sunsunsun

3人兄弟子育て。
三者三様の成長を記録。

蔵王

2011-09-24 23:07:17 | 子供
先週蔵王にお釜を見に行った。ところがすごい霧。全く見えず、気がつくとみんなの髪の毛がびっしょり。
一泊して翌朝晴れたので再びお釜に行くと若い男女が「たいしたないね」と会話している横を走り抜け「湖みえたよー!」「なんか緑だよ!」「やったー!」と喜ぶまくる我が子たち。前の日にすんなり見えなかったのが感動を高めてくれたようでよかったな。
しかし霧の峠で酔ったあつきが「口からゲリでる~」と泣いて直後アイスを嘔吐。パパの車がやばくなった。
ゲリじゃないだろ!としょうごがちゃんとツッコミいれていた。

パンク

2011-09-14 15:44:49 | 日記
今朝、仕事に行こうと思って車に乗ったらゴリゴリ・・と違和感を感じ外に出るとタイヤがぺしゃんこになっていた。
え・・・
どうすればいいんだっけ・・
一時脳みそ停止。
説明書をみるとどうやらスペアタイヤにはきかえろ。ということのようだ。
しかし今までタイヤ交換はスタンドか旦那様にまかせっきりでやったことがない。
えー・・・JAFよぼうかな・・・

すると隣の家のおじさんが「どうしたの?」とでてきてくれた。

「いやー、パンクみたいなんですけど、タイヤ交換したことなくて・・・」
思いっきりやってくれ発言。

思惑どうりおじさんは親切にタイヤ交換してくれました。

わたしはまたタイヤ交換をしないでしまった。

スペアタイヤは普段のより細くて走っているとフラフラする気がしてこわくなりすぐにスタンドにタイヤを買いに行った。

パンクもだけど走っている途中でガソリンなくなったり冬道でスリップしてガードレールにぶつかったり、車に正面衝突したり大概のことはやったな。それでも生きてる私って強運じゃない?

駄目な人

2011-09-13 15:48:14 | 日記
自分はダメな人だなー・・とよく思う。
昔はもう少しましだったな。

とにかく動くのがめんどい。家事が面倒。とくに食事。専門の資格をもっていながら献立を考えるのが超絶めんどい。

そんなこんなだけどしょうごのダイエットもあるし、少しは気を使う。
気を使える日は限られていて疲れると「カレー」だの「やきそば」だのひどいときは「ラーメン」てな感じで炭水化物中心の食事になってしまう。
自分の母はよく毎日いろいろつくってくれたなと感心する。
あたしの料理熱は高校から短大前半にかけて燃え上がり冷めた。
創作料理や本を読んで新しい料理に次々挑戦したのもそのころ。
だがいまは定番以外は作らない。

立派なお母さんになりたい気持ちはあるんだけど、踏ん張りがきかないというか頑張れない駄目な人です。













あの日から半年

2011-09-12 14:45:33 | 日記
あの日から半年たった。

ふと考えることがある。

もしあの日の朝に戻れたら。

規模が大きすぎてみんなを救えるとは思えないし、あの時と少し違う行動をしていたら自分もしくは家族の誰かが亡くなっていたかもしれないと思うと、やっぱり何もできない。

ずっと後悔しているのが60歳のおばさんというかおばあちゃんというか「うわべさん」を車に乗せてきたこと。
うわべさんとは不思議な縁があった。陸前高田に引っ越してきたリョウマの入学式「こんにちわ」と旦那に声をかけてきた人がいた。その人は旦那と同じ会社の人でリョウマと同じクラスに娘が入学した。その人の奥さんがじゃんけんで負けてPTAの1年生会長になり「たいへんだね」と話していたところ行事になるとその奥さんではなくおばあちゃんが登場。奥さんは産後鬱で外に出てこなくなり代わりにおばあちゃんがPTAの仕事をしていた。その1年後私が入った会社にそのおばあちゃんがいた。「うわべさん」だった。
娘が鬱だから自分が家事も孫の世話もしているといっていた。たしかに参観日も、委員会も「うわべさん」が登場した。
旦那と婿の会社が同じで子供と孫のクラスが同じだったので話もよくしてくれた。
あの日の帰り、みんなは近くの避難所に会社のバスで移動した。私はあんな波が来るとは1秒も考えなかった。「橋が規制されて渡れなくなったら困るよね」同じくリョウマと同じクラスに子供を持つ「あらきさん」は子供もだけど「ばあちゃんが一人で家にいる」ことが気がかりで仕方なかった様子だった。社員からは指示がなく「いえにかえっていいの?」と聞いても返事はなく「帰ろう!今ならまだ間に合う、道路も車とおってるじゃん」「あたしものせてって」とあらきさんが乗った。そして出発しようとしたら外にうわべさんがいて私はてっきり会社のバスで避難したと思っていたので次のバスで避難所行くのかなと思っているとあらきさんが「うわべさんも乗っていく?」ときいた。うわべさんも少し迷ったようだったけど「のせてって」といった。
車に乗り、外の防災無線が聞こえるよう窓を開けた。走っていると途中会社の人たちが山の上の神社に避難をするところだった。わたしたちは手を振った。あのときおろしてあげればよかった。
道を進むにつれ周りに車がなくなっていった。大橋を渡ると水が大きくひいていて「ばー、くるよ、おおきいのが」「津波は早いよ、スピード違反で来るからね」とうわべさんがいった。
わたしは全員子供を迎えに行くものだと思っていたので小学校までみんなでいくつもりだったけど途中でうわべさんが「ここでおろして」と小学校より一段低い場所で家から5分くらいの場所に下した。つづいてあらきさんも「ばあちゃん」が心配だと言って小学校まで行かずに降りた。小学校まで乗せていっていってしまえばよかった。

そして津波が来た。

逃げて避難した老人ホームであらきさんに会った。波から逃げている間に子供とはぐれてしまい避難所を巡って探し回っているようだった。
「うわべさん、みないよね」
その日からうわべさんに会うことはできなかった。

あの日会社の人たちと近くの避難所に行っていたらうわべさんはまだ生きていただろう。でもわたしはあのとき小学校に行き子供と手をつないで波から逃げた。私の手がなくても子供はきっと逃げ切ったと思うけど、実際はわからない。あらきさんは「家に行ったら家族が全員外にいて、あとはあんただけだよっていってみんなで一斉に逃げた。ばあちゃんは弟がおんぶして逃げたんだよ」といった。あらきさんが帰らなかったら全員逃げ遅れていたかもしれない。避難所に逃げて自分が助かっても家族がみんな亡くなったら・・・。あらきさんの家族は全員無事だった。

どうするのがよかったのだろう。

もう少し遅く車を走らせていたら渋滞に巻き込まれてつなみにのまれていただろうし、もう少し早く小学校についていたら保育園まで車を走らせ途中で波にのまれていただろう。

今でも後部座席に座っていたうわべさんを思って後悔するけど、どうすればよかったのか答えも出ない。