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sunsunsun

3人兄弟子育て。
三者三様の成長を記録。

知らなかった。

2012-06-23 13:58:11 | 日記
やっぱり私って本当の根っからの県民じゃないなと思ったこと。
雫石の慰霊の森の由来を先日知りました。
岩手県民であのことを知らない人ってあたしくらいなんじゃないかと思うほどの大きな事故が昔あったんですね。
仕事でそっちに行ったときに私より年上の先輩方が「遺体がね・・・・」とか「おじさんが消防団で・・・」とか話し始めて、昔飛行機の事故があったんだな・・くらいに思っていたけどよく聞いたら旅客機と自衛隊機の事故だったと聞いて「え??」となり、ネットで詳しく読ませていただきました。
本当に何も知らなかった。生まれてなかったけどきっとみんなは親に聞いたりしてるでしょ?
うちの親は話してなかったもん。1971年にあったことらしいから父も母も岩手とはかかわりなかったころだろうし。

パパに聞いたらやっぱり知っててお義父さんに聞いたと言ってました。
付き合っていた頃、鶯宿方面に花火を見に行くとき「吐き気がする・・鳥肌がおさまらない・・」とそこを通るとき言っていましたが「?」「具合悪いなら帰ろう」と答えたことを思い出しました。

それからネットを検索していくうちに心霊スポットみたいなところにたどり着いてしまい見ていくうちに「盛岡のまぼろしの遊園地」というのにたどりつきました。
以前、コンビニでバイトしてた時にその話をしていた人がいたことを思い出しました。本当だったんだ・・・とびっくりしました。
なんと北大橋上流の川の中州にあったらしいです。3年で閉園したらしいです。なんかこわいいいい・・・・。

みんなは知ってたよね、当たり前か。

農業

2012-04-16 23:28:22 | 日記
新しい仕事は農作業と分析補助です。
9月までは外の畑仕事が多いらしい。
畑仕事ってなんだろーー?と思いつつ「体力はあります」とうそをついて入社しました。
今はナタネの栽培の作業やら調査やらをしています。
越冬調査とか、播性調査やらよくわからないけどやってます。
あとはネットをはったり動物除けの電牧をはったり、除草をしたりけっこうクタクタです。

でも時間にはゆるいなあと思う。
今までの仕事なら9時からって言ったら着替えも済んで現場に5分前にはいて9時から作業をはじめるって感じだったし、4時までだったら4時まで仕事でそのあとに着替えとかだったのにここは9時から着替えだし15分前に終わってきて着替えたりするからびっくりした。
タイムカードじゃなくハンコだし。
昼の休憩も1時間きっちりあるし。
民間の工場仕事とかしてきたから、変なかんじですな。

今一緒に仕事してるのが50歳、63歳のおばちゃんで嫌な人はいないけど愚痴れる人もいないのでそれがつらいというかつまらないな。

実際は体力なんて全然ないから向いていないと思うけどとりあえずは頑張らなきゃね。
仕事させてもらえるだけありがたいと思わないとね。
仕事探しはもうしばらくしたくないや。



就職活動

2012-02-25 17:29:11 | 日記
またまた就職活動中です。
この季節はなんだかんだでここ数年就職活動中です。
専業主婦をやめて沿岸で働いたはじめの年は派遣登録だったので3つ目の場所が期間切れで無職になり、たびたび新しい人間関係になじむのに疲れたため、2年目は、常雇のフルタイムで働いて仕事場にある程度仲いい人ができ、少し楽しくなってきたと思ったら会社ごと津波にさらわれ、こっちに帰ってきて期間雇用の募集ばかりのなか更新ありだけどジミーな仕事に就いたのに、放射能の影響やらなにやらで事業縮小ということでクビになりました。
そんで今年もまた就職活動中です。
新しい人の中に入っていくの、疲れたー。
新しい仕事、慣れるまできついなー。
トホホ・・・
って仕事決まってもないけど。

ハッピーバースデイ

2012-02-16 12:18:35 | 日記
まっちょんのお子様が誕生したことをメールで報告いただきました。
いやーーーうれしいですっ
産まれたのは昨日のことらしいです。
「3人産んだなんて尊敬する」というお言葉、友達が出産するたびにいただく言葉です。
そんだけ出産って命がけですね。
よって出産トークってめっちゃ楽しい。
早くまっちょんとも出産トークを楽しみたいな。
そのうち里帰りするときをたのしみに待っていようっと!


あけましておめでとうう

2012-01-01 23:36:13 | 日記
今日から2012年です。
やらなければならないことはたくさんありますが、ひとつひとつできたらいいなとおもってます。
今日はひどいセキが出てのどは痛いし鼻水ダラダラだったのにもかかわらず八幡平リゾートにスキーに行きました。
晴れていて寒さもひどくなくすべりやすかったけど、わたしも小学校以来スキーはやってないしパパも初心者。子供3人に教えるのはなかなか大変でした。
上手く上ることさえできずにへそを曲げる弟たち。
そのぐだぐだにイライラするパパ。
リフトになんて乗ることもできずに帰ってきました。
リョウマだけはできそうな予感。
冬休み中にもう一回いかなきゃな。

33歳になりますた

2011-12-30 23:36:23 | 日記
わたくしもとうとう26日に33歳という年齢をむかえました。
もう祝うべき年齢ではないような気もしますがパパとこどもからおめでとうの言葉などをいただきました。

33歳を迎えいろいろと老化を感じるだけでなく歴史を感じるようになってきました。
というのも一緒に働いている子が21歳でちょうどひとまわり違う子で、昭和を知らない人だからです。
「え、中山美穂が歌ってた時とかしってる?」「中山美穂って誰ですか」
「え、プリプリは?」「なんですか、それ?」
「じゃ、オオグロマキは?」「あ~名前は知ってるけど歌はわかりません」
みたいなのをはじめ、
「ポケベルってしってる?」「生まれた時から携帯あったし!」
みたいな。

つまりはおばちゃんということですな。

「え、カラオケ誰歌うの?」「ヌマタさん、絶対わかんないから教えません!」

はい、昭和な女ですが・・・何か?

この平成生まれのゆとり娘が!!

というわりに面白い子なので仲良くやってます。

パンク

2011-09-14 15:44:49 | 日記
今朝、仕事に行こうと思って車に乗ったらゴリゴリ・・と違和感を感じ外に出るとタイヤがぺしゃんこになっていた。
え・・・
どうすればいいんだっけ・・
一時脳みそ停止。
説明書をみるとどうやらスペアタイヤにはきかえろ。ということのようだ。
しかし今までタイヤ交換はスタンドか旦那様にまかせっきりでやったことがない。
えー・・・JAFよぼうかな・・・

すると隣の家のおじさんが「どうしたの?」とでてきてくれた。

「いやー、パンクみたいなんですけど、タイヤ交換したことなくて・・・」
思いっきりやってくれ発言。

思惑どうりおじさんは親切にタイヤ交換してくれました。

わたしはまたタイヤ交換をしないでしまった。

スペアタイヤは普段のより細くて走っているとフラフラする気がしてこわくなりすぐにスタンドにタイヤを買いに行った。

パンクもだけど走っている途中でガソリンなくなったり冬道でスリップしてガードレールにぶつかったり、車に正面衝突したり大概のことはやったな。それでも生きてる私って強運じゃない?

駄目な人

2011-09-13 15:48:14 | 日記
自分はダメな人だなー・・とよく思う。
昔はもう少しましだったな。

とにかく動くのがめんどい。家事が面倒。とくに食事。専門の資格をもっていながら献立を考えるのが超絶めんどい。

そんなこんなだけどしょうごのダイエットもあるし、少しは気を使う。
気を使える日は限られていて疲れると「カレー」だの「やきそば」だのひどいときは「ラーメン」てな感じで炭水化物中心の食事になってしまう。
自分の母はよく毎日いろいろつくってくれたなと感心する。
あたしの料理熱は高校から短大前半にかけて燃え上がり冷めた。
創作料理や本を読んで新しい料理に次々挑戦したのもそのころ。
だがいまは定番以外は作らない。

立派なお母さんになりたい気持ちはあるんだけど、踏ん張りがきかないというか頑張れない駄目な人です。













あの日から半年

2011-09-12 14:45:33 | 日記
あの日から半年たった。

ふと考えることがある。

もしあの日の朝に戻れたら。

規模が大きすぎてみんなを救えるとは思えないし、あの時と少し違う行動をしていたら自分もしくは家族の誰かが亡くなっていたかもしれないと思うと、やっぱり何もできない。

ずっと後悔しているのが60歳のおばさんというかおばあちゃんというか「うわべさん」を車に乗せてきたこと。
うわべさんとは不思議な縁があった。陸前高田に引っ越してきたリョウマの入学式「こんにちわ」と旦那に声をかけてきた人がいた。その人は旦那と同じ会社の人でリョウマと同じクラスに娘が入学した。その人の奥さんがじゃんけんで負けてPTAの1年生会長になり「たいへんだね」と話していたところ行事になるとその奥さんではなくおばあちゃんが登場。奥さんは産後鬱で外に出てこなくなり代わりにおばあちゃんがPTAの仕事をしていた。その1年後私が入った会社にそのおばあちゃんがいた。「うわべさん」だった。
娘が鬱だから自分が家事も孫の世話もしているといっていた。たしかに参観日も、委員会も「うわべさん」が登場した。
旦那と婿の会社が同じで子供と孫のクラスが同じだったので話もよくしてくれた。
あの日の帰り、みんなは近くの避難所に会社のバスで移動した。私はあんな波が来るとは1秒も考えなかった。「橋が規制されて渡れなくなったら困るよね」同じくリョウマと同じクラスに子供を持つ「あらきさん」は子供もだけど「ばあちゃんが一人で家にいる」ことが気がかりで仕方なかった様子だった。社員からは指示がなく「いえにかえっていいの?」と聞いても返事はなく「帰ろう!今ならまだ間に合う、道路も車とおってるじゃん」「あたしものせてって」とあらきさんが乗った。そして出発しようとしたら外にうわべさんがいて私はてっきり会社のバスで避難したと思っていたので次のバスで避難所行くのかなと思っているとあらきさんが「うわべさんも乗っていく?」ときいた。うわべさんも少し迷ったようだったけど「のせてって」といった。
車に乗り、外の防災無線が聞こえるよう窓を開けた。走っていると途中会社の人たちが山の上の神社に避難をするところだった。わたしたちは手を振った。あのときおろしてあげればよかった。
道を進むにつれ周りに車がなくなっていった。大橋を渡ると水が大きくひいていて「ばー、くるよ、おおきいのが」「津波は早いよ、スピード違反で来るからね」とうわべさんがいった。
わたしは全員子供を迎えに行くものだと思っていたので小学校までみんなでいくつもりだったけど途中でうわべさんが「ここでおろして」と小学校より一段低い場所で家から5分くらいの場所に下した。つづいてあらきさんも「ばあちゃん」が心配だと言って小学校まで行かずに降りた。小学校まで乗せていっていってしまえばよかった。

そして津波が来た。

逃げて避難した老人ホームであらきさんに会った。波から逃げている間に子供とはぐれてしまい避難所を巡って探し回っているようだった。
「うわべさん、みないよね」
その日からうわべさんに会うことはできなかった。

あの日会社の人たちと近くの避難所に行っていたらうわべさんはまだ生きていただろう。でもわたしはあのとき小学校に行き子供と手をつないで波から逃げた。私の手がなくても子供はきっと逃げ切ったと思うけど、実際はわからない。あらきさんは「家に行ったら家族が全員外にいて、あとはあんただけだよっていってみんなで一斉に逃げた。ばあちゃんは弟がおんぶして逃げたんだよ」といった。あらきさんが帰らなかったら全員逃げ遅れていたかもしれない。避難所に逃げて自分が助かっても家族がみんな亡くなったら・・・。あらきさんの家族は全員無事だった。

どうするのがよかったのだろう。

もう少し遅く車を走らせていたら渋滞に巻き込まれてつなみにのまれていただろうし、もう少し早く小学校についていたら保育園まで車を走らせ途中で波にのまれていただろう。

今でも後部座席に座っていたうわべさんを思って後悔するけど、どうすればよかったのか答えも出ない。