大銀杏ジュンコ  オオイチョウ・ジュンコ

女性として生きる知恵、大銀杏ジュンコがホンネで書きます。人を傷つけるためではなく、私の理解を深めるために。コメント歓迎!

マダム舞う

2006-07-25 17:45:35 | 女性として
何がショックって、さっき高校時代からの友達にひきこもり扱いされた。そりゃあたしはここ10ヶ月ほど働いていないし、これからも働くつもりはないし、貯金はどんどん減っていくし、将来がないっちゃーないよ。ないさ。ないわよ。でもね、ひきこもりって何さ?「働きたくても働けない、私だって苦しんでる」なんてあたしは一度だって言ったことはないわよ。「働きたくないから働いてない」って最初から言ってんじゃん。あたしが稼いで貯めた金で遊んで何が悪い????あたしは働く気がないんです。働く気も全然ないけど、人にあれこれ言われる気なんてもっとないんです。んー、でも人の心は支配できないから仕方ないかぁ。でもある意味今が一番素で人生を楽しんでいるのに、無理していると思われることがショックだなぁ。

で、この10ヶ月間ブログも書かずに何をやっていたかって?ふふふふ・・・って誰に話しかけてんだ、あたしは。誰も読んでないんないんだったわね。最後に書いてから8ヶ月?このあたしでさえ、以前書いたものが残っていることに感動したぐらいだもの。また誰か読んでくださると嬉しいです。誰かに蔑まれたり、誰かに共感を持ってもらえたり、そういうことで同じ時代に生きていることを面白がれるといいっす。

ところであたしが最後に書いたブログの最後の一言「死期とか近づいてんのカナ?」だったよ?あたしやっぱり落ち込んでたのかな?あたしは死んでないし死ぬつもりもないし、誰かの為に人生の時間を売り渡すつもりもなければ、誰かの世話になるつもりもない。あたしは相変わらず立派な大銀杏ジュンコですよ。

あのねあのねあのねそれでね、じ・つ・は!最近アイススケートにはまっているのでありまーす。でも違うから。先に言っておくけど、それ違うから。荒川静香が金メダル取ってからはまったわけじゃないから。だってあたくしは2年以上前に既にマイスケートをゲットしていたし、無職になってからすぐスケート教室に通い始めていたんですもの。個人的にコーチについてレッスンなんかしちゃってるんですから。ジャンプだってするし、スピンだってしちゃうんですから。優雅なご趣味をお持ちなマダムなんだから。

スケートって昔から憧れだったの。だってキレイなんですもの。氷上のバレリーナよね?ああいうひらひら風にゆれる衣装を着て人に賞賛を浴びることに魅力を感じない女性っているのかしら?いないでしょう?ええ、大銀杏ジュンコ35歳独身子なし彼氏なしペット欲しい、オッケィ認める、負け犬「以下」。スケート大好きでぃーす。

あたしはさ、体を動かすのが好きで、特にバランス系の競技が好きだから平日の空いている時間に空いたリンクで思う存分滑れるスケートに今ハマるのは、すごく自然な成り行きなんですよ。趣味なんだから週2・3回にしようなんて自分から制限するお馬鹿さんじゃないから楽しけりゃ毎日行くし、お金もつぎ込むさ。だって楽しいと思うことがあるから生きたいと思うわけだし。だけどあたしが無職無収入になって以来、行く先々でどれほどの人が私を見下すか、ここ半年その心理に改めて驚かされたわ。「人を見下したい」という欲求が皆にあると言うよりは、「自分のほうが良い人生を歩いていることを確認するために人を貶めるチャンスは見逃さない」というほうが正しいのかな?生き物はみんな自分より弱いものを探すハンターだぜぃ。

つづく



なんつって

ロレアルなあたし

2005-11-06 22:39:10 | 女性として
25年も昔、私は小学生だった。そして「8時に就寝、テレビは一日1時間だけ、それも5時まで。兄弟で相談して何を見るか決めなさい。」うちにはこんな決まりがあった。だから『8時だよ全員集合』も『欽ドコ』も、一度も見たことがない。5時以降はテレビを全く見せてもらえなかったわけではなく、ニュースや大河ドラマはOK。つまり親が低俗だと思うものは見せてもらえなかった。

友達の話題についていけない時は焦るけど、親を真似てそんなものくだらないと自分に言い聞かせた。恋愛話が咲き乱れる少女漫画は全部だめ。おしゃれしたくても子供は必要ないからと、お下がり率は99%。男物も女物もごちゃまぜに、ちぐはぐな服をを平気で着ていた。因みに、洗髪のときにリンスも使っちゃいけなかった。色気出すのは10年早いって?

とにかく人と違う自分を意識して、自分のほうが惨めに感じるような時、私は決まって「くだらない」と自分以外を馬鹿にすることで自尊心を守るクセがついてしまった。子供時代になんだかよくわからない物をいっぱい否定しまくった後遺症で、好きに生きてるつもりの今でも油断すると混乱してしまう。服や化粧にお金や時間を使ったりすることが、たまらなく無意味なことに思えてくるのだ。すごく大切なことなのに。

ちょっとおしゃれして外見を良くするだけで、人生は大きく変る。まず人の扱いが変る。そして自分自身の心の中でも、自分を大切にする気持ちが大きくなる。自分が大切だからこそ、生きる意味が出てくる。だから、女でも男でも、内面でも外見でも、自分を磨くことに遠慮なんかする理由はどこにもないはず。これが俗っぽい発想だとしても、現実に私の心はそうやって動く。

この前、ちょいとお高いジャケットを買った。素材から考えて、ちょっとその値段には合わないと思ったけれど、店員に "You deserve!!"(あなたには其の価値があるから!)と言われて、納得。セールストークにのせられたと言えばそれまでなんだけど、素直に頂いた。『私には、素敵な服を着る価値がある。』それを実感することは何にも変え難い快感だから、服を手に入れる以上にお金を使う意味があったのだ。

最近収入が全くなくなって多少不安な大銀杏、今日は買い物に行って何も買えなかった。お金はなくなったらまた稼げばいい。どうしても稼げなかったら詐欺とか結婚とか自殺とかいろいろ手はあるんだから、明日からはまた、この価値ある私のためにちゃんとお金を使おうと思う。

クラブ活動

2005-11-05 20:32:10 | ニュージーランド生活あれこれ
失業したおかげでお金はないが時間はある。テレビで放映される映画は毎日チェックするようになった。

今日見た映画はClockstoppers(2002年、邦題:タイムマシン)。未来や過去を行き来できるドラえもん的タイムマシンではなく、腕時計仕立てのタイムマシンを作動させると、自分だけが超高速で動き回れる。それこそ回りの時間が止まったかのように。だからClockStopper。要はサイボーグ009の加速装置です。

カンケーないけど、主人公の名前はザクだし、この映画のライターは日本アニメのファンに違いないね。

さて、そんな面白いおもちゃを手に入れちゃった男の子がすることと言えば?もちろんいたずら。むかつくクラスメートに仕返ししたり、おまわりさんをからかったりと、調子に乗ってはしゃぎまわる。そして彼にやがて訪れるお約束の危機・・・。

その緊迫した空気の中で息子を心配する両親が交わす会話が、今日の大銀杏の気を引いた。待つしかない状況にイラ立って「じっとしておれん!」と父親叫ぶと、母親はマジ顔でこう怒鳴り返す。

   Welcome to the club!

これ、「クラブへようこそ!」じゃなくって、「お互い様よ!」とでも訳すところなんでしょう。分かっているけどサ、クラブというと学生のサークルや部活を思い起こしてしまう純日本人の大銀杏としては、どうもジョッキ片手にワイワイガヤガヤしている雰囲気を想像してしまうんですよ。だからすごく新鮮で耳に残ったの。

そういえば、最近も街でクラブがどうのって見かけたなーと思って記憶をたどった。そうそう、バスの腹にでっかく書いてあったのは・・・

 Confiscated car club. Recruiting car.

敢て訳せば、「レッカー移動された車のクラブ。新会員募集中」かな?レッカー移動された違反者の会じゃないですよ、念のため。違反駐車している車を、積極的に撤去していますよという市のキャンペーンです。有刺鉄線がついた高い金網の中に集められた車たち。クラブの会合だと思えば、なんか楽しそう・・・かも・・・。

動物虐待 うーーん・・・

2005-11-02 22:20:11 | ニュージーランド生活あれこれ
ニュージーランドの北島の最北の街、カイタイアでの動物虐待事件が報道された。生後6週間の犬を、ボールのように放り投げて蹴り、死なせてしまった十代の少年が有罪になり、罰金のほかに、最悪の場合3年間投獄される。ここまで聞いて、どう思います?

大銀杏は動物の扱い方が分からない子供が遊ぶつもりで投げたりして、夢中になって足で受け止めようとした弾みで殺してしまったのかと思いました。それにしては刑が重過ぎると。そこでもう少し調べてみると、明らかに過失のレベルではなく、車を持っているから「子供」という年齢でもないようです。

まず、少年はブリーダーをしているい知り合いのところに行き、子犬を借り出す。子犬を車に乗せて友人とビーチへ行く。目撃者の証言によれば、彼はそこで子犬を「ボールのように10メートルほど投げ、駆け寄るとそのまま靴を履いた足で子犬を蹴り上げた」そうだ。目撃者が抗議に駆け寄ると、少年達は車に乗って逃げてしまった。目撃者はすぐ子犬を獣医に連れて行ったけれども、肝臓の破裂による出血多量で、子犬はその場で死んでしまった、というのが事の全容らしい。カイタイアというのは、もうそれは小さな町なので、目撃者も顔見知りだったことだろう。

大銀杏が考えた事というのは、子犬を殺した少年のバックグラウンド。誰かが彼を、もしくは彼の心をその子犬のようにもてあそんだことがあるんじゃないかということ。それも一度や二度ではなく、長期にわたって。この少年が無抵抗な新しい命、本来なら誰もが自然に保護したい感情がわきあがるはずの小さき者に、全く同情を寄せなかった異状さには、相応の理由があるはずだと考える。


自分より弱いものを傷つけたくなる時、大銀杏はいつもそれを止めようとする気持ちに対して、「私は我慢するしかなかったのよ!!」と叫びたくなる。そうだった。大銀杏は小さい頃、何度年上の兄弟に意地悪をされても、一度機嫌が直ってしまえば仕返しをしようとは思わなかった。だけれども、自分が優しさをもって堪えても誰も褒めてくれない。年上の兄弟にはいいようになぶられるし、口では到底かなわない事にカッとして手を上げたりすれば、一方的に叱られる。そんなことが繰り返されるうちに、たとえ良心が痛んだとしても、弱みを見せたスキをつけと自分に命じるようになった。かわいそうだな、と思う心の横から、「いや、今やっておかなければ後で後悔するぞ!」と自分を奮い立たせ、人を傷つけた。人を許したことを、死ぬほど後悔したことが、いったい私に何度あったんだろう。

いやいや、自分の思い出を語っている場合ではなかった。犬を殺して投獄される少年。そこに感じる違和感を明らかにしたい。

私は小学校1年生のときに、教会で小鳥の命と人間の命のどちらが大切かと聞かれたとき、胸を張って「同じです。理由は同じ命だから」と言った。ところがカトリック・キリスト教では、動物の命よりも人間の命のほうが大切だそうだ。人間は神様に似せて作られたのだから、特別ということらしい。命の重さは人間も動物も同じだと私は今も信じているけれど、この事件については正義がなされたと私は思えない。

まず、私達は自分達の生きるのに良い環境を維持する権利があるから、ルールをまもらない人間、つまり犯罪者を排除できると思っている。その一つの方法が投獄ということだ。守らなければならないのは私達。正義じゃない。

犬に罪はないけれど、私達は正義をなす神様じゃない。私達は沢山の命を奪って生きている。生命を維持するという目的をとうに超えているレベルで。ニュージーランドでは子羊の肉を良く食べる。大人になると独特のにおいがきつくなるから子羊を、だ。野に放しておいて数年すれば何倍もの肉がとれ、毎年羊毛も取れるのに、子羊を食べてしまうのは、必要のためであるはずがない。

弱きものに少しも同情できない悲しい若者がそこにいるのに、誰も手を差し伸べない。彼を閉じ込めたって、ますますやりきれない怒りを募らせるだけじゃないのか。ますます反社会的行為に走らせるばかりじゃないのか。少なくとも彼はまだ人を傷つけていないのだ。

そこに明らかな虐待の跡があるのに、処罰されるのは被害者である少年なのか。そうだ、大銀杏が感じた疑問はこれだ。犬を殺した少年が、私にとっては救うべき被害者にしか見えないのだ。加害者は別に居る。子犬の命は軽くないけれど、私達の生活を「豊か」にするために奪われる命の一つでしかない。私達には犬を殺したことで彼を罰する資格はない。そして最初に守るべきは、傷ついた仲間の心じゃないのかと。

すいません、久しぶりなもんでだらだらと。断っておきますが、大銀杏は犬好きです。犬を飼えない理由は、添い遂げる自信がないから。無責任なことはできないよ。

完全失業

2005-11-02 17:48:11 | 日々の出来事から
6週間ほど前にボスから呼び出され、解雇したいから明日から年休を取ってくれと言われた。ちょうど風邪を引いていたし、フラメンコの発表会が迫っていて衣装作りで忙しかったから、これ幸いとばかりに没頭した。その発表会も3日前に終わり、ふと気付けば有給も使い切っていたらしく、昨日会社から正式に文書で解雇を通告された次第。大銀杏ジュンコ、女35。未婚・子なし・無職・無収入。すみません、恋人も家族との交流もありません。

さぞや惨めな気持ちだろうと思われても仕方が無いこの状況で、私は人生でもめずらしいぐらい穏やかな気持ちでいる。不安はあるけれども不満があまりないからかもしれない。確かに朝寝坊をしてしまうと、将来に向かって何も努力していない自分を責めてしまうけれど、すぐにどこから「いじめないでー」って声がする。本当にするんです。これは私が自分自身に語りかける声。日本を出て4年、死に場所を探しに出てから4年、私も変わったものだと思う。

3年前の冬の夜にはまだ、結露した窓に「殺」とかたくさん書いてた。大きな紙に「失敗作」と書いて自分の頭に貼り付けてぼんやり座ってた。自分を救うために動き出すことができなかった。自分を励ますための言葉は「大丈夫、バレない」。苦しんでいることも、死にたいことも、誰に一人にも言えなかった。こういうことをして、ああいうことを言っていれば普通の人だと思ってもらえるに違いないと思うことを、一生懸命やっていた。私の心と全く無関係な人間を演じ続けていた。

わりと最近、ダニエル・キースの『24人のビリーミリガン』を読んだ。レイプ強盗という凶悪犯が、多重人格を理由に無罪となる。多重人格が形成される背景にあった虐待についても、そして犯罪を犯したものに対する社会の反応についても、考えさせられることが多かった。私は多重人格ではないけれども、自分の中にやっぱりたくさんの独立した人格がいて、誰が現実との対応に出るのかは状況に応じて変わっている気がする。「心を入れ替えて」なんていう表現があるのだから、そういうことは誰にでもあるものだろう。とりあえず、それらの人格が傷つけあうことではなく、励ましたり庇ったりすることを覚えたらしいので、物心ついて初めてかと思われるくらいの平和が私に訪れている。


・・・・・・・・死期とか近づいてんのかな?

人間失格

2005-08-05 00:33:08 | 日々の出来事から
初めて『人間失格』という本について知ったのは、私がすさんでいた中学生のとき。なんてシュールで素敵なタイトルだろうと思った。言葉のインパクトといい後ろ向きな雰囲気といい、私は著者である太宰治が私の同士に違いないと勝手に信じ込んでしまった。とは言え、日本文学より翻訳本に馴染みがある私にはなかなかその本を読む機会が廻ってこなかった。

時は流れて大学生のとき、ゼミの選抜で教授と面接をした。その時将来何になりたいかと質問されて、何も考えていなかった私はとっさに「作家です」と答えた。当然の流れとして、好きな作家は誰かと聞かれた。突っ込まれると思っていなかった私は返事に窮してとっさに「太宰治です。」と答えていた。読んだことも無いくせに。教授はなおも「例えばどの作品?」と食い下がってきたので、私は迷わず「人間失格です」と答えた。

本当は機動戦士ガンダムを書いた冨野由悠季を尊敬していたのだけど、彼はアニメの原作者であって作家と言えるのかすら疑問。第一、選抜試験でアニオタとしてカミングアウトするのは賢くない。ここでイッチョ、心中作家に傾倒する私を演じてしまおうと若者らしい見栄を張ってみたのである。

めでたく希望のゼミに入った私は後から嘘を本当にすべく、人間失格を買い求めた。長年憧れていたこの本を読み、これに感動すればウソはウソでなくなるはず。そう期待して読み始め、私は驚愕した。極端に醜悪な思考だけしかそこにはなかった。被害者意識の固まり、僕ってかわいそう、僕ってダメな人間なんだと言いながら、心の底では汚い世の中で厚かましく生きていける人々を軽蔑している。その姿は、神を捨てプライドを捨てる前の愚かな私そのままだった。

人を見下すことは実に簡単。どんな小さな差異も、「人とは違う=ボクは特別」という世界を仕立て上げる材料になる。太宰が何故自殺したのか想像してみた。彼は現実を生きることを拒否し、『特別なボクちゃん』という幻想の中で死ぬことを選んだからだ。それは世界の高尚な理解ではない。理想的な生き方でも死に方でもなく、やっぱり私にはただの逃避にしか見えない。こんなものを好きだと言ってしまったのかと、痛烈に後悔した。

さて、ある日突然教授から「大銀杏さん、最近書いてますか?」と聞かれた。まぬけなことに、自分が作家になりたいと言ったことなんかすっかり忘れていたので、「はあ、まあ・・・」と曖昧に答えた。私の当惑した表情にも気付かず、教授は外部から招いていた作家に、「彼女は作家になりたいんだそうです。」と紹介を始めた。そこで始めて「あー、あれね!サッカサッカ!」と思い出して、あわてて話を合わせた。そこでもまた教授は私のことを太宰治のファンで・・・と紹介しているから、こちらの笑顔が歪む。将来本当に作家としてデビューしても、この教授にあとがきを依頼するのは辞めようと思った。

レーシック

2005-07-22 10:13:29 | 健康と美容
身近な人がレーシックを受け始めたのが7・8年前。レーシック・・・受けようかな・・・?とぼんやり考えつつ、片目しか使えない私にはリスクが大きすぎる、と、二の足を踏んでおりました。それが先週の土曜日に突然受けようと思い立ち、月曜日に診察、その翌日にはもう手術という早業を決めたところです。これまでのところ、経過も順調です。

さてさて、今更「レーシックって何?」という方もいらっしゃらないでしょうけれど、視力矯正手術です。念のため。具体的には黒目の上をカッターで薄ーくそいで、曲がった針で引っ掛けてベローんとめくり、むき出しになった角膜にレーザーをバシバシ当てて角膜を整形すること。プーンと皮膚が焦げる臭いがしきたところで、焼き上がり=完成です。後はめくった部分をペラっと元に戻して20分ほどそのまま蒸らす(?)。そして目を開ければ・・・世界はシャープでクリアに変わっているのです。

あー、体験を語らせてもらいますけど、レーシックの手術のサイトや体験談を見ると、痛みは全くありませんとか、翌日から普通の生活に・・・などと書いてありますが、やっぱりあれは大袈裟です。チクチクぐらいの痛みはあるし、SFアニメのサイボーグ加工シーンみたいな音と光のショーが目の前で繰り広げられるわけだから、パニックを起こす人もいるんじゃないかと思います。自分の目玉が焦げる臭いを嗅ぐんですよ。かなりシュールでグッドです。

手術前に麻酔はもちろん、痛み止めと精神安定のためにスリーピング・ピルを飲まされました。家に帰ってからも睡眠薬と痛み止めを飲んでひたすら寝るように指示されるわけですが、大銀杏は早速もらったスリーピング・ピルの成分を調べてみました。解熱鎮痛剤に使われるパラセタモールと、「あへん」から作られるコデインがたくさん入っている!これは素敵です。合法的に麻薬をやれる。しかも体の具合が悪いわけではない。うふ。

そういえば、私の知り合いのほとんどは術後に白目の部分が真っ赤に染まっていたんですよ。大銀杏もチラッと赤いすじが入っているけれど、自分から言わなきゃわからない程度でとてもキレイ。片目というリスクを犯してまでやった甲斐があるというものです。

私は右目が弱視と言われる状態で、視力を測ると1.0ぐらい見えるのに、役に立ちません。明るい照明で照らし出された文字を時間をかけてゆっくり読み取るのなら、1.0ぐらいまで見えるけれど、そもそも見え方が普通の目と違うのでまさかこの目だけで車の運転をしろと言われたら、きっぱり断ります。でもね、この『視力1.0だけど使い物にならない』と言う状態は医者にも理解し難いようですから、レーシックのカウンセリングを行う事務員さんにわかってもらえるはずもないんです。もしも術後に感染症をおこして最悪の中の最悪のケースとして失明してしまった場合、普通の人は片目の生活を強いられるものの、車の運転も仕事も日常生活も「不便である」という状態になるだけで何も失わないのです。大銀杏が右目だけになったら、大銀杏は自分で運転することも、一人で出かけることも難しくなります。失うものがとても多いのです。

レーシックは視力矯正が目的なので、片目になると自立した生活できない人には施術しないのが普通です。幸か不幸か彼らは大銀杏を『1.0見える人』イコール『片目でも自立できる人』と短絡的に判定してくれるので、本人が右目は弱視ですって言ってるにもかかわらず、「ノープロ」そして続行。私はそのリスクを理解したうえで受けているんだからいいんだけどね。

弱視というのは、一般的に「目が悪い」というのとどこが違うかというと、矯正ができないところです。これは生まれつきではありません。赤ちゃんで生まれて体の成長と共に視神経が発達し、5歳ぐらいまでで目から入った光の情報を脳が的確に処理するプロセスが確立される。その発達が何らかの理由で妨げられた結果だそうです。近視・遠視・乱視、どんなレンズを入れても見えないものが見えるようにはなりません。そして後から何をしても視力が回復することはありません。

視力検査って、大きさの違う文字が書かれた表を明るい電灯で照らしてありますよね?だから私の右目でもじっくり時間をかければ脳に情報が伝わるんです。像はボケていないから一応読めるんです。これは解像度は低くても処理するコンピューターである私の脳と解析するソフトウェアに蓄積された過去のデータ、つまり私の経験でかなり精度を上げることができるということで、とにかく時間がかかるんです。一枚の絵を解析するのに時間がかかるということは、動画を解析するにあたっては指数関数的に処理すべき情報量が増えるということで、もはや現実的なものではない。

まー、レーシックの手術が成功したからいいようなものの、まだ感染症を起こすリスクも高いわけで、余談は許さないでしょ?万が一何かあったらやっぱり私の人生はかなり大きく変わるのだわ。あえて人生が「狂う」と言わないのは、もはやそういう転がり方もありでしょうという心境だから。いや、人生は放棄していませんが、何が起きてもいいぜ。そういう心境でこそ受けられたレーシックでした。

5本指

2005-07-21 14:42:48 | 健康と美容
たとえば最近巷で話題に上がってきた新人の話が出たときに「デビュー前から知っていた」とか言い出すヤツが必ずいる。デビュー前のことを最近どこかで聞きかじったというのがおおよそのところなんだろうケド、「人より早く知っていた」を自慢したがる心理はわからなくもない。

ワタクシ大銀杏は10年以上も5本指靴下を愛用し続けているということを声を大にして主張したい。なんでそんなに威張りたいかと言うと、10年前は5本指を履いているだけで「水虫?」というあらぬ疑いをかけられる率100%だったからだよ!そんな差別の目にも屈せず、自分の感覚だけを頑なに信じてきた私としては、最近になって5本指の素晴らしさに気付いた諸君とは違うのだと言うことをとりあえず誇りたいのさ。そう、私に蔑みの目を向けたことをとりあえず謝れ。誰に向かって言っているのか、あたしだって知るもんか。

市民権を得る前の5本指と言えば、素材も売っている場所も限られていたため、新しい種類の5本指を見つけると、とりあえず2足、気に入ったら翌日にその店の自分サイズを買い占める必要がありました。基本的に天然素材しか信用しない大銀杏はそんなわけで、同じ5本指靴下をたーくさん持っていたのです。

さて、今私はニュージーランドで暮らしているわけですが、日本を出国するときに持ってきたものの中にも当然5本指はありました。本当は向こう10年分ぐらい買い揃えておきたい気持だったのに、この時何を勘違いしたのか、「五本指なしで暮らしている国に行くならば、5本指なしで生活できるようになるだろう。郷に入っては郷に従え。いや、5本指なしで生きなければならぬのである~!」と意味不明な決意をしてしまいました。じゃ、いっそ全然持っていかなければいいんだけどね、当時引き出しの中にあったものはとりあえず持ち、中途半端に出国してしまったのでした。

あれから4年、すべての5本指靴下はガーゼよりも薄く、指と足の腹にあたる部分には猫の肉丘のようにピンクの肌がもちもちと盛り上がっています。黒い靴下なんてまさに猫の足の裏。大きさからしてパンダか?なんて考えている場合じゃない。不安でたまらないんですよ。このまま5本指が手に入らなかったらどうしよう・・・って。

そんな折、夢を見ました。北朝鮮にリュック一つで潜入する夢を・・・。まずは韓国に入国。そこにパスポートなど身分がバレるものはカバンごと預けて行く。身一つに空のリュックで北朝鮮に列車で到着したのは深夜。目的の建物まではなんとかたどり着いたものの、3階まで行きたいのにエレベーターはおろか、階段もない。北朝鮮は物資がないとは聞いているけれど、階段もないとは・・・さすが夢。明かりさえついていない暗闇の中に、のっぺりとたたずむ建物には入り口すらない。ただ打ちっぱなしの壁にむき出しの鉄のはしごが打ち付けてあり、部屋から部屋への移動のためにビル建築の足場レベルの鉄板が各階に渡してある。既に潜り抜けた数々の命の危険を思い、このまま引き返せるかと鉄の意志でそれを登る。やっと部屋にたどり着き、いよいよ始まるブツの受け渡し。そうまでして彼の国から持ち出そうとしたブツとは一体・・・!?

はい、出てきたのは五本指靴下ですね。

いや、自分でも情けないぐらい5本指靴下を欲しているということなんでしょう。少し白状しますとね、昔新宿でうろついていた頃、安いパンプスを一日中履いてたんです。バイトしたり終電を逃して家まで歩いて帰ったり・・・と、だいぶ無茶をしたので、私の足は安いパンプス型に変形してしまいました。タテマエとしては「昔バレエを習っていて、トゥシューズで外反母趾に・・・」って言ってますけど、本当は遊んでて潰したんです。エヘ。そして今フラメンコを習っているので、5本指靴下を履かない事には痛くて練習もおぼつかない。5本指靴下を履くとそれぞれの指の感覚が自然にとれて、いい感じですよ。靴の中で親指が内側に必要以上に曲がらないからでしょうか?

5本指靴下を補給するという実現可能な小さな目標ができたので、久しぶりにブログを書いて見ました。みなさまよろしゅう。

ホワイト・ナイツ

2005-05-16 22:50:46 | 映画
ニュースを見ようとめずらしくテレビなどをつけたら、スターウォーズ・エピソードIIの放映予告が流れていた。それも今夜放映するという。ニュースが終わったらブログを書こうと思っていたのに、ずるずると映画を見てしまった。普通の人は話しかけられると、注意を払う。テレビは私たちにずっと語りかけてくるものだから、暴力的に私の注意力を削ぐ。

私は映画好きではあるけれど、テレビをつける習慣はあまりない。一人暮らしを始めたときもテレビは必需品だと思っていなかった。自分のために初めてテレビを買ったのは、阪神大震災の時。友達が電話してきて「見ろ」と言うものだから、その足で秋葉原へ行ってBSチューナーやパラボナ・アンテナまで一式揃えた。不謹慎極まりない友達ですみません。

テレビを買ってからも、ふと気付くと何ヶ月もつけていなかったりする。そうかと思うと明け方まで見ていることもあるけど、ドラマの曜日も覚えられないし、やっぱりテレビを見る習慣が「ある」とは言えないと思う。慣れていないからこそ止め時がわからず、一度つけると眠くなるまで見てしまうのかもしれない。ということで、私にはやっぱり2時間で終わるビデオ・DVDが丁度いい。

最近仕事を減らして時間ができたので、映画をまた見始めた。昨日は「ホワイト・ナイツ」という昔の映画を借りて見た。20年前に見た時と変わらず、この映画は面白かった。20年前と言えば、ベルリンの壁だってちゃんとドイツを東西に分けていた時代。核弾頭の載ったミサイルが空を向いていた冷戦時代の、あの緊迫感が想像できる世代には、亡命がらみのこの映画はある意味なつかしいのではないか。

ロシアからアメリカへ亡命した世界的に有名な男性バレエ・ダンサーが、飛行機の事故でロシアに不時着してしまい、軟禁状態になるところから話は始まる。監視の目を逃れて再びアメリカ大使館に駆け込むまでの緊迫した空気の中でストーリが展開していく。彼の説得役を命じられたのはニューヨーク出身の黒人タップダンサー。黒人差別に打ちのめされ、平等を掲げる社会主義に理想を見出し、ロシアに亡命した彼とのやり取りも、差別を多少なりと経験した心をかなり深くえぐる。そして圧巻なのは主役を演じ、踊るバリシニコフ。実際にアメリカへ亡命したこのバレエ界のスーパースターは、20年の時を越えてなお、大銀杏の背筋に電気を走らせてくれた。

笑いすぎ・・・

2005-05-15 21:23:49 | 日々の出来事から
小学生の給食時間、「いただきます」の掛け声と同時に男子に混じって牛乳の一気飲み競争をやっていた大銀杏は、公衆の面前で鼻から牛乳を吹いた事がございます。ええ、一度や二度じゃございませんとも。まぁ、まだ女にもなっていない頃のお話ですから、許されて?

トッカータとフーガのメロディーで、「ティラリーン・・・鼻からぎゅうにゅーーーぅ・・・」という定番で、ぶほっ!「大銀杏メスゴリラ」とボソッと言われた時はぐっと耐え、「ヨシッ行ける!」と油断したところで、ぐふっ!メスゴリラなんて全然おもしろくなかったけどサ、立って牛乳イッキしているやつらがいっぱいいる中で自分だけがターゲットにされたことになんだか興奮しちゃってさ・・・。注目を浴びている自分を意識したら笑っちゃったんだよね。いやー、あの頃あたしは青かった。

あー、うちの兄ちゃんは私が麦茶を飲んでいたら後ろから突然、「ハオッ! インディアン 髪の毛でケツを拭く!」と声をかけてくれたことがある。兄ちゃんは他にもいろいろいろいろネタを提供してくれたんだけど、これ以外どうしても思い出せないのが残念。因みに、この「インディアン髪の毛で・・・」ネタを給食の時間に披露しても、誰も吹き出してくれなかったんですよね。大銀杏が早口すぎて伝わらなかったのか、はたまた彼らの頭の巡りが悪くて瞬時に理解できなかったのか・・・。私的にはスマッシュヒットだったんだけど。

一回笑い出すと結構止らないほうです。頭の中で繰り返し再生して笑い続けるタイプ。結構それで失敗したこともありますよ。

さかのぼること20年ほど、私が中学生だった頃。私立高校を受験する生徒のために、教頭先生が希望者に模擬面接をしてくださることになった。とりあえず無料なら何でもやっておけという貧乏症の私は、面接で不安に思うことなど何にもなかったにもかかわらず、仲良しの圭子とノリで申し込んでみた。お決まりの質問「愛読書は?」という質問に、私が「ミヒャエル・エンデの『モモ』です」と答えると、当時かなり流行っていた本だったにもかかわらず教頭先生は「え?もも?ももって食べる桃ですか?」と大真面目に聞き返された。箸が転がってもおかしい年頃の私は、圭子と共に大爆笑。一応緊張した面持ちだったのに、後はただ笑うだけで模擬面接を終えたのでした。

でね、滑り止め高校の受験、偶然にも圭子と受験番号が並んでいたんです。当然面接も同じグループ。これだけでも大ウケでしたよ。圭子ちゃんも私も試験や面接であがるようなタマじゃなかったので、「あたしがモモって言っても笑わないでよ!」「無理!モモだけは勘弁!」と大騒ぎしながら順番を待ちました。面接は一人の試験官が5人の受験生に対して質問をし、順番に答えていきます。私は4番目、圭子は5番目。いざ面接室に入ると、名前と出身校と聞かれた次の質問が、この「愛読書は?」でした。来たな!笑っちゃいけねぇ!と身構える私達の耳に飛び込んできたのは、最初の受験生と試験官のやりとり。

「モモです」「ももですか?」「いいえ、モモです」「ももですね?」

予期していなかったタイミングでのNGワードの連発に、二人ともマッハで爆笑モード。自分だけならまだ抑えきれよう腹筋の振動も、隣で肩を震わせている圭子ちゃんがいたのではお互いの存在が笑いの増幅マシン。一瞬笑いを抑え込めた!と思って真面目な顔を上げても、その瞬間に圭子ちゃんの肩が震えているのが目に入ったりしたら、またもクックククク・・・・・・。で、そんなことを何度か繰り返していたら、「いいかげんにしなさい!」と面接中に怒られたのです。いやぁ、あれはもう楽しい思い出と言うよりは、笑いをかみ殺さなければいけない拷問にあったと言うほうがぴったり来る気がします。苦難の果て(?)に、ちゃんと合格しましたよ。

そして事故

2005-05-03 10:15:35 | 日々の出来事から
要するに乱暴なんですね、私の運転。とうとう事故り、私の愛車は一瞬で廃車になりました。別にブログのネタに困って車でイタズラしているわけではございません。最近このままではいつか大事故に・・・なんて自分の運転の危険性を自覚しながらも、限界への挑戦は日ごとエスカレートしていたんです。急な上り坂、濡れた路面、カーブ、追い越し・・・というキーワードにより、ごく単純に思い起こせる事故を想像して下さい。それが先日の私の、早朝のできごとでございました。

その朝目覚めたのは4時半。休みになると早起きをする人としてフラットメイトに迷惑がられる大銀杏も、さすがにこれほど早く起きることはめったにありません。その日は来るまで片道2時間半ほど離れたファンガレイ(Whangarei)という、オークランド以北で最大の町まで出張が入っていたのです。朝9時に現地に到着するには6時半に出発しなければいけない。34歳の大銀杏には顔面塗装という工程が入るため、逆算して5時半には起床になるんですが、なんかこう、特別な予定が入ると子供のように興奮して早く目覚めてしまうたちなので、ただの出張なのに4時半ごろ柄にもなくバチッと目が覚めたんですよ。

しかもこの日は大銀杏の記念すべきパートタイム一日目。こう言うと大銀杏は今まで失業していたのかと思われそうですが、大銀杏はフルタイムで働くサラリーマンからの脱却方法を模索するため、自ら給料半分・労働半分を申し出たのです。そのためのパートタイム化。仕事の内容は変わりません。しかしこれからは物書きとして皆様に楽しんでいただけるようなネタ探し、発表できるようなコネ探しを本格的に・・・と志高く思っていた矢先・・・命張ってネタ提供してどうする!?

私が住むオークランドから1時間半ほど北上した地点でコントロールをロストした瞬間、あ、滑っているな、戻れるか?無理か?と自問自答。車体が回転し、左側にせり上がっていた土手が右側に来たのを見て衝撃に身構えると、ドカドカ!っと車が私をシェイク。車ごと回転しながら土手に突っ込みました。視界がなくなり側頭部をガラスに打ちつけ、ぐっはー・・・!!と思ったときにはすべてが終わっていました。

車は進行方向とは逆を向いて停止。とりあえず車内から脱出し、現世の至宝大銀杏の状態をチェック。幸いなことに完全な姿が保たれていました。目立った怪我はないとは言え、時速90キロからいきなりゼロに近いスピードになる衝撃はなかなかのもの。スキーでクラウチング姿勢のまま派手に転んだ時ぐらいの衝撃、と言えばお解り頂けるでしょうか。見ると車はタイヤがもげ、エンジンはかかったまま。えーっと、エンジン止めてー・・・、それからぁ・・・と大銀杏が探し出したのが、デジカメ。

最近ね、運転中に窓からカメラ出してピコピコ撮影することに熱中しているんです。そのうち事故るだろうと自覚していた最大の理由が、それ。この前は橋を渡りながら撮影していたら、欄干に激突しそうになりましたしね。何しろ現像が不要なデジカメは基本的に何枚取ってもコストは同じ。だからファインダーを覗いてシャッターチャンスを考えるより、盲目滅法ピコピコと撮りまくり、後で使えそうなもの以外を削除するのが正解。だいたい1日に150枚ぐらいは取っていたと思います。それぐらい撮れば2・3枚は使えるものです。今回自分が事故っても、最初に探したのはカメラでした。見るとバッテリーケースが多少凹んでいるものの、カバーをスライドさせればシャッキーンと撮影モードに。やっぱMade in Japan。したら撮るべぇ・・・と、早速撮影開始。これには救助のために停まってくれた見知らぬキウィ達(ニュージーランド人)もびっくりした様子。見通しの悪いカーブだけに、上でも下でも交通整理をしてくれているのに、事故を起こした本人は車の周りをグルグルピコピコ、ですからね。

そうそう、現場は山の中だと思っていたけれど、北島は利用できる土地のほとんどは農場として開墾されているため、思わぬところに家が隠れていたりするのです。事故地点の林のすぐ裏にも家があり、そこに住むランス君は、出勤しようと自宅の敷地から国道に出る出口で車が途切れるタイミングを図っていたところ、目の前で事故を目撃したそうです。真っ先に駆けつけてくれた彼ですが、ランス君の手は震え通し。なんで君はそんなにキュートなんだ!と胸キュンでした。新しい恋でも始まるのかと思ったら奥さん登場。あれやこれやと指示してくれるのはいいけど、これが相当なおせっかい。私は自分の保険会社に連絡して指示を仰ぎたいのに、どこぞのレッカー車まで呼ばれてしまった。金払うのはあたしなのよぉーーー!と大銀杏キレ気味。通りすがりの車もどんどん停まって助けてくれるし、大勢の人が車を路上から撤去するのを手伝ってくれるのはかなり嬉しいけど、この非常事態において他人に指揮を取られているというのがちょっと不安。やっぱり現場の指揮はこのワタクシが直々に取った方がいいんじゃないかと思い始めていました。

通る車がみんな顔から少々血を流す大銀杏を見ていくし・・・、と人の視線を意識した瞬間、いやぁぁぁぁああ~!!!あたしってば、黒いストッキングに車内専用のベージュのビーチサンダル履いてるのよぉぉおお~!!!今日は黒いタイトなワンピースに今年一番のお気に入りのカーキ色のジャケットを着て、ヒールにストラップがついたかなりフォーマルな黒パンプスで決めていたはずなのに、黒タイツに肌色のビーサン。現場を勝手に仕切っていたお姉ちゃんが「車に近づいてはだめ!」と私に言うけれど、あたしの車だい!っと無視して車に近寄る。運転席のドアが開かないので片っ端から引っ張り、開いた所から乗り込んで黒い靴を探す。すべてのものは4駆の車の一番後ろに吹き溜まっていて、その中から1ペアの靴を探すのはちょっと大変でした。フラットメイトが前日作ってくれたお稲荷さんとかに混じってたしね。

自分の指示を守らずに、あろうことか靴を履き替えてきた大銀杏を見て、田舎の仕切り屋姉ちゃんはそうとうムッとしていたけど、ごめん、あたしそういう人だから、と見ないフリをする。非常事態だからといって人生は続くしブログも続く。別にこの状況で男をひっかけようと思っている訳じゃないけど、死んでないなら女も捨てられないのだよ。

結局ね、タイヤももげちゃって動かしようがないので、駐車違反車を引きずり去るようなTow Away Truckではなく、ウィンチで荷台に車を引きずり上げる正真正銘のWreckerに載せられて、車は大銀杏ともども近くの村まで連れて行かれました。そこから保険会社に連絡をし、保険申請までのプロセスを確認してからInterCityというニュージーランドの長距離バスを予約。お兄さんたちは親切だし、インフォメーションセンターではオフィサーが出てきて荷物を持ってくれた上、彼のオフィスに大銀杏の荷物を保管してくれると言うし、ね、靴履き替えてよかったでしょ?

会社には車がないから出張がキャンセルだと告げ、フラットメイトにオークランドのバス停まで迎えに来てもらえるように頼み、病院に行き、うちに帰ったのは4時過ぎ。事故から実に8時間も経っていたのでした。本当に長い一日だったよ。翌日はお決まりの鞭打ち症状が出てヨレヨレ。やっと復活してきました。
さ、次はどんな車買おうかなぁ?

今度は追突・・・

2005-04-28 10:29:36 | 日々の出来事から
日本では無事故無違反、ゴールドライセンスを保持し続けていた大銀杏なのに、スピード違反に続いて今日は追突事故を起こしてしまいました。信号が青に変わり、前を行く車について速度を上げていく。車線を変えようかと左後方を視認してから前方に視線を戻したところ、もう確実に停まりきれない距離に前の車が迫っていました。とっさに思いっきり左にハンドルを切って一瞬「間に合うか?!」と期待したけど、無常にも「ボクッ!」と非常に分かりやすい衝突音が振動とともに車内に響きました。・・・っち!

どう考えても大銀杏が悪いので、時間も感情も浪費しないよう、ピシッと金でカタをつけようと覚悟しました。はっきり言ってどの車にぶつかったのかもわかっていなかったんだけど、車から降りて「ハーイ!私でぇす!」という風に手を挙げてきょろきょろしていると、まもなく1台の車がスゥーっと止りました。見ると30代後半とおぼしき男性登場。驚いたことに開口一番に"Are you all right(大丈夫)?"と気遣ってくれました。ちょっと予想外だったので反応が遅れてしまったほど。たとえ自分が悪くても絶対に謝らない人が多いので、ぶつかるとまず相手を責め立てるのが事故現場の慣わしなのです。だから彼はまさにジェントルマン!イギリス紳士の末裔も捨てたもんじゃないわ・・・。

しかもね、このジェントルマンさんはササッっと自分の車をチェックすると、「うん、塗装が剥げただけだね。いいよ。ノープロブレム」と言ってくれるじゃありませんか。やた!と心でガッツポーズを決めるも、口では「私が悪かったので直すならお金を払います」と殊勝に申し出る。相手は「ボクの前の車が急に停まったのが悪いんだよ。君に怪我がなくてよかった。ノープロブレム」と再度紳士的発言。ラブだよ、もうラブ。ってわけで、去っていく彼を見送りながら大銀杏は日本人として深く頭を下げたのでした。

海外で頭を下げることはみっともない作法だと信じている人もいるようですね。用もないのにぺこぺこするのはおかしいけれど、謝るときやお礼を言うときにゆっくりと、きちんとしたお辞儀を1回だけするのは、通じます。大銀杏は英語に関しても「ネイティブを目指すことよりマルシアを」を標語にしている(ウソだけど)ぐらいですから、中途半端に欧米文化に迎合するよりここぞというところで「ワタクシは日本人よ」と見せるよう心がけています。だってね、欧米文化をスマートに身につけている日本人になるって、難しいことですよ。大抵の人はマネゴトのレベルで留まっているから結局「妙に慣れてるアジア人」という印象しか持たれてないんですね。それぐらいなら発音は悪く、使う言葉が堅苦しくても、品があるバリバリ日本人の方がよっぽど一目置いてもらえます。だって「日本」は世界のブランドなんですから。

たとえば外人に日本語でお礼を言われるときに、「ドウモネェ」と言われるのと「アリガトゴザイマース」と言われるのとどっちがいいですか?いくら気安くても「ドウモネ」という日本語を覚えてきた外人にまともな教育を受けていることを期待するほうがおかしいでしょう?アジア人というだけで多少差別ゴコロが出てしまうのは当たり前なんだから、お金持ちという意味ではなく、「いいお家」とか「教育がある」という雰囲気を持っていたほうが格が上。人の善意だって引き出しやすいんです。

だいたいぺこぺこするのが何故まずいかと言えば、人の顔色を伺っているのは身分の低いしるしだからじゃないんでしょうか?謝る時もお礼を言うときも、堂々と頭を下げて笑われることなんかないはずです。ま、そう信じているのが私だけだとしても、ケント・デリカットよりマルシアの方が好きなんだってば、私は。

ヒキコモリ短歌

2005-04-27 21:21:55 | 日々の出来事から
ひきこもりについて書きたくなるのは、応援したい気持ちが半分と、サポートしてくれる家族がいることへのねたましさが少し、残りは単に自分が働いているって時にぶらぶらしている人を見てる自然に込み上げる怒りがあるからでしょうか。今日はケータイから短歌を投稿するNHKのラジオ番組が流行っているという朝日新聞の記事に影響されて、引きこもり系短歌を作ってみました。

全部イヤ 人も自分も 明日の私も 
川の流れの ようには行かず

雨降れば 心も曇り 引きこもり 
晴れたら晴れたで 情けなくなる

老後とか よく考える 私でも
幸福になる気配すらなし

このままで いいわけないじゃん 親死ぬし
誰かタスケテ 僕ヒキコモリ

なげやりで 送る毎日 慣れすぎて
これはこれで 結構いいかも

夢があり 才能があり ヒマもある
ただやる気だけが ないの 私に

あれこれと 指示してくれる 親がいい
子育て放棄 された身にすりゃ

大銀杏ジュンコ

パトカーに追尾されて・・・

2005-04-26 20:13:06 | ニュージーランド生活あれこれ
やられたました。働きに行ったのに賃金を罰金で持ってかれるって、ある意味囚人並みの待遇ですよね。大銀杏、今日生まれて初めて鼠捕りに引っかかりました。16キロオーバーで$120ドル。トラックに追い越しをかけていた最中、巨大な車体が視界を遮り、隠れて張っていたパトカーが見えなかったようなんです。ふと気付いたら後ろからパトカーが。お急ぎのご様子なので"道を譲ろうと"路肩に寄せると、ああぁ・・・なんで着いてくるかな・・・。なんかね、追い上げてくるパトカーのくるくる回るフラッシュライトが、汗を飛び散らしているように見えてかわいかったっす。

ひきこもり予備隊長である大銀杏は今朝も6時過ぎまでパソコンにかじりつき、3時間ほど寝ただけだったんですが、今日に限って車で2時間以上かかる小さな街に出張しなければなりませんでした。いえね、たまの出張は音楽聴いて車飛ばせるという意味でお楽しみではあるんですけど、寝不足に運転はつらいし、寝たらいきなり命かかりますよね。眠らないためには音楽のボリュームを上げて、スピードを上げるしかないじゃないっすか?もう、いいけどね。

ニュージーランドのスピード違反の取締りは大体日本と同じです。固定スピードカメラやスピード・ガンを搭載したパトカーが潜んでいたり。罰金は、制限を超過した速度に比例して高くなり、5キロ単位で規定されています。最高額は$630(約\45,000)ですから、日本と比べると安いものですが、これ以上行くと罰金に加えて免停になったり、最悪の場合車をその場で没収されます。没収された車は28日間は返ってきません。さらに返却してもらうためには裁判所に出頭し、手続きを取らなければならないし、没収された地点から車をレッカーするための費用も自分持ちです。だから田舎の道路で大幅な違反をすると、この車の撤去代がべらぼうな額になり、かなり厄介です。

ところで、ニュージーランドの交通法で日本と対比して面白いのはスケートボードやインラインスケートの扱いです。日本の道路交通法ではローラースケートは「メーカーが人を搬送する目的でつくったものではない」という発想から「遊具」として扱われるのに対し、NZではなんとこれらも乗り物(Vehicle)にあたるとされています。つまりインラインスケートを履いた人もスケートボードに乗った人も「乗り物の運転手」としての責任を求められるのです。歩行者に対する安全の配慮もその一つで、歩行者との衝突により怪我をさせたり死亡させた場合には罰金だけでなく、3ヶ月以下の禁固刑もあり得ます。このへんの厳しさ、結構イイかも。

通勤バトル3 ・ ナップサック男

2005-04-25 23:59:37 | 通勤バトル
女性である限り、デブでもブスでも痴漢にあった事がない人はいないでしょう。大銀杏は新調159センチ体重49キロとごくごく普通であるため、狙い目サイズです。え、可愛いほうが痴漢にあうんじゃないの?と思われる方もいるかもしれませんが、大銀杏が女性の側から知れる範囲では、どんなに可愛くても極端に小さかったり背が高い人が一番痴漢に遭遇していません。私はかなりガードが固いにもかかわらず20代中盤まで毎日のように痴漢に会いました。自分ではこの超一般的「女サイズ」のせいだと思っています。

そういえば、以前男ばかりが集まった飲み会の席で「私が会ったすべての女性は痴漢にあったことがあるのに、すべての男性は痴漢をしたことがないと言う。この事実をどう思うか」と質問したところ、気まずい雰囲気になっただけで、誰一人として「僕は経験者です」と名乗り出てくれる人はいませんでした。「あんたたちの誰一人として痴漢をしたことがないとうことが信じられないので、痴漢をしたと言っても驚かない」と言ったけれどやっぱりダメ。本当のところどうなんでしょう?というか、今思えば痴漢に会ったときに直接インタビューして統計を取っておけばよかったのよね。アンケート用紙とかちゃんと用意しておいて、丸をつけてもらうの。

問1:私をターゲットに選んだ理由はなんですか?
  A.顔がかわいいなどの外見的理由
  B.おとなしそう・反抗しなさそうなどの性格的理由
  C.胸がでかい、足がきれいなど性的アピール度の高さ
  D.オスとしての自分とメスとしてのターゲットの体格的つりあい

大銀杏だって、痴漢をする人は常習者に限ると思いたい。電車に乗り込んできた時点で自分がターゲットじゃなくても「あ、コイツ痴漢だ」と断定できることはよくありますから。でも10人の男が集まれば、そのうち一人ぐらいは痴漢経験者でないと、確率的におかしい気がするんです。ん?ということは、親戚の集まりでもやっぱり痴漢経験者は潜んでいるということ?考えるのを止めたほうがいいかもしれない・・・。ま、私の父が痴漢をしたと言っても全然驚かないけどね。

ここで痴漢話を一つ。電車に詰め込まれるとき、女性なら誰でもただやみくもに押し込まれるだけではなく、体が密着しないよう向きを変えたり、少しでも痴漢でなさそうな人に近づこうとします。ある日電車に乗り込むと、戸袋のところに山登りにでも行くような大きなナップザックを両手で抱えた背の低い男性がいました。ナップザックに寄りかかれば体を密着させなくて済むので、これ幸いと後ろからの圧力を利用してナップサックに近づきました。私とその男の体の間には大きな赤いナップサックがあるため、まるで抱き枕に寄りかかるように私は安心しきって電車に揺られていました。

少ししてから妙な感覚が太ももにある。ううーーん、確かにハードに変形したアレ。でもなー、そっち方向にはこのナップサックしかないし・・・。と当惑していると、電車がやや急ブレーキ気味に減速した。その勢いで乗客が一方向によろめき、ナップサック男と私の間には50センチほどの隙間ができました。そこですかさず自分の太ももあたりを見ると!ややや!背が低いと思っていたナップサック男は実はナップサックを抱えて少し屈んでいただけだったのです。そして今、その男は背中を座席脇の戸袋コーナーによりかかり、空気椅子状態でナップサックの下からに股間を突き出して大銀杏に・・・。乗客がよろめいた瞬間に出来た隙間に突き出された股間。隣のサラリーマンも一緒に股間を見下ろして絶句。痴漢にあった不快さよりもその間抜けな姿が気の毒でおかしくて・・・。ゆり戻されて再びナップサックに押し付けられたときには、さすがに股間はそこになく、最初のポジション、つまりやや屈み状態に戻った様子。このナップサックを女性が来るまでしゃがんだ姿勢で抱えていたのかと思うと、その努力に頭が下がるどころか、せつなくて涙が滲む。痴漢は血祭りにあげる主義の私だけど、その日ばかりはくっくっく・・・と笑いが止らず、どうしようもできませんでした。