・・イエナイ

ドナドナ・・・・ドナー?

2005-04-01 09:20:11 | ニュージーランド生活あれこれ
ニュージーランドは日本と同じ島国です。大きな島はたった2つ、北島と南島と呼ばれています。私がいるオークランドは北島の北端に近い地峡、島が途切れるかと思われるぐらい細くなった部分にある港町です。入り江が陸地の奥まで入り込み、一番狭い部分では反対側の海まで10キロもないんじゃないでしょうか。

「北」「北」と書けば寒そうに思えるかもしれませんが、ここは南半球。北へ行くほど赤道に近づくので、国内ではもっとも暖かい地域です。南島はサザン・アルプスと呼ばれる雪を頂いた山脈が背骨のように貫いているのに対し、北島は火山がいくつかある程度で比較的平坦です。そして白人が移民してきたときに平地の実に80%にも及ぶ森林を伐採して農場に作り変えてしまったため、今でも白人が所有する農場が広がっています。延々と続くのどかな牧草地には、この国の象徴とも言える羊がそこら中に群れ、馬や牛も草を食んでいます。

そんな田舎道を車で走っていると、ぽつぽつと建つ郵便受けに混じってなにやら木製のロッカーのようなものがあります。木製で、金網の張られたドアがついています。最初はゴミ箱かと思いました。日本でもカラスよけネットをかけたり、ロッカータイプのものを使ったりしますからね。実際何だと思いますか?実はこれ、「子牛ボックス」なのです。酪農家に乳を生産しないオス牛は要りません。それどころか牧草を食べてしまうし、商品になるべき乳も飲まれてしまう。だから生まれた牛がオスだったらこの箱に放り込み、それを回収する専門の業者に二束三文で引き渡してしまうのです。泥棒に盗まれる価値さえ認めていないので、鍵すらかかっていません。どこにでもある箱、どこにでもある風景。心優しい大銀杏は、目に涙、心に「ドナドナ」が流れるばかりでした。歌えますか?

  ある晴れた 昼さがり
  いちばへ 続く道
  荷馬車が ゴトゴト
  子牛を 乗せてゆく
  かわいい子牛 売られて行くよ
  悲しそうなひとみで 見ているよ
  ドナ ドナ ドナ ドナ
  子牛を 乗せて
  ドナ ドナ ドナ ドナ
  荷馬車が ゆれる

売られた子牛はどうなってしまうのでしょう。大銀杏が思いつくのは「レネット」。レネットとは子牛の胃袋の内側についている皮膜状のもので、チーズを固めるために使います。"大草原の小さな家"を愛読していたころ、自給自足でくらしているローラの一家がチーズを作るために、子牛をつぶしていたのを思い出します。まだ草を食べたことがなく、母乳しか飲んでいない子牛の胃袋は当時チーズ作りに欠かすことの出来ない材料でした。現在はたぶん乳酸菌で固めるのでしょうけど、自給自足一家では春に子牛をつぶし、レネットを取り出して翌春まで1年分のチーズを作るのです。これってある意味、臓器提供?臓器提供といえば、提供する側をドナー(Donner)と言いますね?・・・ドナドナって、もしかして「ドナー ドナー」だったの?ウソ!

早速調べてみました。ドナドナは「臓器提供者 臓器提供者」と歌っているわけではなく、牛を追う声だという解説が一般的なようです。ところがこの歌は本来「はかない命」とはっきり子牛の死を予期した、もっと悲しいものだったのです。そしてさらに深い意味を見出す人もいます。まず、こちらが初期の日本語訳。

  ある晴れた 昼さがり
  市場へ つづく道
  荷馬車が ゴトゴト
  子牛を 乗せてゆく
  何も知らない 子牛さえ
  売られてゆくのが
  わかるのだろうか
  ドナ ドナ ドナ ドナ
  悲しみをたたえ
  ドナ ドナ ドナ ドナ
  はかない命

ドナドナはもともとイデッシュ語の歌で、イデッシュ語とはドイツ語から派生したユダヤ人の言葉の一つ。ユダヤ教ではイエス・キリストを預言者の一人とし、救世主とは認めていません。しかしこの歌を作った人は民族的にはユダヤ人であるにもかかわらず、キリストを旧約聖書で予言された救世主と信じるユダヤ版「隠れキシリタン」だったそうです。迫害された民族の中でも異端。そして妻子を強制収容所に連れ去られてしまった男が作った歌。ある研究者は原詩の「Donay Donay」は「主よ、主よ(アドナイ)」をもじったもので、縛られ連れ去れるわが子・我妻を見送りながらイエス・キリストに送った叫びではなかったかと見ているようです。

どうです?本当に切くて涙なしにはもう歌えない・・・と思うでしょう?大銀杏は思いましたよ!残念ながら、当の研究者が自説を確かめにイスラエル(ユダヤ人の国)で調査を行ったところによると、ユダヤ人に「主よ主よがDonay Donayに転じることはあり得ない」と否定されてしまったようです。「ドナドナの謎」と言われ日本でまことしやかに流れるこの噂、結局深読みしすぎた研究者が心の中で勝手に作り上げた悲劇にすぎないのかもしれません。人の悲劇を見たがっていたって、ちょっと恥ずかしいことですね。

冒頭の子牛ボックス、あれはオスの乳牛に生まれてしまった運のない牛の「ゴミ箱」という解釈で問題ないようです。肉牛のオスに生まれれば大きくなれたものを、乳牛のオスは悲しいほど安いそうですよ。いつの時代も役に立たない命の値段は安いもの。街角にニート・ボックスが立ち並ぶのもそう遠くないかもしれませんね。


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ネタはここから拾ってきました。
http://www2.plala.or.jp/kamkamkam/gimon3/no121/donadona.htm

オークランドの暗い夜

2005-03-22 12:31:56 | ニュージーランド生活あれこれ
東京育ちの大銀杏は暗い街を知りませんでした。たとえ真夜中でも空を見上げてぼんやりと明るい方角が新宿方面、雲が低い日にはオレンジ色に煙る方向がそれです。暗くなれば街灯がともり足元を照らしてくれます。顔を上げれば看板が照らし出され、何かしたいことはないかと問いかけてきます。コンビニに行けば「この中に欲しいものがあるでしょう、ないわけないんです」とばかりに商品・サービスが充実し、24時間空いている。そんな便利さが大好きだった大銀杏は、そこからニュージーランドに引っ越してきて3年、やっと暗い夜を大切にできるようになりました。

オークランドはニュージーランド最大の都市。それでも東京から来た当初、自分の目が悪くなったのかと思うぐらい夜が暗く感じました。実際に街灯は大きめな通りにしかありません。一つ一つの家の敷地も日本より少し大きめだから民家の明かりももちろんまばら。ただそれだけではなく、お店というものが早く閉まってしまうから余計暗く感じるんです。東京の夜も2時を過ぎればそれなりに暗くなる。オークランドにはその暗闇が午後8時にやってきます。テレビのチャンネルも少ないこの国で、自分の時間と睡眠時間が確実に長くなりました。

今日は週に一度のごみの日。ゴミ箱を回収しに通りまで歩き、かえる道すがら空を見上げれば、雲を透かして見る月ですらとっても明るい。サマータイムが終わり、これから冬に向けてどんどん日が短くなります。夏は9時ごろまで明るい空も、今は7時で薄暗く、これから徐々に5時には暗くなるようになって行くきます。

そういえば、ニュージーランドは「常春の国」なんて書いてあるガイドブックもありますが、これはもともとイギリスから移民してきた人々が言った言葉。東京育ちの私にとって春というのは暖かいものですが、彼らにとっての春はもっとずっと寒いのです。だから大銀杏にとってここは「冬が長い国」です。しかも雨は多いわ、雪が降るような気温にはならないわで、カビだけはちゃんと生えるんですよ。これから暗く長い冬が来るかと思うと大銀杏ちょっとブルーです。

ニュージーランドへいらっしゃる方。絶対に南半球の夏に来てくださいね。全然違いますから。

30女  海外で人生のリセット!

2005-03-17 12:10:43 | ニュージーランド生活あれこれ
海外に脱出して人生のリセットを図る人はたくさんいますよね。ここNZにも日本での生活を「諦めて」やってきた人がたくさんいます。とくに「ギリホリ」には多いのも当然です。ギリホリというのは「ワーキング・ホリデー」に「ギリギリ」間に合う年で駆け込む人のことです。ニュージーランドは30歳のうちにワーホリビザを申請し、31歳の誕生日までに入国すれば、入国から1年間滞在することができます。この年代は男性ならバリバリ仕事をこなしていたり、女性なら結婚・子育てに関わっているか、若しくは考え始めているはず。その時期に敢えて何の保証もない海外にやってくるというのだから、何か理由があって当然ですよね。

大銀杏が来たのも31歳ぎりぎり。まさに人生のリセットでした。日本にいたときに、この続きの人生はいらないと思ったからでした。人生を変える=海外ではもちろんありません。私にとって排除したいのは母親とのつながり。だから国内で知らないところへ引っ越してしまえばいいわけです。だけど社会人であればそれなりに重要な郵便物もあり、郵便局に自動転送を依頼したいもの。ところが大銀杏の母は私の住所を知らなくても、古い住所あてに手紙を書いて転送されるようにしてきたりするんです。その「届く」という距離にいるのに耐え切れず、もっとはっきりと住む社会を別にしたいと思ったのです。

その決意にいたるまでは北海道や東北地方など、家賃の相場から仕事の検索までいろいろ調べました。私はスキーが趣味だったんでとりあえず雪国へ。でも田舎は無理。実は転勤で田舎に住んだことがあり、その時に知らない人からいきなり「結婚してるの?」とか「うちの息子どう?」とか質問されるのにたまげました。それも全国規模のまともな企業の中でですよ。ああ、まだ田舎はこういうものなんだなと実感しました。そういう中で30歳以降の人生を送るのもつらかろうと、海外脱出に答えを求めたのです。

今ニュージーランドにいる人も、聞いてみればそれそれ事情があります。海外に脱出しても自分は自分。他の誰かになれるわけじゃありませんが、やっぱり自分が今まで浸かっていた日常から抜けてみることで、自分の整理ができるのも事実です。今までの自分の人生をそのままの調子で続けたくなかったら、とりあえず思いつくこととして海外脱出を図るのもアリ。未婚の30女が留学したり海外に出て行くのをやじるような言い回しも見かけるけど、結構事情があるんですよ!

さて、海外で人生のリセットは結構ですが、日本人同士で固まってばかりだと、やっぱりその中で妙な競いあいが生まれやすいと思います。だから海外に行くならまず語学、そして自分で知りたいことの答えを見つける練習を惜しまないことは絶対必要。語学について「海外に行けばなんとかなる」というのは間違いです。生きていくためだけなら日本人に頼ったり、片言でもなんとかなりますが、リセットした人生がそれでいいのでしょうか?せっかく手に入れた第2の人生、自分がやってきたことを捨てるのじゃなく、前の人生からおいしいところだけ使って、効率的に楽しみたいものです。

駐禁取られました

2005-03-16 10:52:57 | ニュージーランド生活あれこれ
先月仕事中にちょっと車を止めたところ、わずか2分後にParking Warden(市から派遣される駐禁の取り締まり)に見つかって最高額の$40も切符切られてしまいました。既にTowAway(牽引車)も呼ばれていたけれども、それはキャンセルしてもらえました。罰金$40。牽引車が到着していたらさらに$200ぐらい払わされるところだったので、不幸中の幸いですかな。

ところで、オークランドの駐車事情はそれほど悪くありません。なぜいきなり$40も取られたかというと、私が止めたところが"Goods and Service"つまり配達などに使う貨物車両専用のゾーンだったからなのです。私の車にはサービスをするための機器が積んであって、私は今仕事中だと主張してもだめ。そういう車両にはきちんと登録があるそうです。

さて、この$40どうする?市役所に抗議の手紙を書くという方法があるけれど、面倒くさいから払っちゃおうという方法もある。私はいつもこの手の選択に迷う。お金が無限にあるわけじゃないけれども、レター書いたりする手間を考えたら払っちまったほうが早くすっきりするんじゃないかと。少なくともレターを書こうか書くまいかと迷っている時間が一番もったいない。本当に時間を使う価値があるのか、お金で済ませる方がいいのか・・・。

何事も経験、後々同様の場面で文面を使いまわせる利便性にも気づいたので、結局市役所に手紙を書いて送りました。めでたく$40はWarningに変更になり、罰金はなし。1時間ぐらいかかったかもしれないけれども、まずまずです。たとえいいわけレターで罰金がチャラになっただけのこととは言え、文を書いてたことでお金をもらったと考えることもできるわけで、上出来。時給$40なり。


余談になりますが、以前いきなり裁判所から私の雇用主に、スピード違反の罰金を私の給料から差し押さえるよう命令が下ったことがあります。雇用主も大銀杏もこれにはびっくり。罰金はインターネットでクレジットカードを使って簡単に支払えるから、大銀杏出し渋ったことはないのですが、ちょっと忘れているうちに引っ越してしまい督促のメールが受け取れなかったのです。裁判所もさ、雇用主がわかってるなら一本電話でも頂けないものかしらね。

まともに働いているものからは平気で手荒い措置をしてくるこちらの行政。だけど生活保護をもらっているような人は働いていないから給料差し押さえもできません。そういう場合公園の清掃などの奉仕活動を命令されます。だけどこの奉仕活動の日時に現場に現れなくても誰もそれ以上文句をいいません。つまり、生活保護をもらっている人は罰金は完全に無視できるものなのです。大銀杏、自分が彼らの奴隷の身分であることがちょっと不満です。

アオラキ・マウントクック国立公園で邦人滑落!

2005-03-10 12:46:13 | ニュージーランド生活あれこれ
9日に起こった同公園内でおきた滑落事故で、ガイドのエリカ・ビューゼンバーグ(41)と邦人一名を含む同行者2名が死亡。
事故当時ガイドのエリカさんは同行のジョン・ロンデスさん(59・イギリス)とカズヒロ・コタニさん(29・兵庫)にロープでつながっていた。斜面を横断中に1名が転倒し、連なっていた2名が引きずられたものとみられる。3名は崖の縁を越え、200m転落して死亡した。遺体の収容は雨と強風に阻まれて難航しており、明日天候の回復を待って救助隊が向かう。

国立公園内を3日間かけて踏破するトレッキング・パーティーに参加しており、ガイド2名を含む8名のグループのメンバーだった。同トレッキング・コースは比較的容易とされ、しっかり鍛えている人ならば登山経験がなくても大丈夫とガイドブックにも紹介されている。2名とともに滑落ししたエリカさんは、女性初の登頂記録をたくさんもっているニュージーランドの代表的な女性登山家で、登山愛好家でもあるヘレン・クラーク首相とも旧知の仲。エリカさん死亡に首相からもお悔やみのメッセージが送られた。

このニュース、ニュージーランド人にとってはニュージーランドの宝が外国人の犠牲になったように書かれている。記事には誰が最初に滑ったのかは書かれていないが、エリカさんの業績を称える行間に悔しさがにじみ出ている。滑ったのが日本人でなければいいなと正直思う。


この事件で考え得る最悪の組み合わせ:アメリカ人(嫌われているから・日本人アホなアジア人だと思われてるから)

ニュージーランドの刑務所

2005-03-09 08:09:22 | ニュージーランド生活あれこれ
大銀杏の仕事場は刑務所のすぐそば。というとどんなひどい地域なのかと思うかもしれませんが、ここはれっきとした高級住宅地の只中。時任三郎が奥さんにプロポーズをしたという夜景の名所、マウント・イーデンのふもとなのです。イーデンはEdenと書きますが、それはつまりあのアダムとイブがいた楽園「エデン」という意味です。東京で言えば白金ぐらい、オークランドの都市の中でも地価の高い地域なのです。

その昔オークランドに都市が建設されはじめたことは、この山は町外れの丘といった風情だったに違いありません。その山肌を削り街の建築資材にし、切り取ってできた荒々しい土地には軍隊の倉庫が建設されました。1856年から刑務所として使われている石造りの建物。歴史が浅いこの国ではなんと史跡に指定されています。

さて、この刑務所。ひっきりなしに消防車が来るのです。護送車らしきものもパトカーらしきものもほとんど見ませんが、消防車が来るんです。なんでだと思いますか?職場の人間もその消防車が本当に消防目的で呼ばれているのか、護送車のカモフラージュなのではないかなど、議論が尽きません。

この国の法律で、教会や学校などの公共機関で火災報知器がなった場合、たとえ誤報でも消防署員が誤報であったことを確認するまで人を避難させる義務があります。刑務所にいる不思議な人たちがボタンを押しているのかもしれません。しょっちゅう人が脱走しているから近隣住民に不安を与えないように消防車に警官が乗り込んでいるのかもしれません。真相はわかりませんが、頻繁に走り回る消防車を見ながら、囚人を養うための税金を払うために、あくせく働いている大銀杏でした。

海外在住の日本人心理

2005-03-07 22:32:55 | ニュージーランド生活あれこれ
オオイチョウがニュージーランドに来て3年半が経ちました。現地の会社で働いている私もそれなりに日本人の知り合いが増えて楽しい毎日ですが、日本にはない階層意識が見られるのでちょっと皆様にご紹介したいと思います。

日本にいるときはみんな同じ日本人。貴族もなければ賎民もいない。でも海外に来ればその国に存在する立場が微妙に違うんです。それはビザのステイタス。主なビザの種類は、観光ビザ・ワーキングホリデービザ・学生ビザ・就労ビザ・ビジネスビザなどです。観光地を巡って帰ってしまうパターンが多い観光ビザの人や大企業から派遣されてくるビジネスマンなどとは交流がほとんどないのでわかりませんが、ワーキングホリデー・就労ビザ・学生ビザの保有者とはよく会います。この中で階層があるんです。

最下層に位置するがワーホリ。無目的で旅行したり働いたりする彼らは現地で長期滞在する日本人のカモでもあり、NZの国家的財源でもあります。また、このビザでは同一の雇用主のもとで3ヶ月以上働くことは違法行為になります。そこにつけこんでおこづかいが欲しいワーホリを不法に安い賃金で働かせる日本人がたくさんいます。滞在歴が長い日本人の多くは自分のビジネスを始めますが、彼らは文句が言えないワーホリをこき使い、観光ビザで来る日本人から法外な値段を取るというのが基本なのです。しかも彼らの多くは1年で日本に帰国してしまうため、多少トラブルがあっても訴えたりせず、楽しく旅を続けるために泣き寝入りしてくれます。

ワーホリのカモネギ度の高さはこれだけに留まりません。彼らの多くは日本からNZに入国する時点で「ワーホリセンター」なるものに何十万円ものお金を振り込んできたりします。ワーホリの多くは留学経験などがなく、言ってみれば海外生活素人です。言われるがままにお金を差し出すその様子、まさに社会の最下層の相を呈し、時としてあわれです。

ワーホリで入国してもっと滞在したい人が次に目指すのが「ワーク」。和食レストランやガイド会社などで長期にわたって働くためのビザなので、現地の日本人やニュージーランド人の職場を奪うことにも通じるため、移民局の審査が入ります。現地の人を雇うのでは何故だめなのかを説明するか、現地人を探したけれどもいい人材が見つからなかった場合でなければ許可されません。それを証明するために、雇用主側は新聞に適材を求める架空の求人広告を出したりして既成事実をつくるのが一般的。こういう一連のプロセスは「ビザ・サポート」と呼ばれます。

このビザ・サポートがまた貪欲な日本人のエサ場です。お金とひきかえに架空の雇用関係を結んだり、ワーク・ビザをとるための作業代行で「コンサルタント」を名乗ります。ビザをサポートする側の雇用主も劣悪な条件をのませたり、とにかくやりたい放題なわけです。ビザをサポートしてもらった会社に2年は「お礼奉公する」というのが暗黙の掟。

最終的に長期滞在者がめざすのは永住権。永住権は滞在許可証であり、ビザとは厳密には違いますが、無期限にこの国滞在し、収入を得、条件によっては年金ももらえます。一旦永住権を取ってしまえば、立場的な弱みは現地人と比較してすらなくなりますので、いいように搾り取られることはなくなります。これを取得したい人を狙って、コンサルタントを名乗るハイエナたちがまたもやうろうろしています。

日本人に会うと、会話のどこかでさりげなく「ビザは?」という質問が挿入されてきます。ワーホリはカモ、ワークは奴隷、日本人相手のビジネスをする永住権保持者が農場のマスターという階層社会で、相手に対する位置の確認なのでしょう。

実際のこのビザ取得というのは事務作業であり、移民局のホームページに事細かくその手続き内容が掲載されています。もちろん申し込み用紙もダウンロードできますから、要するにその用紙に記入して必要書類を集めて送るだけなのです。自分で調べて自分でやる、そういうことに少し時間と労力を割きさえすれば、少なくともカモられる隙が減ります。

知識のないワーホリをカモる同胞を軽蔑するもよし、自分のことを自分でやろうとしないワーホリをなじるも道理。大銀杏は少ししらけムードでその様子をながめています。




そのほかの豆知識


さて、ではワークの方はどうでしょう?ワークは安定した収入があるため、海外赤貧生活をエンジョイするワーホリに比べると、本当の意味での海外生活を楽しんでいます。彼らの中で階層があるとすれば、日本食レストランでウェイトレスをするのが最低層。キッチンがその次。歯科技工士など専門の技術を持って、日本でやっていた仕事を続けられる人が上位です。

最後が永住権保持者。